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2005年12月31日土曜日
year out
実家に戻って新年を迎えることにしました。思えば多くのことがあった1年でした。Blogも始めてみましたが、途中でハードディスクが壊れてしまうなど、多くのトラブルのなか、身体が健康であったのはよかったことかもしれません。そんなBlogも一旦中断させていただいて、またの再会をさせていただこうと思っておりますので、その際にはコメント等もあわせて、よろしくお願いいたします。
posted
なんとか年内に、しかし大晦日より前に年賀状を投函いたしました。気づけば、まちのポストが年賀状モードになって久しいのです。それでも年も迫ってからの投函になってしまいました。近頃の郵便事情はだいぶんよくなってきましたが、果たして元旦には何通が届くのかしら、と思いを馳せてみるのでした。
2005年12月30日金曜日
addresses
年賀状のデザインは終わりました。これから始まるのが宛名書きです。毎年、多くの年賀状を頂戴しますが、やはり「手書きの味」はうれしいものです。あまり丁寧に綴ることもなく、逆に失礼かもしれませんが、こだわりのデザインに一筆を添え、そして手書きの宛名で、新年のごあいさつです。
2005年12月29日木曜日
osakan sushi
年の瀬に迫っても、忘年会は続きます。この日は大阪で、お寿司な忘年会でした。メンバーは京都のNPO界隈を盛り上げてきた仲間で、MONの会と呼んだ放談会をちょこちょことやってきています。これは「2001年宇宙の旅」に登場する「IBMの一つ前でHALと名付たコンピュータ」にならって、「NPOの一つ前でMON(実際は一文字ずつ戻っている)」と名付け、原則月曜日(MONday)に行おうと決めた会です。今回は、特別ゲストで大阪から僧侶をお招きして、「蒸し寿司」をはじめとする大阪寿司を堪能いたしました。
2005年12月28日水曜日
tool
いよいよ新しい年が近づいて来ました。年末までのカウントダウンが進む中、準備を進めるのが年賀状です。毎年、それなりにこだわって作成をしています。今年はこの「懐中電灯」を素材にして、来年の干支と絡めて制作を進めております。
2005年12月27日火曜日
Thanksgiving
クリスマスムードが続く日々から一転して、お寺で一年を振り返る場に身を置きました。大阪、天王寺にある「應典院(おうてんいん)」で開催されている「自分感謝祭」に参加したのです。「わたし感謝カード」と「わたし懺悔(さんげ)カード」にそれぞれ記入し、「懺悔カード」はご住職による音楽法要で供養をいただく、というものです。毎年26日に固定されているこの催し、来年もまた参加して一年を反省してみることにします。
2005年12月26日月曜日
refresh
職場で迎えたクリスマスイブの翌日、クリスマスは内蒙古で沙漠緑化に取り組むパートナーと忘年会を行いました。お気に入りの北京料理のお店で、おいしい料理に話の花も咲きました。そして外に出てみると、まちはクリスマスモードから新年モードに変身中でした。通りの向こう側にはクリスマスの飾りが残るなか、早速トラックから正月のお飾りが取り出され、手際よくアーケードに掛けられていきました。
2005年12月25日日曜日
party
職場でクリスマスパーティーを行いました。取り立てて予定のない私は、なぜか同じく職場でクリスマスイブを送ることになったスタッフとともに、ちょっとした場を設けることにしました。隣の部屋で盛り上がっている学生たちには近くのコンビニエンスストアで唐揚とケーキを買ってきてプレゼントしてみました。我々はちょっと背伸びをしたケーキをそれぞれに持ち寄ってのパーティーでした。
2005年12月23日金曜日
covering
天皇誕生日の休日は自宅で過ごしました。昨日からの雪は京都のまちを情緒深く演出します。家の前の道から東を見上げると、大文字が雪化粧でした。夏には火で彩られる山も、一風変わった装いとなっていました。
2005年12月22日木曜日
snowed
築200年弱の町家を大改装した生活を送っております。大改装のポイントの一つが「明るさの確保」でして、随所に工夫をしております。物入れをお風呂へと改装した空間にも趣向を凝らしており、屋根の半分をガラスの天窓にしております。この日、今冬の初雪となり、朝シャンを浴びるために入ったところ、天窓には雪が乗って、風情のある風景を醸し出しておりました。
charactor
京都市消防局の研究プロジェクトで、災害発生時の避難誘導の研究をしています。その事例で取り上げたのが「愛・地球博」でした。実際、終了したプロジェクトであるため、実施前・実施中・実施後と、それぞれの段階毎に内容を深め、実際に京都市消防局で働く皆さんと共に、「自分たちだったらどうするか?」を考えてみました。その「マニュアル叩き」と呼ばれるワークショップの進行役を務めていただいたのが、私の師匠である大阪大学の渥美公秀先生でして、何となく、画面に映っていたモリゾーとキッコロとの重ね合わせが似合っていらっしゃったように思えました。
2005年12月21日水曜日
roast sweet
週末の合宿での成果物を、大阪ガスのご担当の方に説明をして参りました。終わった後での反省は、自らが合宿の雰囲気とそこでの議論で到達した内容について、悦楽の境地に浸っていたため、果たしてどこまで伝わったのだろうか、ということです。次年度に向けた社内の動きを調整するのが、1月の20日前後とのことであり、これから重ねての修正を行っていかなければならなさそうです。そんなプレゼンテーションを終えた大阪のビジネス街で見かけたのが、石焼き芋を売るトラックでして、到着するなり、わんさかと人がやってきて、石焼き芋の力を垣間見た、そんな瞬間でした。
2005年12月20日火曜日
illuminated pair sheet
神戸の岡本の界隈を歩いていて、突然目に飛び込んできたのが「光のペァシート」というものです。一瞬、何のことかわからなかったのですが、看板に目を通してみると、どうやら2つ並んだパイプ椅子が「ペァシート」であり、冬のお祭りとも言えるクリスマスの時期に、要するに二人で思い出を刻んで欲しい、というのが趣旨なようでした。なかなか、商店街の方がキレイに仕上げていらっしゃるのですが、このペァシートを演出する「光」の部分には、箒を持ち、毛糸の帽子とマフラーと手袋をした雪だるまが「let it snow」という看板を持っている、というオブジェが掛けられていました。確かに、この週末は大雪が降り、さしずめこのメッセージが天に届いたのかも知れません…なんて。
ちなみに雪の舞う幻想的な風景のあとで、にくいほど凍結したまちにて、自転車で大こけをいたしました(が、身体の痛みよりは、鞄に入っていたモノが壊れたことのほうが、衝撃が大きかったりして…と、久々のオマケ写真でした)。
ちなみに雪の舞う幻想的な風景のあとで、にくいほど凍結したまちにて、自転車で大こけをいたしました(が、身体の痛みよりは、鞄に入っていたモノが壊れたことのほうが、衝撃が大きかったりして…と、久々のオマケ写真でした)。
2005年12月18日日曜日
welcoming snow
座敷なのにソファーで仮眠をとり、なんとか素材を創り上げた朝、ふと窓の外を見ると雪が舞っていました。朝食は、温泉町の旅館を思わせるような風景を横にしながら、というように、本当に京都にいるのかという錯覚さえ導きかねない、そんな雰囲気がありました。朝食後にチェックアウトの限界に近い時間まで行った議論も、大変有意義なものであったと思っています。ヘロヘロになりながら家路につくと、ふと、軒先から車のトランクに落ちてきた雪に、「merry Xmas」と描かれた駐車場に目が留まり、寒いながらにほっこりした心持ちで、昼から泥のように眠りました。
nightless
大阪ガスから受託している研究について、集中した議論を行うために京都市内で合宿を行いました。11人のうち1人を除いてすべてが京都の人間が、市内の宿に集って夜通し議論を行うという、一見珍妙な行動です。ただ、ちょっとおいしいものを食べ、ちょっとお酒も入れて、談笑のなか議論を行い、事務局はひたすらそれを記録し続けて、新たな解釈を交えて朝に発表するという緊張感のなか、一定の成果物を練り上げることができました。もちろん、気楽にお誘いしてはならない先生方に、いわゆる雑魚寝にてお泊まりいただくという乱暴さなど、反省すべきところもあるのですが、それでも議論の一体感を集団のなかから導き出す立場からすると、全ての参加者のみなさんが「よいものを生み出していきたい」という思いを持って参加いただいたゆえんに、充実したときが流れたと思っています…どうもありがとうございました!
2005年12月17日土曜日
date line
まさに忘年会シーズンの今日この頃、日付変更線をまたいでの宴会でした。場所は京都の祇園、花街のひとつである宮川町でした。やはり、ちょっと一本入っただけで風情があり、二次会のお店を出たとたんに、小声でしゃべるべきだ、という雰囲気に浸ってしまいます。ただ、周辺にはラブホテルが並び、場所の説明をする際に何とも言えない名前を出しながら説明せざるを得ない、というところに、ちょっともどかしさを覚えてしまうのでした。
2005年12月15日木曜日
frozen fountain
昼過ぎでも滋賀県の山手は冷えます。その象徴が凍った噴水かもしれません。もちろん、薄氷なわけですから上に乗ったりして遊ぶことはできません。ただ、表面に浮く氷を人に投げつけたりすることは充分に可能なわけで、ところどころ不自然に水面が見える部分に思いを馳せると、意図的に表面から剥離された痕跡に見立ててしまいたくなります。
red sign
京都での生活も長くなってきましたが、こちらに来て驚いたのは最終バスの行き先方向幕が赤色に点灯されていることです。夜のまちに赤い電球に照らされたバスが滑り込んでくると、なんとなく最終バスまで何かをしていたのだ、という自省の念に駆られます。ちなみに最終バスの一本前は緑色の電灯が灯されます。車社会の静岡ではあまり目にしてこなかった公共交通のこうした仕掛けに、都市に住まう上での知恵を垣間見ることができます。
2005年12月13日火曜日
real name
大阪で見かけたのが、「喫茶店」という名前の喫茶店です。入り口付近のビニール屋根に、たいそうにも3箇所「喫茶店」と書かれており、不思議に思って徐々に近づいてみると、ドアにも、看板にも「喫茶店」とあるではありませんか。実はこの日、大阪アートカレイドスコープの一事業である「遊行のフォークロア」の様子を拝見させていただいたのですが、その際に出会ったまちの風景なのです。何人かと同行したので、一人が店に訊ねに行くと「キョトン」とした顔で「そうです」と答えが返ってきたそうで、アーティストの大久保英二さんも一連の物語に大爆笑でいらっしゃいました。
presented eggs
体調の思わしくない今日この頃、時間に余裕を持って、と移動した先でいただいたのが産み立ての卵でした。「これ何?」「卵」「何卵?」「普通の卵」「出汁巻きか何か?」「だから、卵」「え?」「生卵」「何で?」「うち、養鶏所やから」とそこまでやりとりを続けてなるほど、とわかりました。「今あけんほうがいいよ」ということばを素直に受け取り、家に帰って納得しました。なかなか、まちの店では見かけないような大ぶりの素敵な卵でして、思わず料理の腕を振るいはじめてしまうのでした…そして、どうもありがとう。
2005年12月12日月曜日
judgement
事業に助成金を出し、現場に相談員を配置する、少し希有な公的な助成金制度である、おうみNPO活動基金の第二次選考がありました。この助成金、事業年度も少し変わっており、4月から3月ではなく1月から12月までなのです。年度末の駆け込み需要で使い切るのではなく、次年度を迎える際の準備にも使っていただきたい、そうした現場の活動重視の枠組みが適用されています。
2005年12月10日土曜日
art kaleidoscope
今回で3回目になる、大阪府による「アートカレイドスコープ」の一企画に足を運んできました。大阪府庁の横、大阪府現代美術センターにて開催された「自適人の肖像」なるトークショーだったのですが、地下鉄谷町四丁目の駅を降り、会場付近に辿り着いて、イライラが募りました。確かに案内はきちんと出ているのですが、矢印がいくつもあるのです。結果として、どこを通っても会場には行けるのですが、「正確」に表すことと「妥当」に示すことの違いに苛立った、そんな公の施設でした。
graffiti or art?
会議と忘年会を兼ねた場に向かう路上で「落書き禁止」の表示に出会いました。以前、車で通ったときは青信号であったため、じっくり見ることが出来なかったのですが、今回はじっくりと調査をしました。よく見れば「書き込みはもっとアートに!」と注意書きがあります。漆喰を混ぜたような白壁の宝石店なのですが、その横はプレー塗装にて鳥か何かの絵が並べられています。なんとも、よく仕組まれたアートなのですが、できれば「落書き禁止」の横の道路標識のメタファー(隠喩)を、車両進入禁止以外に何かよいものがないか、検討していただきたいものです。
2005年12月9日金曜日
best time
昼食はパンとフルーツジュースでした。袋は要りませんとシールで済ませていただくと、「環境資源節約感謝券」として10円の割引券をいただきました。その貼られたシールには「(生もの)ですのでお早めに(お召し)あがりください」とあり、さらにそのシールの貼られた飲み物には「濃縮還元秋のブレンド果汁100%」とありました。雪も降り始めた冬の、日付が変わるころ、そんなジュースを飲もうとしている風景は実に滑稽ではないかと、ほくそ笑んでしまいました。
2005年12月7日水曜日
shift
大学コンソーシアム京都の勤務形態ですが、早番があれば、遅番というのもあります。早番がキャンパスプラザ京都にて朝から講義を行う先生方の応対が目的であるのに対して、遅番は夜に講義を行う先生方の講義に対応し、館を施錠していく段取りを取るために充てられます。14時から22時までの勤務時間なので、午前中がゆっくりでき、精神的にも余裕が出ます。例えば西陣で商売をされている軒先をふと見れば、昔は暖簾をかけていたであろう穴に運送屋さんを引き留める札が掛かっていたりと、早番のときと同様に少し違うもので、出勤途上の風景も新鮮です。
2005年12月6日火曜日
first snow
今年初めての積雪でした。京都の冬は深々と冷えることで有名ですが、暖冬の予報も出た今年、地球温暖化も進行していると言われるなか、寒いながらにちょっとホッとしました。初雪のなか、京都精華大学に訪問したところ、本部棟の横、お客さんを迎え入れるかのように雪だるまが置かれていました。日が高くなるにつけ、徐々に解け始めるため、打ち合わせが終わったときにはちょっと形が崩れ、少しもの悲しい思いもしました。
student recruiting
JR玉造駅でふと見つけたポスターに「『地方受験』を上手に活用して、100%実力発揮!近畿圏で受験できる大学・短期大学案内」という文字が並んでいました。一見、近畿圏以外にキャンパスのある大学の情報が多いのかと思いきや、むしろ目立つのはズバリ近畿圏にキャンパスのあるご当地大学だったりするのです(左上から、北海道医療大学、岩手医科大学、専修大学、大東文化大学、拓殖大学、津田塾大学、東海大学、東京工科大学、東洋大学、女子美術大学短期大学部、関東学院大学、愛知工業大学、佛教大学、神戸国際大学)。ちなみにその隣には、関西では有名なアダ・マウロさんが微笑む、メディカルエステの専門学校のポスターが並んでいました。玉造界隈には学校が多いこともあり、どこも学生募集に必死なのだろうと、少子高齢社会の一端を垣間見た感覚を携え、列車に乗り込みました。
2005年12月5日月曜日
local think tank
一説によると血圧が上がっていった要因の一つとされるイベント「第1回政策系大学・大学院研究交流大会」が滞りなく催されました。これは10年以上前から言われていた、京都の都市政策を実践的に研究していく枠組みのなかでも目玉とも言えることであり、地域内の大学や大学院での研究内容をそのまちの未来像へと反映させていただくという、新たな独立系・自治体系シンクタンクの設立を意味します。先般取材してもらった内容が早々に写真付きで記事として紹介してもらったためか、近隣の自治体など一般の参加者も予想以上に多くお越しいただき、充実した企画となりました。ただ一つ気になるのは、この間の事務局の動きが悪かったことについて、実行委員を務めてくれた5大学からの10人の学生たちが懇親会の席上にて口をそろえて「ダメ出し」のスピーチをしたことことでして、来年度に向けた、そして日常の業務運営の反省材料としていきます。
2005年12月3日土曜日
health food
献血ができる身体になろうと、体質改善作戦を開始しました。塩分、糖分、カロリーなどなど、食べ物に記された数字を気にしつつの買い物です。職場でも自分が気を付け始めたことを宣言すると、さすがに生命にも関わらないと言えないことゆえに、協力や共感をしてくださる方も多く、うれしい限りです。それでも、まず酒を控えて、睡眠をじっくりとったら、という生活習慣そのものを指摘いただく場合が多く、体質改善作戦は長い期間をかけて実行、実践していかなければならなさそうです。
prohibited donation
ちょっと時間が空いて、何気なく訪れた献血ルームにて、なんと最低血圧が100を超え、最高血圧も150を超え、高血圧ゆえの献血不可という問診を受けてしまいました。少し体調も悪いので瀉血をしようと考えた不純さがまずかったのかもしれませんが、人工的にはつくることのできない血を提供させていただきたいと思いながら受け入れてもらえないことの悲しみに浸りました。それでも問診の先生には「献血にきてもらえてありがたいけど、内科に行ったほうがええで」ということばと、暖かい飲み物を頂戴し、関西人気質に救われた感じもしました。ともあれ、高校生以来ごぶさたしていた献血ですが、来年には受け容れていただける身体になってもう一度献血ルームの扉を叩きたいと思います。
2005年12月2日金曜日
discount ticket vending machine
移動の多い生き方、暮らし方、働き方をしています。それゆえに便利なのがプリペイド乗車カードなどですが、時に回数券の割引率に魅力を感じることもあります。それでも3ヶ月の有効期限内に使い切れなかったら、と購入を億劫に思ってしまうことが多いのです。金券ショップでばら売りしているのを買う行列に並ぶのも鬱陶しいと思ってきていたら、なんとJR南草津駅前には自動販売機が設置されており、両替がてら購入してみました。
2005年12月1日木曜日
our junior
後輩というのは実にありがたいものです。なかなかうまく周知が出来ていなかった事業について、最後の一手として京都の大規模地元新聞社に就職をした記者に取材をしていただいたのです。学生時代は逆に論文やレポート、また就職試験の面接の仕方などをとやかく指導していたのですが、今では完全に彼のペンに委ねるという構図に大変身です。ともあれ、そうやって成長していってくれる過程に触れると、自分もがんばらねばと奮発でき、元気づけられます。
2005年11月29日火曜日
indescribable
10月26日に予約したモノ「ネットインデックス製ウィルコムSimStyle TTセット」の青です。実によくデザインされた通信端末で、願わくは2006年に始まる番号ポータビリティー制度がPHSと携帯電話のあいだにも拡張されれば…というくらい、惚れ込み、当面手放せそうにありません。朝からそれを携え、向かった先は大変お世話になっている方のお母さまのお葬式、そして大阪大学で開催された、智頭町に来られた方々が多く参加するシンポジウムでした。新たな通信端末を使い始めたその日、お葬式とシンポジウム、まったく違う環境ではありますが、そうしたことが催されることの連絡が確実に届いてくるということに、人間関係の大切さを再認識した次第です。
battery charging
智頭町調査の4日目は、朝に活動の簡単な総括を行った上で、地域医療の拠点となる「病院・老人ホーム・デイサービスセンター」の複合施設「智頭町保健・医療・福祉総合センター<ほのぼの>」を見学させていただきました。その後は京都まで直行で運行されている「智頭急行」にて帰路につきました。今回の調査は現在、大阪ガスのエネルギー・文化研究所(CEL)から受託している、地域コミュニケーションデザインに関する研究に役立てていきます。電池切れとなった携帯電話を充電しつつ、心地よい疲れとともに、充実した調査の場面を思い返しながら列車に揺れてきました。
2005年11月28日月曜日
unilateral giving
智頭町調査の3日目は、地元住民の活動見学と、実践事例交流を行うシンポジウムに参加させていただきました。具体的には全国の中山間地域むらおこしのモデルとされる「ゼロ分のイチ運動」の一つである「いざ・なぎ市場」の様子を見学し、その後はJA会館にて<日中韓「村おこし・くにおこし」国際交流発表会>と題された実践事例の意見交換会を傍聴させていただきました。さしずめ現場発の知恵の交換でした。しかしながら、実際は等価な交換ではなく、一方的に贈与し、何気ない発言からも「使える」とおもわれる小技を略奪している、という構図が見てとられ、参加者の積極性に感服した次第です。
2005年11月26日土曜日
epoc made place
智頭町調査の2日目は、智頭町の取り組み関するレクチャー尽くしでした。地元の小学校の校長先生の話に続いて、那岐集落のフィールドワーク、その後は車に分乗し、20年の間に生まれた「エポックメイキング」な箇所の訪問という日程でした。智頭町の取り組みは各方面で紹介されているわけですが、簡潔にまとめられたものとして、岩波ブックレットの「地域からの挑戦:鳥取県・智頭町の「くに」おこし」があります。そうした書物で紹介されている内容について、キーパーソンから直接伺うことは大変貴重な機会であり、とりわけ「杉の子村」が出来上がるまでの住民間の緊張状態に関するお話は、実に興味深く聞き入らせていただきました。
indoor rice-cake making
住民主体のむらおこし、まちづくり、くにおこしで有名な、鳥取県智頭町にて、20年間の取り組みを支えてきたキーパーソンのヒアリング調査を、中国及び韓国からの視察に同行するかたちで行ってきました。4日間の旅程のなか初日は夕方前に智頭町役場に表敬訪問を行い、町長から智頭町の地理的、文化的な特徴について説明を受け、あわせて中国・韓国からの来訪者がどのような関心を持って訪れたか、などの意見交換を行いました。その後、住民等が出資して設立した「日本・地域と科学の出会い館」にて歓迎会が行われたのですが、仰天、なんと室内で餅つきを行うという歓待がなされたのでした。
2005年11月25日金曜日
negotiation
インターンシップの受入先の訪問も架橋になってきました。割り当てられた20の団体のうち1/3が過年度より受入先になっていただいているNPO関係ですが、残りの2/3のうち、半分以上が新規の受入先です。既にインターンシップということばが普及してきているなか、多くの企業が何らかのかたちで導入を始めているため、それでも取り組んでいない企業はちょっぴり敷居が高かったりするので、一ひねりした交渉術が求められ、気合いが入ります。
2005年11月24日木曜日
symposium in Korea Town
大阪の生野にある班家食工房にて、関係者曰く「コリアタウンでの初めてのシンポジウム」のコーディネーターを務めました。黒田征太郎さんによる11月3日のアートに関するワークショップ、羅順子さんによる11月20日の食文化に関するワークショップ、そして今回のシンポジウムを3つ束ねて「ナンジャンフェスタ」と称して仕掛けてきました。「ナンジャン」とは「乱場」という字が充てられ、まさに多文化共生のまちを考えるにあたって格好の名付けであったと思っています。
2005年11月23日水曜日
long day
通常より30分繰り上げ出勤の早番から始まって、大阪でのインターンシップ候補先訪問と会議、そして終電で帰宅という長い一日でした。夜の会議は、DVD発売記念ということで5月に行う予定の石井聰亙監督の初期作品の上映に関する運営委員会でした。映画にまつわる多様なで多彩な関心を持つ皆さんのなかで、最年少ゆえの「語れなさ」を実感する、そんな会議でした。
2005年11月22日火曜日
exhausted
近年まれに見る駄目駄目な会議運営をしてしまいました。時間どおりに先生方がお見えであるにも関わらず、資料は時間にそろっていないし、議論する論点も不明瞭…。あげくの果てに、次の展望がはっきり見いだせないまま、時間切れで会議を終えるということになり、情けなさに浸りながら、帰路についた次第です。
2005年11月20日日曜日
Korean food workshop
イベントの秋、上町台地からまちを考える会でも、昨年の「寺町」での連続講座に続き、「コリアタウン」を拠点にした3回連続の講座を企画し、実施しています。第1回目は立命館大学の講義日ということで参加できなかったものの、黒田征太郎さんをお招きした世代間・民族間交流のライブペインティング大会をしたのですが、第2回目は今日、御幸森小学校の家庭科室をお借りして、韓国宮廷料理づくりを体験しました。22名のお申し込みがあったものの、2名の欠席者が出たので急遽3人のグループに参加させていただいたのですが、参加された方全員が女性という珍しい環境のなか、「男の料理」では宮廷料理に太刀打ちできないことを実感した次第です。
2005年11月19日土曜日
professional
いよいよ亀岡「水の庵和らぎミュージアム」の本番を迎えました。現地に朝7時に到着したものの、前日の準備に気張りすぎたのか、まだ誰も関係者がいないという一抹の不安に駆られました。とはいえ全体の運営については、もちろん多少の現場対応でしのいだところはあったとはいえ基本的には大成功で、気がゆるんだ私はルクプルのボーカル、藤田恵美さんの歌声とスタジオミュージシャンの演奏に聴き惚れ、CDを買い、サインと握手をいただくというミーハーっぷりを発揮して、もろもろの心地よさとともに帰宅しました。
ID
今日は4社にインターンシップの受け入れ依頼にお伺いしました。そのなかの一つが関西テレビ放送で、アポイントを取るために動いてくれた同級生(悪友)に感謝です。さすがに、受付での手続きもちょっと厳重で、緊張感を抱きながらご担当者にお会いすると、まことに気さくな方でちょっと気がゆるみ、調子に乗ってしゃべりすぎてしまったことを反省しております。
2005年11月18日金曜日
removing the stitch
約2週間でインターンシップ受け入れ候補先を20社を訪問するというのが今回の使命です。今日も3社を訪問させていただいたのですが、最後の1社は親不知を抜歯する歯医者と同じ建物にあるNPOでした。大汗をかいて、平常心を装って抜糸した後、これまた平静を装ってインターンシップの受け入れの依頼をさせていただいたのでした…。
2005年11月16日水曜日
working extended?
大阪ガスの研究での作業部会の第二回が行われました。資料を用意して、そこから新たな解釈を見い出す、そうした作業を行いました。大阪に出たついでというわけではないですが、今日から別の業務である「次年度インターンシップ先の開拓」も行うことにし、部会終了後に早速3社回ってきました。
in a day time
普段夜に行うことが多い「おうみNPO活動基金」の会議ですが、今日は午後に行われました。今日は書面による第一次審査の日でして、それぞれの委員があらかじめ読んでくるという段取りになっていました。応募者それぞれに思いが込められているので、審査する側も真剣に向き合うこととなり、気合いが入りますが、それを持ち寄って整理する場も同じく気合いが入ります。
2005年11月15日火曜日
approaching event
亀岡での企画の日が近づいてきました。今日も夜8時からという「現地時間」で打合せが行われました。当日出されるハーブティーの試飲をさせていただくなど、いよいよ本番を迎える雰囲気が高まってきています。
2005年11月13日日曜日
final exploring
9月から毎月1回行ってきた「アートなまちの探検隊」も、今日が最終回で一区切りです。1回目と2回目は自転車でまちに飛び出しましたが、今回は2回分の結果を全体の成果に変えていくために、素材の整理などを行いました。極めつけは、そこで整理したものにことばを添えて、見つけた地域資源のある「その場所」に送ってしまうという「アート」な作品に仕上げるという仕掛けでした。
2005年11月12日土曜日
holiday?
土曜日、朝10時からの打合せです。土曜日が通常出勤日である我々はいっこうに苦になりません。しかし、先方はお休みなはずなのに、わざわざスーツで来て下さることを考えるとちょっと悪いな、と思ってしまう次第です。
2005年11月11日金曜日
liaison office working
ワーキンググループの種類にもいくつかあります。今年、大学コンソーシアム京都で原則第1・第3金曜日の朝9時から30分間行われてきた「リエゾン・オフィスワーキング」は、4つの事業部にまたがる各事業の進捗状況などを、各事業部から選出された「リエゾン・オフィス担当者」をとおして共有する会議です。この間、10回の会議を重ねてきたのですが、その他の会議が多い上、いくつかの会議で同じ人が顔を合わせるという理由でこの日で廃止となってしまったのでした。
2005年11月10日木曜日
working group
委託研究を行っていくにあたって、研究メンバーを組織して研究会を重ねていくことで内容を深めていくのが、私がよくやるやり方です。とはいえ、お忙しい皆さんをいちいち呼んで研究会を開催するのも困難なことが多いので、メーリングリストの運営などとあわせて行うのが「ワーキンググループ」と呼ばれる作業部会の設置です。今回、大阪ガスからの委託研究では、文献整理を行う作業部会を設置して内容を検討することとし、その第1回目を本日行いました。
Informationization symposium
京都テルサにて、日経情報化大賞のシンポジウムが行われました。さすがに情報化と銘打たれていることもあって、プレゼンテーションも趣向が凝らされたものが多かったです。今回のお目当ては何度かお会いつつも常に元気づけられる徳島県上勝町の株式会社いろどりの代表取締役副社長(に昇格された)横石知二さんでして、せっかく京都に来られたということもあり、私の知り合いを紹介させていただくなど、出会いやつながりを拡げさせていただいた次第です。
2005年11月9日水曜日
2005年11月7日月曜日
ready to removing but finish
この間歯医者に行き続けて来ましたが、どうやらもうすぐ終わりそうです。というのも、次回が親知らずの抜歯という段階に至ったのです。もちろん、抜かないに超したことはないのですが、どうにも奥歯の治療をするためには邪魔になるとのことで、残念ながら、抜くことになった次第です…ハァ…。
2005年11月6日日曜日
in expenditure
複数走っている研究プロジェクトの一つ、京都市消防局の防災関係の研究会がありました。群衆の避難誘導の研究に長年携わってきた木下富雄先生をお招きして、過去の事件や事故に対する社会心理学からの要因分析や、愛・地球博の会場設計に関わられたご経験を伺いました。多忙な参加者が奇跡的に合った一日、研究費から食事代を充て、食事をいただいた後にも長時間、実に充実した時間を過ごしました。
2005年11月5日土曜日
lunch box discussion
大学コンソーシアム京都で二日連続で事務局研修を行うには理由があります。春の研修は出向職員が入れ替わったところでの事業内容の確認と前年度に組み立てた計画の見直しを行うためであり、秋の研修は次年度事業計画を立案していく上で担当者間の認識などを整理していくところにあります。一日研修ゆえに昼には弁当が出るのですが、通常は夜にやることの多い「込み入った話」をしたりして、多様な意味で将来を展望する機会となりました。
generation and culture
1104 2000 大学コンソーシアム京都では春と秋に恒例となっている二日連続の事務局研修の後、大阪まで「世代間関係を考える会」に参加してきました。総合研究大学院大学の研究プロジェクトで、今回のテーマは「コンビニにみる日本の社会」でした。コンビニでアルバイトをしながら研究をしているギャビン・ホワイトローさんのお話はまことに緻密な調査によるところで、示唆に富む考察に感銘を受けました。
2005年11月3日木曜日
class day
世間では文化の日。しかし立命館大学はなんと開講日ゆえ大学に出勤することに…。講義日が確保できないという理由で今年度から一部の休日も講義を行うという、なんとも自分の学生時代には考えられないことになっています。
special dinner
ちょっと前までは夜の会議には事務局員も含めて弁当を出していた大学コンソーシアム京都ですが、財政の圧迫という理由で、委員も含めてあまり出さないことが多くなってきました。今日もその例外でもなく、その分議事も早く終わったような気もしないではありません。しかしながら終了後、委員の先生にお声掛けいただき、おもわずうなぎひつまぶしを頂戴することになり、その場の話も含めて思い出深い夜になりました。
2005年11月2日水曜日
scenario
2005年5月に本格稼働し始めた「京都学術共同研究機構」の研究開発委員会がありました。その名のとおりに、複数大学間による共同研究のテーマ検討などを行うことが趣旨なのですが、どうも大御所の皆さん方が委員ということもあって、会議の席上では十分な議論ができません。何とも台本通りといった議事進行につき、釈然としない顔でお帰りになった方もいらっしゃったのが実に気になるところです。
2005年11月1日火曜日
schoolmate
静岡県の高校生で関西に来るというのは、めちゃくちゃ珍しいわけではありませんが、あまり多い方ではありません。そんななか、毎週神戸まで「三都物語」をしているゆえ、せっかくなのでちょっとした同窓会をしてきました。30歳を迎えている今を見つめつつ、それでもなんとも懐かしい話に浸りながら、普段忘れかけている何かを見つめ直した、そんな気分で終電により帰宅です。
2005年10月31日月曜日
cycling with camera
当面悦に浸るであろう「アートなまちの探検隊」の第二日目が行われました。カメラを携え貸自転車にてまちの魅力を抽出してくるという6人程度のグループの旅です。悦に浸っているのはその「まとめ方」でして、そうして抽出してきたまちの情報を一旦カルテにまとめて、さらにそれを絵はがきにするということで、ここでMacユーザーの本領を発揮した成果物を仕上げていくのでした。
2005年10月30日日曜日
art of folding paper
高校生を対象に大学を知ってもらう<京都の大学「学び」フォーラム>も、兵庫・大阪・東京・京都(福知山)とやってきましたが、今日が最終日、京都市内会場でした。あいにくの雨模様ではありましたが、学園祭の雰囲気がちょっと漂いつつある大谷大学をお借りしての実施でした。今回は模擬授業だけではなく「なんでも体験コーナー」と称された教室の運営補助でしたが、要員ながらに素敵な折り紙建築の見本にうなってしまいました。
2005年10月29日土曜日
board meeting
博士論文執筆を契機に関わり始めた上町台地からまちを考える会ですが、やりがいを感じて業務に支障のない限りで関わっております。さらには業務に関連づけて調査研究事業を受託するなど、拡がりも見せてきています。ただ、こと理事会ということになると一定の緊張感も出てくるわけでして、今日は秋のイベント運営に関する最終確認を行った次第です。
2005年10月28日金曜日
french in the university
学食もどんどん変わりつつあります。もちろん昔ながらの安い、早い、多い、という食堂も残っていますが、例えば京都大学の時計台にあるレストランなどは地域の方々の予約が凄まじく、逆に学内の人々の予約ができないという笑えない事態が起こっているとのことです。そんな学食事情のなか、夏の講義にてお世話になったご縁で、同志社大学のフランス料理のレストランにご招待をいただき、大変素敵なお食事を頂戴いたしました。
2005年10月26日水曜日
reservation
限定ということばにクラっと来てしまう、悪い癖があります。この日予約開始となるある「限定商品」が朝10時から受付とあって、ちょっと職場からインターネット経由にて無事手続きをさせていただきました。到着は11月ということで、今から楽しみにしております。
2005年10月25日火曜日
EXPO'70 memorial
愛・地球博が行われた2005年ではありますが、35年前の大阪万博の折に建築された建物にて大阪ガスのエネルギー文化研究所の会議を行いました。現在、日本万博記念機構ビル2階と3階に、大阪大学コミュニケーションデザイン・センターが入っているためです。古い建物の中には当時の電気自動車などが展示されていたりと、何とも不思議な雰囲気でしたが、会議室は長机ではなく丸テーブル、壁一面がホワイトボードなど、まさにコミュニケーションデザインに向き合う拠点にて、マンション住民と地域住民とのコミュケーションのあり方について実に爽快な議論をしました。
open sesame
条例上休館日である月曜日のキャンパスプラザ京都ですが、職員はカードキーで開錠することができます。そんなわけで、社会は動いている月曜日ゆえ、電話で済ませる仕事やどうしても職場にやってきて火曜日には間に合わせなければならない仕事をしに来る職員もいます。今日は私も関わる職場内部の会議をキャンパスプラザ京都で行うという、条例に配慮するなら議事録に場所を書けない会議を行うことになり、カードキーで入退館できる通用口にて出席者の先生方をお迎えするという、何とも言えない係を務めました。
2005年10月23日日曜日
dare to work
交代勤務日の日曜日もあえて出勤する場合があり、今日はまさにその日でした。休日出勤ではなく、予め出勤日にしておくことで、別の日を休みにすることができるためでもあります。もちろん、身勝手にしているわけではなく、条例上必ず日曜日であっても職員が勤務して応対しなければならないためにそうした措置がとられているわけですが、職員個人としては月曜日は確実に休みのため、火曜日を休みにしておけば、世の中は休みではないためにちょっと得した気分になったりと、小さな幸せに浸ることができます。
ordinary day
キャンパスプラザ京都が月曜日が休館ということもあって、大学コンソーシアム京都では土曜日は通常出勤日です。それでも、日曜日にイベントが多い10月には、週休2日分を確保するために、土曜日を休みにするかたが多く、事実上交代勤務になっています。ちょっと人数が少ない職場では、電子メールの返信や、ちょっと込み入った書類の作成などがはかどって、得した気分で帰宅できます。
2005年10月21日金曜日
early shift
=我が職場、早番なるものがあります。というのも、自分の大学以外の講義を正式に受講して単位を取得することができる「単位互換制度」に提供された科目の一部がキャンパスプラザ京都で実施されるため、準備のために早く来られる先生方のお世話などをさせていただくためです。30分早く来ることになっているものの、実際はもっと早く来られている職員の方がいるのですが、結果として自分にとって普段見慣れない風景、例えば小学生の登校風景などを見ることもでき、新鮮な気分で一日の始まりを迎えられました。
dark and deep
今年立命館大学の非常勤講師に起用していただいた大学時代の恩師と、実に久しぶり、もしかしたら初めての「しっぽり飲み会」をしました。町家を改装した、ちょっと暗い雰囲気のお店のカウンターにて、コース料理と焼酎を頂戴しました。学生時代には突っ張って泣きながら自分の研究の正統性と正当性を主張してきたのですが、今ではそうした「熱い」学生がいないと、遠回しにお褒めのことばをいただき、ちょっとお酒への足が速くなってしまいました。
2005年10月19日水曜日
thought of Kamikatsu
今年獲得に携わった助成金の一つに、T-TAT地域連携軸形成支援助成というものがあります。これは丹後(京都府)、但馬(兵庫県)地域から、 阿波(徳島県)、土佐(高知県)を結ぶ軸線の上にある地域間交流の事業に対して助成されるというものであり、 T-TATとはそれぞれの地域の頭文字(Tango, Tajima, Awa, Tosa)であるとともに、地域間を結んだ軌跡が「T」の形である上「tat」ということばが英語で「編む」「つくる」との意味があるところに由来するゆえに命名されたとか…。何ともひねりすぎのように思えますが、それ以上に頭をひねって、申請書に記した「京都と上勝(徳島県)」との協働事業において、何にどう使うと「助成金終了後」も連携が続くかと、3人集まって文殊の知恵を絞りました。
2005年10月18日火曜日
university-local government partnership
地域(特に地方自治体)と大学が連携する「地学連携」がいよいよ広域の展開になってきました。大学のキャンパスがある「ご当地」の自治体と大学との連携は「包括協定の締結」といった形で各地で取り組まれてきていていますが、どうやら来年度、京都府が京都府域で地学連携の取り組みを推進していくもよう、とのこと。そんな流れを受け、本日事務局長の特命を受けて内閣官房都市再生本部や京都府向けの「メモ」を作成し、その内容について何人かで精査する機会を得ました。
preparation for preparation
今年最高の思いつき企画であると自負する「アートなまちの探検隊」が近づいて来ました。約2週間を前にして、主催団体で担当していただいている方との打ち合わせを行いました。普段自分が事務局を務める場合は間際の集中力と瞬発力で何とかしていくわけですが、こうして他の団体とともに行う場合でもこまめな打ち合わせを行う直前の集中力と瞬発力で準備したものを素材に、企画を練り上げてしまう、ちょっと悪い癖が抜け切りません。
2005年10月16日日曜日
SD
SDフォーラムと言ってピンと来る方は少ないでしょう。ここでのSDとは(大学)職員としての能力開発「Staff Development」の略語であって、教授能力の開発「Faculty Development(FD)」と対比して用いられることばです。「一応」大学の職員ではないのですが、大学職員としての能力については大いに興味あるところであり、運営要員でありながら内容に学ばせていただきました。
a party after the party
以前よりお世話になっている方の、結婚式の二次会に参加させていただきました。お知り合いということもあって、企画側として、です。担当業務は写真撮影でして、3台のカメラを駆使して、「末永くお幸せに」という思いをシャッターボタンに乗せて、場面場面で「これ」という風景を切り取らせていただきました。
2005年10月15日土曜日
Kyoto and Irish
東京からお客さんがお見えになったので、そういう時に連れて行く「隠れ家のよう」なお店にお連れをしました。京都の地の方ではない場合、何となく多くの人が抱いている印象は、自分自身が京都人ではないゆえ、わかっているつもりです。そんなお店にお連れした後はアイリッシュパブにて雰囲気を変えて…という展開が私の王道なのですが、お酒が進んで、どうもいかんです。
2005年10月14日金曜日
research discussion
9月に合宿を行った「事業評価研究会」の今月の研究会が行われました。参加者の知を編集した結実とも言えるホワイトボードにまとめた図のデジカメデータが消えてしまった(決して意図的に消してしまったわけではない)ので、そのときの内容を思い返しながら議論をしました。とりわけ、NPO向けの融資制度が各地で活発になってきていることもあって、どんな団体がどのような支援を受けると、NPOの領域がより活性化していくのか、といったことについて、多くの現場の事例をもとにして深めていきました。
2005年10月13日木曜日
meet and dine
会議をして食事をする、そうした機会が多い仕事と暮らしを送っています。この日も、昼食は同志社大学にて会議の場で頂戴し、夕食は大阪市の会議の後で同じ会議の参加者とご一緒させていただきました。こうした形態に慣れてしまうと、ほんとうに話したいことはどの機会に誰に言えばいいか、という勘所がついてくるので、会議と食事、その趣旨が反転してしまうことも度々あって、なんとも言えない感じです。
2005年10月12日水曜日
department association
京都市の商業振興課の調査研究の打ち合わせで、京都百貨店協会を訪問しました。協会というとどこかビルがありそうな響きですが、京都市内の百貨店が持ち回りで事務局を担っているそうでして、今年の当番でいらっしゃる藤井大丸にお伺いさせていただきました。そういう意味では、大学コンソーシアム京都も「京都大学協会」のように受け止められることが多いので、京都駅前の建物に30名程度の職員がいるということを知って驚かれることもあります。
2005年10月10日月曜日
reserved day
京都学生祭典は相当のお金と時間が投じられた企画です。これまで雨の場合は雨天プログラムにてなんとか行ってきて、仮に大雨の場合には中止するということにしてきたのですが、さすがに前年度の大幅縮小の余波を受け、今年は予備日が設けられることとなりました。ということで、滞りなく実施されたゆえ予備日は自分にとっての休息日とあいなったわけで、前日に持ち帰った「予備」ならぬ「余り」のおにぎりを自宅で食し、ゆったりした一日を過ごしました。
Kyoto Intercollegiate Festival
快晴で迎えた京都学生祭典です。昨年は屋内の催しを中心に実施することになり、来場者もグッと減ったものの、今回はまさに市民参加の催しといって遜色のない風景が各所で見られました。京都・学生フェスティバルの時代は会場の写真撮影を担当し、京都学生祭典の時代では第1回にはみやこメッセでのグランドフィナーレの会場企画運営統括、第2回には京都会館第2ホールでの京都国際学生映画祭の運営責任者、そして今回第3回では岡崎グラウンド縁路での模擬店の運営統括を務め、いずれにしても現場の即断、即決を行いながら、滞りのない進行のために身を尽くしました。
2005年10月9日日曜日
calm before the storm
まさに嵐の前の静けさ、というのはこういう日のことを言うのかも、という一日でした。というのも、京都学生祭典を間近に控えて、あまりにあわただしくなかったからです。キャンパスプラザ京都のオープニングイベントとして京都駅ビルにて2000年から取り組まれた「京都・学生フェスティバル」が3回行われた後、舞台を岡崎(平安神宮周辺)に移して財界や自治体の支援も受けることで10万人規模の事業に拡大した「京都学生祭典」ですが、果たして昨年は泣かされた天候がどう出るのか、この1年間の関係者の行いがよかったものであったと信じて臨むことにしましょう。
2005年10月8日土曜日
film preview
知り合いの僧侶、秋田光彦さんが原案を書かれた映画「カーテンコール」の試写会に行って来ました。昭和30年代の映画館を舞台にした物語で、当時は表面化しなかった幾人にもまつわる物語が現在の社会に重ねられていきながら家族とは何かを紐解いていく、佐々部清監督の手腕が際だつ映画です。知り合いだからというわけではなく、なかなかおすすめの映画なのですが、同じ昭和30年代を扱った「Always−三丁目の夕日」がより明快な展開となっていることもあって、どうしても比較されがちとなってしまい、ちょっともったいないな、という思いを抱いています。
2005年10月7日金曜日
liaison office
リエゾン・オフィスということばも、大学界隈では聞き慣れたことばになってきました。リエゾン(liaison)とはフランス語の「連携」を意味することばに由来し、転じて産学連携、地学連携といった取り組みを推進していくための窓口機関のことを指すのですが、そういう意味ではどんな相手でも連携していくための方策を練る知恵袋集団という性格も付与されることになるわけです。そんなリエゾン・オフィスの担当でもある私が今回携わることになった案件は、「市政50周年の記念イベント」における学生によるカフェブースの企画運営というものでして、地元の方々との顔合わせ会に参加すべく、亀岡まで足を運んできました。
2005年10月5日水曜日
different meeting place
職場であるキャンパスプラザ京都は京都駅から徒歩5分ということもあって、よく会議場所として使われます。しかし、この日の会議は全ての人にとってキャンパスプラザ京都が都合がいいというわけでもないので、キャンパスプラザ京都より3人が出向く形で、大谷大学にて行われました。京都は北に行くほど標高が高くなっていくので、大谷大学の会議室からの風景は烏丸通りのほぼ北端から見下ろす形となり、普段と雰囲気も変わって話も盛り上がり、よかったです。
2005年10月4日火曜日
contract research
このところ財団法人大学コンソーシアム京都は、京都市の商業振興課より委託を受け、商業振興に関する研究を毎年行ってきています。2年前には10年間を見通した商業振興策について各大学のゼミ単位での研究を複数取りまとめ、1年前には商店街における大学を活用した商業振興のあり方についてまとめました。今年は大規模小売店と駐車場整備が課題であり、「難攻不落の御池城」とも言われる京都市役所で打ち合わせをしてきました。
2005年10月3日月曜日
acrobatic schedule
このところ、何とも言えない移動が続いています。壮絶なスケジュールをやりくりして福知山に行った次の日は、朝から大阪の住宅局関係の打ち合わせで大阪へ、その後歯医者のために京都へ、終わってすぐに大学の講義で神戸へ、そうして夜からのトークサロン形式の学びの場に参加するため再び大阪へ、という具合です。バタバタした移動の最後には必ずと言っていいほど宴席が用意されているわけで、楽しさに浸りつつも次の日には「もうちょっとひかえておけばよかった」と毎回思ってしまう今日この頃です。
2005年10月2日日曜日
connection with Univ and high
福知山への出張は、京都府北部地域の高校生を対象にした進学関係イベントのためです。18歳人口の減少によって、2007年には大学全入時代が到来すると言われています。単に入試難易度が高い、あるいは立地やイメージだけではなく、学びたいことを学ぶ大学選択のためのきっかけと習慣をつくる事業の、会場運営の補助を一日行っていました。
tightrope running
朝から伏見で散髪、昼から谷町6丁目で映画関連のイベント、夕方から玉造で大学院時代に行っていたプロジェクトの同窓会、夜には高の原でお通夜、そして深夜に最終電車で福知山で移動という、実に忙しい一日でした。忙しいという字は「心を亡くす」と書きます。少なくともその場その場で出会う方々に心ない人と思われぬよう、最大限、精一杯の立ち居振る舞いをしたつもりです。
2005年9月30日金曜日
2005年9月29日木曜日
memorial campus
久しぶりに6年間を過ごした立命館大学びわこくさつキャンパスに行きました。キャンパスが開学した年に一回生で、理工学部環境システム工学科の一期生だったのでした。変わったところ、特に建物の量はものすごく変わっているものの、全く変わっていないところ、特に掲示板の掲示物もあって懐かしい感じがしました。
2005年9月28日水曜日
support lecture
徳島から直接向かったのが「栗東ガンバル基金」という、ボランティア団体・NPO向けの助成金の採択団体向けの講座でした。「おうみNPO活動基金」は、滋賀県が出資した財団法人「淡海文化振興財団」によるもののですが、こちらは栗東市が直接行っているものです。こうした場には、地域特性を反映した悩みや疑問が持ち込まれるので、こちらも真剣勝負になり、緊張感があります。
memory vanished!!!
朝に大阪で会議、その後徳島に移動。そんな移動のなかでBlogの更新をしようと思っていたのですが、緊急事態発生!!なんとデジカメのメモリカードのデータが消失してしまったのです…。ということで、更新が遅れ、一部の画像は「その場」のものではなく、3文で終わっているもの(この日記、一応「起承転結」の4文で組み立ててきたのでした)には後追いで画像を挿入させていただくこと、お許しください。
2005年9月27日火曜日
hospital art
京都造形芸術大学の「人間館」では実に多彩なシンポジウムが開催されるのですが、今回は病院でアートすることについて取り上げられ、遅参ながらに参加させていただきました。病院とアート、一見合わないようにも思えますが、もしそうなっているとしたら、むしろ問題と言えるかもしれません。よりよい環境のなかで治療が行われる上では、その人の生き方に色を添えていくことが必要だと思うためです。
2005年9月26日月曜日
sharing party
文献講読の合宿は大津で実施をさせていただいたのですが、それも私が次の予定を大津で迎えることになっていたためです。というのも、おうみNPO活動基金の運営委員をさせていただいているのですが、その助成先の活動発表会が行われたためです。ちなみにこの基金、助成金は県の予算に加えて企業と個人の寄付をあわせて事業に助成し、さらにはサポート委員が現場にお伺いして相談に乗るなどの特徴がありますが、こうした活動発表会の際にお酒を交えた交流会をすることもやはり欠かせません。
2005年9月25日日曜日
reading camp
現在、京都のNPO関係者で「事業評価研究会」を組織しています。そのメンバーで「一気阿世」で読み深めてしまおうと、文献購読合宿を実施しました。それぞれが担当部分を読んできて資料を準備し、それをもとに内容を解題するという機会をNPOワーカーでつくることができるのも、京都の地域が持っている文化なのではないかと思っています。
2005年9月24日土曜日
multui act by only one person
年に数度観劇しているイッセー尾形さんの一人芝居。今回もまた感激してしまいました。緻密な描写のなかに、どこかで見た、知った、感じた、そんな風景が展開され、何度見てもその表現へのこだわりにうならされます。
2005年9月22日木曜日
parking lot?
京都市内での打ち合わせでお伺いしたお宅に掲げられていたのが「当家の車が帰ってきます」という張り紙。どうみても、路上にはみ出すスペース宇です。とはいえ、確かに家の前に路上駐車されてしまうと、なんとか停めたいときにも停められないのですが、京都人ゆえの「単純に家の前に路駐するな」という主張とも見受けられるのでは、と深読みしてしまうのでした。
2005年9月21日水曜日
special morning
だんだん定例化してきた素敵な朝食会。2002年に米国国務省の研修に参加して浸ってしまった、心地よい文化の一つです。たとえば、京都駅ビルのホテルグランビア京都にて、ちょっとお金と時間を割けば、普段の朝、普段の会議とは違った雰囲気の中で、込み入った話を徐々にひもとくことができ、おすすめです。
official party
年度途中の送別会、何度か行われています。派閥うんぬんなど、たいそうなものではなく、幹事と店の選び方と会費の傾斜配分などで、微妙な違いがあります。要するに、インフォーマルな仲間内のものと、事業部によるオフィシャルなものの違いなのですが、大きな違いは二次会、三次会と続くか続かないかという点もあります。
2005年9月19日月曜日
setting
とりたてて何も予定のない一日。そんな日もあります。こんな日は長湯して、部屋を片づけて、といった時間を過ごすのですが、今日はオークションで届いた液晶ディスプレイを箱から出して部屋に据え付けたのでした。
2005年9月18日日曜日
ontime?
オークションで物を買うことが増えています。そんなとき困るのが不在がちなことで、後でこちらの都合で24時間窓口に取りにいけるできるだけゆうパックにしてもらっています。今回はそれが叶わなかったので「午前中」の時間指定をさせてもらったのですが、到着が11時55分くらいということで、なんともなと思った次第です。
final train
24時24分快速、これが大阪発京都方面の最終列車です。このところどうも酒に負けてしまい、京都を乗り過ごすことが増えてしまっています。そして、今日も…ということで、次からは終点で必ず起こしてもらえる24時16分の京都行き普通列車にて帰ることにしようと、固く決意したのでした。
2005年9月17日土曜日
interview
後輩を育てるということに、思い入れがあります。阪神・淡路大震災にていても立ってもいられない、という衝動から震災ボランティアをして10年。社会が入れてくれた、世の中に関心を抱くスイッチを多くの人に入れてもらおうと、特に後輩からのヒアリング調査の依頼は喜んで受け入れており、今日も1時間以上、熱弁をふるってしまいました。
2005年9月15日木曜日
training for Shiga Pref
滋賀県の職員の方々を対象にした防災関係の研修にて講師を務めました。防災が第一の専門というわけではなかったのですが、災害ボランティアをしていたことなども重なって、こうした機会を頂戴した次第です。夏に仕入れた、鳥取県智頭町発の「四面会議システム」を導入するなど、自分にとって大きな挑戦の場となりました。
farewell party
年度途中の送別会が執り行われました。なんとも、突然やってくる送別の機会というのは悲しいものです。それでも新たな活躍の場に飛び立っていくことを応援しよう、と、少し飲み過ぎてしまう「便乗組」の一人になってしまいました。
2005年9月14日水曜日
at Osaka Castle
なんと大阪城天守閣での講演会に出席してきました。数ある講演会のなかでも、「城」でやると案内をもらったのは今回が初めてです。有料入場ゾーンということもあって、入り口に係の方がいらっしゃって、誘導されて「入城」するというのも、なんとも不思議な感じでした。
2005年9月12日月曜日
another lecture
今年は同志社大学の非常勤だけでなく、モード学園系列の「大阪医専」という専門学校にて人間関係論を教えさせてもらい、今回が15回連続の講義の最終回でした。基本はテキストに沿うかたちで進めてきたのですが、ビデオなども用いながら工夫をしてきたつもりです。とはいえ、専門学校で教える経験は、これまでいくつかの場面で「伝えることよりも伝わるように」という思いを持ってきたことを再確認させてもらう、貴重なものとなりました。
2005年9月11日日曜日
the day
非常勤講師生活を終え、ちょっと一息。本当は千里で行われたフォーラムに足を運ぼうと思っていたのですが、この間、メール返信が滞っていたこともあって、一度返信執筆モードに入ると、外に出るタイミングを逸してしまいました。ふと気づけばアメリカ同時多発テロから4年の日であり、月日の流れをかみしめつつ、キーボードを打っておりました。
intercollege exchange
非常勤講師も最終日、総合ディスカッションで締めとなりました。今回の講義は、言うならば「問題発見型」さらには「問題解決型」の講義として組み立てられたものでして、昨今増えてきている障がい学生の支援のあり方について、特に聴覚障害に着目していきました。同志社、立命、龍谷、京産、佛教、花園、その他早稲田など、多様な大学からの受講生によって共有すべき「知恵」を紡ぎだしました。
2005年9月9日金曜日
PC note take
非常勤講師の4日目、この日はその他の日と異なって同志社大学での「オンキャンパス」による、パソコンを使った聴覚障害に対する情報保障に冠する実習でした。単位互換制度は大学コンソーシアム京都が音戸とりは行っているものの、財団法人であるゆえ、大学の講義を「開講」して「単位付与」を行うことができません。つまり、どこかの大学に開講していただいたものをほかの大学に提供していただくという枠組みを取っており、「学びのバリアフリー」は同志社大学による開講科目ゆえ、同志社大学の「自大学(オンキャンパス)」による講義日だったのでした。
live on air
非常勤講師の3日目、やはり「それ」だけでは終わりません。会議がいくつか入るのは「想定内」ですが、この日はラジオの生放送に出演しました。「FM看護系★ナイト」と称された看護師による番組でして、放送局は「なんだ」と言われそうですが「京都三条ラジオカフェ」(FM79.7MHz)です。
2005年9月8日木曜日
dinner meeting
非常勤講師の2日目、粛々と講義の運営を行った後、2つの用事を淡々と済ませました。もちろん、粛々、淡々、と言っても手を抜いているわけではありません。とりわけ、夕食を取りながらの打ち合わせは「アートなまちの探検隊」の反省会と次回打ち合わせでして、ベジタリアン系のおいしい料理とともに、話も弾みました。
2005年9月6日火曜日
lecturer
5日間の非常勤講師生活の初日です。大学コンソーシアム京都の単位互換性度の「コーディネート」科目の一つ、「学びのバリアフリー」を担当しています。集中講義の第2講にて「コミュニケーション」のついて話をしたのですが、ちょっと工夫して「となりのトトロ」を使い、それなりにわかりやすかったのでは、と自負しています。
medical building
毎週1回通っている鍼灸治療室、その隣は歯医者です。ともに1997年からお世話になっているのですが、とりわけ「電気製品と歯は自然治癒しない」という信念を持っているので、このところ歯医者さんにこまめに通っています。身体が壊れて、現場に立つことができない「敗者」にならぬよう、大丸京都店隣のビルの2階の2部屋に支えてもらいながら生活を送っております。
2005年9月5日月曜日
live
知り合いのライブ、久しぶりにお伺いさせていただきました。お客さんの反応を見ても「実力派」であるということが感じ取られるもので、昔から知っている者として、なんだかうれしかったです。ルーランジェ、というバンドですのでよかったら気に掛けてみてください。
2005年9月3日土曜日
town exploring
大阪にある應典院という寺院が主催するイベント「アートなまちの探検隊」の第1日目。この企画は、多彩な魅力のある上町台地を「アートなまち」と捉えて、その彩りの内容を貸自転車にてグループで探検しようというものです。企画全体の統括を務めさせてもらいましたが、めちゃめちゃ「おもろい」ものに仕上がり、大満足です。
reduce disastars
今年もいくつかのプロジェクトに携わっていますが、中でも京都市消防局による「避難誘導」の研究は興味深いです。切り口は「減災」。災害が発生するのはやむを得ないとして、災害による被害をいかに減らすか、というのが鍵です。
2005年9月1日木曜日
office meeting
毎月1日は事務局会議です。朝9時半から、事務局員全員が一同に会して当面の動きを確認する会議です。8年前、今の組織に関わり始めたころは、大きな部屋に広く掛けて、ゆったりした議論をしてきたのですが、30名規模になった今は、小さな部屋にギュッと押し込まれたなかでの会議になり、組織の成長を実感する次第です。
training camp
昨年度で「修了」した大阪大学大学院人間科学研究科ボランティア人間科学講座の渥美研究室ですが、そのおつきあいまでも「終了」したわけではありません。昨年度から始まった3日かけて行われる「血祭り」合宿に一日だけ「乱入」させてもらいました。白浜での合宿。移動にかなりの時間を費やすことになりましたが、去年私がそうされたように、今年度修士論文や博士論文を執筆するみなさんの草稿を事前に目を通し、まさに辛辣なコメントで「血祭り」に上げさせていただきました。そんな場に乱入するOBがさしずめユニフォームのうに着ていったのは、修了パーティーの際に後輩からプレゼントされたTシャツでした。
2005年8月30日火曜日
Korea Town
この夏、韓国旅行をする予定だったのですが、同行する方のご都合なども重なって「コリアタウン」で納涼会を行うことになりました。ちょっとディープなまちの探検を行い、その後は奥深い味付けの料理を堪能しました。一人ではなかなか行かないところにみんなで行くと楽しみも膨らみます。まさにそんな日の象徴のような一日で、「まさに典型的な大阪のおっちゃん」みたいな方も交えて、大変盛り上がった夜でした。そんなコリアタウンに向かう間に目にした、「自動車置場」なる駐車場の名前にも、まちのディープさを感じました。
encolleged activity
どんな小さな放送局でも、放送法上「番組審議会」をしなければなりません。全国初のNPOによる放送局「京都三条ラジオカフェ(FM79.7MHz)」も例外ではありません。ただ、杓子定規な会議ではおもしろくないということで、毎回審議の対象とする番組の制作者の方をゲストにお招きしています。この日は全盲の方(無職)が精力的に取り組んでいる「がんばれイラク市民ラジオ」を取り上げました。そうして実直な取り組みには一定の評価がかえって来るという実感を携え、上町台地で取り組んでいる「上町マップ」の現場に向かいました。
2005年8月29日月曜日
summer-seat : floored
京都の夏の風情、納涼床の一席にあずかることができました(そして、眼下には鴨川名物の等間隔カップルを見ることができました)。研究会の後に研究会での議論を肴にしつつ、他地域からの出席者の方と楽しいときを過ごしました。ちなみに今日は休みをいただき、京都文化博物館でやっていた戦後60年特集の映画上映へも足を運んだのですが、「私は貝になりたい」を満員の映像ホールで鑑賞し、昭和36年当時の製作者の意図から平和を実現することへの痛切な叫びを感じ取りました。そうした感覚も抱きながら、納涼床の後はアイリッシュパブで玄妙なスコッチを口にし、若輩者ながら話の合うみなさんと世相を斬る夜を楽しみました。
2005年8月28日日曜日
autumn-fish : saury
秋の味覚、サンマを今年初めて食しました。ちょっと小粋な料理屋さんに、大学時代の友人と訪れたのですが、そこで鯖を注文したところ、返ってきたのが「鯖よりも秋刀魚がおすすめ」とのこと。まだまだ夏と思いきや、季節は移ろいゆくもので、ちょくちょく自宅でやっている「七輪で秋刀魚を焼く会」の開催に思いを馳せてみたりしました。ちなみに年齢の移ろいを感じたのが、深夜1時まで続けたカラオケでして、肺活量に衰えに近いものを認めざるをえなくなってしまいました(が、これは鍛えれば何とかなると思われるので、ガンバリマス)。
2005年8月26日金曜日
really fixed?
肌身離さず持ち歩いている秘書代わりのPalmが(も)壊れ、実は修理に出しておりました。しかしながら戻ってきた端末、電源が入らずに悶絶し、さんざん調べてわかった原因が「電池の液漏れ」で、幸いにして電極金具は生きていたので、適当に清掃して事なきを得ました。というのも、このところ、FOMA M1000を持ち歩いていますが、このPIM機能(スケジュールやアドレス帳など)が全く使いにくく、さらには充電池の持ちがそれほど良くないので、改めて乾電池Palmのよさに浸っていたのですが、なんと今のPalmの修理方法は「交換修理」というもので、新品に近い在庫品を交換品として送り返すことで修理対応を行うというものであり、つまりは電池入れっぱなしで相当期間眠っていたものが修理品として届いたのでした。ちなみにPalmも素晴らしいのですが、Apple社のNewtonに優るものはないと実感しております(が、1999年に2000upgradeを1年ほど使用:オートバイの振動により液晶のタップ機能に不具合が起き修理費13万円の請求に無言となって文字通りお蔵入り中)。
2005年8月25日木曜日
who owned?
余裕のあるときには多くのものに出会うことができます。この日見かけたのが「出世稲荷邸新築工事」の看板です。確かに、何らかの建物を新築するのでしょうが、せっかくパソコン等で名称用の素材を作成するのであれば、「邸」の部分まで工夫してもよかったのでは、と思ってしまいました。もちろん、出来合の看板を流用することを否定するつもりはないのですが、何だかピンと来ないというか、逆に笑えてくると言うか…。一国一城の主、ということばがありますが、まさに立身出世すれば、「邸」が建てられるということで、一つ掛詞の魅力をネタとして見出せてよかった、と変に納得しておきましょう。
2005年8月24日水曜日
cleaned
朝からの打ち合わせで使う資料が準備できておらず、思いっきり早い出勤をしてみました。普段は人と車の波を自転車で全力疾走しながら職場に向かうのですが、いつもとは違う風景を楽しんでみました。そうすると、地元(と思われる)方が、二条城のあたりをおひとりで清掃されている風景に出会いました。こうした方の心持ちが、地域の人たちが誇りに思えるまちを創りだしていくのではないか、と少し感動して、気持ちよく出勤し、そして資料も準備でき、心地よい始業時間を迎えたのでした。
creativity
代々木ゼミナールに、とある映画の撮影協力の仲介者として訪問しました。そこでは、以前から注目している創造力あるポスターが随所に貼られていました。この夏は、「夏の間に力をつける」ということで、夏という漢字を上下2つの部分に分け、力という漢字が挿入されています。さしづめ、この夏の私の生活は「夏の間に肉がついた」ということで、もまもなく終わりですが、夏という漢字を上下2つの部分に分け、肉という漢字が挿入されたような、そんなイヤ〜な想像をしてしまいました。
2005年8月22日月曜日
renewal
運転免許、有効期限の最終日に更新です。それと同時に、ゴールド免許からおさらばすることになり、順調にいけば次回再び復活となります。ちなみに、最終日まで引っ張ったのも、一日でも長くゴールドのままでいたかった、という思いがあるのですが、中越地震の被災地で先般周辺自治体と合併した山古志村長島前村長は、情熱大陸という番組の最後に「ゴールド免許に更新できて、あと5年間は山古志村の名前が手元に遺る」ことのよろこびを語っていたことをよく思い出します。ちなみに、私の免許証には「小特」も所有していることがあるので少し誇り高いのですが、逆に不名誉なこととして、免許の枝番が「3」、つまり3回再発行している記録が遺っているのです。
jizo bon
京都をはじめ、関西を中心に根付いている風習に「地蔵盆」があります。もともとは地蔵菩薩の縁日、8月24日のあたりに行われるお祭りだったとのことですが、今ではお盆明けの都合のよい日、特に土日に行われる、子どものためのお祭りです。(仏教の)僧侶による読経や数珠まわし、おやつの配布、福引き、そしてお供えのお下がりの配布など、年に一度の風物詩となってきていますが、最近は子どもが減ってきたこともあって、どこのまちでも簡素化が進んでいるようです。我が町内では、お地蔵さんのお飾りを我が家(正確には、お借りしている大家さん)の土蔵でお預かりさせていただいていることもあって、出来る限り休みを取って参加してきたのですが、なんと今年から一日で開催する圧縮日程になり、その上、家でいくつか作業をしていたことも重なって、充分に地蔵盆の雰囲気を感じ得ぬまま、片づけの時間を迎えてしまいました。
2005年8月21日日曜日
Kyoto Tower
内蒙古の沙漠緑化には通算5回行っているのですが、当時学生だった皆さんは、就職するなどして、それぞれの近況が気になり始めているようです。そして、今日、インターネットを通じたやりとりを通して、集まりましょう、ということになりました。残念ながら、あいにく予定の調整がつかなかった方も多かったのですが、それでも昔話に花が咲き、さらには自分が沙漠に植えてきた草木の様子、ひいてはそれぞれの将来について、それぞれに話題や意見を引き出し合い、楽しいお食事会になりました。そんななか、学生時代を京都で過ごした人も多かったので、あえてみんなで上ったのが京都タワーで、改めて京都のまちを見下ろしながら、来年で完了しそうな内蒙古の地、そして学生時代を送った京都のまちに思いを馳せたのでした。
2005年8月20日土曜日
settings
新たに入手したM1000、電話しかできなかったM1に比べると、まさに1000倍くらい機能が盛りだくさんで、操作を習得するのが大変です。今回購入に踏み切った理由の一つに、パソコンを持ち歩かなくても一定の通信環境のもとでメールやインターネットブラウズが出来るということがあります。そのため、WiFiという規格の無線インターネットの設定を行い、外出先でも条件さえ整えば、普段使っている、いわゆるPCメール/パソコンメールと呼ばれる、POP3/IMAP4メールの読み書きが出来るようになりました。これで肩こりなどに悩まされていたパソコン携帯生活には区切りをつけられそうですが、M1000のPIM(Personal Informaiton Manager)と呼ばれる、日程、住所録、備忘録、雑記の類の機能は、PalmOSというもので動作するPDAに遠く及ばず、両者を持ち歩きながらの生活が続きそうです。
M1000にはBluetoothという技術も搭載されており、これでパソコンとのやりとりができるため、職場のiMacG5のOSを10.4にアップグレードしました(画面中央に映っている時計はApple社の本社があるカリフォルニア州クパチーノの現地時間、そしてiMacG5の上に乗っかっているのが、誕生日に頂いた「なまけたろう」くんです)
M1000にはBluetoothという技術も搭載されており、これでパソコンとのやりとりができるため、職場のiMacG5のOSを10.4にアップグレードしました(画面中央に映っている時計はApple社の本社があるカリフォルニア州クパチーノの現地時間、そしてiMacG5の上に乗っかっているのが、誕生日に頂いた「なまけたろう」くんです)