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2007年1月6日土曜日

地球の未来は明るい

 「まあ、なんとかなりますよ。」よく、問題に直面しているときに、問題の渦中にいる人が放つことばの一つだ。言うまでもなく、「なんとかなる」と楽観視するのではなく「なんとかする」という意思が必要だ。もっとも、意思がなくても、意思を持つ誰かが出す打開策を選択するということもありうる。

 「そんなの、無理ですよ。」例え、誰かがその問題に思いを寄せて、よりよい状態に思いを馳せて紡ぎ出した考えたとしても、その考えに思いを寄せて、よりよい未来を想像できなければ、その選択肢が採用されるはずはない。そもそも「無理」とは道理に反し、物事の筋が通らないこと、である。それを強引に「無理」と決めつけることが、既に「無理」なことを強いているのではないか。

 「でも、できないと思います。」もちろん、何をどう考えようが、自由である。しかし「でも」は前節の全否定とも言えるし、さらに言えば、「思う」のは勝手でいいが「考える」ことをやめてしまっては、いつまで経っても「私」の世界から「われわれ」の世界への広がりは見いだされないだろう。では、どうしたらいいのか…。

 今、いや正確に言うと今日、私は私の職場の未来をどうしていくのがいいのか、という問題を突きつけられた。もっと精確に言うと「われわれ」はどうしていくべきか、という「解答案」のない問題集を解き始めることになった。10周年を迎える應典院(http://www.outenin.com)における住職の年頭所感が、その引き金を引いた。ふと、「地球の未来は明るい」という書物を思いだし、「心の罠」にとらわれぬよう、心に留めていきたいと「思った」次第である。





7つの心の罠にご用心!




 問題の巨大さを目の当たりにすると、「心の罠」に陥る。明るい地球の未来のために元気に行動しようと思ったら、こいつを避けなければならない。では、「心の罠」を列挙し、その対処法も示すことにしよう。



1 誰かがどうしたらいいのか知っている(誰かが問題を解決してくれる)。

 残念だが、その「誰か」さんは、どうしてよいのか分からない。解決法など知らないし、解決したいとも思っていない。



2 自分1人ががんばっても、ほかのみんなは何もしないだろう。

 この考えが間違っていることは証明できないが、これだけは言える……これは自己実現型の予言である。そう思っていれば、必ずそうなる。しかし、この世界に対する責任は、私たち1人ひとりがとらなければならない。



3 状況全体が見通せないうちは、最初の一歩を踏み出せない。

 新しい道を知るには、何歩か踏み入ってみるにかぎる。失敗を恐れるなかれ。体験し、学ぶことだ。



4 どれも長期的な問題ばかりだ。とりあえず、目先の問題から取りかかろう。

 1年たっても、長期的問題はやはり長期的問題のままである。しかし、長期的問題にはできるだけ早く取り組むほうが、解決は簡単で安上がりでもある。



5 どうあがいたところで破局はやってくる。あれこれ考えるのはよそう。

 誰もが無為無策でいるときにのみ破局は訪れる。多様な人々からなる多元的な社会では、たとえ少数でも、破局に直面したときに変革に求めて立ち上がる人々が現れるものだ。その少数者になろう。



6 心配無用。テクノロジーと市場経済が、すべてうまくやってくれる。

 これは、「金づちが家を建ててくれる」といっているようなものだ。市場経済やテクノロジーは、私たちの社会の道具にすぎない。私たちの価値観や願い、資源やその制約が、テクノロジーをかたちづくるのである。テクノロジーをコントロールすることこそ、私たちの責任である。



7 私に何もかも全部できるわけがない。だから、何もしない。

 覚悟を決め、多少の時間とお金を捧げ、影響力を行使すること  これこそが君ができることだ。どんな小さなことでもいいから、継続できることに着手すること。そのうち手際よく多くのことをこなせるようになったら、取り組みのレベルを高めればいい。



ホレンダーとグループ環(1995) p.66









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