かつて「泳ぐ頃には」と発表された日取りは一体いつを指しているのか、とやきもきしたことがあった。1993年の8月に米国でApple社が発売を開始したPDA「Newton」の日本語版の発売を巡ってである。冒頭の発言は、本国での発売から時間が経過した1994年の春、当時の日本法人のマーケティング担当の部長(本部長)であった原田永幸さんによるものだ。その後、1995年8月に4代目となるMessage Pad 120がエヌフォー株式会社によって開発された日本語フロントエンドプロセッサ(入出力の日本語化ソフト)を同梱して発売されたものの、原田さんはご自身の名を自虐的にか「泳幸」と名乗るようになったという。
転じて、「桜の花の咲く頃」という表現もある。すぐに想い起こすのは、渡辺美里さんの詞と歌による楽曲だ。1988年にリリースされた名盤『ribbon』の3曲目である。TMネットワーク(当時)の木根尚登さんの切ないメロディーにあわせて「覚えていてね 想いだしてね さくらの花の咲くころに…」のフレーズが、つい口に出てしまう。
今日は「来年の桜の花の咲く頃」には新しいキャンパスが出来上がっている茨木市に向かった。「大阪いばらきキャンパス」略してOICの開学を控え、今、立命館大学は茨木にて各種の取り組みを仕込んでいる。4月10日に発表されるとのことだが、4月18日にイオン茨木ショッピングセンターにて開催される防災イベントにて、私は少しお役を担うことになった。既に「広報いばらき」2014年4月号の24ページに掲載されている「茨木市・立命館大学・イオンリテール(株)との災害時応援協定締結記念調印式」の一環でのイベントである。
大学でも「地域参加」などと冠した講義を行っているため、どうしても大規模ショッピングセンターとは距離を置きたい性分である。しかし、今日、改めてお伺いすると、実に多くの人たちが訪れ、生活リズムの中に根差した施設なのだということを実感した。かつてのApple社によるNewtonはPersonal Digital Assistantという概念を各方面に対して鮮烈に残し、自社の製品ラインからは消滅させた。果たして、今回のOIC開学、さらには行政と企業と共に結ぶ災害時を見越した協定が何をもたらすのか、びわこ・くさつキャンパス(BKC)開学20年となった今、20年前の入学時とは隔世の感がある立命館の動きに対して、内部の人間として各種の思いを巡らせている。
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