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2017年7月31日月曜日

デンマークではJamaに

日本人がデンマーク語を発音しにくいように、デンマーク人が日本語を発音しにくそうにしている場面に何度か触れている。私の名前も例外ではない。Hironoriでも、Hiroでも、なかなか言いにくいようだ。オールボー大学の皆さんは、仲間であるからとして頑張って発音いただけているようだが、ちょっとしたお店などでは大抵間違って聞き取られるため、間違った聞き取られ方を予測して自分のことだと判断した上で行動する、ということがある。

そこで最近、お店で「お名前は?」と訪ねられたときには「ヤマ」と応えるようにした。もちろん、名前ではなく名字である。しかも、名字の一部である。この作戦はなかなか功を奏しており、今日で2回目となるが、なかなか感触がよい。

なぜこの作戦が奏功したか、それは今日、商品と共にいただいたレシートに「Jama」と記されていたのを見たことで明らかとなった。少なくともデンマークでは「J」で始まる言葉は「ヤ」で発音されるのである。そこで「ヤマ」は「Yama」ではなく「Jama」となって聞き取られる上、発音もまた明朗に「Jama(日本語で表記すればヤマ)」と発話される。恐らく、デンマーク以外でもこれでいける気がするので、また試していくこととしたい。

ちなみにこの方法を思いついたのは、ノーフュンス・ホイスコーレを立ち上げた千葉忠夫先生が、軒並みファーストネームだけが並んでいる学校のスタッフリストの中で、ご自身の名前を「Chiba」と掲げておられたことによる。昨年の7月にお邪魔した際「なぜ、千葉さんはTadaoと記されないんですか?」と尋ねたところ、「デンマーク人は言いにくいんだよ」と即答されたのだ。呼びにくい名前で呼ばれるより、気軽に呼んでもらえる方がよい、そのための工夫であった。日本語では「邪魔」となってしまうが、これからデンマークでは「Jama」で通していくことにしよう。


2017年7月30日日曜日

アウトプットとインプット

7時間の時差のある日本とのあいだで、今日はデンマーク時間でお昼前から会議に参加した。現地時間では18時半の開会、20時までの予定であった。同志社大学大学院総合政策科学研究科による複数担当者による授業「コミュニティ・デザイン論」の運営のための研究会で、秋からの効果的な進行のために、コミュニティ・デザインに関する動向や、実践を論考するにあたっての理論的観点を深めていく機会である。私はどちらかというと若手ということもあって、例えば今年から京都美術工芸大学で教鞭を執っておられる高田光雄先生が、学生当時に精読されたというジョン・ターナーの著作などに触れて議論を深めるなどされ、こうした研究会の場で碩学の皆さんから改めての学びを得ると共に、自らの思考の浅さを自覚する機会となっている。

この授業は大阪ガス株式会社エネルギー・文化研究所と同志社大学との協定のもとで実施されている。その内容については、2006年から学部向けに設置された際の内容は創元社から『地域を活かすつながりのデザイン』に、2010年度からは大学院向けの授業として展開された内容は2014年度の講義録が『「コミュニティ・デザイン論研究」読本』としてまとめられた。今日は昨年度の展開を踏まえ、コミュニティ・デザインの定義、基本方向、立脚点、主体と基本態度、方法と技術、そして現代日本社会におけるコミュニティ・デザインの意義などについて意見交換がなされた。私からは政治への関わりについて問題提起を行ったが、現象の話を扱う中では市場メカニズムが公共領域にどう影響しているのかといったことにも触れられるべし、という観点が出され、総合政策科学研究科の講義としてまかなわれるべき視点を改めて得た気がしている。

ちなみに研究会の前には、東京の高校生から投げかけられた問いに改めて返答を重ねた。昨日のうちに、一昨日のメッセージへの返答が届いていたためである。そこでは、「行政とNPOやメセナなど様々な団体が一丸と」なって取り組みを行う可能性・妥当性はあるか、指定管理者制度「芸術文化を活性化させるため」の策として効果的か、「アーツマネージャー」の具体的な動きはどのようなものか、が問われた。1点目には国民文化祭と各地で取り組まれているアートプロジェクトの対比を、2点目には2010年1月にまとめられた大阪市の新美術館構想(現在は撤回され、再検討された)を引き合いに経済合理性と政策評価の関係について、3点目には2008年2月に文化庁の文化審議会文化政策部会がまとめた「アートマネジメント人材等の育成及び活用について」という文書を紹介し、私なりの視点で返してみた。

こうしてアウトプットが続いた一日となったため、夕方からはインプットの時間とした。日本から持ってきた書物を読み、これまで手がつけられていなかった研究に対する取り扱い方を深めることができた。ちなみに天気も不安定で、夕方には横殴りの雨が窓に打ち付けてきた。そうした中、17時を過ぎると、日曜日好例のアイスクリーム屋さんがやってきたので、「素敵な天気」を話題にしつつ、バニラアイスを近々胃袋へとインプットすべく、買わせていただいた。


2017年7月29日土曜日

お呼ばれの日

今日はHjørringのまちに足を伸ばした。にしても、デンマーク語の発音は難しい。カタカナ表記ではイエリングとなるのだが、おそらく「いえりんぐ!」と言っても、伝わらない可能性が高い。実際、オールボーから列車で40分ほど北に向かっていったのの、到着駅のアナウンスでは、まちの名前を知っていたからわかったものの、デンマーク語に慣れていない人にとっては、耳だけではピンと来ない人も多いのではなかろうか。

このまちに、4月のお花見会で出会った日本人のご家族がお住まいである。お花見会では女子会の開催が約束されたこと、またお花見会の直後に私が一時帰国したこともあって、その後は妻が何かとお世話になってきた。ここでもFacebookが効果的に使われていたようだった。そして、お花見会の後、私が一時帰国しているあいだに、Hjørringでのホームパーティーが開催されたのであった。

オールボーから北に行ったのは初めてだった。あいにく、家から駅までは雨が降っていたものの、Hjørringのまちでは傘が不要だった。メインストリートの横にあるご自宅では、落ち着いたまちの雰囲気を味わうことができた。お招きをいただいたのは私たちを含めて3組で、工夫を凝らした複数のサラダ、そして生のお魚からチキンのグリル料理まで、特にご主人の創意工夫により、腕をふるったお食事に舌鼓を打った。

お邪魔したお宅にも2人のお子さんがいらっしゃる上、お招きいただいた3組のうち1組にもお子さんがいらっしゃったので、こどもたちが共に遊ぶ様子を間近に見ることになった。そして私もまた、ささやかながら、3人のエネルギーを受けとめる役を担った。例えば、鮫のぬいぐるみを持って何度も全力で向かってきたのだが、日々、こうしたこどもたちに向き合っている方々に対して、心底敬意を表さねば、と思うほどだった。帰り際、こどもたちも含め、ご家族で駅まで見送りにきてくれたのだが、少しだけさみしそうで、そして出発した列車を追いかけて走ってくれた姿に、また会おうね、と声なき声を重ねてみた。


2017年7月28日金曜日

私は何者か

京都での朝はFM局「αステーション」による「α-MORNING KYOTO」と決まっていたが、時折、デンマークでも日本にいるかのように同番組に触れている。ラジオ番組のインターネット配信が行われるradikoというIPサイマル放送のサービスについて、プレミアム会員となり、かつタイムフリー視聴をすればいいためだ。ただし、radikoは国内限定のサービスであるため、海外からのアクセスではIPアドレスにより、エリア外と判断されてしまう。著作者や広告主への配慮により、こうした制約を持つものの、アクセス元の環境を日本からということにすれば聴取が可能となるため、VPN接続をさせていただくことで、番組を楽しませていただいている。

「α-Morining Kyoto」では佐藤弘樹さんのエスプリの効いたトークに膝を打つことが多いのだが、今日は「教師五者論」に触れられていた。数学者の秋山仁先生が唱えているとのことである。私なりにまとめるなら、知識のある学者、治療ができる医者、予想ができる易者、演出ができる訳者、技芸に秀でた芸者の五者である。今日、佐藤さんはそこに「忍者」を加えておられ、さしずめ鍛錬を積んだ忍者、といった具合だろうか。

そうした中、今日、東京に住む高校3年生からFacebookのメッセンジャーで質問が届いた。「日本の文化芸術活動が盛んでないということ」について、「5分ほどでもよろしいのでお時間をいただくことはできないでしょうか?」との投げかけだった。本名と共に、携帯電話と電子メールのアドレスも記されていたが、今、デンマークに居ることを伝えて、「もし、話ではなく、問いがあれば、それにお答えすることはできますし、Facebookメッセンジャーの通話でもよければ、それでも対応できます」と返すと、いくつか問いが投げかけられてきた。それによると、 恐らくネットTAMで連載させていただいたアーツカウンシルに関する記事を読んでもらえたようで、将来、芸術文化に関するコーディネーターになりたいという意欲を持っているとのことであった。

私からはまず、文化庁による2020年の東京オリンピック・パラリンピックに対する文化プログラムの基本構想についてどう捉えているのかを逆に問いかけてみた。そして、英国のアーツカウンシルの初代会長であるケインズさんの業績などに触れつつ、経済原理における使用価値と交換価値についての説明をした。その上で、鑑賞者教育を通じて芸術文化へのリテラシーを高めていくことが大切だろう、と示してみた。ご近所の家の玄関に添えられた花の名前もわからない無学な者だが、このやりとり、まだまだ続きそうであり、加えて今後、どのようなコーディネーターやマネージャーとなっていくのか、期待が高まる。


2017年7月27日木曜日

何となく

オールボーのまちに最初に降り立ったのは昨年の7月26日だった。雨こそは降られなかったものの、澄み渡る青空だったという印象は残らなかった。オールボーの後はオーデンセに向かい、ボーゲンセにあるノーフュンス・ホイスコーレ(この6月19日に皇太子殿下が訪問された際には「北フュン国民高等学校」などと訳出された)にお邪魔した。そこでも夏の空という感じはせず、7月31日にコペンハーゲンから帰国の途につく際、コペンハーゲン中央駅から向かう列車の車窓から見た空だけが、山のないデンマークにあって、広々とした夏の空という記憶となった。

あれから1年、デンマークで暮らしているのが不思議である。もっとも、昨年の滞在は、デンマークで暮らすというか、学外研究として滞在するための事前訪問のために訪れたものであった。ご縁に感謝と記せば、縁とは良縁ばかりではなく悪縁もある、という観点を無視したことになってしまうかもしれない。ただ、本当にご縁に恵まれて、今の暮らしがある。

今日もまた、空は曇り、はっきりしない天気だった。このところパソコンでの分析作業が続いたため、雨の降らないうちに買いものに出かけることにした。すると、化学・生物学部の建物の上階部に、パンダのイラストが掲げられ、お腹の部分には「BEST AALBORG」と書かれていた。何らかのメッセージなのだろうが、誰が誰に何のメッセージとして示しているのかは定かではない。

買いものから帰る途中、雨に見舞われた。折りたたみ傘を持っていたので濡れることはなかったが、すれ違った何人かは頓着なく濡れ、とりたてて急ぐこともなく、どこかに向かっていった。午前中には8月にお邪魔する北海道・当別町でのミーティングのための資料をつくり、メッセージとストーリーが大事だと伝えたところだったのだが、かくいう私がメッセージとストーリーをうまく汲み上げ切れていないところもあるように思われる。ともあれ、一昨日から行っていたデータ分析の作業が一段落し、寝る前にはブログも書き上げることもでき、何となくベストな一日となった。


2017年7月26日水曜日

あるものを活かす

立命館大学サービスラーニングセンターのプログラムでお世話になっている現場の一つに京都の三大祭の一つ「時代祭」がある。それぞれの現場で学生の受入を担当いただいく方がおられるのだが、こうして地元密着型のプログラムでは、自治体での受け入れなどと異なり、定期的に交代するということがない。加えて、立命館大学が母校でいらっしゃるということもあり、私から見ても先輩であるものの、至らぬ点には温情をかけてくださっている。

その現場で、ざっくばらんな交流の機会を設けていただく折り、細やかな配慮のもと、お品書きをご用意いただいていることがあり、そこには「ないものはない」と記されるのがきまりである。アニメ「一休さん」(第118話「馬の角とたくさんのおにぎり」)のとんち問答でも取り上げられているように、「あるものはあるけど、ないものはない」という洒落なのだ。ちなみに2011年8月には、多彩なコミュニティ・デザインの実践で知られる島根県海士町が「海士町、『ないものはない』宣言!」を発表した。かつて、森進一さんが「襟裳岬」(作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎)で「何もない春」と歌ったところ、当初は抗議が、後には感謝が重ねられたというから、これもまた地域にまつわる豊かな物語の一つと言えよう。

今日は「あるもの」を求めて、総務省統計局のウェブと格闘していた。国勢調査の小地域集計のデータである。それを使うと、町内会レベルまでの人口データにより、その地域の動態をつかむことができるためである。ところが、2013年3月3日の第7回日本統計学会春季集会でも発表されている独立行政法人統計センターの製表部に所属の羽渕達志さんの資料(2012年9月「国勢調査の地域区分と地域データについて」)によれば、町丁・字等を単位として集計される小地域統計は平成7年(1995年)分から整備・公表され、平成2年分については同年分から導入された9桁の基本単位区のデータをもとに小地域統計と同じ内容を組み上げることができるようだが、総務省統計局のページではダウンロードすることができなかった。だからこそ、製表という仕事が存在するのだが、今回はひとまず1995年以降のデータで比較し、分析することにした。

 長く水俣市役所に勤め、水俣病資料館の館長などを勤めた吉本哲郎さんは「ないものねだりをやめて、あるものさがし」と言って「愚痴や悪口を自分たちでどうにかしようという自治に変えていった」(「分権時代の新しい公を支える地域主体の構築」、2011年、龍谷大学、p.30)。もちろん、簡単にはいかない。今日は地域の数字を見つめる中で、改めて地域を語る物語が重要となることを確信した。もちろん、そうした語りが地域に響くよう、関わり方の姿勢もまた問われる。そんなことを考える中、外から聞こえる声の方向に目を向けると、下の階の方がキイチゴの実を取っている様子で、これもまた「あるもの」を探した成果なのだろうと感じ入った。


2017年7月25日火曜日

もう2018年度に向けて

今日の午前中は、時間的な余裕があると、こういうことができるという実感がふつふつと沸いた。朝、電子メールを開くと、2018年度の授業開講に関わる案内が届いていたのだが、その書類をえいや、と整えることができたのである。ちょうど、別々に抱えていた2つの件を統合し、三位一体の計画として仕上げることができた。しかもそれまでに1つ、7月30日に予定されている研究会向けの資料作成を終えた上でのことであった。

日本でもタイムカードがある生活をしていたわけではない。動き方はある程度、自分の裁量で決めることができた。ところが、スケジュールに白いところがあると埋めてしまいたくなる性分でもあった。そこに、何か誰かのために役に立つことができるならばという性格も相まって、マルチタスクの環境が日常のこととなっていた。

スケジュールに空白の時間というのは、決して0の時間ではない。何かを生み出すために必要な縫い代である。読み、書き、確かめ、掘り下げ、綴る、そうした動作のため(溜、為)の時間なのだ。同時に、人や物事をつないでいく糊代でもあり、自らの伸び代のためにも欠かせない時間でもある。

昨日までは予定していなかったことに手をつけ、ある程度の形に仕上げることができたので、別のことにも着手することにした。こちらもまた、締め切りがあるわけではないが、少し手をつけてみたところ、8月2日に予定されている研究会の資料になるかもしれない、という手応えがあった。2014年度に発行された冊子の内容の分析なのだが、これまでそうした分析モード、言わば研究モードになりきれていなかった自分に向き合い、一歩踏み込んでいくことにした。転じて夜には、先週いただいた日本のおみやげを少々いただいて、順調な生活と研究へのリズムを整えることにした。


2017年7月24日月曜日

長くつかえるもの

物持ちが良い方が悪い方かと問われると、曖昧な答えしか返せない。粗末にしているつもりはないが、よく、物を壊す方だと言われる。壊すのではなく壊れるのだ、などと論を張ったところで詭弁だという指摘が返ってくるだろう。それはそれで受け入れるとしても、壊したとしても直して使うものが多い。

今日もまだ、母たちのアテンドの疲れが残っており、気分転換に腕時計のメンテナンスをした。日本から持ってきてもらった荷物の中に、替えベルトも含んでもらったためである。最早、時刻を知るだけなら、パソコンやスマートフォンなどの画面を見る方が手軽な気さえする。しかし、身だしなみを整えるという点からすれば、腕時計を身につけることも一つのたしなみとして、まだ位置付いていることだろう。

保有することが大切にすることであり使用することが大事にすることである、そんな論理を振り回すこともあって、大事にできるものを選び、使っているつもりである。例えばカメラなどの機材にしても、交換する電池がなくなればガラクタ化してしまうことを恐れて、乾電池型の充電池を使うことができる機種を好んで選ぶ傾向にある。一時期はそこに「Made in Japan」に品質の追求を、「Made of Japan」に需要の拡大を求めようとしたのだが、Macユーザーということで完全に信念を貫くことは叶っていない。それよりも、良きものを長く使うことにこだわるこだわることにした。

良きもの長く使おうと決意する中で、どこまでものを減らしていくことができるかにも、徐々に取り組んでいるつもりである。さしあたって、デンマークでの1年間の暮らしを始めるにあたって持って行くものを整理したこと、そして実際に暮らしてみて何が必要なのかを精査していること、そして程なくの一時帰国において不要なものを持ち帰ろうと選別していること、それらが今後の人生への練習問題となっている。「モノからコトへ」と、消費の傾向も変わってくる中、人生の質を求める上でもまた、物欲から事欲、つまり良質の出来事を欲することが増えていくだろう。帰国後の生活の質を維持・発展させていく上で、朝日を見て、夕焼けを見る、そして日付が変わる前に暖かい布団で寝る、そうした暮らしのリズムを整えられるか、胸につかえている。


2017年7月23日日曜日

記憶と痕跡

母たちとの旅は昨日で終わり、日常へと戻りつつある。しかし、この2日間のために母たちが重ねた準備時間の熱量は相当なものだった。実際、今朝は目覚めても爽快感に浸ることができなかった。何となく、寝ているあいだにも窓の外の物音などが気になり、眠りが浅かったことも影響しているのかもしれない。

今回は妻と二人だけでの旅とは異なり、コペンハーゲンの観光地を早回りするものだった。二人だけなら、公園は公園でも住民参加型の計画のもとアーティスト等が参画して整備されたスーパーキーレンへ、博物館や美術館も有名所とはひと味違うデンマーク建築センター(Dansk Arkitektur Center)やフィン・ユール邸のあるオードロップゴー美術館(Ordrupgaard)などへと足を運ぶ。ちなみにデンマーク建築センターは、昨日の運河クルーズの際に船から仰ぎ見たが、2018年には移転が予定されている。今は1882年の近代建築に入り、2階のカフェからは運河ツアーなどの船へと目線を落とし、相互にコミュニケーションを図る楽しみがあるが、それも今年までとなるのだろう。

今日はふと、5月にStudio-Lの山崎亮さんたちとヤン・ゲールさんの事務所にお伺いして、ヒューマンスケールという観点を学んだことを想い起こした。まちなかの場づくりにおいては、人々の行動に着目することが重要だ、という視点である。日本語では身の丈に合った、という表現がある。ヒューマンスケールを身の丈と訳出しては、少し意味合いが異なるところがあるかもしれないが、あえて身の丈と置き換えてみると、まちを見つめる視点と視野がいい具合に調整できるのではなかろうか。

母たちと離れ、オールボーの自宅に戻ると、日本で調達してきてくれた品々を改めて見つめることになった。乾物などをいっぱいに詰め込んだボストンバッグの中身を広げると、テーブル一面に広がった。一昨日、オールボー空港で合流したとき、そのバッグはオールボーの家まで私が持っていくことにしたが、私でもそれなりの重さを感じた。年を重ねていく親の立ち居振る舞いからすれば一定の負担であったことは想像でき、運んできてくれた品々を改めて見つめると、年を重ねても子は子であることを思い、できる限りの親孝行を何らかの形で重ねていこうと誓いたくなった。


2017年7月22日土曜日

記念の日

コペンハーゲンで朝を迎えた。Facebookを始めた頃、誕生日の設定が「公開」となっていたこともあって、多くの「おめでとう」コメントが寄せられた。その後、非公開にしたのもあって、今では知人や友人からあたたかいメッセージが届く。ちなみに、メールのアプリを開けば、保険会社や旅行会社や航空会社など、誕生日を登録したサイトから自動応答のメールが届いていて、また一つ、年を取ったのだと自覚を促される気がする。

ということで、誕生日を迎えた今日はコペンハーゲンを母たちと観光した。どこを回るかのルートは、母が綿密に組み立てていた。まずはコペンハーゲン中央駅から市庁舎前広場へと向かたが、ちょうどチボリ公園の開園の時間と重なり、入場していく人の賑わいに触れることができた。そしてアンデルセン像を観て、26番のバスで人魚姫の像のあるランゲルニエ公園へと向かった。

ランゲルニエ公園からは徒歩でアマリエンボー宮殿に向かったが、正午からの衛兵交代を控えて大混雑にあった。その後は目の前にあるフレデリクス教会を参拝し、ニューハウンを抜けてコンゲンス・ニュートー(Kongens Nytorv)駅へと向かった。そして1駅だがノアポート(Nørreport)駅まで地下鉄に乗り、イスラエル広場のマーケットで昼食を取った。そして再びニューハウンに向かい、1時間の運河クルーズに参加した。

母たちはコペンハーゲンカードを持っていたので、公共交通機関は新たな負担がなく移動でき、施設の優待も受けられた。運河クルーズの後は66番のバスで中央駅近くのニイ・カールスベルグ・グリプトテク(Ny Carlsberg Glyptotek)美術館を訪れた。そして、チボリ公園近くのレストラン(Tivolihallen)で夕食を取った後、中央駅のホームで別れた。明日の朝、帰路につく母たちのヨーロッパの旅、果たしてどこまで貢献できたかわからないが、思い出深いものとなっていれば幸いである。


2017年7月21日金曜日

遠方より母たち来る

静岡・磐田の実家から母たちがやってきた。個人手配のヨーロッパ旅行は初めてという。当初は友人を誘ったそうだが、結果として姉と2人でやってきた。ちなみに、1月に帰省した後には値段に魅力を感じて「てるみくらぶ」のツアーで訪れることも考えたようだが、あまりに詰め込みのスケジュールをいぶかしがっていたことを思い出す。

今回、母たちはフィンランド・ヘルシンキを観光してからデンマークに足を運んできた。昨日の夜はコペンハーゲンに入り、今日の朝の便でオールボーへとやってきた。4月のうちに航空券は抑えていたが、チェックイン手続きは「自分でやる」という。デンマークでは自動チェックイン機を使うのが通例だと説明していたが、カウンターに行けばなんとかなるだろうと高をくくっていた。案の定、6ケタの予約コードを入れる必要があったのだが、それはそれは難儀したという。

ともあれ、妻と共に2人をオールボー空港で迎え、コペンハーゲンへ日帰りの観光となった。まずは空港から近いリンホルム遺跡へ向かった。そして旧Jens Bangs邸(Duus Vinkjælder)で昼食を取り、街中を散策した。そしてバスでオールボー大学へと向かい、自宅に案内した。あいにく大学は休暇中ということもあって人の気配がなかったが、異国の地での仕事や暮らしの様子は感じてもらえただろう。

昨日までは晴れていたものの、今日の午後からは傘が手放せない天気になってしまった。それでも、夕方に空港へと向かう頃には雨も上がった。今回は日本で見送る側だった父からは「最初で最後の海外旅行のアテンドを宜しく」とメッセージが届いたこともあり、妻と共にコペンハーゲンに同行し、同じホテルに泊まることにした。空港からのタクシーでは、発音の難しいデンマーク語対策のためにスマートフォンでホテル名を見せたものの行き先を間違えられ、夕食を取ったレストランでは「ムール貝」を聞き取れず、難儀をしたところもあったが、それなりのコミュニケーション力で対応したつもりである。


2017年7月20日木曜日

刈り込んだ日

朝8時前に、既に慣れてきた音が家の周りに響いた。例の芝刈り車の音である。シロツメクサが芝生を覆ってきたな、と思うようになると、決まってやってくる傾向にある。今日もまた2台で刈り込んでいったが、バカンスモードのためか、雨の予報が早まることを警戒してか、いつもより雑な作業に見受けられた。

そんな午前中には、昨日の夕方から夜にかけて行った作業の結果を共有すべく、日本とやりとりを重ねた。結果を送った先は滋賀県草津市で防災に取り組む皆さんである。2月にイオンモール草津で行い、その内容についてアーバンデザインセンターびわこ・くさつ(UDCBK)で報告した「買いものdeぼうさい」について、グループLINEでやりとりした内容を、KH Coderというテキストマイニングのプログラムで分析し、どのような語が使われていたのか、その結果をお伝えしたのだ。先週、アムステルダムでのヨーロッパ心理学会の折、ご一緒したサトウタツヤ先生から「心理学者の役目は、出てきた結果をいかに分析するか」という原点に立つ意義に気づかせていただいたので、2585投稿・48,854文字(ただし、Unicodeが文字コードでは分析不可能なため、絵文字などを除いた分析可能な総抽出語は31,378文字)のうち、3,280語の異なり語数を図解化して、その傾向を分析した。

2月の取り組みについては、8月にアイスランドのレイキャヴィークで開催される国際総合防災学会(IDRiM2017)にて発表させていただくことになった。英語でのポスター発表である。今回は私の単独発表ではなく、草津から「くさつ未来プロジェクト」の代表との共同発表で、実際にレイキャヴィークにもお越しいただくことになっている。もともと子育ての取り組みを通して地域内のネットワーク活動が展開され、消防署の見学をきっかけとして防災の活動に積極的に取り組むようになったというのが背景にある。

今日で少しだけアカデミックなモードから離れることになる。明日からは数日にわたり、オールボーのまちとコペンハーゲンに出かけるためだ。私のデンマーク行きをきっかけに、実家から母親と親戚がヨーロッパ旅行に来ているのである。まずは身だしなみを整えようと、日本で購入してきたセルフカッター(いわゆるバリカン)で、頭髪を刈り込み、明日に備えて早めに休むことにした。


2017年7月19日水曜日

文化の違いに驚きの

日本の大学では春に始まった授業が終わる頃である。学生たちは試験モードに入り、教職員は成績評価のための準備が進む。学生たちの関心は単位取得ができるかどうかに向くことが多いものの、単位は成績の評定の結果として付与されるかどうかが決まる。ぜひ、科目の到達目標に対して一定の習熟度を示し、よりよい成績が修められた上で、単位取得がなされることを願っている。

そうした中、今日は立命館大学サービスラーニングセンターの教育実践について述べる原稿に着手した。8月下旬が締め切りのものである。しかし、少なくとも4名の教員による共同執筆となるため、4人の中では最も時間的に余裕のある私から着手することにした。加えて、若輩ながらも、教員としては最も古株であるということも重なって、である。

朝から集中して取り組んだために、私の担当箇所はことのほか早く仕上げることができ、早速、メールにて送信することにした。ささやかな解放感に浸っているが、意外にも早くにサッカーで言うところのパスが回ってきた先生方からしてみれば、ささやかな重荷を背負わせてしまったかもしれない。今回の原稿は分量は短いものの、共同執筆を通して組織的な実践の意味づけを行うものである。そのため、短いから楽だ、ということにはならない。

早くに整えることができたので、パソコンに向き合った身体をほぐすべく、家の集合ポストまで足を運んでみると、明日の午前中に業者さんの点検が入るという連絡が入っていた。もし不在なら、近所の人に鍵を預けるなどして、その鍵のありかを業者さんのケータイのメッセージに送るように、という指示が添えられていた。なんとも、文化の違いに驚くところである。ともあれ、そうした文化の違いに触れながら、次の仕事にも着手するという、日本での仕事と暮らしを知っている人にとっては驚きの一日となった。


2017年7月18日火曜日

今日もまた日本と

昨日に続いて、今日もまた日本とつないでのテレビ会議となった。昨日はLINEでの接続だったが、今日はFacebookでの接続となった。いずれも専用の機材ではなく、先方はスマートフォン、こちらはタブレットでの接続だった。何とも、手軽で便利な時代である。

昨日は翻訳に関する会議だったが、今日は復興に関する研究会だった。研究会とはいえ、議題が設定され、決定しなければならない事柄も含まれていた。資料は事前に共有されてはいなかったものの、会場での机上資料をスマートフォンと思われる機材で撮影して送ってくれる学生がいて助かった。会議とは文字通り会して議することが求められるので、事前に何がどこまで整理・調整できているのかを明らかにするためにも、議論の前提の共有が不可欠である。

会議にもまたマネジメントが必要であることを学生時代に学んだ。学部生から大学院生になりたての頃、NPOインターンシップのプロジェクトでご一緒した赤澤清孝さんに『ミーティングマネジメント』なる書物を紹介いただいたのが大きかった。その関連で川北秀人さんが代表を務めるIIHOE(人と組織と地球のための国際研究所)が当時発行していた「NPOマネジメント」の編集委員合宿にもお邪魔させていただいて、もろもろのマネジメントとは段取りであることも肌身で感じたことも、今なお血肉となっている。それを思うと、学生たちに「会議とは」や「マネジメントとは」について、伝え切れていないことがあまりにも多いことを反省している。

距離が離れたデンマークから日本の会議の場に触れたこともあってか、今日の晩はカレーとなった。先々週、オールボー大学に留学している日本人学生が我が家に遊びに来たときに譲ってもらった小分け袋式のルウを使って、であった。カレー好きの私は、これから数食、カレーとなることが嬉しいのだが、妻は必ずしもそうではないようである。料理も、また献立も、何より家族関係もまた、段取りが重要なマネジメントの一つのようだ。


2017年7月17日月曜日

目の行きどころ

昨日準備していた翻訳の作業は、今日、日本時間で9時半から行われていた会議のために準備をしたものだった。サマータイムが導入されているデンマークとの日本とのあいだでは、今、時差は7時間である。そのため、会議には最初から入らず、デンマーク時間で朝9時から参加させていただくという配慮をいただいた。実は前回も同じ気配りが向けられ、恐縮している。

気づけば、身の回りのデバイスだけで、簡単にテレビ会議ができる。5月も、そして今日も、LINEのビデオ通話でやりとりをした。3月にはFacebookメッセンジャーの通話機能で、移動中の車内から立命館大学に接続して、参加型ワークショップの振り返りのミーティングに参加した。ちなみに複数地点を結んだテレビ会議の経験もあり、別のプロジェクトでは昨年9月にZoomというシステムを使って大阪と北海道と石川と米国のニューオリンズとをつないで研究会が行われた。

こうしたテレビ会議のシステムを使ったことがある人にとっては実感がわくと思われるが、テレビ会議と言いながら、実は音声の質がかなり重要である。特に多くの人々が集まっている場所が親というかメイン会場となっている場合には、子というかサブ会場からは、何となくの雰囲気だけが画面から伝わればよい。むしろ、誰が何を言っているのかがわからないことの方が、議論からの疎外感を覚えてしまう。

2時間半あまり、東京の千代田区と接続しての会議の後、会議で提案した内容をフォローアップすべく作業をして、少し息抜きに外へ出ることにした。散歩がてらの買い物に出かけることにしたのだ。すると、夏を謳歌している木々に実がついていた。葉が芽吹き、花咲く後に果実あり、そんなことを翻訳のプロジェクトにも重ねつつ、よい実りを時期が迎えられるよう、精一杯の力を出していきたいと改めて決意した。


2017年7月16日日曜日

ひるがえって

日本は3連休の中日である。一方でデンマークはバカンスシーズンだ。家の周りは静かで、夜になれば我が家だけに明かりが灯っているのではないか、と思える程である。よい季節を存分に楽しみに出かけているのだろう。

今はテレビのない生活をしているので、とりたてて日曜日であることを実感する機会が少ない。それでも、スマートフォンやパソコンには曜日の表示が出ている。よって、「あ、今日はこの曜日か」ということがわかるが、わかったからと言って何かが変わるというものでもない。それくらい、ゆったりとした日々が過ぎている。

今日は朝から、日本語への翻訳プロジェクトのための作業にあたった。4月に自分の担当箇所は訳出を終えていたが、別の先生が翻訳した章を通読し、疑問点を掘り起こすという作業である。もっとも、高い英語力を持ち合わせているわけではないが、これまで教育実践にあたってきた分野だからこそ、貢献できる部分がある。加えて、「ここがよくわからない」とお示しをいただいていたので、掘り起こすポイントが明確で助かった。

オランダでのヨーロッパ心理学会に参加して、いつもよりも飲食の量が増えていたので、昨日も今日も、多少控えめに過ごした。この2日はお酒も抜いている。そうしたこともあってか、先々週に買った浄水ジャグによるお水の口当たりの良さを感じられている。心身ともに余裕があることは、何よりも大切であることを痛感する日曜日であった。


2017年7月15日土曜日

機械的対応と対人間対応

ヨーロッパ社会心理学会は昨日で終わったが、クロージングセレモニーに出てから自宅に戻ると遅くなるため、1泊してからデンマークに戻ることにした。ただ、時間的な問題だけでなく、金銭的な問題もあった。今の時期、ヨーロッパがバカンスのシーズンのため、便利のよい時間の航空券は、かなり高価に設定されているのである。そのため、昨日のうちに帰るよりも、1晩泊まってから今日の朝一番のフライトで戻る方が安価で済んだのである。

昨日まではアムステルダムの西に宿を取っていたが、最終日はスキポール空港に泊まることにした。朝一番の便に乗るにあたり、うっかり乗り遅れとなることを避けるために、である。寝坊ということも考えられなくもないが、それよりも駅までの移動で何らかのトラブルに見舞われる可能性もある。実際、デンマーク内の移動でも何度か列車の遅れや運休の目にあっていたし、一昨日のライデン行きの待ち合わせの際も列車が15分遅れで運行されていた。

スキポール空港にはいくつかホテルがある。上記のとおり、値段を気にしたところもあって、選択肢は限られた。そうした中、お世話になったホテルはコスト削減か、チェックインやチェックアウトも含め、機械対応が多かった。部屋に入るとiPadが置かれており、何から何まで専用のアプリでコントロールすることになっていた。

人が関わらない方が楽に感じることもある。一方で、ホスピタリティーやメンタリティーを求めたくなる場面もある。約1時間半のフライトでオールボーに到着した際、パイロットも含めて「Have a nice day」と送り出されたが、過剰さは感じなかったし、むしろ快く感じた。ロボットやAIがますます浸透していく中、人間がいること、人間がすること、そこに意味を見いだしていくことができなければ、人間がいない方が楽などと機械の側に対応されてしまうかもしれない。


2017年7月14日金曜日

研究の幅と軸

「社会変革に挑戦する心理学」をテーマとする第15回ヨーロッパ心理学会の最終日、午前中には3つのセッションに参加した。まずはミニシンポジウム「Voluntary euthanasia and ethical psychological practice」で、安楽死を自殺と区別するために心理学者が果たす役割について、各国の事例を学んだ。続いてカナダにあるレジリエンス研究センターのMichael Ungar先生による「"Diagnosing" Resilience Across Cultures and Contexts: Understanding the Impact of Social and Physical Ecologies on Human Development」と題した講演では、東日本大震災後の岩手県山田町の事例などに触れられ、7つのプロセス(negotiate identity, nurture relationships, facilitate cultural adherence, promote social cohesion and belonging, access material resources, promote social justice,  experience power & control)の解説が興味深かった。そしてミニシンポジウム「The Future of Democracy: Readiness of European Youth for Citizenship」は、8月に刊行予定の「Young People and Active Citizenship in Post-Soviet Times
」に基づいたセッションで、中でも香港教育大学のKerry J Kennedy先生による市民性の分類方法が興味深く、終了後には名刺交換をさせていただいた。

ランチの後は2つのセッションに参加し、幅広い視点を得た。ちなみに12日と同じく、ランチはサンドウィッチとパンとフルーツなどを自由に取っていくというスタイルだった。その後で向かったのが「Psychosocial Needs of Refugees」というミニシンポジウムで、特に社会心理学者による難民の分類に関心を向けた。その後はカナダ心理学会の倫理委員会のCarole Sinclair委員長による「The impact of globalization on psychological ethics: Are we better prepared to meet the challenges that face us??」という講演を聞きに行き、時代は変われど(1)Respect for the Dignity of Persons and Peoples(対象への敬意と尊厳を抱く)、(2)Competent Caring for the Well-Being of Persons and Peoples(対象の幸福を願って適切に気遣う)、(3)Integrity(対象に誠実に向き合う)、(4)Professional and Scientific Responsibilities to Society(社会に対して専門的かつ科学的な責任を果たす)の4つが心理学者には求められるという指摘に納得した。

夕方にはポスターセッションの会場に足を運んだ。初日もスポーツ健康科学部の山浦先生を代表とする発表がなされていたが、今日は立命館グローバル・イノベーション研究機構(R-GIRO)専門研究員の川本静香先生を代表とする発表がなされていた。川本先生は一貫して自殺と鬱について取り組んでおられ、そうして一貫した研究の軸を貫いていることに敬服する。今回は薬による治療とカウンセラーによる療法に対する意識を共起ネットワーク分析で比較したものであった。

ポスター発表の後はクロージングセレモニーとなった。初日の山浦先生らの発表が優秀発表の候補に選出されていたので、共同研究者のサトウ先生らと共に選考結果を知るために参加した。残念ながら選ばれなかったが、今回の大会で川本先生が知り合いとなった上智大学の大学院生と夕食を取ることにした。在オランダの日本人がおすすめするレストラン情報を参考に、アンネ・フランクの家の近くにあるフラミング(Vlaming eten&drinken)というお店に伺い、ゆったりと食事を楽しんだ。


2017年7月13日木曜日

ルーツを探る旅

ヨーロッパ心理学会がアムステルダムで開催されるということで誘っていただいたサトウタツヤ先生から「ライデンに足を伸ばす」と伺い、ご一緒させていただくことにした。オランダ政府観光局の日本語版ページによれば、「ライデンは、主にレンブラントが生まれた町として知られる、大学の町」とある。ライデンは大学のまちとして知られている。そして、ライデンは日本との縁も深いまちである。例えば、鎖国中の長崎において医者として赴任したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本から標本を送り、オランダ帰国後に住まいを置いたまちでもある。

今日は午前中にアムステルダム中央駅にて待ち合わせをし、列車でライデンへと向かった。快速列車で40分弱で到着すると、駅近くの観光案内所で地図などを求めた。予め政府観光局などで情報収集をしていたのもあり、概ねのルートは決めていたが、まちの情報板の多くがオランダ語であることと、WiFi環境にありつけない場合には経路検索もできないため、せめて英語での紙媒体を得ようと考えたのである。そうして情報収集を終えた後、市庁舎(Town Hall)の一角を改装して整備されたイタリアンレストラン「City Hall」でお昼を取った。

その後、日本博物館シーボルトハウスへと足を運んだ。その名のとおり、シーボルトの旧宅であり、2005年からは博物館として公開されている。当初はライデン大学を主たる目的地にしていたが、博物館機能があるシーボルトハウスを最初に尋ねることにしたのである。というのも、今回のライデン訪問の最大の目的は、ライデン大学に学んだ西周助(後の西周/にし・あまね)先生の痕跡を尋ねることにあったためである。西先生は英国のジョゼフ・ヘブン(Joseph Haven)による『Mental Philosophy』を訳出する中で、心理学という語を充てたことで知られている。

そこでシーボルトハウスの受付で「ライデンに学びにきた日本人に関する資料を探している」と伝えると、幸運なことに3年ほど前にミニ写真展を行ったことを覚えている方だったため、さらに資料に詳しい方につないでいただいて、2008年に発行された『誉れ高き来訪者:ライデン-日本』という小冊子を譲っていただけることになった。シーボルトハウスの見学の後、冊子の中で紹介されていた、西周先生に加えて同時に渡蘭した津田真一郎先生もオランダ語を学ぶために共に通ったというシモン・ヒッセリング先生の家(現在はライデン大学の学生寮として使用されているという)を尋ねた。続いて、ライデン大学の図書館にも訪問したところ、1日10ユーロでビジターカードが発行できるが、日本の古い資料は一定の量があるものの書庫から取り出す時間がかかるため、午前中からの来訪か、事前にオンラインカタログから資料を特定していないと難しいと、別の日の訪問を勧められた。そこで民俗博物館で企画展「COOL JAPAN」を鑑賞し、風車の見えるカフェで休憩した後、Rhodosというレストランでギリシャ料理をいただいてアムステルダムへと戻る、充実の一日となった。


2017年7月12日水曜日

社会変革と心理学

昨日からアムステルダムで始まったヨーロッパ社会心理学会だが、今年のテーマは「Psychology addressing Society's greatest Challenges」で、意訳すれば「社会変革に挑戦する心理学」 である。実験を通して実証していくというスタイルが強い心理学界にあって、こうしたテーマが設定されることは珍しい。昨日はオープニングセレモニーが中心だったので、本格的なプログラムは今日からで、既にチェック済みのプログラムを尋ねていくことにした。ちなみに、プログラムはスマートフォンのアプリで提供されており、自らの関心に応じて「Personal Program」という時間割をつくることもできる。

午前中には2つのプログラムに参加した。1つめは「Competence as a Common Language for Professional Identity and International Recognition」で、北米・ヨーロッパ・中南米・アジア(ただし中国のみ)・アフリカ、それぞれの心理学教育における認証評価についての事例発表により、グローバル化の中にあって、それぞれの国・地域の基準で進むのかどうかの問題提起のセッションだった。今日はリレートークで、明日の同じ時間に同じ場所で同じメンバーによるディスカッションが行われるという。2つめはイタリアの研究者らによる「Community Psychology in a changing world」で、ISISの戦闘員に対する質問紙調査、イタリアの女性刑務所での受刑者へのインタビュー調査、SNS時代における地域政策の対立に関するコミュニティ心理学の可能性、これらをお題としたミニシンポジウムだった。

ランチ休憩の後、午後には3つのプログラムに参加した。まずは「Inclusive education in Europe: prevention and early intervention?」で、この7月に出版された『Inclusive Educational Practice in Europe: Psychological perspectives』の著者らにより、学ぶ側、教える側、制度側のそれぞれが、どうすれば包摂的な教育を実現することができるのか語り合うものだった。続いてはポルトガルのJosé Ornelas先生による「Community Psychology Innovating Social Policies: Researching To End Homelessness」と題したスピーチで、今回の大会テーマに沿って分析と実践の枠組みを示すものとなっていた。その後に参加した「Teaching ethics and reflective thinking」というセッションでは、その名のとおり、心理学における倫理教育について、英国・トルコ・ポルトガル・チェコの実践報告がなされた。

これらのセッションを回った後、立命館大学スポーツ健康科学部の山浦一保先生らのチームも発表されているポスターセッションの会場に向かった。そして在席時間を終えて片付けの後、東北大学の河野達仁先生の導きで、レンブラント広場やムント広場などに立ち寄りつつ、アルベルト・カイプ通りのトルコレストラン「Orontes」に向かった。こちらのお店は山浦先生がお知り合いの、オランダ在住歴の長い方に予約いただいてお邪魔した。その方もまたお店で合流し、二次会の場所「Wijnbar Paulus」にもお連れをいただき、痛風の発作明けでビールが飲めない身体ながらに、皆さんのご配慮などで楽しむことができた。


2017年7月11日火曜日

乗り継ぎばかりのまちに

痛風の発作から4日目、ほぼ、普段通りの生活ができるようになった。それでも右足の人差し指を触ると、ここに悪いものが貯まっていったのだろうということがまだわかる状態である。ただ、右足をかばって歩き続けたことで、若干、左足に違和感を覚えている。○○に違和感とは、まるで野球選手のようだが、例えば右肘に違和感のある投手が当番を避けたくなる気持ちがわかる気がしている。

移動に大きな支障がなくなった今日、アムステルダムへと飛んだ。今日開幕したヨーロッパ心理学会(European Congress of Psychology)への参加のためである。この学会は隔年開催で、今回で15回目を数える。もともと参加するつもりもなく、そもそも発表を申し込みさえも考えなかったが、オールボー大学での学外研究に導いていただいたサトウタツヤ先生から先月お誘いがあり、今月になって参加登録をした。

オールボーからアムステルダムには直行便がある。逆に、この直行便があるために、今はKLMで移動する頻度が高い。オールボーから関西への移動も、5月のドイツ・ベルリンも、6月のスコットランド・インヴァネスも、やはりアムステルダム乗り換えとなった。便利なのは有り難いが、日本の航空会社が加盟していないスカイチームに加盟しているので、スターアライアンスやワンワールドだったら、これまでの搭乗記録が加味されて、もう少し楽しい旅になるのに、と思うことがある。

アムステルダムには1時間半のフライトで到着した。アムステルダムには2013年にベルマミーア団地などの調査で訪問しており、懐かしい感覚がないわけではない。とはいえ、最近はトランジットのためだけに訪れてきたので、ささやかな戸惑いを抱いてしまうことが多い。耳や目で触れる言葉、切符の買い方、まちの雰囲気、挙げていけばきりがないが、有意義な4泊5日の滞在としたい。


2017年7月10日月曜日

標準へと

インターネットの検索で多くの記述に触れたとおり、痛風の発作も3日目ともなると、だいぶ落ち着いてきた。腫れは引き、痛みもおさまってきた。これからの目標は、次の発作を起こさないための生活習慣の改善である。そのための情報収集が今日も続く。

ネットの検索は3語以上で、と学生たちに伝えてきたこともあって、私もまた、同じように行っている。SEO対策への対策というような技術的観点よりも、適切な問いを掲げなければ結果に翻弄されてしまうという経験値からである。加えて、今の時代、例えばGoogleで検索する際に、その端末にメールアドレスを登録するなどしてログインアカウントと紐付けられた状態であれば、過去の検索履歴等をもとに、自動的に気の利いた結果が返るようになっており、より高いリテラシーを持っていなければ、場合によってはいわゆるフェイクニュースに踊らされることにもなりかねない。

今日はオールボー大学に留学生のお招きで、日本人ランチ会に伺った。今月になって何度か会っている留学生のご両親が日本から来られるということで、寮のキッチンを使ってお好み焼きパーティーを、ということになったのである。私たちはホームパーティーにお呼ばれする際の定番となりつつあるホワイトグラタンとグリルチキンを持っていった。そして、北海道から来られている海外生活が長いファミリーはクスクスのサラダとベーコンのキッシュ、加えて赤ワインをお持ちになられていた。

痛風の発作直後は当面は一滴も飲まないと誓っていたものの、インターネットの情報と場の雰囲気で、少しだけワインをたしなませていただいた。日本からはそれなりに長旅だったはずのご両親ではあったが、いくつかの言動に聡明さを覚え、また帰国後に何らかのかたちでお目にかかろうという話になった。ちなみにGoogle Mapでは17分と出ていたルートだったが、25分ほどかかった。ゆったりしたデンマーク生活のあいだに、滞在標準の値からは少し高めとなっている状態を、なんとか標準へと近づけていきたいものである。


2017年7月9日日曜日

あぶらげの記憶

 痛風の発作、2日目である。昨日はソファーから取り外したクッションをベッドに置き、痛む右足を高くして寝た。そしてビニール袋に氷を入れ、冷やすことができるようにもした。インターネットを検索して得られる情報からは、いくつか方法が錯綜するものが見つかるが、身体反応に対する合理的な方法を見いだし、対策を図った。

 朝起きても、じんじんとした痛みに苦しめられた。関節痛による腫れは昨日よりも大きくなっている気がした。何より、ささやかに熱を持っている右足と、そこから伝わってくる痛みが、全身にだるさをもたらした。よって、何かに集中して臨もうとしても、気力が持たないということを、身をもって覚えることとなった。

 そうしたなか、気を紛らせながら行ったのが、日本での契約が残ったままの携帯電話のプランを見直すということだった。2年縛りの契約の更新期間が今月と来月のためである。結果として複数の可能性の中から、一つのセットを組み上げることにした。通話と電子マネー決済用のケータイ、通信用のスマートフォン、タブレット、持ちすぎと言えば持ちすぎかもしれないが、これまで払ってきた金額からすれば、値段そのものは安くなる。

 痛みの中、気を紛らすかのように調べ物をしたが、午後はだるさも増し、少し横になった。夕方近くに起きると、昨日、コペンハーゲンで購入してきた油揚げを使って、和の夕食を用意してくれていた。油揚げではなく「あぶらげ」という言い方の方が馴染みがあるな、と、藤子・F・不二雄先生の「エスパー魔美」での使われ方を想い起こし、さらには新潟県中越地震以降の関わりの中で栃尾のあぶらげを美味しく味わってきたことに思いを馳せた。痛みで気が散漫なのか、痛風でも食への関心はやまないのか、痛みの中で過ごす一日だった。


2017年7月8日土曜日

風ふかずとも痛い

 長年にわたり「ウリアデック」を処方されていたのだが、ついに痛風の発作が出てしまった。朝起きると右足の人差し指と中指に猛烈な違和感があった。夜のうちの寝返りで、壁に足をぶつけたのかと思っていた。ところが、時間が経つごとに痛みは増していった。

 一時期、10という数字まで上がってしまった尿酸値も、ビールや油ものを避けることで7まで下がっていた。もちろん、薬の効果もあった。デンマークではストレスフリーな暮らしを重ねていたが、食生活の変化と処方された薬の服用をサボってしまったために、このような結果をもたらしてしまったのだろう。にしても、痛風の発作がこれ程とは、想像を絶するものがあった。

 それでも午前中には、コペンハーゲン中央駅からバスで20分くらいのフレデリクスベアに向かい、システアナ美術館での三分一博志さんの作品「The Water」を鑑賞しに行った。この展覧会は日本・デンマーク外交関係樹立150周年を記念して行われている事業の一つであるそのため、日本語のパンフレットも用意されていた。それによれば、コペンハーゲン市の水道供給公社がコレラ蔓延への対策として1856年から59年にかけて設置した古い貯水施設である。

 デンマーク王立芸術アカデミーでも教鞭をとる三分一さんの趣向は、瀬戸内国際芸術祭での犬島での「精錬所」のプロジェクトで体感済であった。そして今回の作品でも、その場所が持つ性格が丁寧に扱われていた。動物園の向かい側に整備された芝生広場の地下に広がる地下空間は、鏡を巧みに用いることによって取り込まれた自然光により、かつて市民のいのちを支えた水瓶であったという記憶を呼び覚ますものとなっている。暗く、静かな空間の中で、自らの身体があげた悲鳴に向き合うひとときとなった。




2017年7月7日金曜日

級友つながりの新友と

 今日は朝からコペンハーゲンに向かった。ところが予約していた飛行機が出発2時間ほど前にキャンセルとなり、列車で向かうことになった。オールボーからコペンハーゲン中央駅は4時間あまりかかる。正午の待ち合わせだったので、空港に行ってから欠航を知っていたら間に合わないタイミングだった。

 コペンハーゲンに行くことになったのは、4月にお目にかかった方にお招きをいただいたためである。来週から3週間ほどの休暇に入り、サマーハウスで過ごすことになるので、その前に一度、遊びに来ないか、と誘っていただいたのだ。この方との出会いは少し不思議で、2013年1月から通ってきた英語のレッスンのクラスメートによって縁が結ばれた。この方のお母さまは、かつて大阪でデンマーク語と英語を教えていて、その際にそのクラスメートとが出会っていた、という背景がある。

 4月には私がコペンハーゲンでの用事を終えたあとに、市内中心部の早周りと会食のみでオールボーに戻ったため、今回は妻も連れだって、より深くコペンハーゲンを楽しみ、夜にはご自宅にお呼ばれをして、食事をいただくことになった。まずは歴史博物館として公開されているフレデリクスボー城(英語:Frederiksborg Castle/デンマーク語:Frederiksborg Slot)に向かい、まるでオンデマンドなオーディオガイドのような解説をいただいて、展示内容の理解を深めることができた。続いて向かったのはルイジアナ近代美術館(Louisiana Museum of Modern Art:1958年にKnud W. Jensenが自邸を私立美術館として整備、現在は政府認可の国際的な美術館として活動)で、常設展と庭園に加え、特別展も鑑賞し、とりわけユーゴスラビア出身のパフォーマンスアーティストであるマリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramović)の回顧展「THE CLEANER」は圧巻だった。その後は海岸沿いのまちクランペンボー(Klampenborg)にあるデュアヘーウン(デンマーク語でDyrehaven、英語ではDeer Parkとなるように「鹿公園」)で、以前はスペインやロシアなどで水資源開発の仕事をしていた方が操る馬車のワゴン(愛馬の名前はロミオで、ジュリエットという友達がいたらしい)で30分ほど周遊した。

 そしてご自宅に伺うと、奥さまが素敵な料理と共にお迎えをいただいた。まずはデンマーク料理の定番、ライ麦パンとサーモンの「スモーブロー(Smørrebrød)」をわさびソースを、続いてじゃがいもを添えたローストポーク「フレスケスタイ(Flæskesteg)」、そしてデザートには旬のいちごをいただいた。お酒とお食事と共に会話も楽しみ、秋の再開を誓った。お二人の馴れ初めから互いの仕事と暮らし、そして世界の公正さまで、幅広い話題に、配慮と知性と品格を深く感じた。




2017年7月6日木曜日

文字と図解とフォーマット

 昨日、日本から本が届いた。送り主は寺谷篤さんである。今は篤志の名で執筆を重ねておられるが、知る人ぞ知る元郵便局長である。おそらく寺谷さんをご存じの方の多くは、鳥取県智頭町での実践で触れられたのではなかろうか。

 届いたのは2015年に寺谷篤志・平塚伸治両名の共著により「仕事の暮らしの研究所」から出版された『地方創生から地域経営へ』の中国語版である。まちづくりの単位を自治体単位で捉えずに、生活圏で捉え直していこう、という観点へと導くことができるため、2016年度には同志社大学大学院総合政策科学研究科の「臨床まちづくり学」においてテキストに指定した。ちなみに日本語版は両開き仕様となっており、右開きでは本編に、左開きでは図解集という趣向が凝らされている。「臨床まちづくり学」は2006年度から担当させていただいている授業なのだが、2016年度は社会人院生だけだったのもあって、特に図解の活用は実践の抽象化を図る上で一定の効果がもたらされた。

 昨日届いた中国語版は、両開き仕様の趣向までは反映されなかったものの、全編にわたって丁寧な翻訳がなされていたように思われる。もっとも、日本語で漢字になれてきた者として、簡体字での訳出の雰囲気から感じ取った限りにおいての判断でしかない。ただ、仮にデンマーク語で翻訳されたとなれば、そうした判断さえも難しいかもしれない。改めて言語の面白さと難しさに浸っている。

 今日はそうして日本に思いを馳せることにもなったことと、論文執筆が一段落したこともあり、8月から9月にかけての出張のための手配と書類作成にあたることにした。移動手段と宿泊先の確保、そして旅程の整理の上で職場に届け出る書類の作成、そして関係書類あわせて提出、という流れなのだが、簡単に終わりそうで、なかなか手間のかかる作業である。2016年10月21日に河野太郎代議士がTwitterで「科研費の申請書の罫線は次回申請から廃止することに決まりました」と投稿したところ、大変な反響があったことを思い出す。あれほどの苦労ではないが、Microsoft Wordで提供される書式に一喜一憂しながら4件の出張書類のセットを仕上げ、ささやかな解放感に浸った。



2017年7月5日水曜日

馴染みのある場所で思い出が増える

 お昼を前にして、やけに自宅の周りが騒がしくなった。サイレンが鳴り響き、ものものしい雰囲気が醸し出されていった。やがてヘリコプターも飛び始めた。ふと、外に目を向けると、木々の向こうに濛々と黒い煙が立ち上っていた。

 Twitterで検索をかけると、今の住まいからほど近いのところに文化複合施設で火災が発生していることがわかった。Gigantiumと呼ばれているその施設は、夏はスイミングプール、冬はアイススケートが盛んなようだ。今回、火事が起きたのは体育館で、火元は大ホールのようである。ホームページによれば、ハンドボール、バドミントンやハンドボールなどによく用いられてきたようで、当面は閉鎖されるとのことだ。

 今日は夕方から街中へと買い物などに出かけたが、すぐ横を通るバスの車内から、無残にも外壁が崩れ落ちた姿を見ることになった。ステンレスと新建材によるモダンな建物だったが、デンマーク語を習っている妻によると、毒性のある煙のために周辺の住民は窓を開けないように、と案内されていたようだ。もっとも、ステンレスと新建材だからこそ、全焼は免れたとも捉えられる。

 街中では例のメディア税の支払いの後、カートリッジ交換式の浄水ジャグと、夏に日本からやってくる来客者のための交通ICカードを2枚、それぞれ買い物をして、ある場所へ向かった。行きつけのハンバーガー屋さんである。ところが、今日はそこで食事ではなく、おなじみさんとなったことで仲良くなった店員さんとの会食となったのである。そこにはオールボー大学への留学生も誘っていったところ、2軒をはしごして楽しい時間を過ごすこととなり、また一つ、オールボーでの思い出が重ねられる夜となった。


2017年7月4日火曜日

ひとやすみ

 先日から取り組んできた論文が一段落した。たいてい、学術論文は2万字でまとめられるものである。しかし、まずは草稿を脱稿した段階であるため、3万字ほどである。これから刈り込みの作業を進めていくこととなる。

 論文執筆の上で意外と手にかかるのが、引用文献の整理である。投稿する先によって、表現の形式が違うためである。以前は工学系のフォーマットで記すことに慣れようとしていたが、今はもっぱら心理学系である。時に社会学系の書式が求められることもあるが、こちらは似て非なるところがあり、なかなか慣れない。

 真面目に取り組んだことはないが、その昔、行われていたという連歌という営みに関心を向けてきた。ある人が詠む上の句に、別の人が下の句をつけるという連作による歌詠みである。今、取り組んでいる論文は、何となくそれに近いのではないか、という気がしている。というよりも、第二筆者として、第一筆者が記した原案に手を入れ、最初の読者として第一筆者に返す、そうして筆ならぬキーを進め続けて書き上げた作品である。

 一段落がついて近所に出かけると、街路灯の上に小鳥が羽を休めていた。止まり木ならぬ、止まり柱である。私もまた、キーを打つ手を休めて、目を画面から空へと向け、思考を休めた。山のないデンマークの広い空が気持ちよい午後の風景だった。


2017年7月3日月曜日

刈り取られる

 今日もまた、自宅で原稿を書いていると、午前中に草刈り車がやってきた。前回の草刈りが6月23日だったことを思うと、ペースが早い気がしている。とはいえ、今日の朝には、また芝生に花が覗かせているな、と感じたところだった。昨日ほどではないが晴れ間を覗くことができた今日は、青い空と緑の木々と対比される中、黄色や白の花が夏の風情を感じさせてくれていた。

 ただ、既にバカンスのシーズンに入ったため、草刈りのタイミングも早まったのかもしれない。前回ほど伸びてはいなかった中で刈り込みに来たことを思うと、そんな推論も浮かぶ。以前聞いた話だが、デンマークでは締め切りから考えるよりも、締め切りを定めつつ、最大限の努力を重ねる傾向にある、とのことである。逆に言えば、当初の予定で仕上げられないとしても、できるまできちんとする、ということにもなる。

 昨日から詰めている原稿がなかなか進まない。社会科学の論文ゆえに、結論を明快に示すだけでなく、事例を丁寧にまとめることに労を取る。もちろん、長く書けばよいというわけではない。考察する際の素材として、論理的かつ具体的に述べていく必要がある。

 ちょうど昨日が締め切りとされていた論文の査読を終えたところでもあり、自ずと、自らの筆致にも注意が深くなる。これまでどっぷりと実践に浸ってきてしまったことへの内省も進む。やらずに批判するのは自己の正当化になるし、できないことがわかっていなあら美辞麗句だけを並べるのでは他者への欺瞞となる。原稿を書きながら、東京都議会議員選挙の結果に対して意見する人々のタイムラインを垣間見ながら、「じゃあ、選挙の前にして、選挙に行くようにしようよ」と感じてしまった。


2017年7月2日日曜日

日曜午後のおなじみ、か?

 日曜日、休みの一日だが、終日、原稿執筆にあたっていた。正確には昨晩から日付が変わっても執筆を続け、若干の睡眠を取った上で、執筆を続けた。締め切り直前に、思い立ったように執筆を始めたためであった。依頼原稿ではなく、学術雑誌の一般投稿なのだが、あいにく取りかかりが遅く、次号には間に合いそうにない。

 研究者にとって、学術論文の数は重要な意味を持つ。書籍は資金が用意できれば何らかの形で公刊することができるものの、学術論文の場合は専門家による査読を経なければ公刊されないためである。専門家による査読はピアレビューとも呼ばれており、科研費とも言われている文部科学省および日本学術振興会による研究助成事業もまた、この原則のもとで審査されている。

 以前、ウィットに富む京都大学防災研究所の矢守克也先生と懇親の席で「論文がない教員は角番とでも呼んだらいい」と、相撲を比喩に語っておられて、妙に納得した。それくらい、論文がない、ということは、研究をしていないと捉えられるのである。もちろん、書いて投稿しなければ掲載には至らない。そして、投稿後、複数名による査読がなされ、改稿を重ねていくということになると、投稿から1年経っても掲載されない可能性さえある。

 そうしたこともあって論文執筆を進めていると、午後には日曜恒例のアイスクリーム屋さんの鐘の音がした。先般、お客さんを招いたこともあり、ストックがなくなったところだったため、買いに出ることにした。前回、6月5日に購入した際とは、少しだけメニューが変わっていた。論文もまた内容をうまく書き上げて出稿しなければいけないのだが、それはちょうど旬の食材をうまく加工して出荷するという食べ物の比喩で語ることができるのであった。


2017年7月1日土曜日

長きにわたり

 6月末をもって、1997年から使ってきたメールアドレスが1つ、なくなった。地球温暖化防止京都会議(COP3)の際、日本のNGOのアンブレラ組織として期限を区切って設立された「気候フォーラム'97」でインターンをしていた際に作成したものである。アンブレラ組織とは、文字通り、多くの団体を傘の下に置く組織である。ドイツでのCOP1の際に設立された「クリマフォーラム」の経験を踏まえ、国連の気候変動枠組条約の締約国会議にあたっては、交渉窓口が一元化され、かつ、国内の団体で主張をとりまとめることが大切だ、ということになったためである。

 あれから20年、ずっと使ってきた、というか、残してきたメールアドレスであるが、デンマークの赴任を契機に解約させていただくこととした。インターネットの接続が固定電話の回線で行っている頃から使ってきたもので、思い入れもあった。あれから20年、職場から与えられたアドレスもあれば、無償で使うことができているアドレスもある。とはいえ、そうして複数のアドレスがある中で、クラウドサービスも充実、浸透してきた今、市民社会のためのインターネットをという趣旨を掲げてきているサービスの提供元には申し訳ないのだが、整理をさせていただいた。

 そんな今日、朝から実家と電話でやりとりをした。今月の下旬に母親らが北欧の旅にやってくることになっており、デンマークにも立ち寄ることになっているためである。電話と言ってもIP電話であり、国内で通話をしているかのような感覚で、格安の料金で通話ができる。無論、FacebookメッセンジャーやLINE、またApple社のFaceTimeなどを使えば、ネット環境に接続してさえいれば、事実上無償で使用できるものの、電話機で電話するという習慣が根ざしてきた世代には、電話番号にかけるということの方が納得し、安心し、手頃なようである。

 電話でのやりとりで気を揉んだことを察知してか、街に行こうと妻が連れ出してくれた。向かった先は港のそばのAalborg Street Food The Lighthouse、さしずめオールボー屋台村である。当初は5月25日がオープンの予定日だったそうだが、営業許可の取得に時間がかかったようで、6月29日まで延びてしまったそうである。どの店も50クローナから何らかの食事が提供されるように工夫され、当面、2020年までは常設の屋台村として開設されるようなので、また折を見て、訪れてみたい。