ブログ内検索

2017年9月30日土曜日

巧みで遅くなるよりも拙いながらに速く

仕事ができる人の定義は、人それぞれだろう。いつのことか忘れたが、少なくとも同志社に勤務していた時代に、「巧遅は拙速に如かず」を学生たちには説いていた。この教えは、元を辿ると孫子によるという。文字通り「たくみで遅いものよりも、つたないながらも速い方がよい」という意味である。

もちろん「速ければいい」わけではない。ただ、いくら良いものでも、あまりに時間がかかってしまっては、悪影響をもたらす。それこそ、この言葉が兵法を説いた孫子から来ていることを思えば、戦略にこだわりすぎて戦いが長引いてしまえば、結果として大きな被害を被ることが予測できるだろう。言わば「策士策におぼれる」の構図がもたされる場合もあろう。

今日は文字通り拙速かもしれないものの、800字の原稿を朝一番で記し、送付した。先般承諾の返信をした際に伺った文字数が伝えられたメールへの返信として、である。来る11月23日に、同志社大学大学院総合政策科学研究科で、ソーシャル・イノベーション研究コース(当時)が設置されて10年を記念する催しが開催されるため、幹事の現役生からメッセージを求めていただいたのだ。歴代の教員は私を除いて全員参加とのことで残念なのだが、その分、思いを言葉に乗せてみた。

その後は4月に参加した、サービス・ラーニングの専門書の翻訳仕事にあたった。集中中して取り組むことができたため、10月2日の締切を前に仕上がることができそうだ。そこで明日はちょっと遠出をしようと、デジタルカメラのバッテリーを充電して、備えることにした。加えて、後々の整理のために、時間あわせも行い、これまた拙速な準備で寝床についた。


2017年9月29日金曜日

勧誘シーズン

日本の大学では4月が入学シーズンだが、こちらでは今が入学時期である。かといって、デンマークの学生たちには、日本のように初々しい感じは漂っていない。そこには大学も含めて教育費は政府によって負担されるという事情も反映しているだろう。大学は行きたいとき、行くことができるとき、行くべきとき、つまり、それぞれにとって適切で妥当なタイミングで行くものとされているためだ。

今日もまた、デンマークでは珍しくない曇りのち雨という天候であった。そんな空を見上げると、鳥たちが忙しそうに翼をはためかせていた。木々の実が落ちる秋、食べものを探してのことなのかもしれない。ただ、葉っぱもだいぶ落ち始めており、何となく寂しい感じも漂いつつある。

一方、新入生を迎えるキャンパスでは、新歓イベントがなされていた。この地域の銀行をはじめ、地元の企業がテントを並べ、何かの出しものをしているようだった。また、音楽ライブができそうな機材も運ばれていた。そして生ビールのサーバーも用意されていた。

ふと、日本の大学ではこうした雰囲気はないかもしれない、などと感じてしまった。少なくとも、立命館大学の衣笠キャンパスでは、なかなか難しいことである。私が学生時代は、キャンパスで飲み、騒ぐということは珍しいことではなかったが、今は昔、である。とはいえ、多くの人々が豊かな人生を送ることを目的とした場づくりのために、単なる懐古主義ではなく、しかし禁止事項の厳格化でもない動きを導きたいものだ。


2017年9月28日木曜日

和のテイスト

昨日はリサーチミーティングの後、調べものを重ねたこともあって、朝から昨日に返信できなかったメールの対応を重ねた。メールがない頃にはファックスで対応していたような事柄も多い。ファックスがなかった時代には郵便での対応だったのだろう。そして、郵便よりも後に根づいた電話という手段も含め、今の時代には、今挙げた全ての手段がまだ残っているというのも、すごいことのように思う。

学びの師匠の渥美公秀先生は、朝の一番頭がすっきりしている時の時間の使い方が大事だと、常々仰っていた気がする。例えば、メールの返信というのは、インプットにもアウトプットにもならないことがある。ここでのインプットとアウトプットとは知的な活動のことを指している。実際、メールの返信では何らかの情報が入力され、出力されていくのだが、それは活動というよりも仕事、あるいは作業にすぎない、という捉え方もできる。

それでも、今日は9通のメールを返信する中で、生産的な仕事への準備作業にはなった気がしている。内容は立命館大学サービスラーニングセンターの執行体制、来年2月の研究会の枠組み、今取り組んでいる翻訳プロジェクトの次の動き、研究費の執行状況の確認、次の研究費の確保に向けた段取り調整、浜松市の創造都市戦略に対する意見交換、衆議院の総選挙と重なった時代祭への様子伺い、などである。それに加えて、来る11月23日に、同志社大学で催しがあり、その催しにメッセージを寄せて欲しいというメールも届いた。もちろん快諾し、文字数と締切を訊ねた。

なんだか日本とのやりとりがいつもよりも多く、広い気がして、昼食には先般調達した、気仙沼の斉吉商店さんの名物「金のさんま」をいただいた。その出汁の味は「ごはんがすすむ」筆頭である。その流れで、夕食はデンマークで広く流通しているサーモンと海老によるちらし寿司となった。加えて、夏に実家の母たちが訪れたときに持ってきてくれた高野豆腐と椎茸の煮物が添えられ、盛り上がる料理を用意してくれる妻がありがたく、一方で間もなくデンマーク滞在も半年になるのだなと、しみじみ思う。


2017年9月27日水曜日

ことばを預けるということ

「研究とは、誰かのことばを自分のことばに、そして自分のことばを誰かに預ける実践である。」今日はふと、そんなことばが思い浮かんだ。1年間、デンマークで学外研究の機会を得ている今、改めて研究とは何かに向き合っているためでもある。思えば今の所属である立命館大学では、全学の教養教育の担当のため、論文指導をする学生がいないということも影響している。

水曜日の今日は、オールボー大学の文化心理学研究センターによるキッチンセミナーであった。先週は日本心理学会のため一時帰国をしていたため参加ができなかった。先々週もまた、アイルランドでの国際サービスラーニング・地域貢献学会のため、参加できなかった。よって2週間ぶりの参加だったが、冒頭、キッチンセミナーは20年前の9月末に始まったとのことで、そのお祝いのために手元の飲み物(概ねコーヒー)で乾杯することになった。

今日のテーマは「更正制度における対話の場と心理学」だった。話題提供者はブラジルのサンパウロから、インターネットで接続して行われた。ちなみにキッチンセミナーでは土曜日の正午ごろに水曜日のための資料が届き、参加者はそれを読んだ上で臨むことがルールとなっている。キッチンセミナーの名のとおり、提供される資料は真名板の上に乗せられることになり、参加者というシェフによって調理の素材として吟味され、料理されていく。

今日は私の指導教員の一人、Mogens先生も参加されていた。途中、心理学者の役割について「対象となる人々に対して、新たな方法を探り、変化をもたらす、そのために挑戦することも必要」とコメントされた。これは刑務所において、受刑者に対して心理テストを行い評価するだけの役割だけでなく、受刑者も刑務官も心理学者もそれぞれに快適で自信を持つことができるような環境づくりのために対話が重要ではないか、という仮説に基づいた議論が行われたことによる。ふと、立命館大学で行われてきた修復的司法」の取り組みと、應典院において劇団「満月動物園」により3度(2014年9月2015年1月2017年1月)行われた「加害者家族」の新書朗読のことを思い出し、自らの研究の冷凍庫に眠っていた食材を見つけた気がした。



2017年9月26日火曜日

目に見えにくいものの

日本にいるときと大きく異なることとして、昼ご飯を自宅で食べる機会が多いことが挙げられる。もっと言えば3食、家で食べることもある。さらに言えば、家から一歩も出ないさえ珍しいことではない。大学の構内に住んでいるため、人文科学部の基本棟まで5分もかからないが、オールボー大学のスタッフIDを発行してもらえているため、調べものの多くは自宅のパソコンからできることが大きな理由である。

そうした中、今日の昼ご飯は一人分だけ、自分で用意することになった。妻は外でランチのためであった。デンマークに来て半年、仲良くさせていただく方もでき、有り難いことである。ささやかなシングルライフの中、手を伸ばしたのは、5月にStudio-Lの皆さんが来られた際2回ヒアリングをご一緒した後、日本からのおみやげとしていただいたバターチキンカレーであった。

そうして一人で過ごす時間が長かった今日は、月末に提出が求められている学外研究の中間報告書の執筆準備をした。あわせて、少しずつ進めているパソコン内のファイルの整理も行った。特に重複ファイルの検出が捗りつつある。あわせて「整理」という名を付けたフォルダの中に入れたままとなっているファイルたちも、徐々に所定の位置に収められ始めてきている。

これらの作業は、画面を見ている者にとっては大きな変化を感じることができるものの、それ以外の人にとっては全く実感がわかないだろう。何より、ファイル検索の機能が向上したため、パソコン内のファイルはそんなにきめ細かく整理しなくてもいいのではないか、という意見もあろう。それでも、かつてDIMEという雑誌の連載で知った山根一眞氏による「デジタル袋ファイル」という考えのもと整理をしてきていたゆえ、中途半端なままとなっているモヤモヤが晴れていく可能性があることがありがたい。ただ、せっかく一人で過ごした時間だからこそ、目に見える部分を整理・整頓して、帰宅したとき妻に喜んでもらうといった気の配り方もできればよかったなと気持ちを整理して、後の祭りである。


2017年9月25日月曜日

中身を包み込む脈略

9月11日に続いて、オールボー大学の受入担当の先生方とのリサーチミーティングだった。8月28日から続くランチミーティングである。初回だけMogens先生と近況を語り合った後にランチとなったが、前回からCasper先生もあわせて、いきなりランチからという流れになった。場所は人文学部の基本棟にあるコミュニケーション・心理学科のランチルームである。

ランチルームでのランチミーティングと記せば違和感がないだろうが、講義棟の中に学科に対して食洗機や電子レンジや比較的大型の冷蔵庫とコーヒーメーカーがセットされているというのは、日本の大学では珍しいのではなかろうか。ちなみに立命館大学では個人研究室に水回りが整備されており、その名のとおりに個人、つまり個室として個々の研究者に提供される。転じてオールボー大学では、個人研究室は2名で1室を使用することが多い。シェアの文化が行き届き、また対話の環境が重視されているからなのかもしれないと、そうした違いにも関心を向けている。

今日のランチミーティングでは、前回話題となったサービスラーニングにおけるチームビルディングと、PBLにおけるスーパーバイズの違いが焦点となった。9月17日が締切とされた、ある国際学会での発表に3名でエントリーをしたため、その際の内容を深めた。双方の共通点としては、実際の社会問題を扱い、グループワークを通して、学際的な知を探求する点がある。一方で、グループのサイズ、教育としての目的が異なる。

2時間弱のミーティングの後、次のミーティングでの話題と日程を決めた。10月16日、フォーマルにはリーダーを置かないこと、コンテキストを重視する中でも「隠れたカリキュラム(hidden curriculum)」とという姿勢は取らないこと、そうしたオールボー大学のコミュニケーション・心理学科のPBLの特徴を深めていくことにした。帰り際、先週、日本心理学会に参加した帰りに空港で買って来たおみやげを渡した。日本風の5つの味(北海道メロン、桜抹茶、和苺、宇治抹茶、巨峰)から選んでいただいたのだが、恐らく見たこともないパッケージに驚いたようで、コンテンツとコンテキストを捉える上で、一つの好例を得た気がしている。


2017年9月24日日曜日

秋めく空に鐘が鳴る

日本から戻って、一晩が過ぎた。日本への出発前、今日はデンマークにおける民主主義教育の祖、グルントヴィーにまつわるイベントがあると案内されていた。案内の主は、4月と7月にコペンハーゲンにお招きをいただいた方である。常々、学生たちに学びと成長の機会を逃さないように言ってきている身としては、そうしたお誘いに乗りたいと思いつつも、加齢を自覚してきていることもあって、今回は断念した。

そうした中、今日は電子メールの環境を整理することにした。今年、1997年から使ってきたメールアドレスを手放した。また、今、複数あるメールアドレスのうち、全てのメールはスパムフィルターと検索機能が秀逸なGmailに一元化している。今日はそこにもう一つ、アドレスを追加することにした。目的は相手が混乱せずに短いアドレスでやりとりできるようにすることである。

今、オールボー大学のメールアドレスも付与されているが、これが短くてよいのである(書面ならまだしも、対面や電話など口頭で立命館のアドレスが正しく伝わるように気を配るのがおっくうなのである)。しかし、それは4月以降は使えなくなるし、何より日本で「.dk」のドメインのメールアドレスを使うには唐突感があるだろう。できれば立命館のアドレスが短くなるといいのだが、なかなか期待はできそうにない。そこで、いくつかのサービスを調べる中で「yahoo.com」のアドレスをGmailにて「Gmailfy」(Gmailサービスと統合)して使うということに落ち着いた。

なかなか良さそうな感触を得ていると、一つの壁にぶち当たった。yahoo.comでは迷惑メールとならないようフィッシング対策が強化されているため、DMARC(Domain-based Message Authentication, Reporting & Conformance)という技術が採用されており、Gmailのウェブアプリもしくはモバイルアプリ以外、つまりは他のメールソフト・モバイルアプリからでは送信ができないのである。まあ、それはそれで受けとめるか、と思っているところ、日曜日の夕方好例のアイスクリーム屋さんがやってきた。ちょうど冷蔵庫のストックがなくなったので足を伸ばしたが、実は今日一日、いわゆる科研費(科学技術研究費)応募の準備から逃げていたということを、ここに記して反省しておきたい。


2017年9月23日土曜日

席を立てるようにする配慮が

つかの間の一時帰国からデンマークに戻った。今回は深夜便での移動で、朝にデンマークに着くということもあり、機内ではとにかく眠るようにした。日本に戻る際には窓側の席だったが、今回は通路側をお願いした。オランダ・アムステルダムから韓国・インチョン空港までのあいだ、お隣の方は一度も席を立つことがなく、お手洗いに行きづらかったためである。ところが、今回は隣に並ぶお二人とも、お手洗いなどへと立つことはなかった。

今回はできるだけ安価なチケットを探した結果、オールボー〜アムステルダム〜ソウル〜福岡の往復というルートとなった。加えて、最終日を深夜便とすることで、宿泊代も浮かすことができた。ただ、移動の効率を高めたところで、疲れ度合いが低くなるとは限らない。福岡を21時に出て1時間余りで時差のないソウルに着いてから0時過ぎにアムステルダムへ、そして7時間の時差のある地に4時過ぎに到着して3時間あまりのトランジットで出発、恐らくそのペースにうまく乗り切れていないのである。

デンマークの自宅に戻って、まずはシャワーを浴びた。合理的な暮らしのためか、デンマークにはバスタブがない家が多く、我が家もまた例外ではない。そうした中、亜熱帯化しているかのように感じたアジアにて、少し汗ばんでしまったために、アムステルダムのトランジットの際にシャワーブースを借りようかと思ったが、受付カウンターのスタッフが6時からの勤務なようで、それまでは他のカウンターに行くように指示されていた。ところが、そのカウンターは別の対応で手一杯だったので、もういいや、と、諦めた。

どちらかというと時差ボケはない方である。そもそも不摂生な生活のためか、それとも単にタフなだけか、定かではない。一方、最近は早寝早起きを重ねているためか、それとも単に年を取ってきただけか、時差のある移動が堪える。ということで、今日はちょっと昼寝もし、徐々にデンマーク時間へのリズムを取り戻していく日々となっていくのだろう。


2017年9月22日金曜日

恩師との対話

日本心理学会3日目、今日もまた朝から会場へと向かった。そして1日目と2日目と変わらず、賑わっている。向かった先はポスター会場だ。下條信輔先生(カリフォルニア工科大学教授)による招待講演『ポストディクション(後付け再構成)と、意識的な「気づき」』にも興味があったが、ポスター会場に向かった。

ポスター会場では恩師の渥美公秀先生が発表されていた。日本心理学会の一般発表はポスターのみのためだ。発表のタイトルは「観光客(郵便的マルチチュード)としての災害ボランティア」であった。これまで柄谷行人による「世界史の構造」(2010)をもとに災害ボランティアの秩序化に対して警鐘を鳴らしてきた中で、東浩紀による「観光客の哲学」をもとに「なぜかそうなってしまい続けるようにする」こと(ジャック・デリダによる「誤配」概念)をいかに戦略的に展開できるかを論じたものだ。


ポスター会場でも議論をさせていただいたが、早めのランチをJR久留米駅にてご一緒させていただいた。実は日本心理学会での予稿集は1200字ほどに収められているものの、既に5月の時点で8000字ほどの草稿を拝読させていただいており、関心を向けて来た。今回、改めてポスターを前に語っていただいたことで、抽象度の高い議論を、私も知るある方を想い起こして捉えていることがわかり、腑に落ちた。私なりに噛み砕くと、なぜかそうなってしまい続けるようにするには、あえて引っ張りも守りもしないように振る舞っているリーダーと共に活動しているフォロアーがいる、ということである。

早めのランチの後、私は再び会場に戻り、公募シンポジウムを2つ拝聴した。一つは「なぜ人は身体変工を行うのか?ー永続的な装いの心理学ー」、もう一つは「プラセボ効果とは何か—心理学と神経科学からのアプローチ—」であった。前者では他者からのまなざしだけでなく過去および未来の自分からのまなざしに、後者では意味づけと意志決定について、あまり普段は馴染みのないトピックから触れることができた。そして会場の前から直接、福岡空港へと向かい、インチョン空港(韓国・ソウル)、スキポール空港(オランダ・アムステルダム)と経由しての帰路についた。


2017年9月21日木曜日

実践への思考のループ

日本心理学会2日目、昨日に引き続き、朝から会場へと向かった。昨日の朝一番のセッションは事前申込が必要なものだったが、今日は不要のものに参加した。テーマは「子どもと死を共有する—死生心理学の展開(3)逝くときと遺されるときに何が語られ、何が語られないのか—」 であった。3回目のシンポジウムのようだが、参加するのは始めてである。

恐らく2年前から取り組まれているテーマでのシンポジウムだが、子どもに焦点を当てたのは始めての試みだという。このことに加えて、趣旨説明においては死の人称に関心が向けられて話題提供者が選定されたと示された。死の人称については、應典院に在職していた時代に、秋田光彦住職もよく用いていた視点であり、ウラジーミル・ジャンケレヴィッチや柳田邦男さんの著作で理解を深めた。ただ、両者の捉え方は若干異なっており(わかりやすく言えば、柳田邦男さんの言う2.5人称の死という視点は、ジャンケレヴィッチにはなく)、私の死(一人称)、私の死のように捉えられる(もしくは私の死でもないにもかかわらず私にのしかかってくる誰かの)死(二人称)、そして私の死でもなく特定の誰かを引き付けて捉えられない死(三人称)というのが、今日のシンポジウムにおいて踏まえられた(ジャンケレヴィッチ流の)人称のように思われる。

今日のシンポジウムで興味深かったのは、一番目の報告者であった辻本耐先生による「デス・エデュケーション」の概括であった。今回の発表ではご自身の立場を現在のご所属(幼稚園の心理発達相談員)を踏まえて語っておられたものの、今年7月の日本発達心理学会での分科会(死に関するナラティヴと生き方)では浄土真宗本願寺派の副住職という肩書きも掲げて発表されていた。そして、辻本先生には、以前、應典院での催しにお越しいただいており、面識があった。その辻本先生によれば、「80年代に、アルフォンス・デーケンが学校教育におけるデス・エデュケーションの実施を提唱」し「死の準備教育」と訳して広めようとしたものの、「生と死の教育」や「いのちの教育」へと「名称が変化」し、「生命尊重」の傾向が強まったという。

ちなみに辻本先生の後は、あしなが育英会の方が神戸のレインボーハウス(阪神・淡路大震災の遺児のために建てられた拠点)の事例を紹介された。應典院にいたときには、実践モードに浸りきりで、少なくとも心理学者としての研究モードでデータを取るようなことはなかった。現場を離れて1年あまり経つ今、いわゆる実験を通した仮説検証のためだけではない実践的研究にも踏み込んでいっていい(あるいは、よかった)と感じた。こうして朝から深い思考のループに入ったので、午後からは電源のあるところで資料整理を行い、夕方以降には気の合うお仲間の皆さんと懇談を重ねる、豊かな時間となった。


2017年9月20日水曜日

お仲間と出会いつながる手法

日本心理学会1日目、さっそくポスター発表が当たっている。今日は朝一番のプログラムにも参加できるように会場に向かったものの、残念ながら参加は叶わなかった。サトウタツヤ先生によるワークショップだったのだが、事前申込みが殺到し、当日参加は不可とされていたのだ。まるでアイドルの追っかけのように会場で「出待ち」をし、ご挨拶をしてからポスター会場に掲出しにいった。

日本心理学会では一般発表はポスター発表のみとなっている。ただ、このところ国際学会でもポスター発表を好んで選ぶようにしている。何となく、ポスター発表と口頭発表に格付けをしたい人もいるように思われるが、実際はポスター発表の方が、関心のある方に出会い、語りあう機会が得られているように思う。それは原著論文と研究ノートとのあいだで上下の関係があるわけではなく、あくまで結論が出されたものが原著論文、研究にあたっての結果や先鋭化なされた問題を提示するものが研究ノート、そうした性格の違いとして位置づけられることと似た構図にあるように思われる。


今回「共感不可能性を前提とした被災地間支援の方法論の実践的研究 : 熊本と新潟を事例に」と題し、関西学院大学の関嘉寛先生との共同のポスター発表には、14名の方にご関心をいただいた。例えば、「個別の災害に対する各地の個別性のなさがどこまで被支援〜支援の関係の反転に影響するか」(奈良の方)、「自らが直接支援者にならなくとも託したい相手が見つかることで気が楽になることは実感としてわかる」(宮城の方)、「災害の被災地の物理的な距離に対して行動するか否かは個人的な要因が強く影響するのか、また災害以外でも海外ボランティアへの動機付けなどとも関連があるのではないか」(東京・青山の方)、「役割や責任がまわりから囃し立てられるのはつらいということは身につまされる」(熊本の方)といった言葉を得ることができた。特に発災から時間が経過すれば、救援モードから復興モード、そしてまちづくりのモードへと、物事への向き合い方が変わっていく。いくつかの現場に関わり続けることができ、それらを通じて得た知見を、より明快に整理していかねばと発意する機会となった。

ポスター発表の後は遅めの昼食を会場近くでいただいて、シンポジウムの聴講の後、立命館大学心理系懇親会というものに足を運んだ。今年で33回目となる懇親会で、立命館に学ぶ人、学んだ人、働く人が集う場だという。学部と修士は立命館の土木系で、博士は大阪で取得した上、今の所属は学部ではなく全学教養ということもあり、何ともルーツからは外れた者を、この数年、毎年お誘いをいただいていた。2年後には総合心理学部がある大阪いばらきキャンパス(OIC)にて日本心理学会第83回大会が開催されることが決定しており、お仲間に入れただいた恩返しとして、微力でも何らかの貢献ができればと発意するところである。


2017年9月19日火曜日

今一度日本で洗濯致し候

デンマーク・オールボーから、日本心理学会第81回大会での発表のため、福岡に降り立った。福岡空港の国際線利用は初めてである。もちろん、オールボーから福岡への直行便はなく、アムステルダム、ソウルと経由して到着した。そして9月19日はアムステルダムからソウルに飛ぶあいだで迎えている。

ソウルでの到着は15時過ぎで、入国はせず国際線乗り継ぎで福岡へと向かった。降り立ったのはインチョン空港で、ここもまた初めての利用であった。国際線乗り継ぎにあたっては、今一度荷物検査があった。電子機器の多い身としては、いかに手際よく準備をして、円滑に通過できるか、空港ごとの癖を見抜く癖がついていて、初めて利用する空港では、前を行く方々の所作を観察するのが常となっている。

インチョン空港では3時間の乗り継ぎの後、福岡へと向かった。約1時間半のフライトで到着するが、実はアムステルダム〜ソウルのあいだでは、お手洗いに苦しんだ。というのも、わりと通路側を指定することが多いものの、今回は窓側だったためである。キャビン最後部で2人席だから特に心配をしていなかったものの、わりとシートピッチが狭く、かつ、お隣の方が飛行中ほとんど席を立たない方で、それゆえ私もまた、11時間ほど一度も席を立たずに移動した。

その後、インチョンではゲートは定刻に開いたものの、搭乗完了が遅れたためか、滑走路での離陸待ちが長く、ほぼ1時間遅れで福岡に到着した。福岡では博多駅近くのキンコーズにて発表用のポスターを受け取り、宿へと向かった。何ともじめじめした気候に耐えかねて、早速、宿にあったコインランドリーで洗濯をした。機内での睡眠の確保など、旅慣れてはいるものの、最早、日本の夏に適応しきれなさそうな自分がいる。



2017年9月18日月曜日

バックパック一つだけで

中学校のとき、米米CLUBによる『浪漫飛行』という楽曲がヒットした。JALのCMソングに用いられたのが、今でも強く印象に残っている。そしてカラオケボックスが各地にでき、当時人口8万人あまりの我がふるさとにも、何件かが営業を始めていた。既に何件かは営業を終えてしまったが、帰省の折には、グループごとに馴染みの店を決めて利用していたことを思い出し、懐かしむことがある。

そして確か高校の修学旅行の際、『浪漫飛行』の歌詞にならい「トランク一つだけで」旅に出たいと思い、浜松の繁華街の一つ「モール街」にあったカバン屋さんで、トランクを購入した。お年玉をつぎ込んで買ったようにも思えるのだが、決して使い勝手がよいものではなく、加えて取っ手部分の金具がすぐに壊れてしまい、ホームセンターで調達したもので修理しながら大学生になっても使っていたように思う。何人かの友人たちからは「寅さんのようだ」などと言われていたが、マセたガキだったと、今になって思う。そして、見かけだけでなく強度や機能もまた大事だということを、経験知として得る機会になっていると思われる。

今日は夜の便でアムステルダムへと向かった。そこからまずは韓国のソウルへ、そして福岡へと飛ぶ。20日から久留米で開催される日本心理学会での発表のためである。昨年、日本心理学会2016年度第1回「災害からの復興のための実践活動及び研究」助成をいただいたため、その成果発表のためである。

学外研究中ということで来年度に発表する、という選択肢もあったのかもしれないが、せっかくの実践的研究であるため、早めに成果を発表しようと決意した。また、今回は関西には戻らず、金曜日の夜の便で戻ってくるため、本当に短い一時帰国である。それゆえ、トランク一つならぬ、バックパック一つで帰国することにした。それでも、きっと帰国時には、日本で調達した食品などを詰め込んで戻ってくることになるだろう。



2017年9月17日日曜日

地図では近い距離なのに

アイルランド・ゴールウェーでのIARSLCE(国際サービスラーニング・地域貢献学会)からデンマーク・オールボーに戻る日となった。地図では近いものの、移動にはほぼ1日かかる。朝は5時半くらいに起き、昨日のうちに調達していた朝食を部屋にていただいた。日曜日ということもあって、この時間には朝食会場が開いていないためである。

宿は7時半過ぎに出て、空港へと向かうためにゴールウェー駅のバスターミナルに向かった。ゴールウェーの最寄りのシャノン空港へのバスは、言わば特急と快速の2種類がある。行きは2時間あまりかかる快速だったので、同じ料金なら、と、帰りは1時間あまりで到着する特急に乗ることにした。ちなみにダブリン行きのバスもあり、飛行機のルートによってはダブリンからゴールウェーに入るという選択肢も妥当であろう。


シャノン空港からは12時半の便でロンドン・ヒースロー空港へ向かった。概ね2時間半を空港で過ごす結果となったが、その間、ゲートの案内が表示される搭乗案内の画面には「Eat, Shop & Relax」と出続けていた。食べて、買って、休んで、とは、なかなか洒落ている。それに従ったわけではないが、ロビーにてコーヒーを飲み、ゲート番号が出るまで1時間半ほど待った。

1時間半ほどのフライトでヒースローには到着したが、往路と同じく、世界最大規模の空港ゆえの洗礼が待っている。行きも帰りもアイルランドのフラッグキャリアであるエアリンガス(Aer Lingus)から、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーのフラッグキャリアであるスカンジナビア航空(SAS: Scandinavian Airlines)への乗り継ぎだった。ただ、エアリンガスがどの航空連合にも入っていない(ワンワールドを脱退した)ゆえにスルーチェックインはできなかったものの、同じターミナル2であったことで比較的スムーズに空港内の出入国管理を通ることができた。そして18時25分の便でコペンハーゲンへ、さらに23時の便でオールボーへと向かい、最終バスで自宅に着いたのは日付が変わってから、という長旅の一日となった。



2017年9月16日土曜日

○○に対して××

アイルランド・ゴールウェーでの国際サービスラーニング・地域貢献学会(IARSLCE2017)、3日目である。今日も朝からアイルランド国立大学ゴールウェー校に向かった。今回は徒歩圏内ながら街中に宿を取ったので、会場へと向かう道すがら触れる景色を楽しんだ。望むらくは好天に恵まれればよかったのだが、薄曇りの天気もまた、なんだかアイルランドっぽさを醸し出している気がした。

朝から参加したのは「Case Study Panel: Faculty Development in Service-Learning and Community Engagement」という、サービス・ラーニングと地域連携の教員研修の事例紹介のセッションである。シカゴのロヨラ大学、ボストンのノースイースタン大学、オレゴン州のポートランド州立大学、インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校、バージニア州のジェームズ・マディソン大学とオールド・ドミニオン大学、サンフランシスコ大学、アイダホ州のボイシ州立大学、多彩なメンバーによるセッションだった。それぞれの大学での成果が報告されていったが、端的に言えば「教員どうしが学び合うコミュニティが大切」という話に帰結していった。部屋の明るさに対するプロジェクターの暗さの性能の低さ、スクリーンの大きさに対する文字の小ささ、それに加えて矢継ぎ早に報告される米国の事例対する私の英語力の低さが、自らの現場へと引きつけていくためにはアンマッチな分科会に来てしまったように思われた。


ちなみにこの学会に参加するようになって3年目だが、これまで3日間のプログラムの最終日は午前中までとされていた。そして今回も例外ではなく、最後はランチが提供されての全体集会だった。午後か夜の便で帰国の途につくことができるように、という配慮なのだろうか。ただ、私は午後からの移動ではデンマークまで戻ることができないので、アイルランドのまちを楽しませていただくことにした。

天気が心配されたが、モハーの断崖にまで足を伸ばした。事前情報のとおり、壮観な眺望を楽しむことができた。ただ、もう少し観光客のマナーがよくなれば、と思う場面もいくつかあった。天気と時間に恵まれたなら、もう一度、ゆっくり来てみたいと思える場所であった。


2017年9月15日金曜日

「おもしろいね」と言われて(も)

アイルランド・ゴールウェーでの国際サービスラーニング・地域貢献学会(IARSLCE2017)、2日目である。今日は午後からポスター発表が当たっていた。同僚の河井亨先生と、今年から立教大学の所属となった木村充さんとの共同発表である。ポスターは既に昨日のうちに縮小印刷版も添えて掲出しておいた。

ポスター発表まで、いくつかのセッションに参加し、見識を深めた。朝一番には、アイルランドのマヨ郡の若者たちによる地域参加プロジェクトのパネルディスカッションを聴講した。続いて昨年インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス校の研究者らによって刊行された「Research on Student Civic Outcomes in Service Learning」に基づく「サービス・ラーニングと学生の市民的成長に関する調査の理論的枠組み」についてのセッションに行った。そして、ランチの後「我々の波及効果を理解し伸ばすために:国際的な視点から(Developing and Understanding our Impact - International Perspectives)」と題された(スライドなしの)全体討論を聴講した。


その後、ポスター発表となった。今回は全体討論の会場の後方に立てられたパネルでのセッションであった。ただ、全体会からの流れを期待したのかもしれないが、パネルが詰まりすぎていて、人の流れが生まれにくい環境にあるように思われた。とはいえ、とりわけ熱心な参加者は相互投票のシートを持って訪れていただいた。

2時間弱のセッションで、10名ほどの方に説明させていただいただろうか。それぞれに「intersting!」と言ってくださるものの、日本でのサービス・ラーニングの環境については、あまり関心が向かないのかもしれない。ポスターセッション終了後、河井先生と共にプチ反省会を行い、もうちょっと組織的に、そして論文を通して文字にてアピールしていかねば、と決意したところである。一日の最後には、「サービスラーニング・地域貢献を研究する際に大学院性はどう課題を設定するか」というセッションに参加するはずが、部屋を間違えて、朝一番に行われた若者たちの社会参加を促す活動を支える大人たちの議論の場に身を置いて、宿に戻った。


2017年9月14日木曜日

変化の時代に何を担うか

アイルランド・ゴールウェーでの国際サービスラーニング・地域貢献学会(IARSLCE2017)、初日である。今年で17回目の年次大会で、初のヨーロッパ開催という。私は2015年のボストン以来の参加だが、それまでの軌跡を辿ると、米国以外では2009年にカナダのオタワで開催されている。2016年は2008年と2014年に続いてニューオリンズでの開催であり、来年の開催地が気になっている。

初日のプログラムは午後からであったため、午前中はまち歩きをして、会場であるアイルランド国立大学ゴールウェー校に向かった。お天気に恵まれたため、まちの雰囲気を存分に楽しむことができた。会場ではランチの後、招待講演と分科会に参加した。


「大学も変化の時代を迎えているだろう。本の読み方、テレビの見方、音楽の聴き方、あらゆる行為の方法が変わってきている中で、学び方や知のあり方がも変わってきているはずだ。(中略)変化の時代にあって、社会的責任を担おうと思えば、目の前にあるものを何でも活かしていくことができる。例えば、ゴミと思っていたものが土を肥やすものとなるように。」

これは招待講演「Social Activism and Politics: A New Paradigm for Universities?」でスタンフォード大学のImanol Ordorika Sacristán先生が語った言葉である。こうして国際学会に参加すると、身近な環境で、もっと精力的にひと・まち・出来事に向き合いたいという思いに駆られる。分科会では2月に立命館へお招きしたロバート・ブリングル先生らの発表から、多様な学びが学術的・市民的・個人的な成長をもたらすことを再確認した。あいにく、晩ご飯は満席ゆえに希望のお店で取ることができなかったが、明日もまた、引き続き充実した日となるよう願っている。



2017年9月13日水曜日

体感して、よく覚える。

アイルランド(Ireland)のゴールウェー(Galway)というまちにやってきた。先月はアイスランドに行ってきた。どちらも学術会議での発表による往訪である。アイスランドの首都はレイキャヴィークで、アイルランドの首都はダブリンである。

ゴールウェーというまちは、今回の学会が開催されるまで知らなかった。ダブリンは井上陽水さんの詞による『アジアの純真』で深く脳裏に刻まれた。一方、そのダブリンがアイルランドの首都であることについて、なかなか覚えが悪かった。それでも、こうして実際に足を運ぶことによって、身に覚えがついていくだろう。


今の住まいがあるデンマークのオールボーからアイルランドのゴールウェーには、いくつかの方法がある。今回はオールボーからコペンハーゲンへ、そこからロンドンのヒースローで乗り継いでシャノンという空港に行くことにした。ただ、予約の後でゴールウェーにはダブリンからもバスが出ていることがわかった。ダブリン行きのルートならオールボー〜アムステルダムとアムステルダム〜ダブリンという1回の乗り継ぎで辿り着いたのだが、後の祭りである。

アイルランドも初めてなら、ロンドンも初めてである。ヒースロー空港のひどさは何人かから聞いていたが、巨大さのもたらす反動なのだろうというのが体感である。一方で、シャノン空港に降り立ち、バスでゴールウェーに行くまでのあいだの雰囲気は、とても落ち着くものだった。ホテルも、また夕食を取ったレストランもまた好印象で、4泊5日の滞在が楽しみである。



2017年9月12日火曜日

Anything Like Something/何かを何かの手がかりに

昨日のリサーチミーティングを受け、今日は2月の学会発表の申込みのために、素案をまとめることになった。正直、私の英語のスキルはそれほど高くはない。また、英語でのライティングの訓練も受けていない。それでも、2人のホストプロフェッサーの協力が得られることは心強い。

よいライティングのためにはリーディングが欠かせない。これは英語だけでなく、日本語も同じである。もっとも、読み上手が書き上手とは限らない。また、書くことが得意な人が、話すのも得意というわけではない。話し好きだからといって書くことも好きではないのは言うまでもなかろう。

Sing Like Talkingというアーティストがいる。直訳すれば語るように歌う、となるが、なかなか秀逸な表現である。メンバーの佐藤竹善さんのトーク力は、テレビを持たなかった大学時代、FM802の「Music Gumbo」を毎日のように聴いていたことで存じている。仮に、そうしたご本人のキャラクターを重ねてバンドに命名をしたとすれば、それもまた、アーティストとしての表現の技量が高いと感じてやまない。

そこで今日はさしずめ「Write Like Talking」とでも言うような具合で、英語での概要作成にあたった。英語の力量が低くても、日々、伝えたことを伝えようと懸命となる中では、平易で短い表現を重ねてきていることを手がかりにしたものである。一部はGoogle翻訳を使って、「英語→日本語」また「日本語→英語」を試してみて、意味が通るかどうかも確認してみた。途中、デンマーク時間で19時から2時間弱、Apple社のスティーブ・ジョブズシアターでの新製品発表イベントに釘付けとなってしまったが、約束の「明日(12日)集中して作成して送る」を守り、床に就いた。


2017年9月11日月曜日

縁に恵まれアウトプットに結ばれ

朝は自宅で作業をして、お昼前にオールボー大学に向かった。朝起きて行ったのは、13日水曜日から、アイルランドのゴールウェーで開催される国際サービスラーニング・地域貢献学会の発表資料の送付である。送付先はアイルランド国立大学ゴールウェー校内にある「Print That」という、学術会議などの発表資料の印刷サービスを行うお店だ。こうしたお店が会場にあるため、かさばる荷物を持たずに旅に出ることができる。

今日はオールボー大学での受け入れ担当の先生方とランチミーティングの約束をしていた。スケジュールには12時からとしていたが、ランチ前からのミーティングか、ランチしながらのミーティングが定かではなかったので、11時にMogens先生のオフィスを訪ねた。するとランチを食べながらということが確認できたので、ランチまでのあいだ、アイルランドでの学会の準備をすることにした。アイスランドに続き、今回もまたポスター発表なのだが、その素材の手元資料版(立命館のスクールカラーであるえんじ色の背景を取り除いたもの)を60部、大学のプリンター(マルチコピー機)で出力しておこうと考えたのである。

Mogens先生の既に先生方にはアイルランドでの手元資料版も送付していたので、オフィスにお邪魔したときには、既に机の脇にプリントアウトされたものが置かれていた。そこで「これを60部刷りたいけど、USBスティックから直接出せるか?」と尋ねると、「私のコンピュータから出したらいい」と、手間を取っていただいた。大学のマルチコピー機はコニカミノルタのもので、教職員証があれば使うことができる。今でこそ、だいぶ環境は変わったが、この手のビジネス機器に対して、Macユーザーには超えられない壁(例えば、ドライバーの提供など)があるため、助かった。

その後のランチミーティングでは、2月に米国・サンノゼで開催予定のPBLに関する学会での共同発表について意見交換をした。私のサービス・ラーニングでの経験と、オールボー大学でのPBLの経験とを重ね合わせて、教員と学生のあいだのよりよい関係づくりのための教育実践のあり方について示すことができるのではないか、という提案のもとで、である。結果として3人での発表のために、私が素案をまとめることになった。ちょうど、ミーティングの前には、日本からオールボー大学に留学している1人にも会い、縁に恵まれた1日となった。


2017年9月10日日曜日

変化に向き合わざるをえない

1994年にAppleのMacintoshを使い始めてから、変わらずEudoraというメールソフトを使ってきたが、いよいよ乗り換えを決断する時が近づいてきた気がする。もっとも、実際は圧倒的な検索機能と迷惑メールのフィルタ機能があるGmailを使っており、GmailをEudoraでも処理している、という状況にある。Eudoraのいいところは、一つひとつの受信メールがスレッド(ひとまとめ)にならずに表示されるため、特に返信漏れを避けることができるために、変わらず使ってきた。加えて、最近は資料作成のメインマシンである17インチのMacBook Proと外出先に持ち出す11インチのMacbook Airのあいだで、Dropboxというファイル同期サービスにより、メールボックスのデータを含め、動画以外の書類を常に最新のもので揃えておくことができたので、マシンが変わってもストレスなく、作業を進めることができていた。

ところが、Eudoraは2009年に発売された「Mac OS X 10.6 Snow Leopard」までしか動作しない。ちなみに2017年9月10日の時点での最新のOSは「macOS 10.13 High Sierra」(細かいが、10.8からOS X、10.12からmacOSと呼ばれている)であり、既に8年前、世代にして7つ前のOSまでしか動かないEudoraを、未だに使ってきたのである。ところが、インターネットの世界の進展により、Snow Leopardでのクラウド系のサービスは徐々にサポート終了が表明されるようになり、Dropboxにもその波がやってきた。そのため、Mac OS X 10.6からOS X 10.8でのDropboxの同期が停止する2018年1月16日までには、メインマシンのOSを更新せざるを得なくなった。

今日はお世話になっている方が出版の準備を進めている原稿にコメントを求められたため、午前中いっぱいかけて通読し、午後にEudoraにて文章をしたため、送信した。使い慣れたインターフェースが愛おしいが、メールソフトよりも、その他の書類の制作と管理の環境の方が優先される。コメントを送り終えた午後には、日本から持って来たDVDビデオの整理(MacBook Pro 17インチにはDVDドライブが付いている)をしつつ、大学コンソーシアム京都浄土宗應典院で働いていたときにお世話になった時代工房の柴田さんに教えていただいたメールソフト「Gyazmail」をインストールして、新たな環境に適応できるよう、試用を始めてみた。クラウド系のサービスを使わず、スタンドアローンの環境であれば、Snow Leopardのマシンもまだまだ使うことができるのだが、時代の波には勝てそうもない。

もし、OSをアップデートすると、Eudoraに加えて、テープ起こし(音声ファイルの内容からテキストデータを作成すること)に重宝していたPardon?というソフトも使えなくなる。一方で、DropboxやiCloudなど、スマートフォン(iPhone)やタブレット(iPad)ともシームレスな作業環境が出来上がる。米国Appleでは、現地時間で9月12日の10時から、新社屋のSteve Jobsシアターでスペシャルイベントが予定されており、ここで新たな製品が発表される。変化にどう対応するか、そんなことに思い悩んだ日曜日の夕方、窓の向こうでは雨を察知した鳥たちが一斉に飛び立っていた。


2017年9月9日土曜日

仕込みの1日

デンマークの天気は変わりやすい。そのため、外に出る予定のときには、タイミングを見計らう必要がある。日本ではあまりしなかった、天気のアプリを立ち上げて、時間ごとの予報を確かめることも増えた。もちろん、直近の予定では、アプリではなく、空を見て判断することもある。

今日は予報では曇りのち雨だったが、朝のうちは晴れ間も見えていた。そのため、朝食の後、急いで支度をして、家の近所であるオールボー大学の噴水広場に向かった。日本から頼まれていたメッセージ動画を撮るためだった。土曜日の朝、人通りは少なかったが、お子さんやバスに乗り降りする人が、画面に向かって語りかけている私の方を気に掛けていたようだった。

お昼前に生鮮食料品を買い物に行った後、いよいよ雨が降ってきた。午後は自宅でパソコンでの作業に終始した。まずは2017年2月に出講させていただいたセミナーの報告書に加筆修正を行った。その後は、来週に迫った国際サービスラーニング・地域貢献学会(IARSLCE)のポスター作成である。

その後、夕食を挟んで、再びポスター作成を続けるつもりだったが、少しだけお酒をいただいてしまったので、別の作業にあたることにした。朝の動画を編集しようと思い立ったのである。取り終えてすぐ、依頼主のもとに送ったものの、手元の素材を盛り込んで、指定の時間ちょうどに仕上げたのであった。すると何だか頭が冴えてきたこともあってポスターの作成も完了したが、それを共同研究者への確認のためにメールで送信を終えると、達成感からか、ドラえもんの「のび太くん」のような早さで眠りについた。


2017年9月8日金曜日

持っていないから扱う

先週に続いて、オールボー大学での受入担当教員のMogens(Jensen先生)とリサーチミーティングを行った。直訳すれば研究会議となるが、秋になってからは、それぞれの関心事を語り合う、さしずめおしゃべり会の機会をいただいている。ちょうど、オールボー大学では文化心理学研究センターにより、研究の素材を持ち寄る「キッチンセミナー」が開催されているのと似た構図にある。ただ、あちらのセミナーでは、研究者が囲む「まな板」の上に、ある程度の下ごしらえを終えた素材を持っていく必要があるのに対し、こちらのミーティングでは何気ない関心事から問いを深めていくという、畑の作物や冷蔵庫の中身を持ち寄る感じである。

今日の話題は市民社会についてであった。サービス・ラーニングという概念や教育法が何染みのないデンマークでは、立命館大学サービスラーニングセンターで行ってきたプログラムに対して、市民社会のための教育法として受けとめていただくことが多い。これまで、何度か立命館大学での取り組みを紹介してきたこともあって、今日は「市民社会のための学びにおいては、何が問題として取り扱われるのか」と問われた。即座に「これ」と応えることができなかったものの、対話を重ねる中で、「ものの見方」と「モラル」と「民主主義」の3つに整理された。

大学に入学する学生が社会問題を「持っている(have)」ことが稀で、社会問題は学習を通して「扱う(treat)」ことが多い、という状況は、デンマークでも日本でも変わらないようだ。そのため、現象の中に身を置いて、ものの見方を豊かにし、理論と実践のバランスを整えるだけではなく倫理観の高い人間となるよう促すことで、よりよい未来のための人格形成がもたらされる、というステップが、今、私が向き合っている学習のあり方である。何より、現場の方のほうがスキルが高く経験が豊かである場合が多い以上、研究者が現場でどう立ち居振る舞うことができるのか、「ものの見方」と「モラル」と「民主主義」の3つは、学習者だけでなく教育者にも(学習者として)求められる観点だろう。加えて、今日は福祉国家におけるボランティアや寄付の有り様について、forening(ボランタリーに組織化される組合、いわゆるアソシエーション)とfrisind(辞書では自由主義、Mogensによるニュアンスでは寛容さ)の文化との絡め合いながら言葉を重ね合った。

本当はランチもご一緒するはずだったが、正午を過ぎても議論が白熱し、Mogensの午後の予定に食い込んでしまいそうだったので、区切りのいいところで議論を終えて、ランチはそれぞれにいただくことにした。私は自宅に戻り、妻のものを半分おすそわけに預かった。そして、研究者の倫理観に対する熱量が冷めぬうちにと、先般のアイスランドでの学会発表資料を日本語に訳し、お世話になった皆さんと共有することにした。ちなみに今日は朝から、昨日、日本からお越しいただいた方々のおみやげを楽しませていただき、これまで生きてきた歩みを、口からも思い直す一日となった。


2017年9月7日木曜日

守りすぎてはいけないDefense

今日は大きく3つの出来事があった。まずは日本での研究会にFacebookメッセンジャーのビデオチャットにて少しだけ参加した。続いて、オールボー大学のDefense、つまり博士論文の公聴会を聴講させていただいた。そして日本から来たお客さんを大学構内に案内して夕食をご一緒した。

Facebookメッセンジャーによる接続で参加した研究会は、毎年秋に同志社大学で開講されている「コミュニティ・デザイン論」の内容充実のためのものである。先般、7月30日には講師陣のみでの議論だったが、今回はゲストでお迎えする先生との意見交換のために開催された。こうして、あらかじめゲストをお迎えする側がゲストの研究や関心を共有しておくことで、コミュニティ・デザインという概念をより深めることができると企図されている。今日はフル参加が困難だったものの、立命館大学の先生ということもあり、同僚としてご挨拶のみさせていただいた。

続いて向かったのが、タイのMae Fah Luang UniversityのNikorn Rongbutsri先生による、訪問研究員としてオールボー大学に滞在して提出された、PBLをテーマとする博士論文の公聴会であった。デンマークはもとより、日本以外での博士論文の公聴会に出るのは初めての経験で、2名の指導教員が司会進行役となり、指導教員以外で審査委員会が組織され、約50分の発表、10分の休憩、そこから3人の審査委員とのあいだの質疑応答が重ねられる、というものである。ちょうど、10分の休憩のあいだに、オールボー大学ではProblem Based Learningの略としてPBLという語が用いられる中、なぜ今回提出された博士論文「Using Online Collaborative Tools in Problem-Oriented Project-Based Learning」では、Project Based LearningとしてPBLを捉えたのか伺ったところ、コンピュータ科学を専門としてきたのもあり「プロジェクトを通して何かを生み出すというメカニズムに関心を向けたため」と回答を得た。

ちなみに今日参加させていただいた公聴会は、質疑応答(聴講者は発言不可)の後、15分ほどかけて審査委員会が開かれ、その場で合格か不合格かが示されるという方式(ちなみに、審査委員は全員がスライドを用意し、3名それぞれにミニプレゼンテーションが行われ、そのうち1人からは11個の質問が用意され、一問一答方式で進められるという緊張感があった)が採られており、その結果、晴れて博士となったRongbutsri先生を囲んでのパーティーも用意されていた。ただ、私は日本からのお客さんとの合流のため、会場を後にし、自宅へと向かった。その後は人文学部の基本棟や図書館など、構内をご案内させていたいたが、建築や都市文化に関心のある方々だったため、抱かれる感想や投げかけていただく質問が鋭く、受けとめる私も楽しませていただいた。その後は街中に出て、3時間ほどの会食、これまた深酒とはならないものの、奥深い議論が重ねられ、帰国後の再会を願ってお別れした。



2017年9月6日水曜日

キッチンセミナーも再開

毎週水曜日の15時から、オールボー大学の文化心理学研究センターでは「キッチンセミナー」が開催されている。大学の夏休みが明けたこともあって、キッチンセミナーもまた再開された。春は4月26日に最初に参加して以来、何回か欠席したものの、比較的連続して出席してきた。この秋には発表もエントリーしたことも重なって、余計に参加への意欲が高まっている。

秋のセメスターの皮切りは、ドイツのマクデブルク・シュテンダル大学のギュンター・メイ(Günter Mey)先生とオールボー大学のスヴェンド・ブリンクマン(Svend Brinkmann)先生の共同発表だった。共に質的研究について取り組んでおり、今から3年前、ギュンター・メイ先生がサヴァティカルでオールボー大学に滞在していた2014年にスヴェンド・ブリンクマン先生らと共に行われたディスカッションが、2015年に「Integrative Psychological and Behavioral Science」の45号(p.135-161)に掲載されている。キッチンセミナーの参加者には予めこの論文が送られており、私も目を通して参加したが、質的研究における基本的な考え方を巡って(例えば、データは公開されているべきか、研究者は対象に対して外在的であるべきか、対象とのコミュニケーションの上でどのようにして概念を共同構築できるか、など)大変興味深い議論が収められている。

それゆえ、2時間のキッチンセミナーのあいだも、多岐にわたる議論が繰り広げられた。今日はキッチンセミナーの直前にヤーン・ヴァルシナー先生によるゼミも行われていたようで、そのままの流れでヴァルシナー先生も参加され、なおのこと深い質問とコメントが行き交うことになったように思われる。キッチンセミナーの名のとおり、今、旬の研究についての議論のため、ここで詳細については触れないこととするが、主な論点は質的研究を学術的に、科学として展開する上で、研究者に求められる倫理に焦点が当てられていたように思う。

キッチンセミナーでは15分の話題提供の後でディスカッションと聞いていたが、今日は2人の発表ということもあってか、そもそもこの2人の発表だからなのか、話題提供の時間が長く取られた。ちなみに話題提供では「Performative Social Science」という、芸術文化を取り入れて研究成果を公表していく「Arts-informed research」なる観点が示された。具体例としては、研究成果を「ソーシャル・フィクション」として小説にまとめた『BLUE』(Patricia Leavy, 2005)や、乳ガン当事者への研究を演劇にした『Standing Ovation』(Ross Gray and Christina Sinding, 2002)などが紹介された。ヴァルシナー先生による「方法論や手法にこだわらないとしても、研究として最低限求められるものは?」という問いかけや、大学院生からの「今日参加している皆さんが捉えている質的研究について比べてみては?」という投げかけが終了後にも私に響いており、今後「Performative Social Science」について、少し掘り下げていくことにしたい。


2017年9月5日火曜日

解説者モードになりがちな説明人

9月になって、少し慌ただしい。もっと言えば、8月末から慌ただしくしている。アイスランドの学会に続いて、元留学生のお招きで南ドイツに出かけてきた。そして来週はアイルランドで学会発表、そして再来週は久留米での学会発表と続く。

オールボー大学も新学期が始まり、キャンパスには賑やかな雰囲気が漂っている。新入生と思われる学生たちがあちこちをキョロキョロと見回っているのが微笑ましい。日本の大学では、大抵が春に新学期を迎えているため、桜の下で写真を撮影するといった風物詩があるが、こちらではどうなのだろうか。少なくとも、親子連れが大挙して歩いている姿も見ないし、着慣れていないと思われるスーツ姿の一団を見ることもない。

今日は新学期の雰囲気が漂うキャンパスを抜け、少し大きめのスーパーへと買い物に出かけた。今週、日本からお客さんをお招きするためである。その道すがら、妻と会話を重ねる中で、解説調ではないかと指摘された。そんな指摘に対し、つい「解説ではなく説明」と返した。

ふと、解説と説明を英語にはどの単語を宛てるのか、スマートフォンに入れている和英辞典を引くと、解説も説明もexplainの語が用いられており、あえて違う語を探してみると、解説の項にはcommentとあることに気づいた。exという接頭語には複数の意味合いがあるが、explainのexは「完全に」という意味合いで「平らにする」というplainの前につき、物事の意味を明らかにする、という言葉になっているという。それに対してcommentはラテン語由来で「共同性」を意味するcomとメンタルという言葉にも含まれる「心」を意味するmensが過去分詞系のtumを伴って一つの語(commentum)になったところから派生したようで、対象者に対して寄り添っていく姿勢が含まれると解釈できた。そこまで調べたところ「だからさっきのは解説でなくて説明だった」と話したところで、最早、説明人ではなく解説者になっていることを自覚するのであった。


2017年9月4日月曜日

きちんと構えて撮る

南ドイツの3泊4日の旅を終え、今日は旅のあいだの諸々を整理する一日となった。まずは旅のあいだのメールの整理である。続いて、食材の買い出しとあわせて冷蔵庫の整理、そのついでに郵便ポストの中身の整理をした。そして夜にかけて、旅日記を含めた日記の整理である。

今回の旅ではノートパソコンを持って行かなかった。その代わりにiPad miniと外付けキーボードを持っていくことにした。iPhoneも持っていったため、正確に言えば2台のコンピュータを持っていったとも言える。1つだけ、日本からのメールで対応できないこと(PDFに出力していた報告書内の表の修正)があったが、Facebookのメッセンジャーで「リターンキー」を押すと送信されてしまうという煩わしさ以外は特に支障はなかった。

一方でデジタルカメラを持参した。レンズの交換ができるものだったが、換えは持たず1本だけ、いわゆる標準レンズ(40mmF1.4をAPS-Cフォーマットで使用)で街の風景を切り取った。今日、そのデータを移したところ、10枚ほどしか撮影しなかった。その一方でiPhoneでは290枚ほど撮っていた。

ちなみに今朝、オールボー大学周辺では霧雨が舞っていたが、雨宿りをするかの如く、よく見る猫が木陰に身を置いていた。そのとき手を伸ばしたのはiPhoneではなく、望遠レンズであり、1枚だけシャッターを切った。きちんと構えて撮る、一連の作法を大切にすると、それなりに納得のいくものが残るように思う。道具を通じて、人、もの、出来事にきちんと向き合って行く姿勢が大切なのは決してカメラだけではなかろうと、旅の整理を重ねる中で身を正している。


2017年9月3日日曜日

城と森と洞窟と

南ドイツの旅も最終日である。チュービンゲンで過ごす2日目の朝は、シュツットガルトよりも穏やかなように思われた。決して、日曜日だからというわけではなく、まち自体が落ち着いているのだろう。ただ、10時過ぎから5分以上、まちじゅうの鐘が鳴り響いたのは日曜日ならではではなかろうか。

11時のチェックアウトの後、ホーエンチュービンゲン(Hohentübingen)城に再訪した。チュービンゲンに着いた日にも足を運んだものの、チュービンゲン大学による古代史の博物館を鑑賞する時間がなかったためである。この博物館は化石等の収集で有名なようだが、開催中の特別展「人類の起源」を興味深く味わった。とりわけ、8週間にわたって石器時代の暮らしを現代に実験してみたドキュメンタリーは、ドイツ語がわかればより深く楽しむことができただろう。


その後、13時に待ち合わせで、立命館大学に留学していたクリスさんの運転で、チュービンゲンから更に南のゾンネンビュールにある鍾乳洞、ネーベルヘーレ(Nebelhöhle)に連れていってもらった。家族で訪れる方々は入口近くの遊具で、高齢者のグループはハイキングを、それぞれ楽しんでいるようだった。4.5ユーロの入場料を払うと、先人の探険によって発見された奥深い洞窟で涼んだ。日本の鍾乳洞であれば例えば「竜の口」などの命名の上で看板が置かれているものが多いように思うが、こちらではライトアップ止まりであった。

その後は鍾乳洞横のカフェでおしゃべりをした。それぞれの家族のこと、これからの仕事のことなど、話題は多岐にわたった。そして再会の約束をした上で、シュツットガルト空港まで送ってもらった。帰りはアムステルダム経由にて日付が変わる前に帰着し、初めての南ドイツを想い起こしつつも、「やっぱり家が落ち着く」というデンマークでもまた月並みな感覚に浸るのであった。


2017年9月2日土曜日

再会と出会いと

今日はかつて立命館大学に留学していたクリスさんに、南ドイツの歴史と文化に触れる旅に連れていってもらった。クリスさんとは2014年7月に立命館大学国際平和ミュージアムで行われたトークセッション以来の再会である。そもそものご縁は、2014年2月に福島県によるスタディーツアーに同行したことにある。トークセッションから程なく、クリスは帰国の途に就いたものの、日本に残る仲間たちと共に、日英両言語で福島の今を伝える冊子を作成し、私家版としてまとめあげた。

お連れ合いと共にホテルにお迎えをいただいて、まず向かった先はホーエンツォルン城であった。1918年のドイツ帝国の誕生まで存在していたプロイセン王国の王室発祥の家である。プロイセン王国の首都もまたベルリンであったため、1000年にわたって一時的滞在に用いられてきたが、19世紀になって本格的な改修がなされらという。パンフレットによれば、1819年7月、「当時23歳のプロイセン王国の皇太子であったフリードリッヒ・ウィルヘルムは、荒れ果てた祖先の居城を訪れ、この城の再建を決心し」「1850年から1867年にかけて、ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン候とホーエンツォレルン=ヘヒンゲン候の協力の下、建築家フリードリヒ・アウグスト・シュテラーの構想によって実現」したとある。


重厚な建築と意義深い工芸品に加えて素晴らしい眺望を味わった後、向かった先はオーガニックのレストランである。牛や野菜やブドウなどを育てている農家レストランで、当然のようにドイツ語のメニューしか用意されていなかった。にもかかわらず、おととい、シュツットガルトのイタリアンレストランでメニューの紹介をした日本人2人組と再会するという偶然が重なった。そんな再会を楽しみつつ、農場で育てられた牛肉、ジャガイモ、そしてワインを楽しませていただいた。

レストランの後、簡単にチュービンゲン大学を案内してもらった。チュービンゲン大学は1477年に設立された神学校を前身としているのもあって宗教研究が盛んなものの、ケプラーの法則で知られるヨハネス・ケプラーが数学を学んだ大学でもある。そして日本語学科もあり、本日訪れたお城で日本語のパンフレットが用意されていたのも、その関係かもしれない。また、立命館大学も含め、日本のいくつかの大学との交換留学の協定を締結しているが、中でも立命館大学に対しては「オープンで新しいことに挑戦できる」とのことで、そうした評価が今後も続くようにと、帰国後の自らの立ち居振る舞いに思いを馳せ、明日の旅もまた楽しみに床に就いた。


2017年9月1日金曜日

まちの文化と民度

約61万人のシュツットガルトから、約8万人のチュービンゲンへと移動した。移動は国鉄で1時間少々という距離である。ただ、距離にして30kmほどゆえに、うまく道を選べば30分ほどで移動できるようだ。実際、今回お招きをいただいた、かつての立命館大学の留学生は、明後日の夕方、空港まで車で送ってくれるという。

チュービンゲンに向かう前、午前中には郊外のお城へ、そして街中へと帰るついでに、お昼をポルシェ博物館でいただくことにした。ドイツ最大規模のバロック様式の宮殿であるルートヴィヒスブルク城はガイドツアーでのみ宮殿内を見学することができるようで、あいにく英語でのツアー(次のツアーが13時30分と案内された)に参加すると、その後の予定に支障が出そうなので、城内の散策だけにとどめることにした。加えて、シュツットガルトはメルセデス・ベンツなどを販売するダイムラーだけでなく、ポルシェも本社を置く自動車産業のまちでもある。そこでルートヴィヒスブルクからシュツットガルト中央駅に戻るにあたって立ち寄りやすいポルシェ本社横の博物館に立ち寄ることにした。


ポルシェミュージアムでフェルナンド・ポルシェ博士によってもたらされた技巧に学び、356クーペや550スパイダー、そして911などの造形美に魅せられた後、シュツットガルト中央駅からチュービンゲンへと向かった。ちなみにポルシェ博物館のカフェのメニューは、週替わりメニューのほか、車種名を冠した定番メニューもあり、特にオーナーにはたまらないのだろう。ただ、私にとっては、ポルシェ博物館の目の前の駅からSバーン6号線・60号線の券売機でクレジットカードも持ち合わせの20ユーロ札も使えないとわかったとき、若者の集団の一人が10ユーロ札2枚に快く両替してくれたことの印象が強く残っている。昨日、今朝の朝食を用意しようと訪れたパン屋さんでもクレジットカードが使えず、慌ててATMに走ったが、これは日本でも同じく、クレジットカードだけでは暮らしていくことは難しいのだろう。

チュービンゲンに着くと、緑の木々と風情のある建物が立ち並ぶまちの雰囲気が目に飛び込んできた。人口が約8.8万人のチュービンゲンで、大学の公式サイトによれば現在28,394人が学んでいるようで、大学のまちもたらす情緒なのだろうと勝手に納得している。今日の宿は、宗教研究で名高く、歴史や文化の研究も盛んなチュービンゲン大学が博物館を置く城跡に近い。途中、大聖堂の前で来る選挙に向けた演説会がなされており、民度が高いまちなのではないかと、明日からの動きに期待を高めている。