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2017年9月8日金曜日

持っていないから扱う

先週に続いて、オールボー大学での受入担当教員のMogens(Jensen先生)とリサーチミーティングを行った。直訳すれば研究会議となるが、秋になってからは、それぞれの関心事を語り合う、さしずめおしゃべり会の機会をいただいている。ちょうど、オールボー大学では文化心理学研究センターにより、研究の素材を持ち寄る「キッチンセミナー」が開催されているのと似た構図にある。ただ、あちらのセミナーでは、研究者が囲む「まな板」の上に、ある程度の下ごしらえを終えた素材を持っていく必要があるのに対し、こちらのミーティングでは何気ない関心事から問いを深めていくという、畑の作物や冷蔵庫の中身を持ち寄る感じである。

今日の話題は市民社会についてであった。サービス・ラーニングという概念や教育法が何染みのないデンマークでは、立命館大学サービスラーニングセンターで行ってきたプログラムに対して、市民社会のための教育法として受けとめていただくことが多い。これまで、何度か立命館大学での取り組みを紹介してきたこともあって、今日は「市民社会のための学びにおいては、何が問題として取り扱われるのか」と問われた。即座に「これ」と応えることができなかったものの、対話を重ねる中で、「ものの見方」と「モラル」と「民主主義」の3つに整理された。

大学に入学する学生が社会問題を「持っている(have)」ことが稀で、社会問題は学習を通して「扱う(treat)」ことが多い、という状況は、デンマークでも日本でも変わらないようだ。そのため、現象の中に身を置いて、ものの見方を豊かにし、理論と実践のバランスを整えるだけではなく倫理観の高い人間となるよう促すことで、よりよい未来のための人格形成がもたらされる、というステップが、今、私が向き合っている学習のあり方である。何より、現場の方のほうがスキルが高く経験が豊かである場合が多い以上、研究者が現場でどう立ち居振る舞うことができるのか、「ものの見方」と「モラル」と「民主主義」の3つは、学習者だけでなく教育者にも(学習者として)求められる観点だろう。加えて、今日は福祉国家におけるボランティアや寄付の有り様について、forening(ボランタリーに組織化される組合、いわゆるアソシエーション)とfrisind(辞書では自由主義、Mogensによるニュアンスでは寛容さ)の文化との絡め合いながら言葉を重ね合った。

本当はランチもご一緒するはずだったが、正午を過ぎても議論が白熱し、Mogensの午後の予定に食い込んでしまいそうだったので、区切りのいいところで議論を終えて、ランチはそれぞれにいただくことにした。私は自宅に戻り、妻のものを半分おすそわけに預かった。そして、研究者の倫理観に対する熱量が冷めぬうちにと、先般のアイスランドでの学会発表資料を日本語に訳し、お世話になった皆さんと共有することにした。ちなみに今日は朝から、昨日、日本からお越しいただいた方々のおみやげを楽しませていただき、これまで生きてきた歩みを、口からも思い直す一日となった。


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