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2007年1月26日金曜日

前衛仏教論

 1月25日は法然上人の命日である。法然上人は浄土宗を開いた元祖であり、開祖や宗祖、などと言われる。阿弥陀仏による「救済」の力を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えることを教義として掲げた。「専修念仏」や「口唱念仏」などと言われる、単純明快な教義だ。

 法然上人は、貴族社会を中心とした権力構造に対する民衆の精神的、政治経済的な解放を願い、「念仏」をとおした信心を浸透させていった。こうして仏教に民衆化の道が切り開かれていった。組織を通して出家と在家を明瞭に区別してた時代からの転換である。無論、浄土宗をはじめとした鎌倉仏教以前に、空海や最澄による南都寺院へのあくなき挑戦があったことも見逃してはならない。

 専修念仏をとおした在家仏教という浄土宗でも、全国に8つある本山では、出家・在家を問わず、修行の場が提供される。今回、法然上人の命日にあわせて一昼夜かけた念仏会「不断念仏」があるとの情報を住職が得た。そこで、應典院の僧侶スタッフ3名は、1月24日の業務が終わってから、京都の百万遍「知恩寺」に向かった。24日のお昼から、25日のお昼まで、定期的に行われる読経の他は、駅伝の襷リレーのように、参加者が木魚の音に重ねつつ、ただただ「南無阿弥陀仏」を唱えていく修行に、2時間ほど参加させていただいた。

 今、浄土宗では法然上人の「800年大遠忌」事業が進められている。法然上人が亡くなった1212年から数えて800回忌にあたる年に向けて、後進が「恩返しを」という報恩事業が宗をあげて取り組まれているのだ。実は私も少しだけ関わっており、「共生・地域文化大賞」という事業を通じて、改めて救済、共生(ともいき)の精神を広めていこう、という構想の会議に参加していた。にしても、約800年経っても供養の機会が生み出されるというのも凄いな、と改めて思うのと同時に、果たして自分に対する弔いは誰が、どこまでしてくれるのだろうか、と感傷的になってしまった「プチ修行」なのであった。





前衛仏教論:<いのち>の宗教への復活

第一章 仏教の本質とは何か

報恩って何だ(抜粋)




 一つの宗派を興すには、ときの為政者による組織的弾圧や、既存の宗教勢力からの抵抗などがあって、いつ殺されておかしくないほどの緊張感があったはずです。一つの草庵を構えることすら、ままならなかったでしょう。

 とすれば、その苦労を思い起こすために、全山の僧侶が厳しい修行期間に入るなどして、「歴史の始まり」を再体験するような試みがあってもいいと思うのですが、たいていは「開祖への報恩」という言葉が声高に繰り返されるだけで、単にお祭りで終わってしまうのです。

 あるいは、開祖と呼ばれるほどの偉いお坊さんというのは、民衆の救済ということを念頭に置いた人たちだったわけですから、その精神を汲んで、全山の僧侶や信者が共同でボランティア活動をするとか、募った寄付金で社会福祉事業を起こすとか、そういう発想があってもいいように思うのです。

 現代社会において、これ以上お堂やお墓や石碑を建てても、無用の長物となるのは、目に見えています。喜ぶのは、その工事を受注した業者ぐらいのものです。



町田(2004) p.22







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