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2016年4月27日水曜日

準備時間における反比例の原理

 現在通っている英語のクラスでは、3ヶ月に1回程度、発表機会が設けられている。あくまで自主性なので、発表しなくてもよい。その場合はTad先生から受講生に多くの問いが投げかけられる。逆に発表者となると、受講生側に多くの気づきをもとにして問いを投げかける役を担う。
 今週は私が発表する回だった。回ってきたのではなく、自ら志願しての回である。ただし発表内容は2週間前に、Tad先生が直近のニューヨークタイムズから選んだ記事に投票することで決められる。今回はパナマ文書にまつわるジャーナリズムが扱われた。
 以前、ラジオのパーソナリティーの方だったか「3時間番組は3分の準備でも可能だが、3分番組には3時間の準備が必要」という類の話をされていた。同感である。英語の発表は15分だが、この原則にのれば、15時間くらい準備してよいだろう。感覚的だが、1時間を境に、持ち時間に対して必要とされる準備時間は短くてよい気がする。
 午後には立命館大学BKCで学生たちの対話を見守り、中京区役所での「マチビトCafe」に急いだ。サービスラーニングセンター科目の中京区での活動に参加する受講生らに参加が呼びかけられたためだが、そこでは約2時間の議論に、相当の準備が重ねられていた。その後は、福島から立命館大学に着任した教員らと福島で活動する学生らの懇談・懇親会に向かった。1時間を超える場への準備には、それまで積み重ねた日数が問われると確信した。

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