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2017年5月31日水曜日

ケーススタディの事例研究

 朝からLearning LabによるPBLの連続セミナーのため、オールボー大学の図書館に向かった。オールボー図書館のセミナールームには偉人の名前などが用いられているのだが、今日の部屋はEINSTEINであった。今日のテーマは「Working with institutions and companies in project work – an introduction to the case study method in project supervision and lectures」、さしずめ「プロジェクト活動における大学と企業等との取り組み方:プロジェクトの統括と講義における事例研究方法の導入」とでも訳すことができそうだ。ただ、デンマークの教授法では対話が重視されるために、ただただ、話題提供者から何かを教わるという姿勢では臨むことができないのである。

 今日のセミナーでは、参加の10日前(22日)までに、5分間のミニプレゼンテーションのテーマを指示されたウェブフォームからエントリーした上で参加しなければならなかった。事前のテーマ選択への案内があったのは5月17日で、10個の選択肢の中から先着順で選ぶことができるとされたが、1つのテーマあたり最大2名ということで、17日に届くや否や、急いで入力して返信したことを覚えている。私が選んだのは、「How can the relation between theory and empirical work be handled in case studies?」、少し意訳ともなるが「事例研究では理論と実践とをどのように関連づけていくか」である。立命館大学サービスラーニングセンターの授業で担当してきた科目では厳密にはPBLでもケーススタディでもない(カタカナ表現よりもcase studyとした方が厳密には正しい)ため、「ケーススタディについて考えるためのケーススタディとしてサービスラーニングにおける教育実践を取り上げる」という前置きをした上で、シチズンシップ・スタディーズIの「減災×学びプロジェクト」を事例に、ケネス・ガーゲンによる社会心理学の見地を元に、意味創出と意志決定が言わば動的平衡のようにもたらされると示すことにした。

 ちなみに、今日のセミナーは、参加者が発表する10の観点こそがケーススタディでは重要、というのがオチであった。結果として17名の参加であったが、参加者のプレゼンテーションだけで終わるわけではなく、参加者どうしのコメント・質問に加えて、本日の担当である政策科学部のPeter Nielsen教授からのレクチャーも盛り込まれた。備忘録として10のポイントを確認しておくと、(1)When is case design relevant(適切な時期に事例が持つ構造との関連づけ)、(2)Theory and empirical work(理論と実践との相即)、(3)Case studies and evaluations(評価方法の決定)、(4)Choosing case study design(進行方法の選択)、(5)Selecting sources and methods(情報源と方法論の選出)、(6)Empirical selection and contacting(実働部隊との接触)、(7)Units of analysis and appointments(分析部隊の設定と取り決め)、(8)Planning and implementing data collection(データ収集計画と方法への留意)、(9)Quality measures to be used in case analysis(事例分析に伴う質的評価)、(10)Strategy for data analysis(データ分析のための戦略づくり)、この10点である。結論を急ぐなら、この10点をよく考えて行うべし、となるのだが、3時間のセミナーのあいだ、何度か議論が紛糾することがあった。

 オールボー大学の教員ら17人が参加してのセミナーだったが、参加者の口からも「scienticfic philosophy」という言葉が出るくらい、それぞれの専門とする分野ごとの科学哲学の違いが随所に現れることとなった。「あなたの行っているのはリサーチプロジェクトであってケーススタディではない」と断言したのは経営学部の教員で「人と話したらケーススタディではない」という定義を持っていると、自身の立場を説明していた。もともと土木工学を専攻し、社会心理学を修めるに至った私は、こうした類の議論に、良くも悪くも慣れている。ミニプレゼンテーションが求められた今日のセミナーでは2週間以内にミニレポートを出すように求められたのだが、そこでは日本での経験も踏まえつつ、「文脈が重視され現実社会の重要性が重視される社会科学での事例研究と、内容や結果が重視され一つ一つの知見の組み合わせが重視される自然科学での事例研究の対比」と「情報源・方法論の多重化による信頼性の向上」と「個別性が高い事例を過度に一般化することの乱暴さ」について触れることにしよう。


2017年5月30日火曜日

繰り返し延び延びに

シンディー・ローパーの楽曲に「タイム・アフター・タイム」がある。映画も含め、絶妙な邦訳や微妙な邦訳がなされることもあるが、これは原曲「Time After Time」をカタカナ表記にしたものである。最近は映画でもカタカナ表記にしたままのものもあるが、むしろそれでは意味が通らないだろう、と感じることもある。一方で『愛と青春の旅だち』の原題が『An Officer and a Gentleman(直訳すれば「士官と紳士」)』で、『俺たちに明日はない』が『Bonnie and Clyde(直訳すれば「ボニーとクライド)』であることなどは、他国に異国の文化として紹介していくにあたって、創意工夫が重ねられた結果だと、私は好意的に受け止めている。

映画にも音楽がつきものだが、今日の一日をロードムービーのように捉えるなら、「Time After Time」が選曲されて欲しい、そんな感覚を持った。というのも、まさに繰り返し繰り返し、飛行機の出発時間が延び延びとなっていったためである。まずはベルリンで、続いてコペンハーゲンで、それぞれ待ちぼうけを重ねることになった。ちなみにトーノー自然学校に一緒に伺った妻と当別エコロジカルコミュニティーの山本風音くんはベルリンからバルセロナに向かい、明日の朝にオールボー大学でのセミナーでミニプレゼンをしなければならない私だけがデンマークに向かうことになっため、私だけが待ちぼうけの旅となった。

この数年、国内外の出張が続いたことで、航空会社が空港に設置しているラウンジを使わせていただく資格をいただけた。そのため、待ちぼうけの時間も、居場所そのものには困らない。加えて、ベルリンのテーゲル空港は延期され続けたブランデンブルク新空港の開港が近づいていることもあり、間もなく閉鎖されるとのことで、建築的な視点からも楽しんでみた。楽しめたのはそこまで、というのも、今日のベルリンでの待ちぼうけは約1時間半、搭乗便の機内にて過ごさねばならなかったのである。

ヨーロッパに来て、国どうしが地続きであること、そして飛行機がバス感覚であることを痛感している。今日のベルリンでは、ゲートから搭乗機へのバスでの移動の手間、出発便と到着便の混雑、豪雨による飛行の安全確保などの複数の理由が重なって、機内での1時間半の待ちぼうけとなった。コペンハーゲンからオールボーへの移動では、使用機材の技術的なトラブル、またスウェーデンのストックホルムからの乗り継ぎ便待ちで、これまた1時間あまりの出発遅延となった。ダイヤの乱れはバスよりも激しい上、バスと大幅に違うのは、空席状況などによって運賃が大幅に変わることで、今回は安い組み合わせ(日中の便と、夜の便)でお得感があったのだが、待ち続けることに耐えねばならない選択となってしまった。


2017年5月29日月曜日

過去を引き受けるということ

謝罪とは、相手が「もういいよ」と言ってくれるまですること、と聞いたことがある。特に、2015年の夏、鳩山由紀夫元首相が大韓民国で講演した際に、内田樹先生が示した論理を引用したことでよく知られるようになったのではなかろうか。内田先生は「無限責任」という観点から、誰かが何かの責任を取ることは基本的には困難であることを示している。いささか雑な要約となるが、内田先生の師匠であるレヴィナス先生が示したところによると、無限責任を回避するルールとして「同罪刑法」(ハンムラピ法典で知られる「眼には眼を、歯には歯を」など)を定めたものの、それは全く同じ苦しみを味わうように仕向けることではなく相手の未来を「台無し」にして区切りをつけるための方法である、と解いている。

今日はベルリン郊外のトーノー自然学校を午前中に出て、オラニエンブルクにあるザクセンハウゼン強制収容所跡に向かった。公式サイトFacebookページでは日本語での情報提供はないものの、いくつかのサイト(例えば、Wikipedia日本語版での項目でも一定の解説がまとめられている)でやブログ(例えば、ベルリン在住の中村真人さんのブログでは(1)(2)(3)(4)(5)と5回にわたって詳述)により日本語での情報収集ができる。もし、これから行こうという人には、交通手段(鉄道駅からは徒歩15分から20分、バスは2系統で場合によっては1時間に1本ないときもある)も含めて、予習をしていくことを強くお薦めしたい。ちなみに英語が理解できる人には、0.5ユーロの施設案内(こちらも日本語はない)や3ユーロのオーディオガイドのレンタルの上、朝から晩まで過ごすといいだろう。

もちろん、と言ってピンと来る人がどれだけいるかわからないが、収容所跡の記念施設・博物館は入場無料である。見世物ではなく、遺物を遺産として扱っていくという意味において、ドイツが歩む一つの道なのだ。もちろん、こうした姿勢を過大に評価しては、本末転倒となってしまう。ただ、文字で伝え、声で語りかけられ、それらに加えて現物の中に身を置く環境を遺していること、その意味を多くの人に考えてもらえるよう、足を運んでもらえればと願っている。

夕方には、ベルリンのモーリッツプラッツ(Moritzplatz)の一角にある、プリンセスガーデン(Prinzessinengärten)に足を運んだ。ここは半世紀ほどにわたって不法投棄されていた場所をNomadisch Grünという非営利団体により、市民に開放する庭園、菜園、農園、環境教育の拠点、オーガニック&ローカルフードのレストラン、イベント会場に再生した場である。近くにはベルリンの壁を遺したイーストサイドギャラリーがあり、そこまで足を伸ばした。現在には過去があり、過去を見つめた現在から未来が見据えられるということ、改めてドイツで感じ、見つめ、考えた。



2017年5月28日日曜日

じぶんの生命・人生・生活を見つめなおすとき

北海道の当別エコロジカルコミュニティーの山本さんの紹介で、トーノー自然学校(Schloss Tornow)にお邪魔している。ここは25年前、Lothar Smeschさんが買い取って自然学校へと転換した元お城である。築160年ほどだが、使われている煉瓦には15世紀のものもあるという。もともと、スラブ人がいたコミュニティで、昨日、バスを降りた場所で目に飛び込んできた教会は、台座部分が13世紀、棟の部分が18世紀のものだという。

今日、午前中から案内をいただいたのは、Lotharさんのご子息のNicoさんである。ちなみに昨夕も地域のオルタナティブスクール(シュタイナー学校だと理解するのがいいと言葉を添えてくださった)のプログラムの合間に、簡単に概要を紹介してくださっていたが、今日は周辺のまち歩きも含めて、午前中いっぱいかけて丁寧に解説をしてくださった。学校という名前が掲げられるものの、何かを教わる拠点ではなく、体験を通して感じることを大切にしているという点に感じ入るところが多い。もちろん、こうした施設を運営する上では経営も考えていかねばならないのだが、トーノー自然学校では地域のオルタナティブスクールの受け入れなどの他に、一般の宿泊とあわせて結婚式を積極的に行っているようで、その理由を「いやいや連れてこられたような場所にいい思い出は残りにくいし、せっかく、こうした環境に足を運んでもらうなら、誰もが楽しみ喜んでもられる機会に訪れて、気に入ってもらえればまた来てもらえれば」とNicoさんは語る。

実はオールボーに招いたゲストであり、この自然学校に案内をいただいているのは、廃校になった小学校や地域の森などを拠点に活動している当別エコロジカルコミュニティーの山本さんのご子息の山本風音さんであるため、LotharさんとNicoさんの関係、そして周辺の地域資源の活用のあり方など、いくつかの点で相互に比較する機会ともなっている。ちなみにNicoさんは5歳のときにベルリンから、風音さんは8歳のときに京都から、それぞれ今の場所に移住した。Nicoさんの案内の途中、話の輪に加わってきたLotharさんは「Vision Quest」(未来の探求)を通して「My Life」(私の生命・人生・生活)を見いだすことが大切だと語ってくださった。これは3日間、山にこもる「Initiation」だ、とのことで、実際、Nicoさんもその昔、行ったという。

生きていく上で必要な電気や食べ物を外から調達するのではなく、自分たちで創出していく暮らし、それこそがディープエコロジーの実践だという。柔道や合気道などで日本への訪問の機会を持つSmesch親子の語る言葉は、日本での自らの実体験に基づく暮らしぶりを踏まえつつ、私たちに帰国後の暮らしをどうするのかの問題提起となっている。もちろんSmesch親子の言葉だけでなく、インターンのトムさん、ベトナムから学びに来てドイツで長らく働いているスタッフの方(名前をお伺いできず、失礼を…)、それぞれの立ち居振る舞いに、充実した暮らしぶりを感じ取ることができる。はてさて、いかに生きるか、感じ、見つめた後の思考と行動が問われている。


2017年5月27日土曜日

場面に想像力を重ねるドイツへの旅

組織に属して仕事する上では、最も合理的な方法で移動することが求められてきた。ここでの合理的な方法とは、時間と費用の両側面から、第三者に説明して合点がいくもの、と理解をしている。そのため、単純に安価な方法を選ぶ(例えば、夜行バス)だけではなく、次の移動手段までの待ち時間が少ないこと、遅延の発生が見込まれにくいために旅程の途中変更の可能性が低いもの、何より安全に移動できるもの(よってレンタカーや自家用車は避けなければならない)といった観点から選択が迫られる。フィールドワークの機会も多いので、自ずと移動が多くなるのだが、それぞれの移動手段により、移動時間をどのように過ごすのか、それを考えるのも一つの楽しみである。

もっぱら、最近の移動では落語を楽しんでいる。飛行機で移動する場合で、日本の航空会社で機内のオーディオプログラム(具体的には、JAL名人会や全日空寄席)がある場合にはそれらを、ない場合にはスマートフォンに入れた音源を、持ち込んだノイズキャンセリングヘッドホンを耳にして聞いているので、時折笑みを浮かべている私を、周りの人は怪訝に思っているかもしれない。ちなみに立川志の輔師匠のマクラで聞いた話だが、「落語は観るものではなく聞くもの」であり、上半身を固定された一人の噺家が扇子と手ぬぐいと2つの小道具により簡素な舞台装置の中で演じる物語を、話者の想像力で楽しむものである。立場も方法も異なるのだが、大学で教える仕事をするようになって、落語家の話芸を耳学問で学んでいるという格好だ。

今日はオールボーにやってきたゲストの案内で、ドイツのベルリンへと向かった。はじめてのドイツだったが、旅のお供は落語だった。オールボーからアムステルダムへ、そしてアムステルダムからまもなく役割を終えて閉鎖予定というベルリンのテーゲル空港へ、そしてバスでブランデンブルク駅まで向かい、そこからSラインで向かったオラニエンブルク(Oranienburg)でDBに乗り換え、ファステンブルク(Fürstenberg)駅へと向かった。驚いたのは、そこから乗るバスだった。なんと、今日は休日ということもあり、オンデマンド方式で、10人乗りのワゴン車が私たちを待っていたのである。

さしずめ「これもバスです(ドイツ語でrufbus、英語ではparatransit、直訳では補助交通機関)」とフロントガラスに示されたワゴンで向かった先は、トーノー自然学校(Schloss Tornow)である。お城を改装して、今、25年を迎えているという。気づけば、落語を聞いていたのは飛行機の機内だけだった。それ以外は、例えば、喧噪に満ちたベルリンのバス、多様な自転車やベビーカーが乗り降りを重ねる列車、それぞれの場面に、ドイツ語が理解できないゆえに、勝手に物語を想像して、目の前で繰り広げられている各々の生活に思いを寄せて楽しんだものの、見るからに古い教会の奥にあるお城がどのように活かされているのか、明日への想像力を膨らませて眠りにつくことにした。



2017年5月26日金曜日

早周りオールボー

昨日、はじめてオールボーの家にお客さんを迎えた。これから、何組かをお迎えする予定が入っているが、今回はお一人でのお越しで、ソファーのクッションを活用した即席ベッドでお泊まりもいただいた。妻も食事の腕をふるった。何より、私が原稿に向き合っていたあいだ、買い出しや掃除など、もろもろの準備にあたってくれたことに感謝である。

昨日は駅からバスで家に直行し、近くのスーパーで食材を調達して過ごしたので、今日は1日、オールボー市内を巡った。まずはオールボー大学の心理学部の基本棟に、続いて図書館にお連れした。日本でもラーニングコモンズと呼ばれ広く整備されるようになってきた学生の共同使用スペースと、図書館の真ん中に置かれた噴水が写真の撮影ポイントである。その後はバスで市内に向かい、目抜き通りを歩いて市庁舎図書館の本館、そして複合文化施設と周り、ハーバーフロントへと足を伸ばした。ハーバーフロントにも親水空間があるのだが、こどもたちは裸足になって水遊びを楽しんでいた。

程なく昼食の時間となったが、お気に入りのハンバーガーショップの開店時間までしばらくあったので、お店の集まる広場に向かい、夏に下見に来た際に満足のいったレストランで取ることにした。昨日の休日からの流れで、まちは休日ムードとなっていたのもあり、昼から季節のビールを楽しむことにした。運ばれてきた際に思い出したが、たいそうな量だったが、ビールの味わいと共に、なんとか完食した。これは少し運動せねば、と、昼食の後は徒歩で夏にも訪れた現代美術館まで歩いて向かうことにした。

オールボーの現代美術館はフィンランドの建築家のアアルトらの設計で知られる。夏には夕方からはオープンテラスと称しカフェの横の芝生エリアが開放されることになっているが、既に夏の陽気ということもあって、こどもたちが噴水で戯れていた。特別展での「モチーフと共に展示する」という作家の作品群が強く印象に残ったが、もちろん、アアルトらによる落ち着いたたたずまいを堪能した。15時過ぎ、バスターミナルまで歩き、昨日とは別のスーパーでビールなどを調達して、少し遅めに夕食を取り、はじめてのオールボー案内が終わった。



2017年5月25日木曜日

空、澄み渡る。

自分の色が出せるようになる、それが手に職をつけるということかもしれない。ここで言う色も、比喩である。顔色という時には皮膚の色だけでなく表情全般を捉えるし、声色というこきには声の質だけでなく強弱や間の取り方なども含まれる。文章の場合には文字色とは言わないものの、特徴が色濃く出た綴り方、という表現が成り立つだろう。

かつてNHKの松平定知アナウンサーは「こんばんは、みなさん」と、倒置法での挨拶をすることにより、その存在が広く知られるにようになったという。それは茶の間という存在や機能がそれぞれの家に根付いていた頃の話である。この茶の間という表現を使い続けてきたのが明石家さんまさんで、ご長寿クイズなどの名物コーナーがあった「さんまのSUPERからくりTV」という番組の最後、プレゼントの当選先が視聴者となるとき、決まって茶の間と呼んでいた。こうして、どの言葉を選ぶかは、誰を向いて仕事をしているのか、自ずからその姿勢を反映するものとなろう。

1週間ほどかけて練った原稿を、締め切り当日となってしまったが仕上げることができた。投稿先は季刊のオンラインマガジンであるため、次は3ヶ月後に締め切りがやってくる。今回が連載の初回ということで、レイアウトを含めて、フォーマットから作成する必要があり、それもまた楽しむことができた。次回の予告も入れたため、継続して素材の収集にあたっていくこととしたい。

原稿を送り終えた後、お客さんを迎えにオールボー駅に向かった。今日はイースターから40日目で、デンマークでは休日である。夕方の5時でもまだまだ空は明るく、長い昼を楽しむ季節でもある。果たして、原稿にどんな反応をいただけるか、自分の色が出せているか、むしろ悪いところが出ていないか、気になることも多々あるが、待ち人が駅から出てくる直前、見事に澄み渡る空が、晴れやかな自分の気持ちを表しているかのようだった。



2017年5月24日水曜日

大は小を兼ねる、か。

いよいよ原稿の締切が明日に迫った。本来、水曜日はオールボー大学コミュニケーション・心理学部の文化心理学研究センターによるキッチンセミナーの日なのだが、お休みさせていただいた。原稿に集中のため、である。ところが、昨日のコペンハーゲンでの自然体験が響いたのか、長めの昼寝をしてしまった。

キッチンセミナーに行ってペースメイクも考えたのだが、昼寝の後は執筆に集中した。既に図や表の候補は先週に作成を終えていたし、引用する文献の収集と読解も、この数日のうちに終えていた。確か高校2年生のとき、「入試に小論文のあるところは辞めたほうがいい」と言われたのが悔しく、Z会の『小論文教室』を読み、確かに得意ではなかった文章書きに向き合うこととした。もちろん、今となっても「大得意です」などとは言えないが、それなりに言葉と論理構成にこだわって、伝えたいことを伝えようという気にはなっている。

デンマークには11インチのパソコンと17インチのパソコンを持って来た。それらに加え、7.9インチのタブレットと、A4サイズのノートを活用して、物を書き、文章を編んでいく。絵を描く才能には恵まれなかったものの、恐らく、絵描きの方も、大小のキャンバスを気分で使い分け、道具を選び抜き、一つの作品を仕上げていくのだろう。そして、同じ道具が使われながらも多彩なキャンバスに、作品として仕上がらない数多くの習作が残されていくというという点も、物書きの振る舞いに通じるものだろう。

お昼前、ふと外に目を向けると、真下には刈り込まれた直後の芝生の緑が、目の前には紫色の花をつけた新緑が、そしてその背後には鮮やかな青い空が飛び込んできた。デンマークにはパソコンだけでなく、カメラも何台か持って来ているので、スマートフォンだけでなく、ファインダーを覗いて撮影もしてみた。大きい画面で見直してみると、最初にフィーリングで撮ったスマートフォンのものが最もしっくりくるものとなっていた。この1週間、準備を重ねてきた原稿も、ふと手を伸ばしてメモをした言葉が内容を深めるキーワードになったところもあり、凝り固まった身体からは納得のいくものは生まれないのだろう、と一息ついて思うところである。






2017年5月23日火曜日

自然と触れることは福祉国家における社会的責任である

コペンハーゲン、カストラップにある「アマーネイチャーセンター」にお邪魔した。さっぽろ青少年女性活動協会の皆さんによる自然学校と野外学校の視察に混ぜていただいたのである。既にスウェーデンで「I Ur Och Skur」(直訳すれば「In all weathers」だが、いわゆる森の幼稚園)と、ニュネスハムン自然学校、晴れでも、ストックホルムのニュネスハムン自然学校などを訪問して、このネイチャーセンターにあるトーンビュー自然学校(Tårnby Naturskole)を伺うという日程が組まれていた。毎年夏の高校生ミーティングでお世話になっている北海道のNPO法人当別エコロジカルコミュニティーの山本さんから、スウェーデンの自然学校にも訪れては、とお誘いをいただいたのだが、もろもろの予定から、コペンハーゲン郊外の視察のみ、混ぜていただいた。

ネイチャーセンターとは国立自然公園と捉えて理解すればよく、その自然公園の中に自治体の(アマーネイチャーセンターはコペンハーゲンとトーンビューが隣接するため、両自治体が設置する)の施設や、民間団体との協働運営の施設(中には社会的企業によって障害のある方が積極的に働いているレンタサイクル店なども)、そして国の施設が置かれ、それぞれ効果的な連携により、体験と学びの場が運営されている。デンマークにはこうしたセンターは全国に30ほどあり、概ね自治体ごとに自然学校を設置するため、全国で100ほどの自然学校があるという。年間で8000人ほどの来場者があるというが、ちょうど地域の小学校で校外学習のプログラムが実施される日だったようで、お昼頃に到着すると、この日だけで200人ほどのこどもたちが、25平米という広大な公園で、それぞれに楽しんでいる様子を見ることとなった。私たちもまた、3Dメガネを着用しての疑似体験プログラムや、丸太を使ったバイキングゲームなど、多方面にわたる取り組みを楽しませていただいた。

主に案内をいただいたのは自然学校の代表で生物学者のJacob Jensenさんで、自己紹介とネイチャーセンターと自然学校に関する概要の説明と、施設案内を担っていただいた。途中、チムニーケトル(煙突効果で早く湯が沸くポット)でのコーヒーブレイクも入れ、5時間ほどの滞在を楽しむことができた。ヤコブさんによれば、このセンターは長らく地域に根ざす取り組み(Anchoring/デンマーク語では"Forankring")が行えるよう、自治体による学校制度とうまく絡みながら(Governing Statutes/デンマーク語では"Styrelsesvedtægt")、政治家等とも対話を重ね("Political board"/デンマーク語では"politisk bestyrelse") 、多くの人たちに対して(user groups/デンマーク語では"brugergrupper")生物多様性への助言と環境づくりに力点を置いてきているという。実際、周辺には8つの小学校と40の幼稚園があるそうだが、密接に関わりあっている様子を、実際に幼稚園のこどもたちのプログラムにもお邪魔させていただいたところ、Nature Ambasadeor(と英語で仰っていた立場で、日本語では環境コーディネーターなどと言う方が適切と思われる、ちなみに各幼稚園で1人は担うこととなっており、70人以上の園児になると2人となるらしい)の研修を終えた先生が、細やかな配慮を重ねながら場づくりにあたっていた。見学を終えて、視察に訪れたメンバーとの対話の時間で、「3人しかいないスタッフで多様な人々をどう支援しているのか」と質問が投げかけられたところ、「概ね8人のグループワークを基本にしていて、道具の使い方、知識の掘り起こし、そして活動の意味づけなどを行うが、最も大事にしているのは、国の施設で体験学習がなされる以上、福祉制度のもとで社会包摂(social inclusion) が実現されるようにすること」と回答がなされた。

ヤコブさんには夕食にもおつきあいをいただいた。お連れをいただいたのは、以前、今は郊外にお住まいのヤコブさんがご家族で暮らしていた界隈(Vesterbro:ヴェスターブロ
のSønder boulevard:スナブールバール?通り)にある「Folkehuset Absalon」(Folkehusetは直訳では「folk house」、さしずめ「私設公民館」)である。デンマーク語版のWikipediaによれば、かつてのアブサロン教会が2012年に雑貨店「フライングタイガーコペンハーゲン」のオーナー(Lennart Lajboschitz:レナート・ライボシツ)さんに売却され、以前の信者の皆さんも2014年には徒歩10分ほどのところにある別の教会(Enghave Kirke:エンゲーブ?教会)に移った後、2015年の8月から今のようなコミュニティセンターとして使われるようになったという。AbsalonのFacebookページのカバー写真に「din udvidede dagligstue(Your extended living room:あなたの居間のようにどうぞくつろいで、というメッセージ)」とあるように、昼間は卓球やボードゲームで、夜は17時開場・18時開始の50クローネでのディナータイム(月曜日と水曜日はベジタリアン、金曜日は100クローネのスペシャルメニュー、100席で、1テーブル8人の相席が原則、予約は不可)が用意されている。「2回しか来てないけど、みんなを連れてくるにはいいと思って」とヤコブさん、スタッフの方を近くに呼んでいただいて、Absalonの説明もお願いしていただいたところ、「失業中の人の隣に求人中の人がいるかもしれないし、向い合うのがパレスチナの人とイスラエルの人かもしれない、かつて教会が担っていた出会いと交流の機能を現代的に取り戻そうとしたらこうなった」と述べられ、何とも物語が豊かな場に身を置くことができた一日となった。


2017年5月22日月曜日

学生が個人化し消費者的にならないように

すっかり季節は夏である。木々の緑が目映い。そして目に飛び込んでくる花の色も増えてきたように思う。青い空とのコントラストが、何とも心地よい。

今日は午後にリサーチミーティングがあり、遅めに大学へと向かった。オールボー大学で客員研究員として受け入れていただくにあたって、いわゆるホストプロフェッサーをどなたかに担っていただかなければならなかったのだが、立命館大学総合心理学部のサトウタツヤ先生のご紹介で、昨年の夏に横浜で開催された国際心理学会のために来日されたMogens Jensen先生と出会えたことにより、今、こうして1年間の滞在をさせていただけている。今日のリサーチミーティングもMogens先生に設定いただけたものである。4月27日に、オールボーのボランティアセンターにインタビューにお邪魔した際、副センター長のシャーロットさんから名前が出ていたLars先生と引き合わせていただいたのだ。

Lars Skov Henriksen先生の専門は社会学で、社会福祉の分野のボランティア組織や政策を関心領域とされている。お会いするにあたり、英語で記された論文に目を通し、3つの質問を考えて臨んだ。ご自身が取り組んでおられる教育法について、ニュー・パブリック・マネジメントと市民社会論との拮抗の時代とも捉えられる中で大学教育が果たす役割は何か、そして大学と地域が連携する際に求められる倫理的側面にはどのようなものがあるか、である。どちらかというとマクロな社会学であるため、ミクロな視点からの問いは不適切かとも思われたが、ご自身の研究内容については少なくとも10本の英語論文があるため、Mogen先生も同席いただいている心強さも重なって、それらの感想と共に、投げかけさせていただくことにした。

質問を投げかけつつも、やはり対話が重視されるデンマークたるゆえんか、Lars先生からも問いが投げかけられることとなった。立命館大学のサービスラーニングセンターで連携する団体の特徴は?日本のボランティアの参加率は?当事者団体の活動はいつ・どのような事柄がきっかけで盛んになったか?PBLとサービス・ラーニングとは教育手法としてどのように関連づけられるか?などである。その上で、Lars先生とMogens先生との対話では、講義による知識の獲得とあわせてゲストレクチャーとフィールドビジットに加え学生たちには実践的な学びとして地域の組織(英語ではassciation、デンマーク語ではforening)でのボランティア活動などを促している、教育と地域貢献はそれぞれに大事だが地域社会での活動を何らかの手段として動機付けをすると学生が個人化(individual)し消費者的(consumeristic)になる傾向が避けられない、スカンジナビアの国々では自立(independent)と自律(autonomy)という2つの要素を趣味の領域から社会的な活動までそれぞれに大事にされている、といった観点を得た。それぞれ、新しい観点というよりも、改めてこれまで何を大切にしようとしてきたのかを見つめ直すことができたのだが、今後もまた授業見学や、実践的なプログラムを展開している人や組織を紹介いただけるとのことであり、ご縁に感謝である。



2017年5月21日日曜日

耳と目と舌と

デンマークではテレビのない生活をしている。小学生から中学生になる頃、「勉強のため」という、否定されにくい理由で、居間からお下がりとなった14インチのロータリースイッチのテレビを手元に置き、中学生になると親戚の叔父の家で使われていた家具調テレビを譲り受け、近所の電気屋さんで下取りされていたモノラル仕様のVHSデッキを入手した。大学進学で京都にやってきたときには、テレビの誘惑によって勉強ができなくなっては高い学費に見合わない暮らしになると、「情報収集のため」と自分に言い聞かせてカシオのTV-21という2インチの白黒テレビを持ってきた。外部アンテナ端子はもちろん、ロッドアンテナさえもついておらず、イヤホンコードがアンテナになるという仕様で、しかも単3乾電池2本での駆動時間を伸ばすためか、バックライトもついておらず、ボディー上面に設けられたアクリル板から取り込んだ光を鏡に反射して写すという機構のため、テレビ三昧になることはなかったものの、阪神・淡路大震災を経て、いわゆるジャンク品を調達し、テレビ生活を再開することになった。

テレビっ子がテレビがない中でどう過ごす手段はラジオである。大学生のときには、受像機こそ白黒2インチ液晶という(それはそれで)凄まじいものだったが、一方でラジオはソニーのICF-2001Dという(これはこれで)ラジオというには凄まじくゴージャスな受信機を持ってきた。自分のテレビがない時代、やがて勉強部屋として与えられることになる応接間としてしつらえられた部屋に設置されたモジュラーステレオ(レコードプレーヤー、チューナー、アンプの一体型の機材、日本コロムビアのQXシリーズのどれか)に惹かれ、やがてラジカセ(最初はねずみ色のモノラルのもの、続いてダビング可能なステレオラジカセ、ともに日立だった)でエアチェックという楽しみを知り、はたまた寝床には防災非常持出品に入っていたナショナルのラジオ(今思えばペッパー012だったように思う)で深夜放送の存在を知った。時を経て、今はスマートフォンのインターネットラジオのアプリで見つけたジャズのチャンネルをお気に入りに入れている。それを日本から持って行ったB&OのBeolit12から流していることが多い。

今日は久しぶりに大画面テレビのある環境に身を置いた。日本からデンマークに嫁いで50年という方のお宅にお呼ばれしたのだ。体調が優れない日もおありと聞くが、天気のいい日曜日ということでお誘いをいただいた。ご本人も「ゴッドマザー」を呼ばれていることをご存じのようで、オールボーにやってきた日本人の方とは大抵、お会いになっておられるようである。

お邪魔したときにはテレビをご覧になっていらっしゃったことも重なって、「デンマーク語は難しいけど、まずは慣れるのが大切よ」と、テレビの視聴を薦められた。「インターネットラジオを聞いています」と伝えると「それもいいわね」と返ってきた。そうした会話を重ねつつ、ビール、ワイン、そしてオープンサンドに加え、手作りのルバーブケーキをご馳走になった。異国情緒に触れる中、何となく幼少の頃からの記憶を想い起こす一日になった。


2017年5月20日土曜日

白旗ではなく白葡萄を

今日もまた、原稿に明け暮れている。今、オールボーの日の出は4時台、日の入りは22時前である。朝焼けどころか丑三つ焼け、とでも言えそうだ。そして、夕暮れではなく、夜暮れである。

朝活、という言葉が浸透して久しい。高血圧症ということが良い方向に影響しているのか、目が覚めて、すぐに動くことができる体質である。日本では朝活をしようと意気込んだことはなかったが、デンマークでは日本に比べて圧倒的に夜の宴席に伺う予定がないため、自ずから床につくのが早いため、結果として早くに目が覚める。何より、空がうすら明るくなる時間が早いことも、起床の時間が早くなる要因になっているだろう。

デンマークに来て1ヶ月半、ありがたいことに、日本から7時間の時差を見越して連絡が来ることがある。例えば、メールやLINEなどの返信が、日本時間の正午過ぎに戻ってくるだろう、という予測のもとで、いくつかの報告や連絡や相談が重ねられるという具合だ。一方で、頭の冴えているときに、反射的な作業ではなく、創造的な仕事を重ねようという意欲もある。いちいち朝活、と呼びたくはないのだが、少なくとも、朝の時間を効果的に使うということは、デンマークから戻っても改めて気に留めておきたい。

ふと、朝活の対義語は何か、とも想像してみた。朝寝、あるいは夜活、だろうか。ともあれ、朝から奮闘したご褒美として、夜にはボックスワインの白にも手を出してしまった。とんだ夜活である。


2017年5月19日金曜日

祝祭空間ではなく狂騒の場

来週末、オールボーでは「オールボーカーニバル」が催される。1週間にわたって、まちはお祭り気分に包まれるようである。ようである、というのは、今の住まいがまちの中心部から遠いところにあるためだ。Visit Aalborgというオールボーの公式観光情報サイトによると、北欧最大のカーニバル(の一つ、ではなく、断定)で、60,000人がパレードに参加し10万人の見物客が集うという。

お祭りとお祀りが違うように、フェスティバルとカーニバルは異なる。もっとも、お祀りは儀礼という意味を含むため、英語にすればritualという言葉が適切となる。また、フェスティバルに祝祭という言葉を充てるなら、カーニバルには狂騒という言葉が重ねられるだろう。もっとも、carnivalの語源はラテン語のcarneとlevareが合わさったもので、肉をとり上げるという意味があるらしい。

今日の夜は、その関連企画として、インターナショナルパレードが行われた。バスターミナルから市役所横の目抜き通りを通り、繁華街を練り歩くというものである。後で公式サイトで確認したところ、2017年のインターナショナルパレードには17の団体が参加していたようだ。国を並べてみれば、英国2、ドイツ2、スペイン1、スウェーデン1、デンマーク1、オールボー10(ただしメンバーは多様な国籍が混ざっていると考えられる)、という構成だった。

朝から来週締切の原稿執筆に詰めていたため、気分転換にと、パレードに出かけることにした。やはり、カーニバルの名にふさわしく、普段は比較的静かなバスターミナル付近も、非日常の様相を呈していた。そして、以前、お招きをいただいて見させていただいた阿波踊りを思い出した。やはり、狂騒は見る側よりもする側にいた方が、よほど楽しく過ごすことができるだろう。


2017年5月18日木曜日

7日間のたたかい

歌は世に連れ、世は歌に連れ、という文句がある。もちろん、苦情という意味ではない。口上と言った方がより適切だろう。言葉を見ただけで、節回しが思い浮かぶことばがある。

そうして節のついたことばで特徴が語られている歌は、歌詞の内容よりも、そのメロディーに、ある時代へと誘う力があるように思われる。それは映画の一番面に特徴的な音楽が挿入される構図とも重なるものである。デジタルコンテンツの時代にあっては、フィルムの時代に刻まれたサウンドトラックという概念を理解することは難しいかもしれない。しかし、そうした物理的な構造ではなく、直感的な行為として、風景と歌が連動しやすいことには合点がいくだろう。

今日は終日、パソコンの前で原稿と戦っていた。いよいよ来週に迫った締切のためである。ご縁により、デンマーク・オールボー大学に滞在するあいだの経験を連載させていただく機会を得た。提案をいただいた方、快くお認めをいただいた方、それぞれに感謝し、期待に応えるためにも、余裕を持って臨み、お送りさせていただきたい。

そうした中、ふと、TM Networkの『SEVEN DAYS WAR』のメロディーが思い浮かんだ。初めて聞いたのは小学校6年生の頃、テレビから流れて来たCMで耳にしたのだと思う。少し勢いづいた気がして、なんとか、原稿に用いる図と表の原案をまとめあげることができた。祝杯ではないが、これから1週間の戦いの火蓋を切るかの如く、これまでワインは瓶で購入してきた中で、初めて調達したボックス仕様のものに手を出してしまったのであった。


2017年5月17日水曜日

ことばからの壁

水曜の午後はキッチンセミナー、というリズムができてきた。もちろん、料理教室ではない。キッチンセミナーとは、オールボー大学をホストに開催される、ホットな話題を深めるディスカッションの場である。したがって、アカデミックな世界における旬な素材をどう扱えばいいか、腕が試されているという意味では、料理教室の比喩がうまく響いていると言えよう。

今日の話題は「自己との対話」についてであった。キッチンセミナーの生みの親でもある、ヤーン・ヴァルシナー先生と共に共著で出版する書籍についての意見交換だった。発表者はノルウェーからやってきた。今日はノルウェーの休日とのことで、間もなくやってくるオールボーでのパレードも引き合いに出して、盛り上がる一幕もあった。

今日のセミナーでは一言も発言できず、帰ってくることになった。4日前、キッチンセミナーのメーリングリストで要約が送られてきており、目は通していたものの、議論に参加できず、コメントもできなかった。グローバリゼーションの負の側面を踏まえ社会的公正や多様性に配慮した「mundialization」をどう展望するか、幾多の可能性の中から気づかぬうちに選択されずに捨てられてしまう機会をどのようにつかみ取るか、静かな海に自らの動揺・楽しみ・苦しみをどう重ねうるか、移民どうしの世代の違いでルーツへの紐付け方にどのような違いが見られるか、難病に冒されたときに家族内の会話はどのような筋道をたどるのか、鏡を見て練習するダンサーは何から何を学んでいるのか、それら6つの事例についての議論だった。日本語ではこのように整理できる。しかし、送られてきた要約では、これらに対する結論も示されており、その点を深めきれず、何より表現しきれず、議論の時間は残っていたが終了となったのである。

デンマーク語は言うに及ばず、英語での議論にあたっては、語彙もレトリックも圧倒的に足りていない。改めて、これまで困らないように逃げ、時にごまかしてきたことに困っている。転じて、今の日本の教育では、それなりに国際人の養成に焦点が当てられているというが、果たしてどういう場面を想定して、誰によってどのような環境が作られているのだろうか。ことばの壁とよく言うが、むしろ、ことばへの壁を自ら作って自分を守ってきたことで、今になってことばの方から壁が立ち上げられている気がしており、はてさてどう越えていくか、あるいは壁づたいに歩いていくか、自らの姿勢が問われている。


2017年5月16日火曜日

文化の館

デンマークの公用語はデンマーク語である。EU加盟国だが、2000年9月の国民投票において53.2%の反対となったことで、1992年にオランダのマーストリヒトで調印された欧州連合条約の附帯議定書で示されたユーロには参加せず、デンマーククローネという独自通貨が用いられている。約570万人の国で、独自の言語と通貨が残されてきたことは、極東から来た私にとっても興味深い。しかし、デンマーク語の難しさは日本を出る前から知ってはいたが、改めて生活をする中でも痛感する。

こちらに来てから妻はデンマーク語のレッスンに通い始めた。もちろん、私も行けばいいのだが、1年間という滞在期間の中で言語の習得にも挑戦することが、結果としてその他のこともままならなくなるだろうと、踏み込まないことを決めた。とはいえ、逆の立場を思ってみれば、日常会話の中での挨拶程度はその国のことばで言えた方がいいと、LINEのスタンプに記された文字を解読して、折に触れて口に出せるよう、気を向けている。こんな調子では、デンマーク語の習得への道は遠い。

今日は夕方に、デンマーク語のクラスの後、オールボー市の図書館に行くツアーがあるということで、私も混ぜてもらうことにした。建物の中に小さな親水空間もあるオールボー大学の図書館の充実さ(特に客員研究員のIDでも利用できる豊富なオンラインジャーナル)にも驚いたが、市内中心部にあるオールボー図書館本館のあり方には圧倒するばかりであった。明るい館内、地下に設けられた充実の書庫、ゲーム(数人で遊ぶことができるボードゲームやPlayStationなどのビデオゲームも) も貸し出し対象とする収蔵メディアの豊富さ、飲食できるカフェの設置はもちろん、言語・芸術・数学などテーマごとのワークショップを「○○カフェ」と題して展開する企画力、知りたいことに応えていくことを使命として笑顔で待ち受ける司書コーナー(ちなみにスタンディングデスク)など、挙げていけばきりがない。全自動の貸し出しと返却にはCPR(Civil Personal Registration)ナンバーが必要なものの、逆に、日本のマイナンバー制度も行政の管理番号としての性格から、公共サービスを受けるためのIDとして方針転換すればいいのに、という不満が募ってしまう。

何より驚いたのは、司書の方が説明する最中、ある来館者がおもむろにグランドピアノを弾き始めたことだ。開架閲覧室の真ん中に設けられたピアノで、「My Way」を弾き始めたのだが、もちろん、一部の人は「おいおい始まったゼ」「もうちょっとちゃんと弾けよ」といった感じの表情を浮かべているようにも思えたが、決して「おい、自分の道を歩みすぎじゃねーのかよ!」(例えば、too much on your way!!とか…)などと誰も苦情を言いに行くのではなく、むしろ耳をそばだてる人もいれば、集中していた作業などから手を止めてリフレッシュをしている人が大半に見えた。何より、開架閲覧室の奥、通りに面したコーナーには、小さな音楽ステージも用意されており、語学レッスンも開かれている言わば国際交流センター「ELSK Aalborg」のボランティアの方によれば「ここは言わば文化の館(House of Culture)ね」とのことである。今日は小雨、それなりの雨でも傘を差さないデンマーク人の気質に似た私が、こうした館が嫌いなはずもなく、帰国後のカルチャーショックによる反動が今から怖い。


2017年5月15日月曜日

購入の誘因

モノへのこだわりは、耐久財だけではなく、消費財にも及ぶ。ややこしい書き方をしてしまったが、デジタル系のギアだとか諸々のグッズだけでなく、読み物、食べ物、飲み物、など、要は買い物をする際には、少々手間暇をかけてしまう。ただ、多くのものを買って満足するのではなく、選び抜いていく過程に物語を見い出して楽しんでいる。例えばスティーブ・ジョブズが一つの物を選んで使い続け、求め続けたのに通じる気がしている。

以前は米国製のものに質実剛健さを見いだして好みとしたものの、できれば軍事関係に通じるものは避けようとし、その後は日本製のものが消えていくことを憂いて積極的に調達し、と、物選びの関心は変わっている。一つのものは一つのメーカーで、しかも国産で揃えよう、などと考えたこともある。ただ、長年Macで慣れてきた私は、大学院時代の学友の協力も得ながら(つまり、Basilisk IIというエミュレータを入れて)、PanasonicのLet's Note(今も神戸で作られている)を駆使していた時期があるものの、どうにも立ちゆかず、断念した。また、メインのカメラはニコンで通してきているが、もともと測距の光学機器を開発しつつ(参考:「わが社の歴史:株式会社 ニコン・いつの時代も、未来を拓くニコンの技術力とものづくりへの挑戦があった。」日本半導体製造装置協会「SEAJ Journal 」2012年8月号、pp.35-39)、戦場カメラマンによる写真を通して世界的評価が高まったことなど(参考:「ニッコール千夜一夜物語 第三十六夜 Nikkor P・C 8.5cm F2)、軍事関係と全く無縁なものを選ぶこともまた困難であるという気づきも得てしまった。

では、何を手がかりに物を選ぶかというと、選んで買って、使ってまた求めて、という具合に、今後もその物があって欲しいかどうか、転じてその商品を生み出す組織が残り続けて欲しいか、である。その結果、物を通じた語りが増え、うんちくの多い輩となってしまう。最近は物をいかに減らすか、というミニマリストもどきの観点に重きを置いているのだが、それが瞬発的に物を増やすことにもつながってしまっているかもしれない。それでも、デンマークではシンプルかつモダンな生活を過ごさせていただいており、日本に戻った後の暮らしの環境をどうデザインするか、ささやかな楽しみを抱いている。

今日は朝から来週に締め切りが迫った原稿の準備を重ねた。あわせて、この数年使ってきたレジュメとスライドのフォーマットを変えることにして、そのデザイン・レイアウトにもあたった。夕方には近所のスーパーに買い物に行ったのだが、そこで、先般お出会いをした方が勤める会社の食品を見つけ、「お、これはお好み焼きによさそうだ」などと、手を伸ばしてしまった。農業国・酪農国でも知られるデンマークでは、オーガニックの食材を手軽に入手することができるのだが、慣れ親しんだ日本のメニューが思い浮かんでしまうとは、なかなか考え物である。


2017年5月14日日曜日

花と風と

「それでも/花は咲き/野に風は吹き/こんなにも/誰もいない」とつぶやいたのは、和合亮一さんである。和合さんは福島県在住の高校(国語)教師で、詩人でもある。東日本大震災の後、既に始めていたTwitterに「詩の礫」と題して連続投稿を重ねられ、冒頭に示したものは2011年3月31日の朝7時33分にツイートされたものだ。私は和合さんの取り組みや、冒頭の詩を、2011年4月29日にテレビ朝日系列で放送された「つながろう!ニッポン」の中で、大竹しのぶさんの朗読により知った。

今、住んでいるオールボーの住まいでは、福島が置かれた状況とは全く異なるものの、厳しい冬を越え、日が高くなると共に芝生のあいだから顔をのぞかせるタンポポたちを2階の窓から見渡す中で、ふと、冒頭の詩を想い起こした。5月の今も、日中も摂氏20度を超えず、最低気温は1桁である。日本では摂氏30度のまちもあるという。果たして、帰国したとき、身体はついていくことができるだろうか。

気候は異なったとしても、5月の第2日曜日が母の日ということは、どの国でも変わらないようである。Facebookのタイムラインには、感謝する側、される側の投稿が断続的に並び、そしていくつかはデンマーク語の広告が挟まれていった。その中には、「母の日プロジェクト」に取り組んでいる尾角光美さんの投稿もあった。尾角さんは19歳のときに自殺で母を亡くした経験をもとに、リヴオンという活動に取り組んでおり、現在は英国のヨークにある大学院にて研究生活を送っている。

日本時間で母の日の夕方、デンマークでは朝、実家に電話を入れてみた。電話口には母が出た。「プレゼントは声?」と尋ねられたが、7月にフィンランドとデンマークへの旅で迎えることになっているので、その際に、と伝えた。距離と時間を超えて、母の日はそれぞれに過ぎていく。


2017年5月13日土曜日

出汁文化と取次の存在と機能

終日、自宅で過ごす中、お昼に先般、Studio-Lの西上さんからいただいた柚子七味を使うことにした。妻が蕎麦を茹でてくれたためである。3月末の出発前に調達した生麺ということもあって、そろそろ食べねば、という頃合いでもあった。ちなみに、パッケージに示された日付よりも、保管していた環境への想像力や、直前の視覚や嗅覚による判断を重視するタイプである。

蕎麦好きな私だが、デンマークの硬水との相性が悪いのか、どうも、汁に味が乗らない。それもあって、柚子七味が大活躍となった。加えて、丼鉢を持ってこなかったこともあり、シリアルやパスタを食べる白い深皿で日本蕎麦をいただくということにも、ささやかな苦労が伴った。それでも、日本風に、ずるずると音を立てさせていただき、久しぶりの食感と味わいを楽しむことにした。

日本は出汁の文化だが、欧米ではスパイスの文化と整理するのは短絡的だろうか。果たして、出汁が出ないのは果たして硬水のせいないのか、フォンドヴォーは出汁文化と言えるのではないか、ブイヨンは出汁パックと違うのか、など、問いは多々広がっていく。一方で、日本から携えてきた新潟県小千谷市・塩谷集落の天然乾燥米は、こちらの水で炊いたとしても、いつもの味わいとは異なった。無論、デンマークで入手したお米と食べ比べれば、その食感も味わいにも大きな差があるのだが、水道水を飲用できることの有り難さを差し置いたとしても、水の特性が気になるところである。

そうしてデンマークの暮らしも1ヶ月あまりが経ち、徐々にデンマーク文化に浸っていく中で、日本のニュースに触れる際に、「そりゃ、そうだよね」と冷めた目で見ることも増えた。例えば、先般報道された、日本のAmazonが書籍の販売にあたって取次(具体的には日販)を通さず出版社と直接契約するという話などだ。こうした類いの話は、京都で暮らし、働く中で、和装に携わる皆さんとインドネシアの震災復興の関係で「てこらぼ」というプロジェクトに関わらせていただく中、中間に経つ人は相当の目利きでないと、作り手も使い手にも頼られない、ということを実感してきた。今日は終日、水曜日のセミナーの復習をしていたのだが、出汁文化や取次店の存在と機能から、教える側(教員)と学ぶ側(学生)のダイナミックな関係を取り結ぶ多様な担い手の関わりが改めて大事だ、ということもまた深める一日となった。


2017年5月12日金曜日

祈りの日

デンマークは3連休らしい。休日カレンダーによると、「General Prayer Day」とある。イースターから4回目の金曜日が休日となるらしい。先日のオールボー大学のウェルカムミーティングでも紹介されたが、何に祈るのか、といった中身には触れられなかった。

日本では5月の大型連休を過ぎると、次の国民の休日は7月17日の海の日、その次は8月11日の山の日である。山の日の由来を調べたとき、その由来の曖昧さに驚きつつも、8月12日を回避した理由に合点がいったことをよく覚えている。結果として日本では祝日がない月は6月のみとなったが、デンマークでは6月5日が憲法記念日で休日である。また、イースターから7回目の月曜日は「Whit Monday」の休日とされており、これは「Pentecost」とも呼ばれる「Whitsuntide」(聖霊降臨節)の日曜日(つまり、イースターから7回目の日曜日がWhit Sundayとなる)とあわせて、土曜日から3連休を取って麗らかな天候を楽しもう、という趣旨らしい。

ということで、6月には再び3連休があるのだが、この3連休の初日は、過日出稿した原稿の修正に充てることとした。ただ、苦節の原稿である。2月末にインフルエンザに罹患したために、集中して推敲を行うはずの場に参加することができなかったことが大きく影響しているのだ。加えて、いわゆるワンショットサーベイ(1度の訪問で、多くを語らなければならない)ということも、仕上げきれない背景の一つとなっている。

そのため、祈りの日の今日は、再度の修正依頼が来ないことを祈る日となった。インターネットで調べられる限りの情報を手に入れ、改めて現場で浸った感覚を想い起こし、言葉を紡ぐ一日だった。迷ったときには読み手の顔を思い浮かべるように、と指導してきた自分の言葉を自らに向けながら、夕方まで集中して加筆を重ねた。ちなみに今日の日の入りは21時半ごろということで、まだまだ日の高い中で日本に原稿を送った後、1階でのバーベキューで盛り上がったためか、行き場を失った猫が2階の我が家までお客さんとして訪ねてきて、ほっこりした休日の終わりとなった。


2017年5月11日木曜日

動物園で多様性に触れる

昨日は1日、セミナーでのインプットが続いたので、今日はアウトプットの一日にすることにした。充電と放電、そういうメタファーを使いたくなるが、そんな単純なことではない。この文章もまた、ノートパソコンで打っているが、バッテリーの充電が100%な状態でも外部電源をつないでいるときもある。結局、何かの状態を維持するということは、そんな簡単なことではない。

例えば、論文を執筆するというのは、目的としてはアウトプットだが、その過程では膨大なインプットを必要とする。書くためには読まねばならず、読むためには別の何かをする時間を削らねばならない。それぞれに等しく与えられた1日24時間、分にして1,440分、秒にして86,400秒をどう使うか、これをタイムマネジメントという横文字でも、時間管理というやや古風な言い方でも、どちらにせよ個人に求めているのが現代社会である。少なくとも産業革命を迎えるまでは、太陽や月などの動きと共に、場合によっては為政者の言動のもとで、言わば他律的に動いていただろう。

この1年間、授業を持つこともなく、異国で研究のための休暇を過ごさせていただいているという身分に感謝をしつつ、午前中は故郷(と言ってよいであろう)の浜松へ、メッセージビデオを作成した。2年前から携わらせていただいている「みんなの浜松創造プロジェクト」の平成28年度のクロージング、平成29年度のキックオフ、その両者の性格を兼ねたミーティングのためである。既に先週には原稿を仕上げていたが、約1週間寝かせ、再確認した上で、3分ほどの語りを収録した。基本的には瞬発力で語ることが多い私ではあるが、時には手間暇かけた料理のように、熟成させて仕上げるときもある。

インプットとアウトプットは、充電と放電という機械のメタファーだけでなく、呼吸という生命体のメタファーでも捉えられる。吐くこと、吸うこと、その両方が大事であることは言うまでもないが、多少の乱れがあっても生きていくことができるものの、乱れた呼吸は整えていかなければならない。そんなことを思ったのは、今日の晩には、北デンマーク国際会館の企画により、オールボー動物園で「多様性の夕べ」が開催され、足を運んでみたためである。生きづらい世の中とは息苦しい環境にあるのだろう、と、多様な人種や国籍な人々のみならず、種や起源の異なる生きものが混ざり合う場に行きつつも、日本語の韻律に楽しんでいるのであった。


2017年5月10日水曜日

連続性を保つということ

このところ、なのか、常に、なのかわからないが、オールボー大学では公開のセミナーが続いている。特にオールボー大学では1974年の設立以来、PBL(Problem-Based-Learning:定訳では問題解決学習)を教育における学習方法(pedagogical learning methodology)に位置づけらている。そして、1992年にUNESCOで導入されたテーマ型の大学間連携事業「UNESCO Chairsプログラム」に「The Aalborg Centre for Problem Based Learning in Engineering Science and Sustainability」(通称:オールボーセンター)が2013年11月の総会において採択、翌年2014年5月26日に開設された。それもあって、今日は終日「INTERCULTURAL CHALLENGES IN PBL EDUCATION」(PBL教育における多文化共修の挑戦)のセミナーが催されると共に、午後にはLearning LabによるPBLの連続セミナーの3回目「THREE IMPLEMENTATIONS OF PBL (IN HEALTH EDUCATION) - PROJECT, CASE AND CLINIC」(PBLの3つの実装形態(特に健康学において):プロジェクト、事例、臨床)が予定されていた。

午前中にはHanne Tange先生による「Normal & deviant in international, interdisciplinary MA programmes」(大学院博士前期課程での国際的・学際的教育における規範と逸脱」と、Tom børsen先生とLone Stub Petersen先生による「Problem-based Inter- / Trans disciplinary master’s programs: the case of techno-anthropology」(大学院博士前期課程での教育における学際的・越境的な問題解決学習:技術人類学の事例から)に参加した。前者では、既に公開された論文の内容をもとに、ピエール・ブルデューの示した「国際性(internationalness)」(Bourdieu 1999, 220)と「学際性(interdisciplinarity)」(Bourdieu 1988, 58)の観点を前提に、自分は普通だと思う人ほど偏見と権力に無自覚で逸脱行動を取る人ほど差違や特別な関心を持っているとするGraham & Slee(2008)の視点から、教員の経験と学生の社会実践のインタビューが分析され、多文化共修は文化的背景や専門性の違いゆえに現場での奮闘が余儀なくされる、ややこしい(troublesome)ものであるが、自らの文化的背景や専門性を見つめ直す学びの場となることが示された。後者では、科学・技術に対する人類学において用いられる代表的な13の理論(クーンによるパラダイム論、フレックによる思考集団、ショーンによる反省的実践、クノール=セティナによる科学論、ラトゥールによるアクターネットワーク理論、ウェンガーによる実践コミュニティ、フーコーによるエピステーメー、ギャリソンによる交易圏、コリンズとエヴァンスによる相互作用的専門知、スターによるバウンダリーオブジェクト、オールボー大学名誉教授のジェイミソンとボティンによるハイブリッド・イマジネーション(混交的想像力)、ハーバーマスによる討議倫理、ラベッツによる拡大ピア・コミュニティ)に簡単に触れながら、科学・技術がより確かに社会に受け入れられ、社会の変化に応答できるための専門教育のためにカリキュラムをどう変えてきているかの報告がなされた。特に社会科学は自然科学と異なり、絶対的な真実があるわけではなく、しかし社会にインパクトを与えるために研究環境に目を見張ること(supervise the environment)が大切となるため、PBLにより多様な人々が混ざり合い、社会と関わりながら各々がどのような文化的背景のもとで育ってきたに関心を向けながら、どのような素養を高めていくかを明確にしてきているとのことでった。

午前中からのセミナーは午後にも具体的な事例の紹介がなされるようだったが、午後には4月7日のリサーチミーティングでホストプロフェッサーのCasper先生からも紹介された、Diana Stentoft先生よるPBLにおける3つの実装形態を学ぶワークショップに、もう一人のホストプロフェッサーのMogens先生と共に参加することにした。午前中のセミナーは12名が参加していたが、こちらは合計で6名ということで、最初の案内のとおり、参加者の関心にあわせて柔軟に進めていただけることになった。ということで、既にデンマークでのワークショップでは恒例となった、自己紹介と参加への思いの共有に始まり、グループワークがあいだに挟まれるという進行となった。Stenfort先生のお人柄もあり、はたまた日本からPBLを学びに来た私に配慮をいただいたのか、3つの実施形態の解説の前に、PBLに関する基本的な考え方について解説をいただいた。

PBLのレクチャーを何度か受けていると、consequences(連続性)とexemplarity(模範的存在、とでも訳しておこう)という言葉をよく耳にする。この7年ほど、立命館大学ではサービスラーニングという理論のもと、教育実践に携わってきたが、アイデアを提案にする、現場と大学を頻繁に往復する、書物と実践をつなぐ、語りと綴りの両方で伝える、そうした連続性と、他者との関わりを通して学ぶ上で他人を尊重して自分には謙虚に、という学びの場と機会を拓き、能力よりも素養が高まるよう促してきた。この1月に「指示するのではなく自ら学際的に学び始めるために〜果たしてPBLはその答えなのか?(From saying to doing interdisciplinary learning: Is problem-based learning the answer?)」という論文が公刊されたStentoft先生によれば、PBLはあくまでscaffold(骨組み、足場)であって、(1)学生たちにどのような学びを達成して欲しいのか?、(2)どのようにして学生たちはカリキュラムにおける到達目標に迫るのか?、(3)そうして設計したPBLでは教員は進行役と監督者のどちらの役割が求められているのか?の3つの問いを丁寧に扱っていくことが出発点だという。もちろん後半で丁寧に解説された3つの実装形態も参考になったのだが、グループにより協働のもとで相互に貢献しあう学びにおいて、問題を特定することがPBLの最初の段階で求められるように、そもそもPBLを導入する際にどのような構図のもとでどのようなカリキュラムとして設計し評価をしていくか、さらには対象となる学生・支える教職員・向き合う外部協力者との関係づくり、そして部屋の選定からプログラム推進のための学内調整および効果的なプログラムのための調査研究の推進など、40年あまりにわたって蓄積されてきたオールボー大学のPBLの暗黙知と実践知を存分に学ぶことができた。



2017年5月9日火曜日

ようやくのお迎えを

デンマークに到着して1ヶ月あまりが過ぎたところだが、今日、改めてお迎えをいただけた。所属するオールボー大学によるウェルカムミーティングが開催されたためだ。ちなみに毎月第1火曜日のお昼から開催されることになっているのだが、4月は参加人数が少ないことが影響してか、前日になって中止の案内が届いた。そして、その案内と共に、5月は変則日程で2週目に行う、とされた。

オールボー大学では「International Staff Office(ISO)」という部署がある。2015年度の数字だが、学生数25,656人のうち3,129人が100ヶ国以上からの国際学生という大学で、約2000人の教員のうち25%が諸外国からやってきているという。ちなみに職員数(技術スタッフ含む)は1,447人とのことで、その中の国際比率は示されなかった。ともあれ、私のような客員研究員の受け入れにあたっても、ISOが一元管理して滞在等を支えていただけるのは有り難い。

ISOによるウェルカムミーティングでは、ISOのスタッフに加え、デンマークの労働省が所管する「WORKINDENMARK」という機関のスタッフも参加し、デンマークでの仕事と暮らしに関わる基本的な情報(入国手続き、税制、労働政策、保険制度、情報通信環境、電子政府の推進、銀行、保険制度、居住文化、運転免許制度など)、オールボー大学の基礎(歴史、統治機構、中期ビジョン、福利厚生など)、デンマークの文化・慣習(語学習得の支援制度、地理情報、国民の特性、余暇、参考URLなど)について説明がなされた。既に驚かなくなってきたが、今回もまた、最初は自己紹介に始まり、途中で意見交換を行うグループワークの時間が用意されていた。開始の30分前にはサンドウィッチを食べながらの懇親の時間が設けられ、こちらにも参加させていただいた。今回は日本の他に、パキスタン、ギリシャ、中国、ドイツ、スペインからのスタッフが参加し、15時半までの予定だったが、熱心な参加者が個別具体的な質問を多数投げかけたことで、16時を回っての終了となった。

ちなみに、今回のミーティングで、オールボー大学では2016年度から2021年度までは「KNOWLEDGE FOR THE WORLD」(世界に知を拓く)を中期ビジョンとして掲げていることを確認した。ちなみに2005年度から2014年度までは「BREAKING NEW GROUND」(新たな地平を開く)とされていた。立命館では2011年度から2020年度までが「Creating a Future, Beyond Borders」を掲げていることを思うと、何となく同種の理念が通底しているように思う。余談かもしれないが、加算名詞として未来を掲げ、複数の境界を越えていくことを呼びかけている立命館と、不可算名詞を掲げているオールボー大学の違いを比較して、そうして細かい英語表現にも深い関心が向いてきていることに、ちょっとだけ越境人になってきているかもしれないと、内省を重ねるのであった。



2017年5月8日月曜日

マインドセットを変えてdo-erに

ご縁とはありがたいもので、先週金曜日ノーフュンスホイスコーレにお邪魔した方々と、Ghel Architects(2000年)にお伺いすることとなった。Studio-Lの皆さんが「市民のためのまち」づくりを進めてきたヤン・ゲールさんのオフィスを尋ねるのは、ある意味、自然なことである。互いに建築設計の事務所として開設しながら、まちがよりよくなっていくプロセスを重視して各種の仕掛けに取り組んでいるためである。そして、私もまた、今は社会心理学が専門だが、学部と修士は都市計画を専攻していた上、実践的な観点からも高い関心があり、始発のバスに乗り、列車でコペンハーゲンに向かうあいだ、にわか勉強を重ねて、オフィスを訪ねた。

御年80歳のヤン・ゲールさんは既に直接プロジェクトは担当せず、1週間に1〜2度ほど所員へのアドバイスを行っているとのことで、今回の訪問ではクリエイティブ・ディレクターのDavid Simさんに対応いただいた。はじめに、山崎亮さんからStudio-Lの取り組みが紹介されると、「いやいや、仕事の哲学に共通するところがあり興味深い」(same philosophy with life first, then place and space; focus to life style, climate, culture building and last design)とコメントした上で、ゲール事務所のこれまでを説明くださった。既にゲールさんの著作は日本語でも刊行されているので、その功績は多方面で知られているが、キーワードとしてはPublic Life(公共生活、と訳すのでは伝わらない部分があろう)、公共空間、ヒューマンスケール、12の質的基準、などが挙げられる。それらを体現するものとして、数値化への調査(survey)→観察(observation)→対話(workshop)→戦略づくり(vison)という、プロセスのもとでのアーバンデザインがあり、既に250のまちでなされてきたという。

かつてSimさんはスウェーデンの大学で建築学を教える仕事に就いていたというが、学生時代にゲールさんの講義を受け、以来30年にわたってゲールさんの仕事に携わってきたという。台湾のメンバーが台風災害の後にコミュニティ・デザインに取り組むことになったことなどにも配慮をいただいて、コペンハーゲンの市内で洪水時を想定しつつグリーンベルトに整備された公共空間(Sønder Boulevard)や、ご自身も2011年の地震後に100日間滞在して100,600のアイデアを紡ぎ上げたニュージーランドのクライストチャーチでのプロジェクトにも触れられた。また、ヨーロッパはアジアの文化から多くを学ぶことができる、と、レストランのあり方(厨房が開かれていることで、調理人と食べる人の距離が近いことから観察が容易なために、調理人の学びや誇りが生まれやすい、そうしたよいコミュニケーション空間である)を例に、慶應義塾大学とのプロジェクト(Measuring the non-Measurable)や、UR(都市再生機構)への協力内容(2016年の神田でのプレイスメイキング社会実験)なども紹介された。一方で、ブラジルの貧困の地域で地下鉄の排気口周辺の遊休地をウッドデッキするなど、都心における多様な人々のコミュニティづくりには多くの経験を持ってきているが、人口減少社会におけるStudio-Lの地方創生関係(depopulation)の事例は興味深い、と関心が示された。

そして山崎さんから、「ゲールオフィスはハードからのアプローチが中心で、住民の組織化など、直接的なソフト事業を展開しないのか」と問いかけがなされた。これに対し、Simさんは、既に3拠点(コペンハーゲン、サンフランシスコ、ニューヨーク)でインターンを含めて50人を越えるスタッフを擁しているものの建築家ばかりではなく、マスタープランづくりなどではハードから入るものの、自治体などの構造改革を伴うものやキャパシティビルディングなどの際にはノウハウを伝えてソフト面から組織文化を変えていく、と回答がなされた。スタッフのランチルームでオープンサンドをいただいたことも含め、約3時間の対話のあいだ、「ヨーロッパの窓が縦長なのは、近景(人)・中景(木々)・遠景(空)が見えるから」、「雑居ビル(complex building)ほど自然(オーガニック)だ」や「慶應義塾大学とのプロジェクトでは、働きがい、学びがい、多様性の3つを幸福度の指標とした」、「都市は情報を持っている、だから私たちも情報を持つ」、「公共交通システムが整っている東京に可能性が見出せるのは、車では公共空間が生まれにくいが、公共交通を使えば生まれるから」、「cozy(居心地のいい) spaceは些細な行為から生まれる」、「デンマークでは、器が大きく飲むのに時間がかかることにちなんで、生後6ヶ月くらいになると父親がこどもをまちに連れ出すLatte papaという習慣がある」、「例えば安全という共通の目標があれば、警察など公共機関とプロジェクトを組みやすい」、「ハードとソフトは必ずつながるのだから、建設や建築の計画で全てのコストをハードに費やすのは失敗の典型」、「スイミングプールと国際会議場の両方の整備が同時に議論される意味を住民の皆さんに理解してもらえるようにすることが大事」など、多々、印象的なことばがノートに記されることになった。ちなみにゲールオフィスの後には、コペンハーゲンの都市公園「スーパーキーレン(superkilen)」を手がけたアーティスト集団「SUPERFLEX」のオフィスにもお邪魔したのだが、今日1日、まさかの日本語と英語の通訳補助を担った自分を少しだけねぎらいつつ、Simさんに頂いた「する人(do-er)」という言葉(文脈としては、自治体は任される側から促す側になれ(Municipal goernment moving from "do-er" to facilitator)というお話しで紹介されたもの)をかみしめ、オールボーへと戻ったのであった。




2017年5月7日日曜日

ホームパーティーに住み開きを思う

2009年度まで、應典院寺町倶楽部では築港ARC(アートリソースセンター)プロジェクトを展開していた。2006年の募集時は財団法人大阪都市協会による事業であったが、大阪市の機構改革により、2007年度からは同じく大阪市が所管する財団法人である大阪城ホールによる文化事業として位置づけられた。それまで、赤レンガ倉庫群を擁する築港エリアは2000年からレクチャー・展覧会・実験的な音楽プログラムなどによる大阪アーツアポリア事業が展開されていたが、大阪市役所の調整によって、新たな展開がなされることになった。それが2006年度からの「芸術系NPO支援・育成事業」であり、築港ARCもまた、かつての大阪市港湾局の庁舎「piaNPO」の2階を拠点に3年あまりの活動を展開した。

そして、築港ARCのチーフディレクター、アサダワタルくんが取りまとめ、2009年のアサヒ・アート・フェスティバルに参加したプログラムが「住み開きアートプロジェクト」である。住み開きという言葉に聴きなじみがない人も多いかもしれないが、特設ブログに公開された上掲のプロジェクトの報告書(ただし、2017年5月7日時点ではリンク切れ)の副題にもあるとおり、「自分だけの場所をみんなのためにちょっとだけひらく」ことだ。詳しくは、2012年1月には筑摩書房からアサダくんの単著として『住み開き:家から始めるコミュニティ』が刊行され、あわせてWikipediaにも「住み開き」の項目があるので、そちらを参照されたい。筑摩書房のサイトの表紙画像には帯のないものが用いられているが、緑色の帯に記された「家をちょっと開けば、他人とどんどん繋がれる。」が書籍情報の横に掲載されているので、その概念を理解する手助けとなろう。

2009年の住み開きアートプロジェクトでは、多彩な現場に足を運び、記録係を務めさせていただいたのだが、印象的な場の一つに、「ホームパーティー」の形式を借りて8月30日に行われたシンポジウムがある。前掲の特設ブログにもレポートが綴られているが、当日、話題提供をいただいた美術家の岩淵拓郎さんの発表スライドがご自身によりYouTubeで公開されている。岩淵さんのお話しで印象的だったのは、「御呼ばれ」と「パーティー」のあいだに開きがある、という点だった。前者は「もてなす/もてなされる」側に一線が引かれホストがゲストに飲食を振る舞うというもの、後者は両者の立場に分かれすぎずに飲食より会話が中心となる、と整理された。

今日はご近所のお宅でのホームパーティーにお邪魔した。先程の整理で言えば家に「御呼ばれ」なのだが、料理と飲み物を持ち寄ったという意味では先方のホームでの「パーティー」であった。最初はソファーで、カナッペやチーズとフルーツを、そしてテーブルに移ってワインなどと共にサラダやチキンやグラタンをいただきながら、会話を楽しんだ。気づけば5時間が経っていた。最早8年も前になる「住み開き」の一コマを、アウェイの地で、近くのお宅にお招きをいただいて想い起こす、なんとも意味深い1日となった。


2017年5月6日土曜日

155

155とは、今、オールボー市に住む人々の国・地域の総数という。もちろん、住民登録されずに住んでいる方もいるだろう。したがって、もっと多いのかもしれない。国際連合の総会は毎年9月に開催されるため、2016年9月時点でのメンバーが最新のメンバーとなるのだが、現在、193か国が加盟されていることと比較してみれば、相当の国・地域の方がオールボーに暮らしていることになる。

今日はオールボー市などが協力する「Pride of Cultures 2017」というイベントに参加した。1時間のパレードの後、街中の「Gabels Torv」という広場にて「多文化村(Multi-Cultural Village)」と名付けられた交流の場が設けられていた。12時が集合時間だとして急いで会場に向かったものの、12時30分までが集合の時間とされていた。「○時集合」などではないということもまた、多文化の集うイベントとしては重要だと再認識した。

今回、「自らの文化を誇る何かを身につけて」(display the symbols that represent your culture)参加するよう呼びかけられていた。ささやかに、甚平と手ぬぐいで身をまとうことにした。転じて、他の参加者に目を向ければ、「ああ、なるほど!」と、服装からそれぞれの文化の香りが漂っていた。また7月8日にも同じ趣向による「Aalborg Pride 2017 - Wear Your Pride」というイベントがあるが、こうした場が多々あることを考えれば、何か用意をした方がいいだろうと、身の周りの持ち物を見つめ直し始めた。

改めて、他の文化に目を向けることで、自らの文化を見つめ直すことにもなると気づく1日となった。前日のノーフュンスホイスコーレのお話を想い起こすことにもなった。改めて、4月、オールボー空港にて掲げられていた「Europe's Happiest City」の看板の意味を実感できた気もしている。そして、今日からは、パレードに参加するにあたって頂いた「Europe's Safest City」の手持ちバナーが、部屋に掲げられることになった。


2017年5月5日金曜日

学びの再定義

「世界に対して無関心な自分に気づく」これが多様性の中に身を置くことの意義だという。語ったのは、ノーフュンス・ホイスコーレ(Nordfyns Højskole)のMomoyo T. Jørgensen(百代立枝ヨーゲンセン)さんである。同校には2016年7月に、設立者の千葉忠夫さんを尋ねて以来、2回目の訪問となるが、今回は日本からStudio-Lの皆さん(山崎さん・西上さん)と、台湾の台東県が設立したデザインセンターの関係者(郭さん、羅さん、通訳の戴さん)と共にお邪魔した。既に千葉さんは定年退職されており、今回はMomoyoさんに加え、2016年の7月からこの学校で働き始めたYuki Yamamoto(山本勇輝)さんにも対応をいただいた。

フォルケホイスコーレとは、詩人、哲学者、思想家、民主主義の指導者など複数の顔を持つニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィ(Nikolaj Frederik Severin Grundtvig)による理想と、クリステン・コル(Christen Kold)の実践によりデンマークの政治・文化と絡み合って位置づけられた成人教育機関である。Momoyoさんの説明によれば、牧師の子に生まれたグルントヴィは、自らが経験した教育、すなわち王族や宗教者の子どもたちが対象となったラテン語を礎とした教育を問い直し、そうした「スパルタで暗記による教育」(これを「薬罐(やかん)」的教育と呼ぶそうである)として情報提供のみを行うのではなく、それらを応用して知識にすることが大事と訴えた。そして、1844年、国民のために経験の交流を行う場として、「生きていることば」が大事にされる学校として、農民たちに農具の使い方、栄養や土についての知識、売り方、算数などを教え、学びへのモチベーションは文明開化(enlightenment)にあると訴え、学ぶ意味とはマニュアル化した生活を変え、自分の人生の可能性を広げることとした。ただ、最盛期である1900年ごろには274校を数えたフォルケホイスコーレだが、政権交代(社会民主党から自由党へ)の影響などを受けた(例えば、青年が労働市場に早く出ることが求められた)ことにより、2017年時点では64校(ノルウェーとフィンランドにある1校ずつを含む)となり、現在、全国組織FFD(FolkeHhøjskolernes Forening i Denmark)により、各学校の連帯が深まっているという。

デンマークの税率が高いことは良く知られているが、それは決して社会サービスを無償で受けるためのものではなく、政府への信頼のもとでの納税を通して国に社会サービスが委託され、結果として税金が還元される構図にあるのだと、Momoyoさんは説く。ここでは便宜上、学費の直接負担がないという意味で無償という表現を用いるが、教育費が無償とされるデンマークにおいて、1892年に制定されたホイスコーレ法(Højskolelov)により、フォルケホイスコーレでは学校によって学費が徴収できるという特徴がある。その上で、(1)18歳以上に、(2)専門学校とは異なる学校としてカリキュラムを構築し、(3)資格付与や成績評価を行わない、という3つの条件が満たされることによって補助金が拠出されるという(所管はKirkeministeriet/Ministry of Culture/文化省で、カリキュラムには監査が入る)。中でも、ノーフュンス・ホイスコーレの特徴は「Diversity」にあり、冒頭に紹介したような学びと成長の機会を創出しているとのことである。

デンマークの民主主義と教育との関係を捉える上では、各々に専門を持つ教員と共に社会的、教育的、援助的な支援をする「ペタゴー(petago)」の存在と機能に着目することが欠かせない。実際、E.メーリン, R.B.オールセン『デンマーク発・痴呆介護ハンドブック』(ミネルヴァ書房、2003年)の翻訳者でもあるMomoyoさんは、介護士と認知症コーディネーターの資格を取得した他、教育指導に関する学びも重ねたことにより、専門科目の教員に加えてペタゴーの役割も担うことができる。今回、台湾の皆さんが同行されたのは、2016年の台風災害により、限りある地域資源をどう活かしていくかを日常から考えるために県がコミュニティデザインセンターを設置したことが背景にあるとのことであるが、スタッフの方の言葉によれば「裏庭」の問題に目を向けることが大切であると言い、今回の訪問で「学びの再定義ができた」と感想を述べられた。転じて、Yukiさんは「フォルケホイスコーレ」と「日本人留学希望者」を結ぶInternational Folk high school Administration Service(IFAS)の活動もされており、今回の出会いとつながりが、国を越えてどんな展開がもたされていくのか、楽しみである。




2017年5月4日木曜日

PBLの現在と未来を教わり学ぶ日

今日は朝からオールボー大学で年に1回開かれている「Teaching Day」に出かけた。さしずめ、全学でのFD(教授能力開発)の取り組みなのだろう。昨年のテーマはICTの進展などにかかわって「未来の学生にどう備えるか」(Preparing students for the future)だったが、今年は「オールボー大学でのPBL:これまでの実践と将来の展望」(PBL at AAU – Current Practices, future directions)であった。なんと、幸運なことだろうか。

基調講演は英国、ウスター大学(University of Worcester)のマギー・サヴァン-ベイデン(Maggi Savin-Baden)先生による「PBLを導入するということ:21世紀に適した学びの星座を手がかりに」(Using Problem-Based Learning: New Constellations for the 21st Century)であった。1996年にPBLで博士論文を執筆した際には、数えるほど(2〜3と仰っていたと思われる)が、今日は会場も満場で、人々の関心の高さはここからも明らかだ、と、ご自身にまつわる「つかみ」を枕に、(1)バーチャルな空間での学びと現場での学びをどうつなぐか、(2)参加型学習の方法論にはどういうものがあるのか、(3)学際的なプロジェクトの敷居(threshold)は何か、の3点について、1時間で語られた。サヴァン-ベイデン先生の研究は、昨日のAnette先生のセミナーでも触れられていたが、その際には示されていなかったものとして、「星座」を比喩にPBLの形態を9つに整理したものが興味深かった。最後は「教員もまた、誰かかから教わるのではなく、あえて知ろうとすること」(daring)つまり、「一人ひとりが考えていくことが大切」と締められた。

基調講演の後は、休憩を挟みつつも、そのまま全体会としてオールボー大学のPBLアカデミーによる取り組みの紹介、そして1時間の分科会、ランチ、そして1時間半の分科会と続いた。全体会でのPBLアカデミーからの発表は、大学の中期戦略(2016年から2021年)に基づき、(1)多文化共修におけるPBL、(2)初年次教育におけるPBL、(3)セメスター単位でのPBLの推進、それらについて示された。午前は4つ、午後は3つの分科会が設定されていたが、私は、午前中には「PBLと共にある学生の能力開発」(Developing Student Competencies with PBL)、午後には「PBLと社会参加型学問」(Connecting PBL and Engaged Scholarship)に参加した。午前中にはBloom's Taxonomy(学びの階層構造:クリエイティブコモンズとして権利処理されている画像を使用)とDreyfusらによる精神的機能からみた学びの5段階モデル(A Five-Stage Model of the Mental Activities Involved in Directed Skill Acquisition) を、午後にはAndrew H. Van de Venが2007年に示した事例研究と実践にまつわる「ダイヤモンドモデル(diamond model)」が紹介され、意見交換が行われた。

昨日と今日と、連続してセミナーに参加しているが、どんな場面でも「発言」が求められる。基調講演でも「さて、どんな未来が待っているの?近くの人と語りあってみて!」と言った瞬間に、ドゥワーっと、会場に声がこだました。基調講演ではJay Shettyによる「自分から世界を変えていこう」(Changing the world starts with you)の動画なども用いられたが、とにかく、自分の意見を他人と共に交わしていくことが当然のこととされる文化が根ざしている。おなじ「かわす」でも、グループワークなどから身を躱すことに慣れているような日本の学生たちに果たしてどう向き合っていくか、課題は大きい。



2017年5月3日水曜日

基礎が問われる

今日はスケジュール満載の一日だった。とはいえ、1つの用事と、2つのセミナーがあるだけ、である。日本にいたときに比べれば、それほど慌ただしい一日ではない。何より、デンマークと日本では時間の流れ方が違う、と言ってよく、それぞれの場所を渡り歩く上で、気持ちが軽い。

朝は街場へと出かけた。5日が締め日の家賃の振り込みに、である。もろもろ調べた結果、オールボーでデンマーククローナを手に入れるには、日本のクレジットカードでのキャッシングが最適であると判断し、先に依頼していた海外使用時の限度額の引き上げ完了通知が届いたためであった。こちらは通常3営業日以内という期日のうちに届いたものの、4月初旬に口座開設を申し込んだ銀行からの通知は未だ届かない。

街場からは直接、昨日、予習をしていたセミナーの出席のため、オールボー大学の図書館に向かった。出席したのは、大学の「Learning Lab」が主催するPBLの連続セミナー(2回目、1回目は一時帰国中のため不参加)で、Anette Kolmos教授による「PBL in Engineering Science」(工学教育におけるプロジェクト学習)というテーマであった。基本的な内容は、既にケンブリッジ大学から出版されている『Cambridge Handbook of Engineering Education Research』の第8章「Problem-Based and Project-Based Learning in Engineering Education」(ちなみに、この内容はPBLの歴史を概括しつつ、国際的なネットワーク等についても言及された秀逸な論考で、ぜひ、日本語で訳出したいと、本日申し出た)に沿ったものであった。セミナーの後半は参加者(20名弱)によるグループワーク(4グループ)に分かれ、同書でも紹介されているPBLにおけるカリキュラムの7要素のうち、教職員の関わり方(恐らく、ユネスコチェアのプログラムに採択され、事例を中心とするPBLを推進するオールボー大学としては、教職員はファシリテーターとして関わるべし、という前提があるためと思われる)を除いて、6つの要素((1)プロジェクト形態[内容重視か方法論重視か知識重視か学際的な展開重視か]、(2)プロジェクトのスタイル[大学寄りか現場寄りか]と問題の大きさ[狭いか広いか]、(3)学生の構え[教員主導か学生主導か]、(4)学びの場のあり方[グループ用の部屋の有無、オンラインシステムの組み上げ方]、(5)評価方法[個人重視かグループ重視か]、(6)最終目的[知識の獲得か、理論の構築か])から、それぞれに思う理想的なPBLのスタイルを語り合う、というものとなった。

図書館でのセミナーは時間どおりに終了し、続いて向かったのは、先週も参加した心理・コミュニケーション学部の文化心理学研究センターによるKitchen Seminarであった。今日のテーマは「自らの可能性を広げる教育としてのインターンシップ」だった。先週は金継ぎという日本の文化の側面から発言して貢献させていただいたが、今回は実践的・理論的、両面から、多少の貢献が出来た気がする。実際、その際に紹介したいくつかの議論について、後からメーリングリストで文献を紹介することとなり、今後も続くお仲間としての関係性が深められているように思う。








2017年5月2日火曜日

ことばのひびき

日本語では比喩やレトリックを難なく使えるが、英語環境では易々とはいかない。もちろん、言語が変わったとしても、議論の対象について表現をずらしながら概念に迫っていくという、論理的な展開の構造は変わらない。しかし、圧倒的に語彙数が足りない。そして定型句や慣用句を知らないために、言葉のリズムを創り出せないのである。

出国前からデンマーク語の自学を重ねてきた妻は、今日からデンマーク語のクラスに通い始めた。一方、私は明日の英語でのセミナーの予習を行うことした。絶対的に英語に触れる機会が増えた分、何より触れざるを得ない環境にいる分、読むことへの意欲と、読み終える時間は短くなっている気がする。しかし、たとえ専門分野の文献であったとしても、母語のように読みこなすことはできず、語ることも、ましてや綴ることなど、もどかしさを抱かざるを得ない状況にある。

自宅で英語に触れる中、日曜日に訪れたコペンハーゲンでの「Sakura Festival」のバザーで入手した『コペンハーゲンの街角から』にも目を向けた。著者は東京・猿楽町にあるデンマーク大使館にて上席政治経済担当官をされている寺田和弘さんである。出版は2003年で、1999年から2年間、日本商工会議所からデンマークの日本大使館に専門調査員として勤務されたあいだの経験を書籍にまとめられたものだ。寺田さんとは2016年の「ことしもまた、新たなえにしを結ぶ会」大熊由紀子さんが縁結び役の会)でご縁をいただいているのだが、今となってはブログなどで気軽に体験を言葉にすることができるものの、こうして文字にまとめあげる丁寧さに敬服し、拝読した。

書籍の中で、寺田さんもまた、デンマーク語が話せない中で渡航(デンマークは丁抹と記すため、渡丁とでも言うのだろうか…)されたとあった。「小国」と安易に括ってしまうことへの躊躇なども記されていたものの、「小国であるがゆえに、デンマーク人にとって外国語、とりわけ事実上世界の共通言語となっている英語の習得はグローバル化した現代社会において生きのびるために必要不可欠となっている」(P.77)と示されている。逆に、寺田さんの見立てとして、デンマーク語が外国人に難しい理由として「発音が難しい」(P.73)、「コペンハーゲンではデンマーク語を話さなくても生活できる」(P.74)、「外国人のデンマーク語学習人口が少なく、そのため外国人への語学教授法がいまひとつ確立していない、少なくともデンマーク語の語学教材や学校があまりない」(P.75)の3点を挙げている。はてさて、そんなデンマークのオールボーというまちで、デンマーク語を学び始めた妻と、必死に英語と格闘している私、帰国時にどうなるのやら、あにはからんやの展開はありうるのだろうか。




2017年5月1日月曜日

一日一歩

以前、應典院に身を置いていた頃、コモンズフェスタの実行委員に参加いただいた陸奥賢さんに「それだけ多くの現場があって、よくやりくりできていますね」と訊ねたことがある。かくいう私もまた、複数の所属があり、複数のプロジェクトが同時に進行しているのが日常である。そんな私から見ても、多彩な活動に取り組んでいる陸奥さんに伺ってみたのだ。すると、意外なことばが帰ってきた。

「一日一つしか、予定をいれないようにしているんです。」目から鱗が落ちるとはこういうときに使う言葉なのか、と感じた。訊ねたのは2012年か2013年だったように思うのだが、その後、活動の幅が広がった陸奥さんに「今でも一日一つですか?」と訊ねたことがある。すると「いや、もうさすがに…」と返ってきて、「やっぱり」と「あらら」の思いが入り交じった。

デンマークに来て、余裕のある暮らしを送らせていただいている中、「一日一つは何かを仕上げる」ようにしている。それに加えて、この日記など、毎日続けることがきちんと続くように努めている。ちなみに、その一つが、この数日は欠かさずできている「アイソメトリクス(isometrics)」のエクセサイズである。あまりにゆるんだ、たるんだ身体をなんとかしたい、と思って、こちらに来てから始めたことだ。

そうした中、今日は、デンマークの滞在のため出席できない場でのあいさつ原稿を作成した。5月11日までには、という指示を受けていたが、早々に着手し、仕上げることができた。そんな余裕からか、昼食を自ら進んで準備することにした。もっとも、それは妻が現地の方からお声掛けをいただいたことで外出となり、その不可抗力のようなものとも言えないわけではないのであるが、自分のことは自分でやる、そうした自活のリズムを取り戻していくことも、この滞在期間中の、締切のない課題の一つである。