ブログ内検索

2014年4月4日金曜日

私学という枠

  最近、私学という枠について考える機会が増えた。例えば、今朝は初芝立命館高校の立命館コースを担当する先生方が、立命館大学サービスラーニングセンター衣笠にお越しになられた。来月担当させていただく講義の打ち合わせのためである。今年で3回目となるのだが、初年度は震災ボランティアについて、二年目は大学以外でも学ぶことについて、それぞれ触れたところであるが、今年は大学に行くということと大学生になるということとでは、微妙に意味合いが異なることについてお話することになりそうだ。

振り返ると、私は幼稚園大学が私学、小学校中学校高等学校は公立で過ごした。大学も第一志望第二志望は国立大学だった(社会人になってから学んだ大学院は国立…)。しかし、縁あって立命館に入学し、そして私大の学長らの懇談会をもとにした大学連合体で働き、その後、私立の幼稚園を経営する寺院に身を置かせていただき、2つの私学で働かせていただいている。そうしていくつかの環境に身を置いてきたゆえに、年々、自分が経営者向きではないことを実感させられてきた。

とはいえ、私学の経営者の方々と交わる機会が増える中で、多方面から寄せられる期待に触れるようになった。特に災害復興支援に関わっていることが大きい。しかし、土地やお金などの資源が用意できさえすれば、大学が組織として動くというものではない。キャンパスをつくることや拠点を置くといった展開は、頻繁な人の移動と熱心な活動が行われるだけではもたらされないのである。

なんだか奥歯にものがはさまったような言い方になってしまったが、どれだけ行動的な組織であっても、恒常的な行動を組織内に位置づけるには、多くの壁が立ちはだかる。そして、その壁は大きく、高く、長く、厚く、簡単には越えられない。ちなみに2002年までは、1964年に制定された「人口の増大をもたらす原因となる施設の新設及び増設を制限し、もつて既成都市区域への産業及び人口の過度の集中を防止することを目的とする」と第1条で示された『近畿圏の既成都市区域における工場等の制限に関する法律』のため、ある種の迷惑施設として大学は位置づけられていた。その頃に比べれば時代は変わったな、と、煉瓦づくりの建物の最上階のレストランで学生たちとランチ(学割・教職員割引有、です…)をした今日、いくつかの場面で感じるのであった。


0 件のコメント:

コメントを投稿