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2014年4月20日日曜日

空き地と広場

日付が変わるまで続いた同窓会の翌日、昼前には実家を発たねばならなかった。以前の「自分の部屋」は既に物置部屋となって久しいため、帰省時には畳の客間に布団を敷いて寝ることとなっており、今回もその例外ではなかった。今日は朝6時前、そんな寝床にガラス戸の向こうから「行ってくるわ」と母が声をかけた。後で父から聞いたのだが、どうやら日帰りで三重までハイキングに出かけたらしい。

前夜に弟夫婦が来ていたのもあってか、赤飯・春巻などが朝食に用意されていた。8時台にそれらをいただき、徐々に帰り仕度を整えると、父から「トーストを食べるか?」と尋ねられた。さすがに満腹感があったため、その申し出は遠慮しつつ、歩いて10分ほどの駅までの送迎はお願いすることにした。テレビを見ながら眠りに落ちる古希を過ぎた父の姿に、齢を重ねてきていることを再認識しつつのお願いであった。

せっかくなのでと名古屋駅で「のぞみ」に、というのは順番が逆で、ホームでの立ち食い「きしめん」を味わうために乗り換えをすることにして新大阪に向かった。今の自宅は京都だが、應典院にて秋田光彦住職と打合せのためである。この間、棚上げにしてきてしまったこと、そして新たな体制で未来の組織をどう展望するか、内容は多岐にわたった。そして夕方に京都に向かった。

大阪からは自宅に直行せず、妻と待ち合わせ、かつての同僚、そして僭越ながら教え子という言い方もできる方々が新たに始めたお店の内覧会にお邪魔させていただいた。懐かしい顔にお目にかかり、また今日新たに出会う方もおられたが、それも総合政策科学研究科のソーシャル・イノベーション研究コースの設立当初に、立命館出身ながら同志社コミュニティとのご縁に恵まれたためだろう。程なく開かれる予定のお店の名前は「ひとつのおさら」という。移動を重ねた一日、ふと、懐かしい地元の駅前が新たなバスターミナルの整備とやらで空き地の目立つ状態になっていたこと、転じて空き家となっていた町家が素敵な手料理と共に多くの方々の賑わいに満ちていたこと、それらを対比させながら、コミュニティに思いを馳せている。


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