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2007年1月18日木曜日

ボランティアの知

 どうしても忘れられない1日がある。誰にとっても、そんな1日がある。もちろん、そうして忘れられない1日は、複数あることだろう。私自身にも、無数の忘れられない1日がある。しかし、どうしても忘れられないし、忘れてはならないと素直に思える1日がある。

 1995年1月17日、それは私の人生を変えた1日である。後に阪神・淡路大震災と呼ばれるに至るM7.2の「兵庫県南部地震」が起きたのは、その日の朝5時46分であった。実に長い一日だった。しかし、その後の数日は、実に短い日々であった。何かしたい、何かできるはずと思い、しかし何ができるのかと迷い、結果としていてもたってもいられず西宮に入った。

 既に発災から日数は経っていたものの、1月中に現場に入った学生たちは、さしずめ同様の「何かしたい、何かできるはず」という人たちにとっては「先遣部隊」であった。後に1995年は「ボランティア元年」と呼ばれるのであるが、「先遣部隊」ということばが馴染むところを見ると、「ボランティア」ということばが「志願兵」という意味を伴うことに合点がいく。ともあれ、本日も電話で話をした生涯の親友とも言える同志とその仲間たちと出会って立命館大学ボランティア情報交流センターを立ち上げる過程に携わり、2月から3月にかけて、729人の登録ボランティアたちが現場に行くきっかけを提供し続けた。イノセント(innocent)ということばば持つ「無邪気であり無知」という両義性を携えて、静岡県磐田市から京都にやってきた大学1回生、19歳の私は、取り立ての運転免許証も活かして、とにかく現場に向き合った。

 その後、「あの日」のことを語り合える仲間に出会い続けることが、新たな実践を紡ぎ出す契機のように思えた。渥美公秀先生のいらっしゃる大阪大学への社会人入学も、また秋田光彦住職のいらっしゃる應典院というお寺を通じて僧侶になることも、全て、あの時に共通してそれぞれの震災ボランティアを行ってきているという「個別経験の追体験」ができる方々との出会いがあったためである。6434名のいのちが亡くなった儚さに思いを馳せるたびに涙がこみ上げてくるが、そのこみ上げてくる涙をこらえることで、今の自分の生き方や働き方を見つめる合わせ鏡が得られるような気がしてならない。だからこそ、おそらく来年もまた、私は「あの日」に思いを馳せるのだろう。





ボランティアの知:実践としてのボランティア研究

はじめに(抜粋)




 かなしみが果ててしまうことのかなしみを詠った詩人がいる。そんなことはあるまいと思っていた。だが、あの日から五年あまりを被災地で過ごし、今は、この詩人の言葉が心に沁み入るような気がしている。

 本書は、被災地で過ごした五年間を振り返りながら、実践としてのボランティア研究を紹介したものである。ミシガン大学のグループ・ダイナミックス研究所への留学を終え、神戸大学に赴任したのは、阪神・淡路大震災が起こる一年数ヶ月前だった。大阪で生まれ育ち、大阪大学人間科学部・大学院で学んだ私にとって、神戸は新しい場所だった。ようやく街に慣れたころ、あの日あの時間、すべてが変わった。避難所の行程で風呂を焚き、西宮ボランティアネットワーク(現在、(特)日本災害救援ボランティアネットワーク)に参加した。その後、各地の災害救援現場に赴いた。研究者として何ができるか、自問する日が続いた。グループ・ダイナミックスという強力な�武器�をもってはいたが、試行錯誤で使い方をマスターしなければならなかった。



渥美(2001) p.i







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