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2007年1月30日火曜日

オランダ 寛容の国の改革と模索

 研究者の「お作法」が正しいかどうかは、実に些細な表現から読み解くことができる。「お作法」というと、ふざけた言い方と思われるかもしれない。ここで「お作法」ということばを用いたのは、研究を進めていく上での「流儀」を押さえているか否かを判別できる要素がある、と言えるためである。もちろん、研究者に対して骨董品を評定するかのように真贋の判別をつけることは妥当ではないが、一方で生きた研究者の物事、出来事に向き合う姿勢は積極的に問われてしかるべしであろう。

 どこに「お作法」が出るかと言えば、少なくとも私は引用文献と語尾から読み解くことができると感じている。引用文献は、古典を押さえつつ最新の情報を押さえているか、という点に姿勢が反映する。もっと細かく言えば「どこかで参考にする」のではなく「きちんと引用する」ことができているか、つまり「何となく読みました」ではなく「ここが先達から引き継ぐべき知見である」という意志が見られるかどうか、も問われてよい。加えて言うと「ジャーナル」とも呼ばれている学術雑誌、すなわち書籍だけでなく論文からも引用しているかどうかも、学会ならぬ「学界」の動向に関心を抱いているかを判断する根拠と言えよう。

 とりわけ、研究者の執筆する文章に求められるべき要素として「断定」することが必要であると考えている。文系か理系かを問わずに、研究の成果は「結論」によって次なる研究へと継承されていく。結論があるということは、研究の上で問うてきたこと(Research Question)があり、その問いを明らかにするために進めてきた調査のなかで何らかの結果があり、その結果を先行研究に照らし合わせることを通して吟味(考察)し、今回は明らかにならなかった点(課題)を述べ、次の方向(展望)が示されねばならない。したがって、自ずと「結論」は「〜と思われる」といった「私語り」ではなく、制度や状況など無生物な主語を用いるなどして「没人称化」した言説のなかで、「〜だ」や「〜である」と断定する形となる。

 大学進学率が50%へ近づき「大学全入時代」と呼ばれる今、大学院進学率が10%を越え「大学院大衆時代」を迎えている。研究型大学院と専門職大学院と、大学院の性格も「学位」の出し方で区別がなされているものの、社会に向き合い、世界を「研ぎ」「究める」人々には、ある程度の資質が問われてよい。ちなみに今、私は同志社大学大学院総合政策科学研究科で2006年春季より開講されている「臨床まちづくり学」なる講義の担当しているのだが、その受講生とともに、月1回の頻度で読書会を開催している。ここに綴った文章は、本日開催された読書会で取り上げた書物(すなわち、標題に掲げた「オランダ」)を読んだところ、「論理的」(つまり、logical)と表現すべき部分に「理論的」(つまり、theoretical)と表現されていた部分に違和感を覚えた理由を参加者に対して説明した中身をまとめたものであることを記しておく。





オランダ 寛容の国の改革と模索

第1章 究極の合理主義者のとらわれない改革(抜粋)




 麻薬はなぜ悪いのか。この答えはじつは単純ではない。「常識」としては、「体に悪い、だから法で禁止し、違法行為だから犯罪として取り締まる」。しかし、これには異論が出されている。大麻などはタバコよりも直接的な害も中毒性も低い、と。もちろん、まったく無害とする見解はないようだが、タバコのほうがより有害だという認識は優勢のようだ。現在タバコを違法にしている国はないと思われるが、タバコが合法なら、大麻は合法としてもよいというのが、「理論的」な帰結かもしれない。実際、大麻の個人使用を事実上取り締まりからはずした国は、オランダ、ベルギー、デンマーク、ドイツ、スペイン、フランス、イタリア、ポルトガル、イギリス、スイスなど、ヨーロッパでは多数派になっている。

 しかし、オランダがドラッグを健康上の害が比較的低いソフトドラッグと害の大きなハードドラッグ(コカイン、覚醒剤など)とに分け、前者の少量個人使用を事実上合法化したことは、たんなる「害」の問題ではなかった。決定的だったのは、「HIV/エイズ」である。



太田・見原(2006) pp.37-38







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