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2014年4月24日木曜日

戦いの後は仲間になる

時折「戦友」という比喩を使うことがある。もちろん、私は人を殺していく戦地に出征したことはない。それでも「戦友」という表現を使いたくなるのは、身近な他人が努力する中で、自分との戦いを重ねてきた経験があるためだ。例えば震災ボランティアの取組NPOセンターの設立地域通貨の導入といった市民活動、その他では論文執筆など、濃密な時間を共有した体験は枚挙にいとまがない。

今日は朝から應典院で過ごした。この4月から新しいスタッフが2名入ったこともあり、いよいよ私が古株となり、昼過ぎにはその2名と事務局次長と共に、今年度の事業の具体化のためのブレーンストーミングを行った。振り返れば、2006年度当初、フルタイムでの仕事に就いた頃とは全く環境が違う。自らがチームに、組織にどう貢献できるか、少し先の未来を展望して考えていかねばと改めて思う一日であった。

そんなことを思いながら、夜は同志社大学大学院総合政策科学研究科のソーシャル・イノベーション研究コース(当時)のゼミ生らによる食事会にお招きをいただいた。私を入れて5名の食事会だが、最年少は私である。2010年度の修了生が主に企画と調整をいただいているのだが、2年間の学びは相当の印象を遺したようだ。今はゼミを持たない「パンキョーの先生」ゆえ、季節の変わり目に設定される食事会での会話は、一定の役目を果たせたことを誇りと思える機会として楽しませていただいている。

こうした思い出に浸りつつ、昨夜、應典院で開催された『べてるの家の「当事者研究」』の読書会にて、「戦い」と「仲間」という話が出たことを想い起こした。北海道の「浦河べてるの家」における当事者研究の内容については、前掲の書物やウェブを参考としていただきたいが、昨日の意見交換では「治らないから、あきらめる」それが「戦うことを放棄したことで、仲間に会える」ことにつながるのだ、と話した方がおられた。仲間づくりというと共感という言葉を用いて説明されるのだが、個々のしんどさを完璧にわかり合えることがない(これを渥美公秀先生は「共感不可能性」という言い方で表現されるが、ここでは立ち入らない)からこそ、わかるということ、そうした想像力を巡らせながら他者とのバランスを取っていく尊い営みこそ、「戦友」という比喩で示される(共感不可能性に基づく)コミュニティなのだろう。

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