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2014年4月1日火曜日

真実と物語のあいだ

今日はエイプリルフールである。言うまでもなく、年度の始まる一日だ。朝から應典院に向かい、新入職員の就任式に列席させていただき、私なりの歓迎と激励の思いをことばにして、お昼の食事の折に伝えさせていただいた。住職が就任式の式辞の折に、四摂法を説かれ、浄土宗の宗歌「月かげ」の意味にも触れておられたので、私は自らの経験から「師」を見つけることの大切さを話すことにした。

最近はエイプリルフールを「4月バカ」という直訳で語る人にはあまり出会わない気がするのだが、リアルタイムで「ドラえもん」の新作を読んでいた世代としては、この時期には単行本(てんとう虫コミックス)7巻の第1話で登場する「ウソ800」を思い出してならない。そもそも、この秘密道具「ウソ・エイトオーオー」が「嘘八百」にちなんだものであることは、随分後になって知った。同じ類のネーミングとしては「Yロウ」という蝋燭に着想を得た道具が挙げられる。ともあれ、この「ウソ800」を飲んだ(道具としては使った、と言うべきであろう…)のび太とドラえもんとのやりとり、またそこに至るまでの友人たちへの仕返しが痛快ながらも言いようのない寂寥を読者に与えるのだ。

奇しくもエイプリルフールの今日、理化学研究所が一連のSTAP細胞にまつわる論文についての調査結果を発表した。最早、どこまでが真実で、どこからがウソなのか、裏の裏に関心が向いてしまうような場の設定であったように思えてならない。去る2月6日、虚構新聞佐村河内守さんのインタビューと(仮構して)各種の報道に沿った記事をまとめたのは、なかなか機知に富むものであった。STAP細胞の問題に戻ると、阪神・淡い時代震災の後、『虚構の時代の果て』(増補版も刊行)を上梓された大澤真幸さんは、その後「ゴールが見えない」という意味で『不可能性の時代』を著しているが、自然科学の世界において、議論の「不可能性」が見えたようで、外野にいる私としては興味深い。

ちなみに今日、オフィスでの他愛のない会話の中で、血液型性格占いに触れられたときがあった。学生時代に安斎育郎先生の「自然科学概論」を受講し、草野直樹さんの『「血液型性格判断」の虚実』(新版は『血液型性格判断のウソ・ホント』)という本を知った私としては、「赤血球の型と性格を関連づけて考えること」と「赤血球の型と性格が関連づくと考えること」に対して、過敏とも指摘されても否定しないほど、敏感になっている。前者は社会科学の領域の議論である(いわゆる真実としての正解がない)のに対して、後者は自然科学の領域の議論(つまり複数の事実が併存し物語の多様性が担保されるもの)だ。オフィスの会話では笑って済まされることも、世界を相手に正解を導き出して新たな問いを生成し続けることが責務とされる自然科学者には許されないことがあることを、劇場寺院と掲げる應典院から、何か問いかけることができれば、などと、舞台芸術祭「space×drama」のオープニングパーティーから帰る道すがら思うのであった。


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