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2017年5月13日土曜日

出汁文化と取次の存在と機能

終日、自宅で過ごす中、お昼に先般、Studio-Lの西上さんからいただいた柚子七味を使うことにした。妻が蕎麦を茹でてくれたためである。3月末の出発前に調達した生麺ということもあって、そろそろ食べねば、という頃合いでもあった。ちなみに、パッケージに示された日付よりも、保管していた環境への想像力や、直前の視覚や嗅覚による判断を重視するタイプである。

蕎麦好きな私だが、デンマークの硬水との相性が悪いのか、どうも、汁に味が乗らない。それもあって、柚子七味が大活躍となった。加えて、丼鉢を持ってこなかったこともあり、シリアルやパスタを食べる白い深皿で日本蕎麦をいただくということにも、ささやかな苦労が伴った。それでも、日本風に、ずるずると音を立てさせていただき、久しぶりの食感と味わいを楽しむことにした。

日本は出汁の文化だが、欧米ではスパイスの文化と整理するのは短絡的だろうか。果たして、出汁が出ないのは果たして硬水のせいないのか、フォンドヴォーは出汁文化と言えるのではないか、ブイヨンは出汁パックと違うのか、など、問いは多々広がっていく。一方で、日本から携えてきた新潟県小千谷市・塩谷集落の天然乾燥米は、こちらの水で炊いたとしても、いつもの味わいとは異なった。無論、デンマークで入手したお米と食べ比べれば、その食感も味わいにも大きな差があるのだが、水道水を飲用できることの有り難さを差し置いたとしても、水の特性が気になるところである。

そうしてデンマークの暮らしも1ヶ月あまりが経ち、徐々にデンマーク文化に浸っていく中で、日本のニュースに触れる際に、「そりゃ、そうだよね」と冷めた目で見ることも増えた。例えば、先般報道された、日本のAmazonが書籍の販売にあたって取次(具体的には日販)を通さず出版社と直接契約するという話などだ。こうした類いの話は、京都で暮らし、働く中で、和装に携わる皆さんとインドネシアの震災復興の関係で「てこらぼ」というプロジェクトに関わらせていただく中、中間に経つ人は相当の目利きでないと、作り手も使い手にも頼られない、ということを実感してきた。今日は終日、水曜日のセミナーの復習をしていたのだが、出汁文化や取次店の存在と機能から、教える側(教員)と学ぶ側(学生)のダイナミックな関係を取り結ぶ多様な担い手の関わりが改めて大事だ、ということもまた深める一日となった。


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