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2007年1月2日火曜日

自然渋滞

 一年の計は元旦にあり、という。出来なかったことを悔い、改めていく上ではよい機会である。フジテレビ系「ひょうきん族」の影響か、「懺悔(さんげ)」と言うとキリスト教の専売特許のように思えるが、仏教にも「懺悔(さんげ)」ということばがある。「散華(さんげ)」と言うと、供養のために花を散らすこと、あるいは戦死を遂げること、といった意味があるが、昨年は情報発信が滞っていたことを悔い、改めねばならない、と堅い決意を抱いたところである。

 そこで、Blogを復活させてみようと思う。もちろん、思うだけではなく、こうして既に綴り始めている。以前は「です・ます」調で綴っていた文体も、「だ・である」調にすることにした。要するに、論文モードでの執筆である。このBlogはmixiにもつながっているから、あまり堅い文体が望まれていないかもしれない。しかし、とにかく私語りを続けていくことに決めた。

 復活にあたって、2005年の「一日一枚写真日記」の形態は改め、写真ならぬ書物を扱うことによって、日記のリレーを続けていくことにした。というのも、デジタルカメラの便利さにかまけて、つい、更新が遅れがちとなり、結果としてバトンが渡されなくなってしまったことを「学習」したためである。実際、デジタルカメラには、日付の情報が残る上、ある風景を切り取るゆえに特定の場面の思い出が遺る。よって、後になってもそれらの画像をもとにその日を想起することができると甘い考えを持っていた。無論、これは間違ってはいなかったが、2006年4月に着任した應典院(http://www.outenin.com)のスタッフBlogも、同じ考えで着手し、ともに「いつでもできる」という安心感で更新が滞るという失敗に見舞われた。

 そんななか再会のきっかけとして選んだのが、一日一冊を取り上げて文章を綴っていくというものである。この着想は、松岡正剛さんの「千夜千冊」から得ているが、丸ごと「違法コピー」、すなわち「パクリ」ではないと信じている。正月を実家で過ごし、思わず実家の本棚に目を掛けて留まった書物を人にも紹介してみよう、という衝動から来ている。言うまでもなく、自分自身にとっての自戒の念も込められており、2006年10月に着任した同志社大学で成果を出し続けるために、仕事の「自然渋滞」を解消していく上でのリズムづくりという意味もあるのだ。



自然渋滞




道路交通情報の用語に「自然渋滞」というのがあり

時にこれが「自然の渋滞」

あるいは「自然の混雑」となる

助詞「の」は「が」と読み替えることもできるので

私はこれを「自然が渋滞し混雑している」情報として機器

自然運行の過密と多忙を偲び

同時に、日本人独自の自然観、気質、言語活性化能力として聞く

車の渋滞は人為的調整能力を超えたこと

ジタバタしても始まらぬこと

諦めて慣れるより仕方のないこと



つまりは

人間の手に負えないから

これを「自然」に格上げしようよ

そういう了解が関係者の間で自然に生まれたのだ

<ゲーテとは俺のことかとギョエテ言ひ>

に倣って言えば

<自然渋滞は俺の身内かと自然言い>

ということになろうか



(吉野, 1989:pp. 46-47)







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