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2014年4月16日水曜日

わからないことは難しいこと?

今春の講義も2順目が終わった。1998年、文部科学省の中央教育審議会による「講義であれば1単位当たり最低でも15時間の確保が必要」(『学士課程教育の構築に向けて』、20ページ)」という答申により、15週にわたる講義をするように「きつく」指導されてきたためだ。1991年に大綱化された「大学設置基準」の厳格化である。しかし、2013年1月18日の中央教育審議会大学分科会第112回での審議を経て、既に2013年4月1日からは改正23条「各授業科目の授業は、十週又は十五週にわたる期間を単位として行うものとする。ただし、教育上必要があり、かつ、十分な教育効果をあげることができると認められる場合は、この限りでない。」が施行されているので、事実上の弾力化がなされているはずが、現場レベルでは積極的な議論がなされてはいない。

質の保障のために量を確保するのが適切かどうかは、時と場によるだろう。それは何も大学の教育や、大学での講義に限った話ではない。例えば集団での議論もまた、時間をかければよい話ができるとは限らない。もちろん、短ければ短いほどよい、という話でもない。

最近の学生の感想で気になる表現がある。それは感想を求めると「難しい」と答えるという傾向である。「難しい」という表現は、ある行為に対して何らかの基準があって比較の上で示される評価のことではなかろうか。しかし、学生たちが言う「難しい」には、「理解が及んでいない」状態であるにもかかわらず、婉曲な表現により自らの「及ばなさ」を認めなくて済むようにしているように思われる節がある。

今日の感想の中にも「難しいですね」というものがあった。そうした「わからなさ」は学びへの扉が開いた瞬間であるように思う。ちなみに立命館大学BKC(びわこ・くさつキャンパス)での講義の後、シャトルバスで衣笠キャンパスに移動し、金曜日のイオン茨木ショッピングセンターでのイベントの打ち合わせと、サービスラーニングセンターの学生コーディネーターのリーダー層との意見交換を少しだけ行ったのだが、ここでも「難しい」と答える傾向に触れることになった。改めて、浄土宗の21世紀劈頭宣言にある「愚者の自覚」、さらにはスティーブ・ジョブズが引用したことでよく知られている『Whole Earth Catalog』の最終言「Stay Hungry. Stay Foolish.」に奥深さを感じてやまない4月である。

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