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2018年2月28日水曜日

崖の上と下と

FWSP(フィールドワーク社会心理学研究会)2018も最終日、3日目を迎えた。朝はcocoroomの茶がゆに始まり、ラジオ体操の後で、上田假奈代さんの案内のもと、釜ヶ崎のまち歩きとなった。研究者集団のまち歩きということに気を配っていただき、まずは統計データをもとに、歴史と現状を解説いただいた。そして、cocoroomによって作成された小冊子型の「釜っぷ!」を手に、まちへと向かった。


まずはcocoroomから堺筋の方向へと西に進んだ。郵便の受け取りサービスも行っている荷物預かり所、かつては小・中学校が置かれて「あいりん銀行」と呼ばれて親しまれてきたあいりん貯蓄組合」も入居する「旧・大阪市立愛隣会館」、多数の文化活動が行われている「ひと花センター」、無料休憩所と禁酒の館がある「あいりんシェルター(2つあるうち、萩ノ茶屋シェルター)」、そして西成労働福祉センターなどが入る「あいりん総合センター」を順に回った。その後、通称「四角公園」と「三角公園」と巡ると、三角公園にて、「ふるさとの家」のスタッフの方が、9人の参加者のうち、半分以上が男性であることに白羽の矢を立てたのか、「ちょっと男手がいるの」と假奈代さんを呼び止めた。そして、東京から届く備蓄用の食材(アルファ化米)の荷下ろしを手伝うことになった。


ふるさとの家」は、フランシスコ会の日本管区長を務めた本田哲郎神父が、その任を終えた後、長らく施設長となって人々の生を支えた拠点である。荷下ろしがてらに施設内を見学させていただくと、散髪の当番表には週に1〜2度、「本田」の名前が掲げられていた。その後は西成警察署を仰ぎ見て、新開筋商店街から「山王こどもセンター」及び「山王おとなセンター」の前を通り、金塚小学校手前の広場まで歩いた。そして、上町台地の上にそびえる阿倍野界隈と、台地の下の飛田新地とを対比させながら、「猫塚」で知られる「松乃木大明神」に立ち寄った後に再びcocoroomへと戻った。


假奈代さんとまち歩きの振り返りをした後、cocoroomでハヤシライスなどのお昼ご飯をいただいて、一行は大阪市立大学医学部附属病院へと向かった。小児科医で、この間、医療安全管理の専任医師としてお仕事をされてきた山口悦子さんに病院の紹介、研究・実践の内容をお話いただいた後、再び、若手の研究発表の時間となった。まずは「中国の住民主体地域経営:院前済生縁合作社の事例」、続いて「コミュニティの多様性に着目した地域防災に関する研究:フォトボイスを使ったクション・リサーチから」と2本、発表が行われた。この2本で多くの時間を費やしたために、最後「『秘密』と『嘘』の当事者学」は、終了時間を延長して、部屋の使用時間ギリギリまで議論を行い、3日間にわたる研究会の幕が下りた。


2018年2月27日火曜日

古巣での研究会

FWSP(フィールドワーク社会心理学研究会)2018の2日目である。昨日の立命館大学大阪いばらきキャンパスから、大阪市天王寺区にある浄土宗應典院へと会場を移した。2006年4月から2016年3月まで身を置いてきた古巣である。昨日は開始前に今年度に着任された立命館大学サービスラーニングセンターの担当課長・担当職員の方々にご挨拶をした。今日の開始前には秋田光彦住職、また私が秋田住職から受け継いだバトンをリレーした秋田光軌主幹、そして今年度から着任している繁澤邦明さんにご挨拶をさせていただいた。


朝は應典院でのお勤めから始まった。さすがに10年、お寺に身を置いてきたこともあって、一部、唱え間違えた部分があったものの、浄土宗の日常勤行を滞りなく勤めることができた。その後は應典院の本寺である大蓮寺が設置・経営してきたパドマ幼稚園の見学、そして園長を兼務する秋田住職との対話の時間となった。当初の構想では、黒門市場に出かけて昼食休憩を見越していたものの、インバウンドの観光地として定着してきたために、大変な賑わいとなっているから、と避けることを助言され、馴染みのお弁当屋さんの食事を研修室にていただくことにした。


午後には新規の参加者から、じっくり話題提供をいただいた。1本目は「校外実践家によるワークショップ型授業実践の学習環境デザイン」だった。続いて、「『浮遊する参加者』(floating participant)の実践コミュニティへの参加の意義:ある音楽アウトリーチ実践の事例から」と題して発表いただいた。午後のセッションの最後には「被災者支援における災害ボランティアに関する現場研究」と題した発表がなされた。


應典院のスタッフの皆さんと、同じく應典院の2階に入居する創教出版の職員の方々にあいさつをして、交流会の会場となるcocoroomまで、下寺町界隈の散策を兼ねて、徒歩で向かった。途中、一心寺や通天閣などに、全国からやってきた参加者の方々は興味が向いたようだった。cocoroomでは鍋をつつきつつ、串カツをほおばり、さらにはホルモン焼きとちらし寿司を味わいながら、多方面にわたって話の花が咲いた。私を含め、一部の参加者はcocoroomのゲストハウスに泊まり、明日の最終日に備えた。



2018年2月26日月曜日

大学でダレる経験を語り合う

朝の新幹線にて、実家から立命館大学の大阪いばらきキャンパス(OIC)にやってきた。国際線の預け荷物の基準に収まる最大限のサイズの、容積100リットルのスーツケースを抱えての移動である。バリアフリー化が進んでいる日本でも、時々、取り回しには苦労する。それでも、今回は乗車の3日前までに予約しておけば手頃な値段で「こだま」のグリーン車に乗ることができるチケットを購入していたので、普段よりはストレスフリーな移動ができたように思う。


今日から3日間、大阪でのフィールドワーク社会心理学研究会、略してFWSPである。初日はOICにて、明日は應典院にて、明後日はcocoroomと大阪市大病院と、会場を渡り歩いていく。今日は午前中に参加者の自己紹介を行い、久々の参加となる後輩が「主体性の喪失から復興へ〜不登校保護者支援の実践から〜」と題して発表した。キーワードの「聞き流す」が、参加者のあいだでバズワードとなった。


午後には、総合心理学部のサトウタツヤ先生をゲストに迎え、「TEA(複線経路等至性アプローチ)」のミニレクチャーとワークショップを行った。午後から参加する方もおられたので、午後の最初のセッションでは、11月にデンマークで参加したArt of Hostingの研修で紹介された「Appreciative Inquiry」の手法による、3人組でのインタビューを行うことにした。そしてレクチャーに続くワークショップでは、「大学時代にダレた経験」をペアになってインタビューし、それをTEAに基づくTEM(複線経路等至性モデリング)図にする、という流れをとった。


夜はOICのB棟1階にある「ライオン」にて交流会となった。杉万俊夫先生と共にFWSPの生みの親の一人、大橋英寿の指導で学位を取得されたサトウ先生にも引き続き参加をいただいた。今回は私を研究者の道に導いてくださった渥美公秀先生にもこの日に限ってご参加をいただき、また同世代の研究者との交流を深め、秋の学会シーズンに向けての研究計画を深める機会にもなった。泊まりがキャンパス内のセミナーハウスということもあって、夜な夜な飲み歩くことはできなかったものの、有意義な一日となった。






2018年2月25日日曜日

遊びをクリエイトするこどもたち

ファミリーコンピュータが発売されたのは、私が小学校2年生のときだった。同じまちに住む親友の家で、いち早く購入されており、その存在を知ったのである。テレビに向かい、2つのコントローラーで対戦するという経験は、鮮烈な記憶として今でもよく覚えている。初期にハマったのは「ベースボール」で、ジャイアンツをモチーフにしたチームでは、きちんと3番打者が当時のクロマティ選手を模したビジュアルとなっており、ゲームウォッチの表現に比べると格段に広がった世界観に感銘を覚えた。

昨日は日付が変わるまで、そうして幼少の頃にいくつかの遊びと学びを共にした親友と旧交を温めた。ふるさとのまちにスポーツバーが出来たことに、ささやかな驚きと、どんなまちにもユニバーサルに普及するものがあるのだという実感を携えつつ、オリンピックの中継を垣間見ながら、昔話に花を咲かせた。既に生まれ育ったまちで過ごした時間よりも、離れて暮らす時間の方が長くなっている。それでもなお、わがまちに戻ってくれば、往年の記憶が甦ってくる。

明日からの大阪での研究会の準備も滞りなく進んだために、今日は午前中にお墓参りに出かけた。デンマークに滞在するまで京都で乗ってきた車を実家に置いてあったため、その調子を確かめるためにも、愛車で出かけることにした。私の祖父は私が生まれる前に亡くなり、私の祖母は私が京都で働き始めて程なく亡くなった。お参りを終えると、お寺の駐車場で、近所の子と思われる2人が、木の実かゴミか何かで、野球のような遊びを行っていた。

私がこどもの頃、テレビのCMで「遊びをクリエイトするナムコ」というキャッチフレーズをよく耳にした。大学を卒業してから、きょうと学生ボランティアセンター(当時)の赤澤清孝さんと、「今のこどもたちは与えられるものばかりで遊んでいて、クリエイトしていないよね」というような会話をしたことを、よく覚えている。お墓参りの後には、高校時代の友人たちと、以前は自転車で集った喫茶店に車で集い、コーヒー1杯で3時間ほど、他愛のない会話を重ねた。夜には父母と共に食卓を囲み、懐かしい思い出に浸る3日間の実家暮らしを終えた。


2018年2月24日土曜日

思い出の痕跡を刻む

つかの間の実家暮らしが続いている。もっぱら向き合っているのは、26日から28日にかけて、大阪で開催されるフィールドワーク社会心理学研究会の準備である。Field WorkとSocial Psychologyの頭文字を取ってFWSPと呼ばれているもので、今回で14回目の開催となる。今回は私がホスト役を務めさせていただく。

実家には、既に私の部屋はない。したがって、畳敷きの客間の一部を、即席で仕事空間に仕立てることになる。そもそも無線LANが通っていて、電源があれば、たいていの仕事はできる。加えて、昨日開通させたモバイル通信があるため、特に困ることはない。

そうして研究会の準備を重つつ、隣町の浜松へ出かけた。昨日、鴨江アートセンターにて新たな参加型の作品が始まったと伺っていたので、興味を抱いて参加してみた。夏目とも子さんの作品で、「30cmを刻む・つなげる」 というものだった。10月から、何重にも塗り重ねられてきた壁を「30cmずつ」削っていくことにより、壁に色とりどりの文様が浮かぶ、という趣向であった。

私もまた、30cmを削らせていただいて、磐田へと戻った。夜には同じ町に住む誕生日が1日違いの親友と共に、スポーツバーにてオリンピックの鑑賞をしながら、懐かしい話に花を咲かせた。ちょうど、カーリングとスピードスケートのメダル獲得の瞬間を目にすることになった。これもまた、思い出の一つとして、また携えていくことになるだろう。


2018年2月23日金曜日

1週間あまりの日本滞在モードに

飛行機内で生活リズムがうまく調整できたのか、朝にはきちんと目が覚めた。これから、しばしの実家暮らしが続く。上げ膳据え膳のような生活になりそうな風向きにである。ちなみに明日は少し離れた場所で暮らす弟が実家に立ち寄ると連絡があった。

日本に来て、まず行ったのが、プリペイドのインターネット通信回線の開通だった。今回は3月3日までの滞在である。そのため、期間型ではなく容量型のSIMをあらかじめ調達しておいた。3ヶ月間有効で、当初の1GBを使い切ると、1GBずつ容量を追加することができる、というものである。

デンマークではLebaraという会社によるプリペイド方式のモバイルサービスを使ってきた。設定のためには充分な量の通信量が含まれたSIMパッケージがセブンイレブンやスーパーで売っている。通話・通信量の追加は、同じくセブンイレブンやスーパーで(自動応答の電話によって通信・通話料を追加するのためのコードが得られる)バウチャーを購入するか、Lebaraのホームページでメールアドレスを登録することにより、クレジットカードでチャージする(ちなみにオートチャージ設定も可能)。通話・通信回線そのものはノルウェーのTelenor社のローミングのようだが、開通から利用の全般を通して実に快適で、今回、日本で利用したもののように、独自に発行されるメールアドレスでしか管理ができないとか、そもそもSIMそのものが郵送などで届くまで使えないといった煩わしさとは無縁である。

そうした設定にやきもきしていると、母が「そういえば、この前、スーパーでデンマーク産のチーズを売っていた」と見せてくれた。私がデンマークに滞在していなかったら、わざわざデンマーク産ということに関心を向けなかったかもしれない。その一方で、今夜は旧友たちと旧交を温めた。その席で山梨のワインが勧められたとき、デンマークに暮らした私は、改めて祖国である日本産の品々に興味が引かれていることを実感した。


2018年2月22日木曜日

時計の調整

夜7時半ごろ、パリのシャルルドゴール空港から羽田空港に着陸した。現地は2月21日の23時20分の出発だった。パリと東京の時差は8時間である。そのため、2月22日として生活した実感はほとんどない。

それなりに旅には慣れている。特に時差のある長旅では、移動そのものによって到着地での滞在に支障が出ないよう、工夫をするようにしている。私の方法は、飛行機に搭乗した瞬間に、時計を到着地の時刻に変える、という方法である。

飛行機という閉鎖空間の中で、時計の時刻を現地の時間にすることで、ある種の自己暗示がかかる。実際、昨日から今日にかけてのフライトでは、出発地のパリで日本の時刻、つまり朝7時に時計を合わせた。その上で、まずは少々の仮眠を取る。その後、自然に目が覚めた瞬間から、ひたすら日本の時間を気にして起き続けることによって、到着した後、泥のように眠りにつく準備が完了する、という具合である。

羽田空港を出ると、浮世絵と初音ミクが並んだポスターが歓迎をしてくれた。荷物がなかなか出てこなかったこともあって、目当ての新幹線に乗ることができなかった。荷物を置かせていただいている京都に家に行くこともできたものの、インターネットの環境が整っている静岡県の実家に向かうことにした。新横浜までバス、そこから新幹線と在来線を乗り継いで、家に着いたのは23時過ぎで、湯船につかり、温かい布団に包まれて眠りについた。


2018年2月21日水曜日

マッサージ機からのメッセージ

ひたすら移動の一日であった。20日、ミネアポリスを15時9分に出発するはずの便は、なぜか15時40分発に遅延となった。行き先はアムステルダムである。そして、到着予定は6時25分だったものの、実際は6時9分ごろに到着した。

遅発をしても早着となったのは、時期のせいなのか、今日の天候のせいなのかは不明である。もしかしたら、早着が見込まれたために、出発を遅らせたのかもしれない。アムステルダムのスキポール空港の着陸可能時間を鑑みて調整したのではないか、そんな想像もしてしまう。そこからはオールボー空港まで、ほぼ定刻での運行で戻った。

ひたすらの移動となったのは、オールボーに戻って終わり、ではなかったためである。空港で共同研究者であり、オールボー大学でのホストプロフェッサーであるCasperと別れた私は、バスにて自宅に戻り、約1時間後に再びオールボー空港に戻る必要があった。そして、再びアムステルダムへと飛び、さらにパリから羽田に向かうという旅程を組んでいたためである。

今日、2度目のアムステルダムにて、マッサージ機が目に飛び込んできた。ふと、Massageの文字を、Messageに空目してしまった。5分間で2ユーロという値段の価値を丁寧に検討するまでもなく、長旅が続く身体をほぐそうと、機械に包まれることにした。アメリカへの約1週間の旅が終わり、日本への約1週間の旅が始まった。



2018年2月20日火曜日

ゴミをエネルギーにできる現在

いよいよアメリカを離れる日がやってきた。まずは朝6時21分のフライトで、ミネアポリスへと向かった。泊まっていたサンタクララの宿は、目の前に空港シャトルバスの停留所がある。しかし、今朝はオールボー大学の同僚、Casperと共にタクシーで向かうことにした。

サンノゼ空港とサンタクララ市内とのあいだには、公共交通機関(VTA)の10系統のバスが運賃無料で運行されている。空港からCaltrainのサンタクララ駅のあいだ、空港からトラムの駅のあいだ、それぞれの拠点を結んでいる。空港に到着した日はバスで移動した。しかし、あいにく今日は始発のバス(5時9分)に乗ったとしても、チェックイン手続きに必要な時間を取ることができないと判断したのだ。

今回のアメリカへの旅では、預け荷物なしで移動できるようにした。一方で、同僚のCasperは中くらいのスーツケース1つで移動していた。仮に私だけなら、始発のバスでも間に合う可能性があったものの、やはり一緒に動くのであれば、と、時間がかかる方に合わせたのである。結果としてその選択は適切で、複数の早朝便で移動する人々で、手荷物検査場はごったがえしていたのである。

サンノゼから向かったミネアポリスでは、私の大好きな映画の一つ「Back to the Future」のデロリアン(2015年タイプ)の燃料機構を彷彿とさせるゴミ箱を目にした。1985年タイプではプルトニウムを必要としていたものの、パート1の最後から登場する2015年タイプでは、バナナの皮や飲み残しの缶飲料で次元転換ができるようになっていたのだ。ゴミ箱の上と横には「trash to energy」とあった。いわゆるリサイクル可能なものを入れるゴミ箱と思われ、なかなか洒落たデザインだと見入ってしまった。





2018年2月19日月曜日

新たな選択肢を探していくチャレンジ

国際PBL会議2018、最終日である。朝は連日と同じく、基調講演から始まった。今日の話者はDigital Promise社のCEOのKaren Catorさんだった。Karenの経歴は輝かしいもので、オレゴン大学で学校運営(school administration)の修士号を取り、アラスカでの教員経験の後、Appleの教育部門で働き、2009年から2013年までは教育省の教育工学室の長を務めたという。


講演のテーマは「効果的な学びの原則(The Principles of Powerful Learning)」だった。簡単にまとめると、効果的な学びでは、(1)実在する本物の問題(authentic and real problems)を扱い、(2)学習者個人(personal)が、(3)チームの一員となって(team-based collaboration)、(4)きちんと調べた上(inquiry-focus)で、(5)我が事として(builds ownership and agency)取り組むことが鍵であるという。そして、最後は「挑戦にもとづく学習(Challenge-Based Learning)」の概念を提示し、国連の持続可能な開発目標(SDGs)に照らし合わせ、浄水と衛生をテーマに取り組む場合の展開方法(なぜそれが大切かを問い続け、調べたものを地図への落とし込みなどの形でまとめ、具体的な問題解決の実践をしていく)を例示した。


隣で受講していた私のオールボー大学での受入担当教員の一人、Mongesの最初の感想は「基調講演なのか、セールスプロモーションなのか…」というものだった。例示された水質浄化の取り組みについても、工学系の取り組みであれば、そうした最善の解決策を競い合って(つまり、時にネガティブな語感をも伴うProblemではなく、ポジティブな印象をもたらすChallengeという言葉を使うことによって)を導き出すこともできるだろう。しかし、このパワフルなプレゼンテーションを振り返る中、少なくともオールボー大学の心理学科や、立命館大学サービスラーニングセンターの取り組みでは、競争の中で正解を見つけていくタイプよりも、共創の中で新たな選択肢を探していくタイプの学びが求められていると、私は実感した。


基調講演の後は、最後の分科会がなされ、もう一人の私の受入担当教員、Casperがプレゼンテーションを行った。お昼をはさんでクロージングセッションがなされて、会議は幕を閉じた。ふと、サンタクララはAppleの本社のあるクパチーノの隣町であることに気づき、CaltrainでSunny Ville、そこから55系統のバスで旧本社(Apple Campus)、そして徒歩にて新本社(Apple Park)に散歩をした。Apple CampusのAppleストアではボールペンとタンブラーに、Apple ParkのVisitor CenterではTシャツと帽子に、それぞれ「限定」という言葉が頭によぎる中、欲を抑えて、記憶のみに留めることにした。




2018年2月18日日曜日

収穫によって生まれた物語

国際PBL学会、3日目である。今日は夜にポスターセッションでの発表が控えていた。昨日に続いて朝一番は基調講演から始まったものの、当初のプログラム(MIT D-Labの創設者のAmy Smith先生による「プロジェクトにもとづく学習:誰が舵取り役なのか?(Project Based Learning: Who’s at the Helm?)」)とは異なって、UCバークレーのAshok Gadgil先生による「貧困地域における問題解決学習(Problem-Based Learning relavant to resource poor communites)」とされた。結果として、いわゆるロジックモデルを適用して、よい波及効果のためには結果から成果を導かなければだめだ、という、線形的な発展(そして、ウィキペディアやテレビの世界で知ったことに留まるのではなく、行動を通して社会に影響を与えること、そのためには因果関係が大事にされる必要がある、という演繹的な議論)が語られることになった。


基調講演の後には、分科会に参加した。昨日からの傾向として「実践の報告」と「実践に対する質問紙調査を通じた有効性の証明」の2つがよく見られる。実際、午前中の分科会では3つの発表がなされたものの、その傾向から外れてはいなかった。昼食の後は「オンラインと混合学習環境における問題解決学習と能動的学修(PBL and Active Learning in Online and Blended Learning Environments)」のパネルディスカッションに参加した。パネルディスカッションということもあって、事例紹介が中心となったものの、ステージのない部屋での開催とあって、フロアから「少なくとも2000年以上、対面で対話してきたのだから、ツールの話に特化するのではなく、人間関係を構築していく上でのマナーの問題に力点を置くべきでは?」という率直な投げかけがなされ、その後の議論の幅が広がっていったように思う。


夕方もまた、分科会に参加した。ここでは2つの収穫があった。一つはカード方式によるロールプレイングゲームを通じた他者の環境を想像することによる倫理教育の実践事例に触れ、実際に用いているカードをいただいたことである。もう一つは、アイルランドのダブリン大学から来られたTerry Barrett先生によるPBLの新著(『A New Model of Problem-Based Learning: Inspiring Concepts, Practice Strategies and Case Studies form Higer Education』さしずめ『問題にもとづく学習の新しいかたち』もしくは『PBLの新潮流』、副題は『学びを駆り立てる構想と実践の長期計画及び高等教育での実践事例』)を日本語で翻訳させていただく諒解を得たことである。


そうした2つの収穫の後で、ポスターセッションにて、オールボー大学心理学科と立命館大学サービスラーニングセンターの実践事例の比較研究を発表した。ここにはTerry Barrett先生もお越しいただき、比較的長時間にわたって対話をさせていただくことになった。今、学会長がブラジルのサンパウロ大学にご所属というノリもあってか、ポスターセッションの会場がポットラック(持ち込み形式の)パーティーの会場と繋がっているという環境であり、さらには持ち込むものの中にはアルコールも含まれていて、和やかな雰囲気の中で研究交流が深められた。


2018年2月17日土曜日

世界のPBL界にデビュー

今日から3日間、サンタクララ大学で開催される国際PBL会議2018に参加する。2000年から2年に1回、米国を中心として開催されてきてたもので、今回で20回を数える学術会議である。ちなみに開催されていない年には、2008年から国際PBL研究大会(IRSPBL: International Research Symposium on PBL)が開催されており、こちらはUNESCOチェアプログラムでPBLの拠点として整備されたオールボー大学が事務局となって、世界各地を回っている。


会議自体は昨晩のオープニングセレモニーで幕を開けたものの、各種のプログラムは今日からであった。プログラムの形式は以下の8つである。参加者どうしが設定されたテーマのもと話題提供者と共に気軽に語り合う(1)ラウンジ、実際に授業で用いられた成果物の作成を追体験することで何かを創り出して文字通り持って帰る(2)スタジオ、6人から12人のグループで設定されたテーマを掘り下げる(3)ラウンドテーブル、3人から5人の話題提供者による(4)パネルディスカッション、特に方法論や評価に焦点を充てた小グループでの(5)ワークショップ、実社会の問題を取り上げてどのような授業が展開可能か議論する(6)問題解決演習(Autentic PBL Problem Trigger)、1人20分の発表と10分の質疑応答による(7)分科会、在席責任時間1時間の(8)ポスターセッション、という具合だ。アメリカでの開催ということもあり、英語力に多少の不安を覚え、パネルディスカッションや分科会を中心に参加することにした。


ちなみに今日の基調講演はオランダのエラスムス(Erasmus)大学のHenk Schmidt先生だった。プロフィールによると、Henk Schmidt先生は2009年9月から2013年11月までエラスムス大学の学長を務めたとあるものの、それ以上に、前任校であるマーストリヒト大学でPBLが導入された当時に在職をしていた方である。各種学会での活動をはじめ、輝かしい経歴をお持ちの先生ということもあって、心理学の観点からPBLを研究するオールボー大学の同僚、Casperは相当、期待を掛けて参加していた。


ところが、少なくとも基調講演で語られた内容は、PBLが座学よりも優れた教授法であることを質問紙調査の結果から示すことが中心とされた。しかも、PBLの類型の中でも言わばCase-Based Learningであり、実際の問題を授業で扱うことによって、学習への動機付けを図るというもので、恐らくCasperはその姿勢を問わないではいられなくなり、フロアから質問をした。実際、オールボー大学の心理学科では、Project-OrientedなProblem-Based Learningによって、学習への動機付けだけでなく、習得すべき専門性のより深い理解を促すことが目的とされており、オールボー大学で学外研究をする機会を得てよかったと痛感するエピソードを得た。


2018年2月16日金曜日

イェールへ

ウェズリアン大学でのレクチャーを終え、今日はアトランタで乗り継いでサンノゼへの移動日となった。昨日と今日は、今回の訪問にあたって縁結び役となったKeiji Shinohara先生のお宅にお世話になった。移動に不便がないようにと、自家用車をお持ちにもかかわらず、レンタカーを借りていてだいていた。あたたかい歓待に応えきれていないのではないかと、時間が経つごとに自責の念が強くなる。


サンノゼに向かう前、イェール大学をご案内しましょう、とお声掛けをいただいた。せっかくコネティカットを訪ねたのなら、アイビー・リーグに属する大学の雰囲気もまた感じてみてはどうか、いう観点からのお誘いだった。まず、足を運んだBeinecke Rear Book and Manuscripts Library(バイネキー稀少本・原稿図書館)では、中央に設えられた開架棚に並ぶ古書の壮観さ、ロビーのガラスケースで行われている企画展示、薄く削られた大理石が壁面に用いられているという建築、それぞれに感銘を受けた。また、ゴシック建築の外観もよく知られているスターリング記念図書館にも訪問し、その佇まいと学生たちの学びのへの姿勢に触れることで、イェール大学の歴史と知性がよく体現された空間に浸った。


Keiji先生には空港まで送っていただいた。その前に、イェール大学近くのタイ料理店でランチをご一緒した。お店の選び方もまた、私の観点に通じるものがあった。例えば、インターネットの時代に安易な批評家になりレビューばかりを気にするのはばかばかしい、食材を大切にすることが大事、並んでまで入らない、などである。


Keiji先生は2019年3月に京都で個展をなさる予定でいらっしゃる。その時の再会を誓って、しばしのお別れとした。コネティカットからカリフォルニアとは3時間の時差、最高気温では20度差という違いがある。アトランタでの乗り換えを含めて、8時間あまりのフライトのあいだ、不覚にも寝過ぎてしまい、なかなかベッドで眠りにつくことができなかったのは、無事にお役目を終えた安心感と次の発表への高揚感が合わさったためであろう。


2018年2月15日木曜日

英語でのレクチャー

ウェズリアン大学の東アジア研究センターにて、英語のレクチャーをさせていただいた。昨年10月、デンマークでお目にかかったKeiji Shinohara先生のご縁でお招きをいただいたのである。テーマは災害復興について、とされた。特に福島の問題は米国でも関心が高いから、ということでお招きをいただいた。


レクチャーに先だって、日本からウェズリアン大学に進学した4名の学生たちとランチをご一緒した。矢継ぎ早に質問をいただく。例えば、なぜ災害をテーマにしているのか、NPOではなく大学人が関わるからこそもたらされる効果は何か、修学旅行生などによるダークツーリズムに関する研究はあるか、などである。午後一番に授業がある学生が3人いたため、もう1人とは少し長い話をした。

箕面からコネティカットにやってきた学生は、私が土木から社会心理学に専門を変えたことに関心を向けてくれた。人間の行為は時間が経過してから意味づけがなされ、その時点で未来に向けての意思決定を左右していくことについて、自らが留学を選択した際の判断に引きつけて理解を重ねようだった。それぞれ、私に人生の価値に関する問いを重ねていたことから拝察するに、自らの生き方に誠実に向き合っているように思われた。その中で、「1つだけ願いが叶うとしたら」といった質問に「死ぬためには準備をしたいので、10秒前でもいいから自分が死ぬ時期を知りたい」と思わず答えたのは、教養の高い学生からの問いに触発されたのか、あるいは若い学生たちと距離を取りたいと考えたのか、後になってモヤモヤしてしまった。

肝心のレクチャーは、自己採点をするなら、あまり高いものにできなかった。45分を目処にということで読み上げ原稿としても使うことができるスクリプトを用意し、それをタブレット端末を手にして語りかけたものの、ライブのレクチャーながらに、用意した文字に対するアドリブを含めた語りの内容が、また語りの内容とスライドの送りが、リズムやテンポの両面で崩れてしまったのである。一方で、終わった後の懇親会では興味深い問いと議論が続いた。安易な共感が禁物となること、小さな親切が押しつけとなって余計に一人ひとりの人生が尊重されなくなる可能性があること、一票の権利を行使することの意味への理解をどう促すか、なぜシリアスな情報伝達にもゆるキャラが使われるのか、教育の一環で被災地で活動することの意義など、また改めて深めていきたい。



2018年2月14日水曜日

コネティカット・ウェズリアン大学に

米国・コネティカット州にあるウェズリアン大学にお邪魔した。去る10月、今、私が住んでいるデンマークのオールボーの近くのまちに個展とレクチャーとワークショップのために訪れたKeiji Shinohara先生とのご縁である。陶芸をする妻が、長い冬を楽しむための一つの選択肢として、栃木の益子で修行されたGregさんの窯を訪ねたところ、Keiji先生とお目にかかったのである。Gregさんは米国出身で、当時のパートナーの方が漁業の研究でオールボー大学に所属するにあたってデンマークに移住し、北のまちでカフェとB&Bを開くことにされたのである。


ウェズリアン大学への訪問は、Keiji先生がGregさんのB&Bに滞在されているときに私たちがカフェに訪れたという偶然の一致によるものだった。そもそも、なぜKeiji先生が米国に居住し、デンマークに滞在し、今、ここにいるのか、ということについてお伺いさせていただいた。2月にサンノゼでの学術会議で発表すること、発表の内容はデンマークと日本との比較研究であること、比較する事例には私が取り組んできた災害復興も取り扱うことなどをお示しした。すると「コネティカットにも立ち寄ってくださいよ!」と申し出をいただいたのである。


今朝、Keiji先生にはホテルまでお迎えをいただいて、ウェズリアン大学をご案内いただいた。昨晩はホテルのお世話になったものの、今日からはKeiji先生のご自宅にお世話になる。そのため、夕食の材料を買いに、オーガニックの食材が多数取り扱われているスーパーにも一緒に立ち寄らせていただいた。


ウェズリアン大学は学生数3,000人ほどの私立大学で、学生たちは全寮制、そして学生たちは学部を定めて入学するのではなく、入学後に自らの専門を定める「リベラルアーツ」(いわゆる教養)大学である。明日、講演させていただくのは東アジア研究センターで、そうしたセンターが活発に活動する背景には、その分野に対する多額の寄付が寄せられたことが影響している。同じくウェズリアン大学で教鞭を執るEiko Otake先生らによる浪江などでの作品の展示も鑑賞、さらには日本から留学する学生との対話など、アメリカ東部にて日本に改めて思いを馳せる一日となった。


2018年2月13日火曜日

ドキドキの移動

朝10時のフライトで、米国に向かった。パスポートは日本、居住地はデンマークという状況での米国訪問ということもあって、何か起きたらどこに帰されることになるのだろう、とドキドキしながらの渡航になった。そんなドキドキは時に現実に不安をもたらすものでもある。実際、オールボー空港のチェックイン機では、これまであまり目にしたことがない「少し時間がかかりますので、今しばらくお待ちください。」という表示を目にすることになった。


今回のフライトは、まずアムステルダムまで向かった。ここまでいつものとおりである。オールボーから他の国に行くには、コペンハーゲンに出るか、アムステルダムに出るかが、通常の選択肢である。他のものとして、ロンドンあるいはオスロから飛ぶルートもあるものの、それぞれの空港に向かう便数も限られていることを考えれば、主要な選択肢にはならないだろう。


そしてアムステルダムからはデトロイトまで飛んだ。それだけで、デンマーク時間では、既に日付が変わっている。そもそもデンマークとアメリカ東部の間では6時間の時差がある。そして、アメリカ国内でも東と西で3時間の差がある。


そしてデトロイトから、コネティカットのブラッドレー空港まで飛んだ。当初の予定では23:59着ということで「日付は変わりませんよ」とでも言わんばかりのスケジュールだった。それが早着となり、少しでも早くホテルで眠りにつくことができると思ったものの、ぬか喜びとなった。数十分の早着ということもあり、恐らくスケジュールどおりの時間でのシャトル送迎の予定が組まれていたのか、全身で肌寒さを感じながら、バンを待つことになったのである。


2018年2月12日月曜日

久々にオールボー早周り

共同研究者の一人の体調不良で中止となった金曜日のミーティングの代わりに、今日、簡単な打合せを行うことになった。あいにく3人で集まることはできなかった。それでも、2月18日にサンタクララ大学で発表する研究内容において、中心に据えた理論を構築したMogens先生とやりとりができたのがありがたかった。

打合せの後、オールボー駅のバスターミナルまで向かった。日本から来た方のご案内のためであった。やってきたのは、立命館大学で心理学を専攻する大学院生である。今週の水曜日にオールボー大学文化心理学研究センターでの「キッチンセミナー」で話題提供を行い、3月の上旬まで、断続的に開催されるシンポジウムなどに参加するためにやってきたのだ。

オールボーのまちを案内するのは12月以来である。そのときには開店していなかった日本食のテイクアウトのお店「okaeri」にまず連れて行った。そして、オールボー大学のハーバーフロントのキャンパス、続いて目の前にある行政の中央図書館に案内にした。そして、オールボー大学のメインキャンパスに案内し、学食でランチをいただいた。

これまでと違うのは、約3週間という長期滞在をされることである。そのため、バスターミナルでは交通カードを買うかどうか、駅のセブンイレブンでSIMカードを買うかどうか、百貨店では電気ケトルを買うかどうか、それぞれ逡巡した。消費税が約25%ということも、迷いの要因の一つになっているだろう。あいにく、その滞在期間のほとんど、私はオールボーを不在にしてしまうのだが、ぜひぜひ、充実の生活が送られることを願っている。


2018年2月11日日曜日

少しの雪に

今日は朝から雪が舞っていた。北欧と呼ばれる国の一つであるため、デンマークでは雪が少ないことは、意外と思われるかもしれない。そもそも、デンマークには高い山がないため、雪雲が発生しにくいのが、雪の少ない要因となっているのだろう。ただ、「昔はわりと積もった」という声を耳にすると、地球温暖化と言うよりも気候変動の影響が出ているのだろうと推察する。

雪がほぼ降らない静岡県で生まれ育った私にとって、雪は珍しいものであり続けた。既に静岡の暮らしよりも、京都の暮らしの方が長くなった今でも、その感覚は変わらない。そして、その感覚は、デンマークでも残ったままである。今の家は南の方向に大きな窓が切ってあるため、庭に舞う雪の様子は、直ぐに目に飛び込んでくる。

転じて今、日本では豪雪が続いているという。福井では大きな被害が出ているとも聞く。少しの雪は風流である。しかし、何事も度が過ぎては、手に負えない。

ふと、新潟県小千谷市の塩谷集落のことを想い起こした。2004年10月23日の新潟県中越地震の後、避難生活を送る中、雪下ろしができずに過ごした結果、地震には耐えたいくつかの家が倒壊してしまったことを伺ったためだ。私が集落に関わり始めたのは、既に災害からの復旧モードから集落の復興モードに入っていた2012年からである。また来年度、雪と共に暮らす方々の知恵を伺ってみたいと思う今日この頃である。




2018年2月10日土曜日

黒い影

このところ、来週のアメリカ行きの準備を自宅で行っている。行き先は2箇所である。1つはコネティカット州のウェズリアン大学で、災害復興をテーマにしたミニレクチャーをさせていただくことになっている。もう1つはカリフォルニア州のサンタクララ大学で、オールボー大学の心理学科と立命館大学サービスラーニングセンターとの比較研究を発表する。

この数日、特に時間をかけているのは、最新の情報をつかみ、英語の素材を探すことである。特にウェズリアンでは、福島の事柄に関心があると伺っている。福島県や復興庁でも、英語での情報を提供しており、それらをもとに資料を創りあげていく。一方で、放射線量の情報を集めていくと、日本の観測情報は比較的集めやすいものの、米国内での観測情報は詳細にはつかむことができないことがわかる。

ウェズリアン大学でのレクチャーのスライドは、立命館大学平和ミュージアムの名誉館長でいらっしゃる安斎育郎先生の言葉で締めることにした。隠さない、ウソをつかない、過大(過小)評価しない、の3つである。日本で初めての原子力工学専攻の1期生として博士の学位を取得し、放射線防護学を専門としつつも、放射線の影響について積極的に発言を重ねたところ、出身大学内でのアカデミックハラスメントに合い、これらの3つを糧として伝え続けていらっしゃる。そこで、安斎先生と私の関わりを紹介しつつ、「Do not hide, Do not lie, Do not underestimate」と並べたスライドを作成している。

資料作成に一息つけると、黒い影が目に入った。特に冬のあいだ、デンマークの方々は黒を好んでお召しになる。クリーニング屋さんがない、常に黒なら迷わずに済む、落ち着いた色なので無難である、など、いくつかの合理的な理由から習慣となっているという見立てに、それぞれ合点がいっている。思えば、「なぜ」と問うことの大切さを学んだのは、1995年に受講した安斎育郎先生の「自然科学概論」という授業だった。


2018年2月9日金曜日

ほどなく1年でも初めての…

大学(のみ)で働くようになり、3月の時間の使い方をよく考えるようになった。大学教員の仕事を紹介するとき、銀行の仕事と重ねて説明することがある。銀行の窓口に。訪れる人は15時までの動きしか見えないものの、窓口の奥にいる人たちは15時の窓口業務のために、また窓口業務を経て15時以降に、それぞれの仕事を重ねていく。

大学の仕事も、学生が授業に出るあいだだけが業務時間ではない。よって、学生が長期休暇に入れば、大学の教職員も休みということにはならない。さらに言えば、授業1時間半のために準備の時間がかかる上、授業の後にはフォローアップの時間も必要とされる。もちろん、学生もまた、予習や復習に時間を割いて欲しいのだが、なかなか促しきれていないのが実情である。

加えて、教員には教育だけでなく、研究も求められる。最近は、そこに社会貢献も求められるようになってきた。実際、この数年、私は立命館による災害復興支援の活動に相当の熱量を割いてきた。それもあって、この1年のデンマーク暮らしは、教育と研究と社会貢献のバランスを整えるための時間として、実に有意義なものとなっている。

そして来月、日本から4組のお客さんがオールボーにやってくる。年度替わりを前に、比較的柔軟に出張ができる大学関係の方々が多い。それもあって、今日は充実の滞在となるように、と、オールボーのまちへと下見に出かけた。その際、これまでは駐在の方にデンマーククローネへの両替のお世話になっていたためにネットバンキングばかり使ってきた銀行のATMを、初めて使ってみた。



2018年2月8日木曜日

アプリ選び

デンマークでの暮らしでは、紙よりもデータでのやりとりの比率が圧倒的に高い。何より、デンマークでは2030年に完全キャッシュレス社会になることが決定されている。2017年1月1日には造幣局の廃止の方針が示され、新規の紙券が印刷されなくなった。そのため、今ではコインだけ外国で委託製造されているとのことである。

そうした国で過ごしている私は、日本とのやりとりを重ねる際にも、できるだけデータでやりとりましょうと投げかけるようになった。それでも紙にこだわる方からEMS(国際スピード郵便)で書類が届いたこともあった。その一方で、「では、スキャンして送ります」と判断される方もおられた。何より、多くの事務書類がパソコンで作られているために、PDF形式にして一式を送っていただく方が大半だった。

今日はある事業の審査に時間を充てた。以前であれば分厚いファイルが宅配便で届けられていたものをPDFにてお送りいただいて、その内容に目を通していった。総ページ数は458ページであった。一つひとつ目を通して、予め示された観点から点数をつけていく。

悩ましいのは、458ページのPDFをどのソフトウェアで閲覧するかの選択だった。内容に目を通して審査する上では、場合によっては感心した点や疑問を抱いた点にコメントを記入した方がいい。そうした作業のためにはパソコンよりもタブレット端末の方が都合がよい。そこで今日は、目的別にソフトを使い分け(まずはパソコンにて審査項目をまとめたスタンプを作成し、Adobe Acrobat Proによって各提案内容の表紙ページに貼り付け、それをGoodNotesで閲覧・コメント等記入、それをEvernoteに書き出して端末間で共有)、今後の業務の際にも反映できる方法を見出すことができた。


2018年2月7日水曜日

まなざしの交差

水曜日ということで、15時からのオールボー大学文化心理学研究センターの「キッチンセミナー」へ出かけた。川も凍る程の寒さだった。デンマークは山がないため、冷え込んだとしても雪雲が出来る事は稀で、吹き渡る風によって実際の気温よりも体感気温は低くなる。ちなみに「国別の最高地点一覧」というリストによれば、デンマークは171mが最高地点とある。

家からキッチンセミナーの部屋までは、早足で5分くらいで着く。寒さもあって、自ずと一層の早足になる。しかし、凍った川面などに目が向くと、ふと足を止めて写真を撮りたくなる。何気ない日常の風景を味わうこともまた、異国の地で暮らす楽しみの一つである。

凍てつく空気の中を歩いていると、上からの目線を感じた。その主はネコだった。温かい部屋の中から、余り見なれない雰囲気のアジア人に関心を向けたのだろう。目が合ったところで、写真を撮らせてもらった。

そうして参加した今日のキッチンセミナーは、学習と意味づけがテーマだった。ブラジル出身で博士論文を執筆中のJoãoさんが発表した。小学生を対象にした理科の授業で、30分後、1週間後、15日後と、同じことを問いかけた際にどのように語りの内容が変化するかについて迫る研究だった。母国での教育の発展を願って精力的に研究に臨む姿勢から、自らの姿勢が正された気がしている。