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2016年4月6日水曜日

所有と主体のあいだの接続

 自他共に「リメンバー男」を認めている。時系列に沿って、出来事の成り立ちを説明できることが評価されてのことである。中学校や高校での歴史という科目は得意な方ではなかったが、数字と文字で物語を語られることそのものには関心があった。むしろ、語るようになることに興味があった、がより正確である。
 2013年1月から、毎週水曜日の朝に英語のレッスンに通っている。The New York Timesの記事を教材として、時事問題などを語り合うというクラスである。題材は2週間前に受講生の投票によって決定され、先生が選んだ候補に対し発表担当者のみ2票分の傾斜配分のもと1人何度でも入れてよいとされている。ちなみに今日はトランプ候補の政治姿勢の記事だった。
 午後には應典院の新主幹の紹介のため、大阪ガスビルにお邪魔した。應典院の再建計画に際して、ソフト面の理念を検討した皆さんへにお集まりいただけたのだ。エンジンとガソリンという比喩が用いられながら、オウム真理教事件直後の世相に思いが馳せられつつ、お寺の事業には馴染みが薄い受益者という視点から20年の時間が語られた。この10年、應典院を担わせていただいた謝意が募った。
 ふと、学生時代に平井孝治先生の語りを思い出した。リンカーンによるゲティスバーグ演説の「of」が理解できなかったという話だ。今、山口の應典院は山口による應典院だったという実感がある。of山口でなくby山口、統治をめぐる言説は深い。

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