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2016年4月30日土曜日

人とまちの自慢を巡る

 立命館大学による大船渡での「学びにきゃっせん!」を受け、今日は朝からまち歩きが行われた。ただ、大船渡は広い。人が歩くだけでは済まず、車で回ることとなった。巡るコースは、前日のワークショップにて、7つのテーマでの議論を通じて示された地域の誇りを紡いだものだ。昨夕、終了直後に編み上げた。
 まずは毎月5と0のつく日に催されている盛の木町市場にお邪魔した。100年ほどの歴史があり、以前は列車で行商の方が、今は軽トラックなどで、海や山の幸、また手作りの荒物、その他、服や靴も売られている。観光ではなく生活の市の賑わいに浸った。
 今回は泊まりが大船渡プラザホテルだったので、盛にはBRTで往復した。市で買ったものを携え、更に買い物をするサン・リアに立ち寄り、一旦、大船渡駅まで戻った。そして5回目の百縁商店街で賑わう、おおふなと夢商店街にお邪魔した。各店舗の企画に加え、いわて銀河鉄道のミニSL・電車や、釜石の陸上自衛隊などに、おひとりさまも、家族連れも興じていた。
 まち巡りは大船渡市役所から佐々木さんと佐藤さんに加え、キャッセン大船渡の臂さんとご一緒だったので、濃密な1日となった。昼食は綾里の「たんぽぽ」でドラゴンラーメン、そのまま気仙大工による入母屋造りの家々を散策、名工による気仙丸を間際の岸から眺め、対岸の丸森まで足を伸ばし、寿限無の森にて童心に帰った。大船渡温泉で疲れを癒し、盛青年商工会の方々との懇談と続いた。

2016年4月29日金曜日

復興ムードからまちづくりモードへ

 2016年4月29日、岩手県大船渡市・立命館大学の包括連携協定が結ばれた。2012年4月24日に締結した「災害復興にむけた連携協力に関する協定」が満了したことによる。当時、現地のお祭りなどへの参画、仮設住宅での傾聴活動に加え、「狭い空間での持久力・筋力・柔軟性トレーニング」研究等が評価されての協定だった。以来4年、包括協定への移行となった。
 協定締結を記念して、「学びにきゃっせん!」と題した記念企画をリアスホールにて開催した。「きゃっせん」とは「いらっしゃい」という意味である。既に大船渡市により設立が進められたまちづくり会社「株式会社キャッセン大船渡」にちなんでいる。今回は塩崎賢明先生の「復興と減災―東日本大震災の5年とこれからー」と題した講演、私が進行役でまちの誇りを語り合うワークショップ「大船渡の○○自慢」を行った。
 ちなみに締結式後の懇談会では、戸田市長吉田学長がそれぞれ言葉を述べたが、共にまちづくりに力点を置いた展開を展望として語った。実は、今回の「学びにきゃっせん!」は、今後の「まちづくり勉強会」(仮称)の試行的実践である。実際、ワークショップで紡ぎだされた「誇り」を、明日、立命館のメンバーが実地で追体験する。成果はフォトブックにする。
 震災から5年が経ち、いつまでも被災地ではない。よって、被災者の立場に追いやってはならない。にしても今日はよく笑った。共に笑い合える仲間を大事にしていこう。


2016年4月28日木曜日

支援のパッケージ化・支援者の消費者化

 熊本や大分での揺れが止まらない。震源域の移動も続くことから、沖縄や四国、あるいは関西や関東までの広がりを指摘する声もある。地震の発生原理については理学的にも工学的にも解明できる。しかし、地震の予知は科学的な命題として成り立つものの、果たして法則を導き出しうるのか、定かでははない。
 地震が続く中で求められることは、新たな被害を抑えるための支援だ。事実、自治体や自衛隊はもとより、民間団体も懸命に動いている。一方で行方不明者の捜索が継続中で、度重なる余震、断水、宿泊場所の限りなどから、ボランティアを抑える声が今もある。そんな中、立命館大学では旅費支援を開始し、本日のサービスラーニングセンターボランティアガイダンスには合計57名の参加を得た。
 阪神・淡路大震災の際、ボランティア元年と言われた。東日本大震災では組織的な支援が際立った。個人的な行為に加えて組織的な行動に視点が集まった。クラウドファンディングが活用されたことからも、市民公益活動元年という言い方もできよう。
 あれから22年が経つ。その間、市民社会の担い手を育てるはずが、育てる主体が固定化し、育てられる対象が主体にならない構図が生まれているのではなかろうか。言わば、支援のパッケージ化と支援者の消費者化が進んでいるのだ。今日の夕方、きょうとNPOセンターの役員コア会議があったのだが、ここでも熊本地震への支援についての議題が上がり、痛感した。

2016年4月27日水曜日

準備時間における反比例の原理

 現在通っている英語のクラスでは、3ヶ月に1回程度、発表機会が設けられている。あくまで自主性なので、発表しなくてもよい。その場合はTad先生から受講生に多くの問いが投げかけられる。逆に発表者となると、受講生側に多くの気づきをもとにして問いを投げかける役を担う。
 今週は私が発表する回だった。回ってきたのではなく、自ら志願しての回である。ただし発表内容は2週間前に、Tad先生が直近のニューヨークタイムズから選んだ記事に投票することで決められる。今回はパナマ文書にまつわるジャーナリズムが扱われた。
 以前、ラジオのパーソナリティーの方だったか「3時間番組は3分の準備でも可能だが、3分番組には3時間の準備が必要」という類の話をされていた。同感である。英語の発表は15分だが、この原則にのれば、15時間くらい準備してよいだろう。感覚的だが、1時間を境に、持ち時間に対して必要とされる準備時間は短くてよい気がする。
 午後には立命館大学BKCで学生たちの対話を見守り、中京区役所での「マチビトCafe」に急いだ。サービスラーニングセンター科目の中京区での活動に参加する受講生らに参加が呼びかけられたためだが、そこでは約2時間の議論に、相当の準備が重ねられていた。その後は、福島から立命館大学に着任した教員らと福島で活動する学生らの懇談・懇親会に向かった。1時間を超える場への準備には、それまで積み重ねた日数が問われると確信した。

2016年4月26日火曜日

開かせず開くように

 「楽勝科目」などと言われる立命館大学サービスラーニングセンター科目「地域参加学習入門」だが、シラバスは緻密に設計され、内容も硬派である。回を重ねるごとに、受講生らには世の中への態度や見識が問われる。何より大講義にもかかわらず、毎回グループワークが入る。しかもグループのメンバーや人数は固定されず、毎回お題の趣向も異なるため、「ぼっち」を好む学生は苦痛でしかない。
 先週は選挙制度から自治を問うた。毎回、地域参加学習入門では、落語でいうマクラの部分で、前回との接続を感想用紙と映像で行う。そのため、今回は2007年の東京都知事選挙における外山恒一候補の政見放送を用いた。大爆笑となる年があるのに対し、感想用紙には「怖かった」と文字が多々あったことからも、合わなかったとみえる。
 そもそも立命館大学のサービスラーニングは「社会で学ぶ自己形成科目」の位置づけである。よって、地域参加学習入門以外でも、毎回、他者と関わる。他者を通じて自分を見つめるのだ。そのため、2限は「気になっていること」を、3限は「熊本地震の報道でわからないこと」を、4限は「自分にとってのインターンのイメージ」を、5限は「時代祭への構え」を、6限は「国際交流とは何をすることなのか」が問われた。
 殻に包まれる方が楽なときもあろう。安心もできよう。しかし、周りに閉ざし続けるのは楽ではない。無論、開かせるよりも、開くよう促すこともまた、楽ではないのだ。

2016年4月25日月曜日

風土への配慮

 別府で朝を迎えた。昨晩、博多経由で移動したのだ。しかし、特急ソニックの車内にショルダーポーチを置き忘れた。晩ご飯をご馳走いただいた立命館大学アジア太平洋大学(APU)の今村正治副学長は「またか」と苦笑した。
 そして朝、8時30分には、APUのキャンパスに足を運んだ。この日、熊本地震による休講があけ、スチューデント・オフィスのスタッフらの呼びかけで、学長・副学長・学部長をはじめ、多くの教職員が「welcome back!」や「おかえり!」と、声を掛け合って学生らを迎え入れることとなった。立命館大学と同一法人なのだが、長年にわたり織りなされた組織文化が、こうした気風を生み出していると確信する。実に温かく、そしてうらやましい。
 心地よい雰囲気に浸りつつ、午前中はスチューデント・オフィスの皆さんと、今回の地震に対する支援で意見交換を行った。既に立命館大学の学生オフィスから、休講中の学生対応のため、英語対応な可能なカウンセラーが応援にやってきていた。意見交換では学生たちの「したい」を支える枠組みをどうするかが論点となった。APUの風土もあり、学園の意向を無理強いしない、学生に押しつけない、今後の支援に余波を出さないことを基軸に据えた。
 余震も続く。しかしAPUの気風を受けた学生らがいち早く始めた募金活動は、新たな行動を生み出そうともしている。大地の揺れは、多様な面で思いも揺さぶる。支援者をどう支援するかが鍵だ。

2016年4月24日日曜日

避難生活の先の新しい日常を

 4月24日、熊本へ向かった。全国コミュニティ財団協会の深尾昌峰会長(龍谷大学政策学部准教授)と、石原達也事務局長(岡山NPOセンター副代表理事)によるヒアリングに同行させて頂いた。4月14日の地震発生から10日、朝8時の時点で震度7が2回、震度4以上が93回、震度1以上となると850回を超え、支援の長期化は確実である。この数字は移動中にラジオ同時中継のNHK「日曜討論」で紹介されたものだ。
 思えば、阪神・淡路大震災では1週間後、立命館大学の緊急調査チームの学生随行として芦屋などを訪れた。各種の支援で多忙な中、言葉を失う風景に現地の自治体の方に説明をいただくなどしたが、土木工学や都市計画の専門家らが専門用語を重ねて解釈していた。その姿に違和感を抱いた。結果、専門を変えた。
 前日の正午頃に博多〜熊本間が運行再開となった九州新幹線は1時間に1本の臨時ダイヤだった。熊本駅で九州環境サポートセンターの宮原美智子理事長と合流し、くらしデザイン研究所MAMの方々と北区の一般社団法人「ココロの学校オルタナ」にお邪魔した。続いて熊本市東区の一般社団法人フミダスにて濱本伸司代表と意見交換をした。そして西区の肥後計量器に、上土井章仁さんを訪ねた。
 縁はありがたい。ヒアリングでは避難場所と避難所の違いを痛感した。生き残った方が死を選ばぬよう、ミクロな支援拠点が非日常の暮らしを支えていた。避難生活のその先を、共に展望したい。


2016年4月23日土曜日

故郷で文化の担い手を

 故郷に錦を飾る、という成句がある。錦の御旗、などと言えば、権威を張った卑しい振る舞いとしても語られる。ともあれ、今朝は故郷に向かった。始発ではないが、新幹線で浜松に降り立った。
 今年2月から、浜松市役所文化政策課による「みんなのはままつ創造プロジェクト」の審査員をさせていただいている。この3年、アートNPOリンクの樋口貞幸さんが務めてこられた部分を引き継ぐかたちとなった。共に大阪でのアーツカウンシルに関する勉強会などでご一緒してきたこともあり、自治体文化政策の推進にあたり、機微をうがつことが出来ている気がしている。にしても、大役である。
 かつて、どの漫画か忘れたが、故郷に帰った偉人が幼少の頃のあだ名で呼ばれて、やりにくそうにしている場面が描かれていたことをよく覚えている。なぜ立命館大学の教員が審査員を引き継いだのかと疑問が抱かれたとき、肩書きの上では京都から来たという点しか共通項がないと思われるだろう。しかし、私が磐田の出身であることを告げると、確かに反応がある。大阪アーツカウンシルの構想設計に携わっていた等、経歴を紹介すれば、更に反応がある。
 今日、新旧採択団体の顔合わせ会で、地域の創造的な活動とは「存在を伝えていく喜び」だと樋口さんは語った。続けて、それが「一人でも伝わることで、一人の主体者が生まれる」と述べた。文化の消費者を生むのではないという主張である。確かに、と思いつつ、博多へと向かった。

2016年4月22日金曜日

情緒的な拒否感や理性的な批判に

 月曜日の会議の欠席にかかわっての、立命館大学の教学部長と面談から一日が始まった。2点、会議を軽視せずに緊急の案件があればこそ手続きを踏むように、活動ばかりでなく教育・研究にも勤しむようにと導いていただいた。 改めて、自分がこれまでもこれからも向き合うであろう復興支援、また今まさに動いている緊急時の救援活動は、否定や批判をしにくいものであるからこそ、押しつけに対しては情緒的な拒否感や理性的な批判を生むことを肝に銘じねばならないと痛感した。
 昼前には朱雀キャンパスに向かった。まず、全国要約筆記問題研究会の皆さんとの打合せとなった。阪神・淡路大震災当時からの盟友、谷内博史くんの仲介で、6月に大阪で開催される研修会の講師を依頼頂いたのだ。音声情報のバリアフリーを掲げる会の基礎力を見つめ直す場に、だ。
 昼食は名古屋からお越しいただいた全要研の方とご一緒して、昼からは立命館災害復興支援室の定例会議だった。熊本・大分への支援についての情報共有と意見効果が行われた。週明け、大きく動くこととなる。そのため、週末に現地入りすることとなった。
 夜はBKCで、5がつの連休に岩手県大船渡市に行く学生団体の事前研修を担った。途中、悲鳴をあげていた身体をほぐしに、行きつけの鍼灸治療院に行った。少しだけ楽になった身体で臨んだ研修の最後は「恩送り」の言葉で結んだ。無自覚のうちに壮大な贈与のリレーが重ねられることで、復興はもたらされる。

2016年4月21日木曜日

共に感じ苦しむ現場でのたたずまい

 労働(labor)と仕事(work)と活動(action)は違うことを、ハンナ・アーレントが『人間の条件』で示している。労働は嫌でも対価を生み、仕事は自ずと成果を生み、活動は後に物語を生む、という具合である。このことは既に2011年10月7日に「活動的生活」で動くより、考える「観照的生活」を増やしたい、とつぶやいた。この思いは今も変わらない。
 昨晩、塩谷集落の住民らによる活動団体「塩谷分校」の定例会では、活動の話よりも生活の話が多く語られた。それも日常生活ではなく、新潟県中越地震の際の避難生活が中心となった。渥美公秀先生が熊本の状況を報告されたのが契機となった。始めて触れる話に関心が向いたが、11年経った今もよく覚えておられることが印象的だった。
 長岡から京都に戻る途中、東京で降りた。久々に、八重洲ブックセンターに立ち寄ったのだ。立命館の広報課を通して、フジテレビの番組への電話出演の依頼をいただいたためだ。聞き手が国際政治学者の三浦瑠麗さんと聞き、何冊かを求めたのである。
 京都に戻ると、衣笠キャンパスにて、立命館大学サービスラーニングセンター科目の「全学インターンシップ」のオリエンテーションを担当した。その後、今後の打合せをして、番組出演に備えた。三浦さんの著書の冒頭で「コンパッション」が語られていたので、熊本や大分の支援でも共に苦しむことが大事、と示した。何をするかより、たたずまいを大事にしたい。

2016年4月20日水曜日

四角い部屋を丸く掃く

 本音と建て前、両者は対置されて語られる。水曜日ゆえに、朝は英語のレッスンだった。今日のお題はドイツ・メルケル首相の難民支援についてであった。小説家、ダニエル・カールマンによる記事では、国を危機に追いやったと中傷する人がいるものの、良心(conscience)に基づく行為が、結果としてヨーロッパを救った、と示された。
 午後からは新潟・小千谷の塩谷集落へと向かった。先に入っていた大阪大学の渥美公秀先生と長岡駅で合流した。このところ、共同研究者のあいだで経費分担をする流れがあり、今回は渥美先生の研究費にお世話になった。車中、先週末の熊本の様子を伺い、私からはインターネットの世界でどういう言説が重ねられているかを紹介した。
 塩谷では来月の田植え交流会の段取りを詰め、収穫後のお米の扱い方について意見交換を行うことになったが、住民の皆さんから、熊本の話をぜひ、という流れになった。2004年の新潟県中越地震で大きな被害を受けた皆さんゆえに、何かしたい、という思いが根差している。実際、塩谷では集落を出る選択をした方々が役職者に就いている団体「芒種庵を創る会」が、刈羽村や南相馬市、さらには楢葉町との交流を重ねている。今回も、何か動くだろう。
 渥美先生によれば、現地は「四角い部屋を丸く掃いている感じ」という。度重なる地震が続き、支援拠点の整備も容易でない。時間の経過にあわせた支援はいかに可能か。経験知が問われている。

2016年4月19日火曜日

今日の漢字

 火曜日は立命館大学衣笠キャンパスでの講義が続く。2限、3限、5限、6限と4つである。加えて今日は合間の4限に「全学インターンシップ」という、時間割に固定されない科目の説明会を兼ねた初回講義が行われた。食後のコーヒーを飲む位の余裕はあったランチは、2限の講義補助にあたる大学院生と、今日のサービスをいただいた。
 2限の講義「地域参加学習入門」では、毎回のキーワードを漢字一文字で示すようにしている。当然、シラバスにも漢字一文字が15個並んでいる。毎年、暮れに清水寺で発表される「今年の漢字」に触発されての趣向である。この一風変わったシラバスから興味を持って受講を希望したという学生に時々出会う。
 今日の漢字は「風」であった。和辻哲郎さんの風土論などを下敷きにしつつ、地域に変化をもたらす「風の人」となって欲しいと期待をかける構成とした。まずは先週のコミュニケーションカードから質問や紹介希望のコメントを示し、短い動画へとつないで本題に入る。約20分、落語で言うマクラの出来次第で、受講生がテーマに引き込まれるかどうかが左右される。
 今日は時代の語られ方がテーマだった。2010年の無縁社会、2014年の極点社会など、だ。統計も駆使して関心を訴えた。最後はマイケル・ムーア監督の作品「The Choice」を観て、2人組の対話とした。終了後、教学部長から呼び出しのメールが届き、自らに吹く風を感じた。

2016年4月18日月曜日

悪い連鎖

 昨晩は唐桑御殿つなかんにて、笑いの絶えない夕食会となった。唐桑・鮪立のツリーハウスで行われたピクニックのスタッフの皆さんの反省会にご一緒させていただいたのだ。台湾からワーキングホリデーで手伝いに来ているソウさんの創作料理に舌鼓、そして女将の一代さんの軽妙な語りに大爆笑となった。桜咲く東北にお邪魔してよかった。
 しかし、京都への帰路で誤算が続く。まずは朝食の後、発災当初に結んだ支援プログラムに関する相談に乗った。加えて、今回の熊本地震に支援したい人への文書を作成することになった。既に立命館災害復興支援室として15日の朝に記し、夕方に発表したものがあるのだが、それに続く第2報である。特に大分にも被害が広がったためだ。
 結果として、気仙沼を出る時間が遅くなり、さらには仙台空港への移動中にも、複数の相手とのやりとりが重ねられた。レンタカーで向かったこともあり、結局は三本木パーキングエリアに停車してのやりとりで、当初の便で戻ることは断念、後の便を取り直すことにした。よって14時からの会議はやむなく欠席となった。その分、文書作成に集中させていただいた。
 熊本・大分への支援は長期に及ぶ。NHKのラジオ第1放送での衆議院のTPP特別委員会の中継で、早期の激甚災害の指定に議論が及んでいた。途中、日本国内で唯一稼働中の九州電力川内原子力発電所の停止の話題は出なかった。夜の同志社の講義を終えると、しばし脱力感に浸った。


2016年4月17日日曜日

桜が咲くころ

 昨日から今日へと日付が変わるころ、東京から夜行バスで仙台に向かった。仙台には東日本大震災の前から何度も訪れているが、この旅程では初である。大熊由紀子さんの「えにしの会」に参加し、これまた初となる居酒屋懇親会まで参加して、八重洲南口からバスに乗車した。5時間30分あまりの旅であった。
 仙台駅東口到着後、いわゆる漫画喫茶で休憩した。シャワーを浴び、飲み物をいただき、マッサージチェアで身体をほぐした。そして看板どおり、漫画に手を伸ばした。ただ、伸ばした先が高校時代に週刊の少年誌で発売日ごとに読んでいた『スラムダンク』の22巻から23巻だったことが災いして読書に熱中、見事に予定の列車に乗り遅れた。
 結局仙台駅からは大船渡行きの高速バスで気仙沼に入った。あいにくの天気だが、つばきマラソンのこの日、一般社団法人リアス観光プラットフォームの企画で「ちょいのぞき気仙沼」が市内各地で開催されていた。私は昨年8月7日にお披露目となった唐桑の鮪立にあるツリーハウスでのピクニックにお邪魔した。どのように活用されているかのフィールドワークである。
 馴染みの皆さんとの再会を楽しみながら、多くの来場者が楽しむ様子を垣間見、心は穏やかになった。ツリーハウスの上に咲く山桜も愛でた。住宅建設などで地形が変わったためか、18時を告げる防災無線システムでの放送の声が、以前とは違ってこだましたように思えた。熊本も大分も安らぎの日の訪れを願う。

2016年4月16日土曜日

えにしの留め金

 熊本のことが気になりながら、朝から東京へ向かった。年中行事の一つ、「ことしもまた、縁を結ぶ会」に参加のためである。今は国際医療福祉大学にお勤めの大熊由紀子さんが呼びかける会だ。私は2002年度から2004年度まで、大阪大学大学院の人間科学研究科に社会人院生で学んだことが縁となっている。
 私は大阪大学も母校の一つである。渥美公秀先生のもと3年間、地域共生論と掲げられた研究室で学び、修了し早11年になる。入学当初、全院生・教員の合同合宿「チャンプール」でのラウンドトークで、「さん付けでどうぞ」と、隣に座られた由紀子さんはソーシャルサービス論の担当だった。そんな多彩な院生・教員・職員・研究テーマが並んだボランティア人間科学講座は、既にない。
 「カメラが得意なら、記録のお手伝いを」と投げかけられ、撮影にお邪魔して10年になる。毎年、300人程が内幸町の日本プレスセンタービルの10階に集う。阪大時代に圧倒された多彩さを追体験しているようで、実に学びと気づきの深い場である。中でも私は福祉と医療の分野での挑戦者たちの気迫とファインダー越しに向き合えている。
 同志社では4期にわたりゼミを担当したため、明確に弟子がいるが、立命館では教養担当ゆえ、それは叶わない。ただ、こうした場に参加すると学界での親戚のような方々とつながりあえる楽しみがある。先輩や後輩との再会もある。由紀子さんが留め金の縁、来年への期待も大きい。

2016年4月15日金曜日

行くことを妨げぬよう・行くことで妨げぬよう

 「天災は忘れた頃にやってくる」とはよく言ったものだ。寺田寅彦のことばと言われている。同じ場所で忘れたころにやってくるだけでなく、思いもよらない場所で突然やってくるものである。それは昨日、2016年4月14日、熊本での地震でも痛感した。
 春の夜、家では晩酌を、まちでは宴席を、場合によっては残業をしている方も、こどもたちは塾で勉強を、など、それぞれの時間を過ごしていたことだろう。震源の浅い内陸型の大規模地震であった。行方不明者の発表がないが、亡くなった方のお名前が程なく伝えられることになった。今後も余震に見舞われることで、家屋倒壊はますます増えるだろう。物的被害だけでなく、精神的な不安が体調不良をもたらすと推察できる。
 今日は後輩とランチを一緒にする予定が入っていたが、「延期しましょうか?」という伺いのメッセージが真夜中に届いていた。私の振るまいを察してのことである。しかし、これまでの災害でも即座に駆けつけることはしてこなかった。むしろ、長期にわたる支援に備える姿勢である。
 午前中、京都よりは震源かつ被災された地域に近い別府から、立命館アジア太平洋大学のスチューデント・オフィスの方から電話が入った。土日に現地で活動したいという学生たちがいるので、何らかの助言が欲しいのと、指針となる文書はないか、という問い合わせだった。ちょうど昼から災害復興支援室の会議ゆえ、学生らを思い起草した。長い散文に思いを込めた。

2016年4月14日木曜日

一穴

 今日は「針の一穴」にやられた。何のことはない、自転車の前輪がパンクしたという話である。パンクの修理をお願いしたところ、どこかで7mm程度の金属片を踏んでいたようだった。このところ空気を入れても徐々に抜けてしまう傾向にあったが、刺さった金属片と小さく空いた穴と、チューブ内の空気圧とが絶妙なバランスを保ったとき、何とか事なきを得て走ることができていたのだった。
 自動車、二輪車、自転車、多くの乗り物を持っている。身体は一つなのに、だ。輸送機械メーカーに勤務していた父の影響もあろう。ともあれ、乗り物が多い環境ゆえ、社会運動の担い手について、その主体の有り様に対して自転車型(自由度の高い任意団体)、二輪者型(小回りの利くNPO法人等)、トラック型(多彩な事業を展開していく株式会社等)と、乗り物の比喩を用いて語る時もある。
 ともあれ、どんな乗り物でも、原始的な技術が延々と使われ続けていることがある。航空機の操縦席も雨よけはワイパーである。多くの自動車はチューブレスタイヤになってきてはいる。が、今回「千丈の堤も蟻の一穴から」の如く、チューブがやられた。
 夕方、空気漏れのない自転車で立命館大学の衣笠キャンパスに向かった。まず、楢葉に関わる「そよ風届け隊」の会議に陪席した。続いてサービスラーニングセンター「全学インターンシップ」オリエンテーションだった。そして夜、楽しい宴席の中、熊本のニュースに思いが揺れた。

2016年4月13日水曜日

電気の力に頼る虚しさ

 今週も水曜日は朝の英語のレッスンから始まる。わざわざ大阪まで行くのは、自分に合うクラスに出会えたためである。時事問題を通じて英語に触れるという趣向なのだ。話題とするテーマは2週間前に投票で選ぶこととされ、今週はオバマ米大統領のキューバ訪問に関わるものだった。
 英語のレッスンの後は、立命館大学びわこ・くさつキャンパスへと向かった。サービスラーニングセンター科目である「シチズンシップ・スタディーズI」のガイダンスのためである。BKCで担当しているのは、2010年に始まった「草津街あかり華あかり夢あかり」でのプロジェクトだ。例年、過年度の受講生がサポート役を買って出ていて、今年度は一昨年の受講生が公式に、昨年の受講生が非公式に支え役に就いた。
 BKCに向かう途中、日曜日に修理に出していた車を引き取った。モーターの異常で運転席側のパワーウインドウが動かなくなっていたのだ。車齢28年になる愛車ゆえ、既に純正パーツは払底、リンク品もなく、頼りは中古部品なのだが、モーター単独はもとよりレギュレーター一式で探しても、皆が求めるのか、運転席側は見つからない。今回は助手席用のパーツを解体し、モーター内のブラシとギアの移植をいただいた。
 約4ヶ月のあいだ、運転席の窓が開かない状態が続いていた。手動のハンドルであれば、こうした悩みは生まれない。便利さの見返りだ。ものを長く愛するなら、非電化製品に限るのかもしれない。

2016年4月12日火曜日

前期セメスターの始まり

 今日から立命館の前期セメスター担当科目が始まった。変わらず、火曜日と水曜日が出講日である。特に火曜日は4コマを担当させていただいている。集約型の労働などと言うとお叱りの言葉もいただきそうだが、こうして出張できる余裕をいただいてきた。
 2限「地域参加学習入門」は、今、担当している唯一の大講義である。そもそも小集団科目を重視する傾向もあって、多様な教授法を磨くためには貴重な機会をいただけているように思う。後で知ったことだが、今年は400人の定員に対して1155人が受講登録をしたとのことである。一方で、学生たちには「時間の無駄」「楽単」「カモ」などと評されることもあり、その結果が受講希望数を押し上げ、履修の機会を奪っているように思い、恐縮の限りだ。
 続く3限と5限は、サービスラーニングセンターの中核をなす「シチズンシップ・スタディーズI」である。年6回は講義形式で行うが、その他の時間は「コアタイム」と称して受講生たちが自らの学びのコミュニティを豊かにするための場としている。学校の比喩を使うなら「部活動」の時間だ。そうして深まった縁は、講義終了後も続くことがあり、今晩も中京区役所で活動した学生らの懇親会が催され、遅れて駆けつけた。
 6限は「シチズンシップ・スタディーズII」である。その名の通りIの発展版だ。今年度はわずか4名の受講である。が、企画力とリーダーシップを、共に磨いていく。

2016年4月11日月曜日

春学期の始まり

 いよいよ新年度が始まった実感がこみ上げてくる。今日から春学期に担当する授業が始まったのだ。ちなみに春学期という言い方は同志社大学の言い方である。本務校である立命館大学では前期という呼び名を通している。
 同志社の春学期に担当する授業は、総合政策科学研究科での「臨床まちづくり学」である。同志社の専任教員に着任した2006年からの担当ゆえ、今年で11年目となる。当初は杉万俊夫先生の『コミュニティのグループ・ダイナミックス』を教科書に指定して「読み解く」ということに力点を置いた。時を経て今は寺谷篤志さんらの『「地方創生」から「地域経営」へ』と変え、講義のスタイルも板書中心からパソコンでのスライド投影、そして昨年度からは「紙芝居プレゼンテーション」スタイルに移行した。
 今期は寺谷篤志さんのご厚意で、各回の講義にゲストでお越しいただけることになった。教科書指定した著者が教室にいるという環境での学びをどう工夫していくか、まさに思考のデザインが私に求められている。そこで、今回はアサダワタルくんが浅香山病院とのご縁で始めた「カフェここいま」で始める「暮らしと表現の私塾」に触発され、田中未知さんの著作『質問』に助けてもらうことにした。今日の講義でも持参した。
 立命館では教養科目を担当している。そのため、同志社での大学院科目は、普段とは異なる緊張感に浸る。寺谷さんがいらっしゃれば尚更だ。夜は早くに眠りに落ちた。

2016年4月10日日曜日

実感を語り合う幸せ

 今日はあちこちの催しが重なった。お世話になっている新潟県小千谷市では「芒種庵を創る会」の総会で、案内をいただきながら、やむなく欠席となった。また、自宅の近くでは京都の三大奇祭とも呼ばれる「やすらい祭」であった。近隣の軒先には提灯が掲げられ、祭りを祝っていた。
 昼前には立命館の朱雀キャンパスに向かった。2012年4月に「災害復興に向けた連携協力」協定を締結した岩手県大船渡市の戸田市長が来学されたのだ。与謝野町で開催の「全国椿サミット」出席後に立ち寄られることになり、災害復興支援室一同でお迎えした。ゆかりの学生・教員、総勢11名の懇談になった。
 戸田市長によれば、65の津波顕彰碑がある大船渡は、次の災害に備えて高台での住宅再建と中心部の商い再生に取り組んできたが、一定の目処がついてきたという。既に60件ほどの創業もあるという。この4月末、立命館大学とは包括協定に切り換えて再締結する。「長続きのために人の交流を」(久保田崇先生)「種を実らせることが大事」(塩崎賢明先生)などの声に、『港町ブルース』(森進一)に大船渡が出ないことを悔やむ人が多く、外から寄せられる「知恵に対して決断」が重要と語られた。
 午後は大阪へと向かった。途中、車屋さんに愛車の整備を依頼した。夜は後輩と会食をした。帰りの道中、つながりやコミュニティやコミュニケーションの意義を戸田市長に説いた学生らの活き活きとした顔を想い起こした。

2016年4月9日土曜日

賑わいを祭に見まがう

 田舎暮らしに慣れてきたものが、急に都会にやってくると、その人の多さにとまどうという。私もまた、その一人だと思われる。以前、あるテレビ番組で出演していた方が「今日は何か祭があるのかと思った」と、都心の賑わいを表現していた。桜舞う京都の土曜日は、いつもに輪をかけて、どこも混雑していた。
 朝は開館時間よりも早く、余裕をもって細見美術館に向かった。会期が明日までに迫った春画展の鑑賞に、である。既に通常より開館が15分早めると告知されていたものの、美術館の外周の際までの入場待ちに、さらに5分ほど早められると告げられた。ともあれ、比較的待ち時間なく入館できたものの、館内は大混雑、加えて何とも言えない淫靡な雰囲気や言葉が行き交う状況が重なって、すっかり疲れ果ててしまった。
 10時半ごろには今日までが春の特別公開とされた駒井家住宅に伺った。ヴォーリズの昭和初期の作品である。ここもまた、疎水の桜の見頃と相まって、カメラを携えた方が予想を超えて訪れていた。「やっぱり自宅が一番」ではないが、むしろそう思えるよう、家の片付けをせねばと決意を固めつつ、手作りの味に安らぎを求め、妻の馴染みの喫茶店で昼食をいただいた。
 午後は、昨年夏に新装開店の老舗の書店を訪れた。以前から関心のビルの5階の喫茶店にもお邪魔した。が、朝からの春画がこたえたのか、晩ご飯を前に、うたた寝に落ちた。北欧などでの落ち着いた暮らしを夢想する春である。

2016年4月8日金曜日

修行からは程遠い遊行

 新年度もまた、金曜日は立命館災害復興支援室の会議日である。そのため朱雀キャンパスに足を運ぶことが多い。今日は年度末からの疲れも貯まっていたので、会議前に鍼灸治療院に向かった。実は丁度1週間前にも施術を受けており、社会運動のみならず体育会で筋持久力を使っていた学生時代からお世話になっている先生のもとに伺った。
 会議までに時間があったので、朱雀キャンパスまで歩くことにした。四条烏丸付近から千本三条まで、約30分の道のりだった。お昼ごはんの少し前の時間だったので、早くも行列をつくるお店や、短縮授業なのか公園で遊ぶこどもたちなど、まちの風景は歩くことそのものに楽しみをもたらせてくれた。自ずと、手持ちのカメラに指が動いた。
 午後からの会議では、今週末と月末に相次いで行われる岩手県大船渡市関連の取り組みに時間が割かれた。本来は年度当初ということもあり、事業計画全般に議論が行われた方がよいのであるが、まだ基本方針が定まりきっていないかった。いや、定めねばならないのだが、文字と数字で定めきれていないのだ。力不足を恥じ、もっと時間と指導を重ねる必要を痛感した。
 会議の後、力不足のモヤモヤに責めさいなまれて、朱雀キャンパスから自宅まで歩くことにした。40分弱、再びまちの風景を楽しもうという魂胆であった。途中、京都市による仁和公園の廃止問題が話題となっている立本寺の桜を楽しんだ。まちを歩く愉悦はテレビの中だけではない。

2016年4月7日木曜日

嵐の春は穏やかに

 春の嵐がやってきた。低気圧が発生しやすいこの時期の天候を、英語では「may storm」と言うくらいだから、気候変動の影響をどうしても考えてしまう。先般、朝のラジオで「温暖化を熱帯化と呼んでいたら」と語られており、事態の深刻さに対して言葉がもたらす影響を指摘していたことを思い出した。
 朝は決まってFM京都の「α-MORNING KYOTO」を流す。佐藤弘樹さんの小気味よい語り口は甘い声色と相まって、耳学問にもってこいの時間である。今週は新入生や新入社員に関する話題が多く、参考になる。5日の放送では、グループ・ダイナミックスの祖であるクルト・レヴィンによる研究が自己啓発の観点から触れられていた

これまで、木曜日の朝は應典院で始まっていたため、朝7時からの番組を10時まで聴くことはなかった。何だかリタイアしたときへの準備運動をしているようだ。加えて、比較的激しい雨で、当初の予定を変更することにした。まるで小学校の頃に覚えた『南の島のハメハメハ大王』(作詞は水森亜土さん)のようだが、こんなお気楽な感じで過ごすことができるのも、講義が始まる来週までだろう。
 午後には同じく休日の妻と買い物に出かけた。新潟・小千谷での田植えを見越して部屋着を調達するなど、徐々に新たな年度への構えを整えている。その後は素敵なパン屋さんに立ち寄り、明日の朝食にと、ハード系のものをいくつか求めた。雨の木曜日は心穏やかな一日だった。


2016年4月6日水曜日

所有と主体のあいだの接続

 自他共に「リメンバー男」を認めている。時系列に沿って、出来事の成り立ちを説明できることが評価されてのことである。中学校や高校での歴史という科目は得意な方ではなかったが、数字と文字で物語を語られることそのものには関心があった。むしろ、語るようになることに興味があった、がより正確である。
 2013年1月から、毎週水曜日の朝に英語のレッスンに通っている。The New York Timesの記事を教材として、時事問題などを語り合うというクラスである。題材は2週間前に受講生の投票によって決定され、先生が選んだ候補に対し発表担当者のみ2票分の傾斜配分のもと1人何度でも入れてよいとされている。ちなみに今日はトランプ候補の政治姿勢の記事だった。
 午後には應典院の新主幹の紹介のため、大阪ガスビルにお邪魔した。應典院の再建計画に際して、ソフト面の理念を検討した皆さんへにお集まりいただけたのだ。エンジンとガソリンという比喩が用いられながら、オウム真理教事件直後の世相に思いが馳せられつつ、お寺の事業には馴染みが薄い受益者という視点から20年の時間が語られた。この10年、應典院を担わせていただいた謝意が募った。
 ふと、学生時代に平井孝治先生の語りを思い出した。リンカーンによるゲティスバーグ演説の「of」が理解できなかったという話だ。今、山口の應典院は山口による應典院だったという実感がある。of山口でなくby山口、統治をめぐる言説は深い。

2016年4月5日火曜日

加藤周一先生が説く「今・ここ」

「日本の諺言に「過去は水に流す」という。過ぎ去った爭いは早く忘れ、過ちはいつまでも追求しない。その方が個人の、または集団の、今日の活動に有利である、という意味である。しかしその事の他面は、個人も集団も過去の行爲の責任をとる必要がない、ということを意味する。」
 これは加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年)の「まえがき」冒頭部分である。この直筆原稿から作成されたロールスクリーンが、立命館大学衣笠キャンパスの新図書館にある。2階の南側、白川静文庫に並んで、加藤周一文庫が設置されたためだ。今日、立命館大学サービスラーニングセンター科目のガイダンス後、時代祭応援プロジェクトの皆さんと共に訪れ、拝見した。
 今日もまた夕方から大阪に向かった。向かった先は應典院である。3月31日に自分の名前をはがした下足箱には、別のスタッフの名前が記されていた。よく、職場を離れることを学校のメタファーを用い「卒業」と言われることがあるが、何か合点がいった。
 應典院には浄土宗平和協会によるNGO支援事業に関する意見交換でお邪魔した。平和とは何か、何をすれば平和な状態が続くか、平和のためには何をしてはならないか、正解のない問いを互いに重ね続けた。ちなみに、「今・此處」の文化を説いた加藤周一先生は、立命館大学国際平和ミュージアムの初代館長であった。過去を見つめつつ未来を見据える、そうした時間軸の上に、平和はある。


2016年4月4日月曜日

流れを寄せず流れに乗る

 「春なのに」と別れを憂うがあれば、春は別れの季節であることを前提に「じゃあね」と歌ったものもある。確かに3月は別れが続く。今日もまた、あいにく参加ができない送別会が催される。転じて4月には出会いが続く。
 立命館災害復興支援室の送別会では、きまって「何か」が仕込まれる。それに加えてメッセージ集が贈られる。そのため、今日は朱雀キャンパスまで、カードを届けることにした。お世話になったお礼に、1冊の本を添えた。
 昼過ぎまでは衣笠キャンパスの個人研究室で過ごしたのだが、朝と昼では全く雰囲気を異にした。小雨が降る朝の静けさに対し、雨上がりの昼には建物の一帯に折りたたみ机と椅子が並べられ、多彩な団体が新入生の勧誘を行っていた。思えば学生時代は「ビラを何枚渡されるか」を友人と競い、働き始めると「学生に間違われてビラを渡されるか」を話題とした。両者には幼さへの抗いと、若さへの拘りが垣間見える気がする。
 午後は新潟・小千谷の塩谷集落に関する研究会を立命館の大阪梅田キャンパスで開催した。大阪大学の渥美公秀先生と、関西学院大学の関嘉寛先生及びゼミ生、私と立命館大学サービスラーニングセンター科目の過年度受講生、計6名と少人数ながら、今年度の当面の動きについて意見交換を重ねた。終了後には教員のみで大人の研究会ということで第二ラウンドに流れた。美味に舌鼓を打ち家路につくと、替え歌を楽しむ送別会の様子がSNSに流れてきた。

2016年4月3日日曜日

場の言葉をすくう

 ココルームの新しい拠点の開設記念の場にお邪魔した。新たにゲストハウスとカフェと庭をあわせ持つ場とした思いが、公開理事会としてのトークで語られた。代表の上田假奈代さんは「どうやって他者と信頼しあってここにいられるか?」がテーマだったという。「旅人と地域、国や民族の違う人、スタッフ、ここで出会い、ここの場所でしなやかにのびていってくれれば」といい、「アートホテルではなく、みんながつくった場所で、学び、眠り、出会うといいな」と思いを述べた。
 場の生成と発展について、ゆかりの皆さんが語った。アサダワタルくんは「スタッフもまた旅人、別の場所で種となる」と。西川勝さんは「聴くということは、相手が言える以上のことを言葉にすること」と。浜松から来た鈴木一郎太さんと大東翼さんは、それぞれに専門家集団への身構え方について語っていた。
 建築の専門ではない鈴木さんの言葉が印象的だった。「居心地が悪そうでも、そこにいていいと感じてもらえる場所が大切。それは誰かが教えてくれるものではなく、護られている場所だということ。」まさにココルームだ。
 お酒が回った西川さんが、哲学者に戻り、師匠の鷲田清一先生の言を紹介した。「臨床哲学とは言葉に出会い、じぶんのものではないけど大事にすくいあげること。」最後、假奈代さんから私にマイクが向けられたが、遠慮をした。もう少し場に浸らねば、じぶんの言葉で場をすくいあげてしまうとよぎったのだ。

2016年4月2日土曜日

務めを引き受ける

 立命館大学では今日が入学式である。私が学生だった頃は体育館で行われていた。小学校から高校まで、無欠席で通してきたものの、大学は入学式のその日から大遅刻で始まった。京都市山科区に居を構えて程なく、電車とバスの乗り継ぎに不慣れだったためだ。そもそも、幼・小・中・高のうち、一番遠かったのが幼稚園という環境で育ったことも無関係ではないだろう。
 時を経て今、母校で働いている。教養教育の担当ということで、複数のキャンパスを行き来しているが、今の住まいは個人研究室が用意された衣笠キャンパスまでは、歩いて15分程だ。それぞれにご縁である。これまでは個人研究室にて沈思黙考することは稀だったが、今年からはそのスタイルを変えていきたい。
 ちなみに、在学生対象のサービスラーニングセンター科目の登録が既に締め切られ、選考用の資料が届いている。思いの他、希望者数が少ない。よって矢継ぎ早に追加募集が行われた。学部の科目では味わえない魅力づくりに注力しているので、ぜひ、関心が向けられて欲しい。
 着目しているのはシティズンシップである。鷲田先生の言葉を借りるなら「地域社会のなかで、みなの暮らしにかかわる公共的なことがらについてともに考える、そしてそれぞれの事情に応じて公共の務めを引き受ける、そんな市民・公民としての基礎的な能力」(『しんがりの思想』p.88)だ。ワークとライフをつなぐ知恵でもある。さて、授業の仕込みに勤しもう。

2016年4月1日金曜日

反射でなく蓄積を

 「締切のない仕事をする」應典院を退任するにあたり、「今後何するの?」と何人かから問われ、口についたのがこの言葉であった。これまでは、例えばニュースレターをはじめ、ささやかながら締切に追われることが多かった。無論、大学教員としては時間割にあわせて授業準備をしなければならない。しかし、書きものとでは性格が異なる。
 締切と言って想い起こすのは、藤子不二雄の自伝的作品『まんが道』で描かれた電報である。1954年、富山から上京した2人は、10本の原稿を抱えたまま、年末年始を郷里で過ごした。そして年明け早々、「ヨソヘタノンダ」の電報が届き、結果として8本を落とすことになった。この時の心境が、カラー原稿の採録がされた2012年版「まんが道」の発売時、安孫子素雄先生への取材で「デビュー直後にでっかい失敗をしたのがよかった」と語られている
 折しも4月1日、この日に思うのは、てんとう虫コミックス版『ドラえもん』7巻の「帰ってきたドラえもん」である。何度思い返しても「ウソ・エイトオーオー」という命名に感服する。昨今、エイプリルフールの悪ふざけが過ぎることを危惧してか、今日はSNSの投稿で『エスパー魔美』の1コマを目にした。高畑和夫の「冗談というのは、みんなでゆかいに笑えることをいうのです。」だ。
 これまで瞬発力で言葉を重ねることが多かった。環境が変わった今、型を変えたい。反射でなく蓄積を大事にしよう。ささやかな挑戦である。