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2007年1月28日日曜日

活動理論と教育実践の創造

 「いしかわ地域づくり円陣2006」では、うまく話せた部分と話せなかった部分との両極があった。うまく話せなかった部分の殆どは午後の分科会だった。一方で、うまく話せた部分は夕方の全体会だった。いくつかの肩書きを持ち、話をする顔もいくつかあるなかで、基本的には現場の人間だという思いがある。しかし、今回は「実践家モード」よりも「研究者モード」が際だってしまったような気がしてならない。

 伝えたいことを伝えるには、いくつかの方法がある。繰り返し述べているとおりに、比喩はその一つだ。社会心理学に対して痛烈な問題提起を行ったガーゲンの書物によれば、比喩(メタファー)の使用は人々に対して「視覚代理物(visual substitution)」となり、既成の常識的展開を除去するという。そんなこともあって、博士論文では「長縄跳び」をメタファーに用い、ネットワーク組織とまちづくりについて論じた。

 今回の話で採った方法は「和英辞典と英和辞典の連続使用」と「韻を踏んだキーワードセットの提示」であった。前者は全体会で用い、具体的には「交流」を「exchange」に置き換え、さらには「exchange」を「交換」に置き換えるという具合で話を展開した。もう少し文脈に触れるならば、「交流」というのはex(外)に向かって何かをchangeする(変える)ことである、と考えてみると、それは何らかの価値を外にいる誰かと交換することになるのではないか、という問題提起を行ったのだ。さらにその後で「その際の価値の交換は不等価交換であり、お互いに恩返しをし続けることに弛み無き交流が続いていく」と、モースの「贈与論」でも紹介された「ポトラッチ」という実践を引き合いに出しながら語ってみた。

 ちなみに今回用いた「ツール・ルール・ロール」というキーワードセットの提示は、ユーリア・エンゲストロームによる「活動理論」の援用である。この「活動理論」は明快な理論ではあるが、都合良く、手際よく引用できる日本語の解説本は少ない。そこで、私なりに「道具」を「ツール」に、「分業」を役割分担という観点から「ロール」に置き換え、キーワードとなるもう一つのことば「ルール」ということばの語感に合わせて、よい活動を行うために必要なもの、と説明をした。無論、ある行為の結果をよりよい成果として結実するためには、主体と対象を支えるコミュニティの存在は欠かせないが、そのために必要な考え方は何か、という考え方の道具として、この理論を用いて現場の知を説明し、ちょっと上手く説明できたのでは、とほくそ笑んで見るのであった。





活動理論と教育実践の創造:拡張的学習へ

第4章 文化歴史的活動理論の原理と方法論

2 協働の仕事や組織の概念的分析道具としての集団的活動システムのモデル(抜粋)





 集団的活動システムのモデルとその諸要素はエンゲストローム自身によって次のように説明されている。



 ここでの主体は、特定の観点によってどの行為主体を選ぶのかに応じて、個人あるいはサブグループを指し示す…。対象は、ここでは「なまの素材」あるいは「問題空間」を指し示す。活動はそれらに向けられるのであり、またそれらは成果へとモデル化され転換されるのである。そのことを助けるのが物質的あるいはシンボリックな、外的あるいは内的な、ツール(媒介の働きをする道具や記号)である。ここでのコミュニティは、多様な諸個人、あるいはサブグループから成る。それらは一般に同じ対象を分かち合っている。ここでの分業は、コミュニティのメンバーのあいだで課題を水平的に分かつことと、権力や地位を垂直的に分かつことの両方を指し示している。最後にルールは、明示的あるいは暗黙的な統制、規範、慣習を指し示している。それらは活動システムの内部で、行為や相互作用を制約している。活動システムの構成要素のあいだでは、不断の構築が進んでいる。人間は、道具を使うだけでなく、それを不断に後進し発達させもするのであり、それは意識的なこともあれば無意識的なこともある。彼らはルールに従うだけでなく、それをつくったり、つくり直したりもするのである。(Engestrom, 1993, p.67)



 このような「集団的活動システム」は、活動理論の分析単位であり、人びとのさまざまな組織や仕事の現場(workplace)を分析するための概念的モデルとして役立つものである。





山住(2004) pp.84-85









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