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2018年3月7日水曜日

ハイパーコネクト時代の倫理観

水曜日ということで、オールボー大学文化心理学研究センターのキッチンセミナーに参加した。参加者はそれほど多くなく、7名だった。中には初めて見るお顔もあった。そして半年間滞在とお伺いしていた大阪教育大学の小松先生もお越しだった。

今日のテーマは「常時接続時代の意識〜人間と機械のあいだの認識のもつれ」だった。ポイントは「non-conscious cognition」つまり非意識的認識で、いくらでも議論が深まりそうな論点だった。議論の中軸は、無償で公開されているEUによるレポート「The Onlife Manifesto: Being Human in a Hyperconnected Era」(さしずめ「オンライフ宣言:常時接続時代の人間の振るまい方」)である。このHyperconnectedという観点については、特にNicole Dewandre(ニコル・ドゥワンドル)さんの発言を取り上げており、空(sky)までを対象としていた18世紀までの啓蒙の時代、惑星(planet)までを対象としていた20世紀までの技術の時代を経て、今は自己を対象とハイパーコネクトの時代に入ったという指摘を踏まえたもので、我々の(言わば、存在と機能の)限界に向き合う時代だと示している。

いつもキッチンセミナーの切り込み隊長であるLuca先生は、この議論を隠喩的(metaphorical)にするか、存在論的(ontological)に行うかによって、深め方が違う、と指摘した。特に何が「自己」(self)と他者との境界を生み出す機能をもたらしているのか、また人間の幸せとは何かを考える上で、GoogleやFacebookは技術的な恩恵をもたらすと同時に広告企業として莫大な富を生んでいること、ビットコインのように投機目的の仮想通貨が広がってきたこと、そうした社会システムそのものへの見方が問われるだろう、という指摘である。発表者のKathrin先生も「今回の論考は挑発(provoke)のためだから」と応え、N.Katherine Hayles(キャサリン・ヘイルズ)さんの新著『Unthought』も紹介しつつ、今後、とりわけ技術に対する倫理の問題を扱っていきたいと示し、意見交換が重ねられていった。

私もまた、ささやかながらコメントした。ハイパーコネクト時代にはデジタルシチズンにいくつかの民族(ethnic group)が存在するのではないかということ、その背景にはリテラシーの格差があるということ、そのために技術的にはハイパーコネクトが可能であっても積極的に切り離す人や消極的に触れることなく従前の暮らしを続ける人もいること、これらをまず指摘した。また、開発者と利用者とのあいだで、決して精読されることのない免責事項に同意した上で技術を使用していることにより、技術の世界と生活の世界との分離はいかようにでもコントロールできてしまうことにも触れた。かつて、アイザック・アシモフが指摘したロボット三原則によって、人間の権利に関する議論が深められたように、今後、人工知能を巡る倫理について、より議論が深められていくことになるのだろう。



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