そもそも都心は住む場所ではない、とされてきた。人が住まないからこそ店が出て、店が出るからこそ人が集まる。そして、人が集まるとそこには神秘的、霊的な物語、いわゆる「都市伝説」も生まれる。占いなどもその一つであり、事実、今の時代にも夜の都心には占い師が店を構えている風景に出会うことがある。
1970年代から80年代にかけて、住まい手が自らの地域に関わっていく実践が地域をより豊かにしていくという考え方から、行政主体の都市計画という概念は「まちづくり」ということばに置き換えられて語られるようになってきた。こうして「ひらがな」で書かれることによって、漢字表記の「都市計画」はより柔らかな印象で受け止められるよう、多くの主体がこのことばを使ってきている。通常「都市計画」はハード(都市基盤)が中心であったことも重なって、そこにソフト(ひと・イベント)も必要だ、という説得力は、文字通り「柔らかい(ソフト)」なことばを用いることによって導かれてきたと言えよう。このあたりは、私の博士論文でも展開した、「まちづくり」という語源の旅であり、とりわけ、田村明氏の著作によるところである。
「まちづくり」に対して「くにづくり」こそ必要、という主張もある。まちづくりに取り組む人々に対して、「世界の平和、家庭の不和」などと揶揄されることもあるが、「一国一城の主」という時の「国」だ。言うまでもなく「国家」ではない。果たして、今、誰が「くに」を語り、「くにづくり」に取り組めているのか、少なくとも、上町台地界隈の多文化共生、持続可能な地域開発、新旧融合のまちづくり、そうしたことを考える道具として、今後「 uemachi.cotocoto 」をせいぜい活用していくことにしよう。
地域からの挑戦:鳥取県・智頭町の「くに」おこし
第1章 二一世紀の国と「くに」
第1章 二一世紀の国と「くに」
「国が破れる(国にガタがくる)」とは、どういう意味か。そのイメージをつかんでもらうために、国を五重の塔たとえてみよう。
五重の塔の一番下は、国の土台となる自然。その上に、文化や習慣の層(第一層)が築かれる。その上には、政治、経済、社会の諸々の仕組みの層(第二層)がつくられる。さらに、道路や鉄道、河川、港湾や広場などの社会基盤施設(土木インフラストラクチャ)の層(第三層)が構築される。その社会基盤施設の上には、さまざまな土地利用が行われ、家屋やビルなどの建築物が建てられ、土地利用・建築空間の層(第四層)ができる。私たちの生活は、その上で営まれる。つまり、生活の諸々の活動は、最上階の層(第五層)を構成する。このような五重の塔を我々は多層的な「社会システム」と呼んでいる。
岡田・杉万・平塚・河原(2000) p.3
二一世紀の日本では、最も小さな五重の塔、つまり、国を形づくる最小の基本単位は何にすべきであろうか。基本単位とは、国という生きた五重の塔(社会システム)を構成する細胞に当たるものである。本書では、その基本単位として、「共有する風景を実感できる空間」を提唱する。そして、これを「くに」と呼ぶ。
「くに」は、多くの地域において、旧の字(あざ)(現在の小字(こあざ))程度の広さに相当するだろう。江戸時代以来、生活を営む最小の集落単位でもあった。「おらがくに」であり、「くにのお母さん」であり、だからこそ「くにへ帰る」。
この国にガタがきているのは、この国の大きな屋台骨が緩んでいるからだ。しかし、それだけではない。この国を隅々で支えているはずの「小さな屋台骨」にもガタがきている。小さな屋台骨とは、わが国に無数とある小さな「くに」を支える大黒柱のこと。「くに」という小さな五重の塔も、金属疲労をきたしている。生き生きした「くに」が存在せずして、その延長上に成り立つ「国」がどうして堅牢でありえよう。
では、どうするか。大きな国はなかなか変わらない。国が「大きく変わる」ことに、すべてをかけるのか。「大きく変わる」のを座して待つのか。
発想を変えてはどうだろう。国が大きく変わるのをじっと期待するのではなく、小さくてもいいから「くに」を変えてみてはどうだろう。「大きく変わる」のから「小さく変える」への転換だ。
岡田・杉万・平塚・河原(2000) p.5
0 件のコメント:
コメントを投稿