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2021年3月17日水曜日

都の民

水曜日、朝は大阪での英会話のクラスに出席した。今日のテーマはミャンマーの軍事クーデターで、仏教国での軍事政権の影響と動向について、第二次世界大戦中における鈴木敬司・陸軍少将による「南機関」の話まで遡り、意見交換がなされた。また、ロヒンギャのみならず、国境沿いで生活を送る少数民族の存在をはじめ、民主化運動を経てなお残っていた社会問題についても改めて認識することができた。若い国の若者たちによる国づくりを何らかの形で支えられれば、と痛切に感じる1時間半となった。

このところ京阪の淀屋橋駅ばかり使ってきたが、今日はあえて渡辺橋駅を利用することにした。お目当ては現在発行されている第136号が最終号となる「月刊島民」を目にして手にすることだった。2008年、中之島線の開業をきっかけに創刊され、水都大阪の象徴の1つである中之島界隈の魅力を掘り下げる冊子として、実に読み応えがあるものだった。あれから12年、企画・編集・発行にあたって留め金のような役割を果たしてきた「140B」が入居していたダイビルは建替となってしまったものの、大大阪の痕跡を辿ることができる風景は各所に遺されていると共に、それらを大切にする市民らによる継続的・発展的な取り組みが重ねられており、その一翼を「月刊島民」が担った部分もあろう。

京阪中之島線が開業した2008年には天満橋界隈に住んでいたこともあって、若干の感慨に浸りつつ、午後にはZoomミーティングに自宅から参加した。立命館大学「2020年度(第4回)・2021年度(第1回)基本担当者会議」と呼ばれる会議であった。これは2008年に導入された「基本担当者制度」の効果的な運用のために実施されるものであり、各キャンパスで開講する同一科目について、シラバス・講義内容の標準化、授業進捗状況の把握、成績評価基準・方法の調整などが行われる。2020年度はコロナ禍により、そうした部分が一層重要となったこともあって、多くの参加者のもとで、よりよい教育実践のための授業改善の手がかりを探る機会となった。

Zoomミーティングの終了後、引き続き打合せが持たれた。新年度早々に締切となる民間財団の助成事業に応募するためのブレーンストーミングであった。準備期間は短いものの、長い時間をかけて蓄積してきた知見がある。「月刊島民」が丁寧にまちの歴史と文化を紡いできたことを想い起こしながら、応募用紙の空欄に向き合い、ストーリーを練り始めた。

PDF版で目を通すこともできるものの手にとって目を通すことに格別の意味があるかと
<Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/60, 40 mm>



2021年3月16日火曜日

チャームにブルーム

朝は今年度最終の立命館大学の倫理倫理審査委員会だった。2018年度から委員をさせていただいており、来年度もまたお役目をいただいているものの、今年度で退任される方々も何人かおられた。そもそも、私が委員に就いたのも、どなたかが退任されたゆえのことであり、コンプライアンスが多方面で指摘される中、研究者の権利として与えられているもの(つまり、審査を受けることは義務ではない)がきちんと行使いただけるよう、お役に立てればと思っている。その一方で立命館では大学院の指導担当ではない私にとって、一連の審査において丁寧な確認が必要とされるということもあり、立命館の研究水準に触れることができる貴重な機会であると共に、自分自身の研究手法を見つめ直す機会にもなっている。

午後は大阪大学によるシンポジウムを聴講した。文部科学省委託事業「人文学・社会科学を軸とした学術知共創プロジェクト」 キックオフ・シンポジウム、という大きな看板が掲げられたものであり、「命に向き合う知のつながり―未来を構想する大学」というタイトルのものであった。中でも第1部「人文学・社会科学の可能性」での鷲田清一先生の講演「学問と社会 再論」がお目当てだった。鷲田先生は私が3年間の在籍をした直後に大阪大学の総長に就かれ、約2年前に京都市立芸術大学の理事長・学長を退任された後は大学を離れられたということもあって、「再論」という言葉が埋め込まれたのだろうと想像しつつ申し込んだものである。

2020年の7月18日、法然院で開催された第14回善気山文化塾の講演「使うこと、繕うこと」にて、久しぶりに鷲田先生の語りに触れたものの、その後、朝日新聞の「折々のことば」を休載されたこともあって、お身体を崩されたのかと案じていた。しかし、今日はZoom越しではあったものの、その独特の論理展開を楽しませていただいた。少なくとも私が最も興味が向いた点は、哲学者・カントによる「知性の公共使用」の観点を引き合いに出し、文部科学省による競争的資金獲得を煽動するかのごとくの政策動向は、結果として大学を社会に対して閉じた拠点化を推し進めることとなると共に、知性を自らの教育・研究の環境改善のために用いるという知性の私的使用に他ならず、学術研究の原点に立ち返る必要がある、と断言されたことである。この学術研究の原点とは、社会に関与せずに批評的な距離を保つことと、社会の抱え込んだ問題解決に責任を負うという、相反する2つのベクトルの中でこれから歩むべき道筋や方向性を個人・集団が見つけること、と示された。(ちなみに、そうした振る舞いに対して、オリエンテートとマッピングという語を当てたことを付記しておく。)

鷲田先生の講演は、現役世代に対して、伸びやかさとチャーミングさを忘れないで、とメッセージで締めくくられた。そして、学問と社会との関係構築では、大学からのアクションに対して市民からのリアクションを受け止める必要があるということ、すなわち大学は市民の学ぶ権利を支えることが重要、と言葉を重ねられた。こうした議論を支える理論として、ドゥルーズの「批評と臨床」を挙げ、クリティークとクリニックのバランスを取ることが、共犯関係に陥らないための重要な手がかりとなること、それゆえに特に人文学では問題解決策としてのソリューションよりも問題発見の過程において問いを立てることを大切にすべし、と示された。シンポジウムの終了は18時で、夕食はおなじみの街の中華料理のテイクアウトにしたので、改めてオーダーした品を取りにいく道すがら、やわらかい言葉ながら複雑に入り組んだ文脈のもとでの1時間の「鷲田節」を改めて味わい直してみた。

千本今出川の桜で人形浄瑠璃の義経千本桜を感覚的に想い起こしてしまうのでした
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/40, ISO640)



2021年3月15日月曜日

前に向かって動く

英語が得意なわけではないが、好きだ。とりわけ、語義から意味を探ることが楽しい。それは漢字であっても、またその他の日本語でも同じようなことができる部分もある。ただ、漢字において部首であったり、日本語以外でも語源を辿るといったこと以上に、英語の場合は(その他ヨーロッパの言語も似た傾向にあるとも言えるだろうが)接頭語と語根と接尾語とを分割して捉えてみたときに、意味の体系に触れられるのが興味深い。

今日は午前中に立命館大学共通教育推進機構および教養教育センターの次年度の運営に関する打合せがあった。「何学部の先生ですか?」と問われることが多いものの、私の所属はこの「共通教育推進機構」なのである。英語で言えばInstitute for General Educationで、Liberal Arts Centerの担当、ということになる。立命館大学では各学部の英語名にCollegeを付しているために、それぞれの専門に基づいて学位を出すことができる機関であることが明確だが、機構の英語名にInstituteが充てられているのは、学内の実践的・実験的な取組を企画・開発・導入・展開・評価を行い制度化を図る研究所のような役割を果たすことが期待されていることの現れであろう。

その後、立命館大学衣笠キャンパスへと向かい、正門前のバス停に、2020年度の教養C群科目「ソーシャル・コラボレーション演習」受講生によるバス停の装飾活動の立ち会いを行った。2この科目は2012年の教養教育改革で設置された科目である。当初は立命館大学の地域連携活動に、2019年度からはそうした地域連携活動を評価いただいたことで、京都府立堂本印象美術館と取り組みを重ねてきた。そして今日は、2020年度の活動の一つ、美術館のプロモーションの一環として、京都市交通局の許可のもと、美術館のスタッフと受講生らの手によって、期間限定にてQRコードつきのポスターが掲出された。

バス停のポスター掲示が美術館のプロモーションとして位置づけられている理由は、ポスターのQRコードをスキャンした後に表示される画面を美術館の受付で提示すると、特製のバッジがプレゼントされる、という仕掛けとなっているためである。文字通り、pro(前に向かった)motion(動き)を誘発するものとなっている。この立ち会いの後、立命館大学びわこ・くさつキャンパスに向かい、新年度から本格展開をしたいプロジェクトの打合せを行った。私もまた、前に向かって動いていく新年度としたい。

(iPhone 12 mini, 1.55mm< 35mm equivalent: 14mm>, f/2.4, 1/905, ISO25)

2021年3月14日日曜日

理由は無理解からの反抗

中学から高校にかけて、ジェームズ・ディーンの魅力に引きつけられていた。リーバイスのCMの影響が大きい。また、Boonという雑誌の影響もあって、雑誌内で取り上げられていたストリートカジュアルと、それにまつわる雑学の紹介を通じて、夭折のスターの伝説を知ったことも下支えとなった。インターネットやWikipediaのない時代のゆえんである。

中でも映画『理由なき反抗』で、超絶のかっこよさに触れた。さすがに作品内で着用されていた赤は差し控えたものの、クリーム色のスイングトップに501を履いていた。その後、ジェームズ・ディーンがリーバイスを履いていたのはごく稀のことで、通常はLeeを履いていたということ、Levi's Bookという、ショップ(確か、エンゼルという名前ではなかったか…)で配られていた冊子で知った。加えて、ポルシェ(550スパイダー)に乗ることはできないだろうから、せめて格好だけでも真似てみようと、高校時代はリーゼントスタイルとし、その姿は卒業アルバムに残されることになった。

映画『理由なき反抗』では、親たちから見れば反抗する理由が理解できないものの、こどもたちからすれば理解してもらえないことが反抗の理由である、といった場面が重ねられていく。レンタルビデオ(VHS)で鑑賞した際には、食い入るように見たことをよく覚えている。その後、字幕が煩わしいと思い、つてを辿って英語版のビデオ(VHS)を購入してもらい、何度も何度もその振る舞いを研究した。ただ、HanesのTシャツはアメリカのような機械乾燥でなければすぐに襟首がクタクタになってしまうためにBVDに、コンバース(ジャックパーセル)は靴底がペラペラなのが気になってNIKEのAIRに、リーゼントは匂いが気になる上にシャンプーが面倒くさくなり使用を止めるなど、機能を優先していくことによって真似事は収まっていった。

やがて大人になっていく中で、理由なき反抗のように一見すれば思われる行為にどのような理由を見出すことができるか、ということを思うようになった。そんなことを想い起こしたのが、今日、町内会長から届いた「総会議案書」に対する修正要請の項目である。コロナ禍だからこそ、単に前例を踏襲しないように、ということと、統一感がないところを統一しようと試みた点に対して、ことごとく、修正への要請が重ねられた。はてさて、これを理由なき反抗と見るか、理由ある修正案への対抗と見るか、少なくとも22日に開催予定の総会前役員会を実施する理由であることは間違いない。

総会の案内状は西暦並記なのに議案書内は西暦を削除という指示に合点がいかない
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/60, ISO250)



2021年3月13日土曜日

"What can I do for you?"

初めての海外旅行は、大学4回生になる春休みである。サンフランシスコのベイエリアに一人旅に出かけた。きっかけは、1996年に中村正先生から、ご自身の論文「学びのコミュニティづくり」(大学創造第5号, 1996, 5-22)を紹介いただいたことであった。論文では、UCバークレーに客員研究員として滞在した際の経験が紹介されていた。文字と写真で記された風景を実際に見てみたい、と思い立っての旅であった。

あれから24年、今日は在学中に世界を旅した学生の話題提供を聞く機会を得た。午前中にシティズンシップ共育企画のZoom企画に参加し、かかりつけ医の診察を受けた後、立命館大学文学部4回生の岩本心さんが話題提供を行う大阪府茨木市の環境政策課の事業「エコカフェ」に参加したためである。新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、YouTube Liveでの配信ということになったものの、2020年11月に茨木市市民活動センターによる講座「SDGsって何?」にお招きいただいた関係で、スタッフの一員という位置づけのもと、会場での聴講にお声かけをいただいたのである。岩本さんについては、立命館大学の学生紹介コーナー「+Rな人」で「人生で“本当の幸せ”と向き合う場を~世界一貧しい元大統領が教えてくれたこと~」と丁寧に紹介されているとおり、ウルグアイのムヒカ元大統領のもとを訪れるという行動力の持ち主である。

24年前の私も、比較的行動力が高い方であったと思われる。しかし、このときの渡航でオークランドにオフィスを構えていた日本太平洋資料ネットワーク(JPRN)に訪問した際、その後の人生の糧となった出来事を経験した。というのも、中村先生を通じて、JPRNのこと、またJPRNが発行していた情報誌「GAIN」の内容、それぞれに感銘を受けていたため、いわゆるアポ無しでの訪問をしたためであった。設立者の柏木宏さんは不在で、後にJUCEEを立ち上げる今田克司さんが偶然にもおられたので対応いただいた。

挨拶に続き、しばらく言葉を交わした後にJPRNのオフィスで今田さんに言われたのは、「What can I do for you?」だった。要は「情報が欲しい」なら日本からでもインターネットで検索すれば膨大な量が手に入れることができるし、このオフィスにある本を見たいなら見ればいい、何か質問があるなら質問をして欲しい、ということだった。私は単に「まちを見たい」「雰囲気に浸りたい」「風を感じたい」という、極めて漠然とした、また自己完結した思いのもとで足を運んだために、向き合う相手に求めることがなかった、という具合だ。あれから24年、なかなか誰かに「助けて」と頼むことが難しいということを踏まえつつ、「助かった」と思えるような人間関係を紡ぐことができるよう、仮に曖昧で漠然とした思いを持っている人にも寛容であろうと肝に銘じているつもりである。

長らく続いた「エコ"カフェ"」事業は一旦終了でのようで続きは「エコ"バー"」かも…
(iPhone 12 mini, 1.55mm< 35mm equivalent: 14mm>, f/2.4, 1/60, ISO320)

2021年3月12日金曜日

伝えることを承ること

1年ぶりの東北の旅、あの日から3,654日目は福島県広野町で始まった。9時半から、1年ぶりに「みんなの交流館 ならはCANvas」へお邪魔し、おなじみの皆さんと再会を懐かしむと共に、10年を振り返る企画を鑑賞させていただいた。中でも2月13日から3月14日まで開催の写真展「楢葉町の震災の記憶を、これからにつなぐプロジェクト」では、私自身も提供させていただいたものが多数利用をいただいていて、その他の方々が発災前も含めて写して残した思い出との相乗効果で、住民の皆さん、また外部支援者、それぞれにこれまでを振り返る機会がもたらされていればうれしい。何より、この写真企画は、昨年の1月17日、阪神・淡路大震災から25年に関連づけて楢葉町で行われた企画に参加させていただいた後、昨晩も夕食をいただいた広野町のお店で、一般社団法人ならはみらいのスタッフの皆さんと懇談する中で出たアイデアが具体化されたものでもあり、感慨深いものがあった。

「みんなの交流館 ならはCANvas」の後は双葉町に開設された「東日本大震災・原子力災害伝承館」に向かった。途中、昨晩の追悼企画を主催された「とみおかプラス」のオフィスにお伺いすると、「富岡は負けん!」を書かれた平山勉さんがおられたので、少しお話をさせていただいた。そしてレンタカーで国道6号線を北へと走っていったのだが、楢葉町では役場の近くに3月25日の聖火リレーに向けた準備が始められ、富岡町では産業団地の整備が進み、大熊町では熊地区の家屋の解体が着手され始め、という具合に、それぞれの町にこれまでの日常とは違う風景がもたらされていた。そして、2020年9月20日に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」に到着した。

「東日本大震災・原子力災害伝承館」の管理・運営は公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構である。それが影響しているのか、例えば同じく福島県の博物館施設である「福島県立博物館」、自治体による「伝承館」と名付た施設でも建物そのものが震災遺構(宮城県立気仙沼向洋高校旧校舎)である「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」、さらには広域的に災害資料を収集し展示方法に工夫を重ねている「リアス・アーク美術館」、これらは折に触れ再訪し、忘れ去ることなどできないことを丁寧に想い起こしていくことの大切さに気づかせてくれる場所である。これはある種のイノベーションのジレンマなのかもしれないが、新たな手法で何かをしようとする意図が先立っているのか、誰が、誰に、何を伝承するのか、基本的な立ち位置が曖昧で、結果として伝承館として伝え、受け継ぐものが不明確になっているのではないか、と感じた。例えば、東京電力廃炉資料館は東京電力が事故を謝罪し、原因を説明し、教訓を整理する、といった枠組みが前提となっているのとは対称的である。

そうしたささやかな違和感に加えて、ループで上映されている数多くの映像資料と、その映像資料に含まれた音声の重なり合わせ、さらには来館者への親切心で細かく案内を重ねるアテンダントスタッフの方の声などにより、どっと疲れを覚える中で「東日本大震災・原子力災害伝承館」を後にし、3月20日にグランドオープンを控えた「道の駅なみえ」(2020年8月1日プレオープン)でやや遅めのランチをいただいた。ここでは立命館アジア太平洋大学(APU)出身の東山晴菜駅長にお目にかかり、最終目的地の「せんだいメディアテーク」へと車を走らせた。「せんだいメディアテーク」では甲斐賢治さんに久々の再会の後、この時期に毎年恒例となった「星空と路(2021)」の展示を鑑賞させていただいた。一人ひとりが他者に、中には遠い未来に向けて、その他まずは自分自身に向けて、その際には過去の自分とも対話して、丁寧に記憶や記録を遺しておられるプロジェクトばかりで、改めて10年という月日の重みを感じつつ、亡くなった方々への哀悼の意を改めて表すると共に、そのご遺族や知り合いの方々の悲しみに寄り添えるよう愚鈍ながらに探究と実践を続けていきたいと発意し、1泊2日、582kmの旅を終えた。

昨日までは無かったものが目の前に現れるとドキっとします
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/6494, ISO32)


2021年3月11日木曜日

この先10年も

あの日、私は大阪大学豊中キャンパスにいた。科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業 (RISTEX:社会技術研究開発)に採択された平田オリザさんを代表者とする「犯罪からの子どもの安全」のプロジェクト「演劇ワークショップをコアとした地域防犯ネットワークの構築」の2011年度の成果発表会に出席のためであった。ちょうど、私がタウンミーティングと称した、政策形成のための対話集会のあり方について話題提供をした際、東北地方太平洋地震が発生した。後に「東日本大震災」と呼ばれ、また特定非常災害に指定された大規模・広域。複合型の災害として、多くの被害と日常生活の問い直しを各地にもたらした。

当日のTwitterの投稿内容が今でも参照できる。2011年3月11日は41の投稿が行われている。タイムスタンプが、あの日の自分の行動に消印を押している。地震発生から約2時間後に、3/13朝5時のNHK教育テレビ(Eテレ)の「こころの時代」で放送される予定だった、大蓮寺・應典院の秋田光彦住職を取り上げた番組情報をリツイートしている。その時は、よもや3日以上にわたって報道特別番組の体制になるとは想像がつかなかった。少なくとも私の投稿の潮目が変わったのは、18:11、阪急梅田駅(当時)の改札を出た後に、JR大阪駅とのあいだの路上で配布されていた号外を目にして以降である。

あれから10年、今日は朝に自宅を出て、仙台空港から福島県の会津(福島県立博物館での企画展「震災遺産を考える ―次の10年へつなぐために―」鑑賞)・浜通り(とみおかプラス「富あかり2021」へと訪れた。仙台空港でレンタカーを借り受け、南西へと車を走らせ始めると、カーラジオ(Date fm:エフエム仙台)から渡辺美里さんの「10 years」(後にスタジオ収録された2021Verが3月11日付でYouTubeに公開されていることを知った)が流れてきた。中学生の頃、この「10 years」と映画「Back to the Future」をモチーフに「10年後の同窓会」といったミニ演劇の脚本を書いたことがある。最近では「黒歴史」という言葉もあるが、恥ずかしさが前に立つ点では通じるところがあり、また、何らかの機会で、あの脚本において未来を想像しうるものになっていたか、訊ねてみたい。

現在(2021年3月11日)、復興庁によって「東日本大震災における震災関連死の死者数)都道府県別・時期別)」が公開されているが、2016年3月11日以降は微減を続け、この1年半は災害によって直接亡くなった方の人数に対して0という数値が続いている。これは、私の推察だが、「いつまでも関連づけられることの方が辛い」という心理も働いているのではなかろうか。あれから10年も、この先10年も、細くとも長く、丁寧な関係構築に努めていきたい。

10年目の14:46は県博の企画展の展示室内で(帽子を取る警備員さん・今村正治さんらと)
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/50, ISO320)


2021年3月10日水曜日

曲がった掲示が嫌い

曲がった掲示が嫌いである。今日はそのことを、3月20日から京都市交通局のバスダイヤ改正にあたって、パネル内の運行系統別の時刻表の水平、垂直が揃っていない状況を目にして改めて実感した。背景には大阪・天王寺の浄土宗應典院に身を置いたとき、住職からお寺の緊張感を保つことの大切さを常々指摘いただいたことがある。曲がった事が嫌いな性格、というわけではないところがややこしい。

掲示の際には水平垂直を整えるだけでなく、期限が過ぎたものを放置しておかない、ということも、應典院にて口酸っぱく指摘された事柄である。掲示とは告知なのであるから、終わったものを放置しておくことは、伝える側としての責任感が欠如している、という観点からの指摘であった。今年度、町内会の役員をしたことで京都市の市政協力委員となり、それによって京都市広報板の掲示担当も担わせていただいた。改めて、伝える側の立場に立つ機会を得て、伝える側と伝えられる側の双方の視点を見つめ直すことができた気がしている。

そんな中、今日は水曜日ということで、英会話のクラスに出かけた。テーマは気候変動と気象災害だった。NASAの研究チームメンバーを中心にした4名によるThe New York Timesの記事「How We Can Better Predict Weather Catastrophes」(3/1のInternational Editionの紙面版では"How to Better Predict Weather Catastrophes") を読み解いていくこととなり、バイデン政権へのアドボカシーの側面として受け止めつつ、最低でも10年以上の平均値と極値を扱う気候問題と、その時々で局地的に起こる気象問題とを区別して扱う必要があることについて語り合った。議論は日常生活を変えるか、新たな製品・政策を通じた社会システムの変革か、という振れ幅となるものの、結果としてミクロとマクロ、両面からのアプローチが重要、というところで落ち着いた。

ミクロとマクロという視点は、虫の目と鳥の目という対比としても扱うことができる。その両方のまなざしを持つことができる複眼的思考を大事にしようと、童謡「とんぼのめがね」を引き合いに出つつ語っておられたのが、大学コンソーシアム京都のインターンシップ・プログラムのNPOコース(愛称:NPOスクール)の総合コーディネーターを務めていた中村正先生で、1998年度と1999年度とコーディネーターの一人を務めさせていただく中で多くの示唆を得た。阪神・淡路大震災での私自身のボランティア体験の言語化をする機会と習慣を得たためである。そんななか、明日で東日本大震災から10年、夜には渥美公秀先生もパネリストの一人となった弘前大学のシンポジウム「東日本大震災から復興を考える~チーム北リアスの10年~」をZoomで聴講した。

少し気に掛けることによって大いに心地よくなるのにともどかしく思うのは気にしすぎか…
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/213, ISO32)



2021年3月9日火曜日

直前の前例の上書き保存

町内会の総会に向けた準備を進めている。今日も現会長から、書類作成のための情報が届いた。パソコン、ワープロ、またファックスやスマートフォンもお使いでいらっしゃらないので、副会長の一人として事務仕事をお手伝いしようと買って出たためである。既に職業としては選択肢から消滅したと思われる「タイピスト」という役割が必要とされた背景を理解しつつ、手元で多くの書類が出来上がってしまうために印刷屋さんも大変だろうと想像している。

町内会に限らず、輪番制の組織によくある話として、直前の年度の書類のみが参照されるという点があるのではなかろうか。要は2年以上前の取り組みは、あまり参考にされないのではないか、ということである。もちろん、細かい方は数年来の動きを振り返って、その後の見通しを立てるかたもおられるものの、大抵はバトンを受け取った際の内容を上書き保存していく、という具合だろう。無論、安定的な組織であれば、その伝統が継承されて盤石な運営がなされるものの、不安定な要素がある場合には「蟻の一穴」のように手が及ばない程の被害がもたらされてしまうこともあるかもしれない。

もちろん、その逆も起こりうる。合理化、あるいは改革ということを進めようと思って、前例にこだわらない、という姿勢を貫くと、ルールや前例を重視する人たちとのあいだで軋轢が生まれる。しかも、勘が頼りにされる場合、転じて「好き/嫌い」の感覚が重視される場合、それが「良い/悪い」の判断基準とされてしまうこともある。この点は強靱なリーダーシップの危うさへの懸念と言ってもよいかもしれない。それゆえ、リーダーシップに対するフォロワーシップ、すなわちメンバーシップのあり方が重要となる。

今日はそうしたデスクワークに加えて、午前中には新入生の向けの動画の作成、午後には大阪大学・関西学院大学の皆さんとZoomでの研究会参加と続いた。それぞれに、目的が共有されている場なので、話は早い。だからこそ、場合によっては役割分担の結果で生み出されるものが、悪い意味で想像とは異なるものが仕上がってしまう可能性に対して自覚的にならないといけない。ちょうど、伝言ゲームにおいて、ある場面での微妙なニュアンスの解釈の違いで、最終的な結果が大きく異なってしまうように、自分が理解できたことを過信せず、しかし解釈の違いを楽しめる余裕も持ちたいものである。


コロナ禍ゆえのイレギュラーな対応があった年度ゆえ単純な上書き保存では済まない(はず)
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/100, ISO100)



2021年3月8日月曜日

必要・普通

新型コロナウイルス感染症の拡大以降、不要・不急という事を目や耳にすることが多くなった。感染拡大を防ぐためには各種の活動を抑えることが必要となるものの、人々の行動に制限を課すとなればその代償を用意する必要がある。そこで、自粛を要請という、論理的には矛盾する言葉の組み合わせが発明されたのだろう。これにより、制限を課さぬままに結果として制限がもたらされるような呼びかけがなされた。

不要の対義語が必要であることは明確であるものの、不急の対義語は何かは解釈が揺れる。急がないということは、何もしないというわけではない。電車の比喩を用いるなら、急行列車に対しては普通列車となるから、不要で不急でないものとは、必要で普通なもの、となろう。よって、最近の(例えば、作家の平野啓一郎さんは2006年にブログで「普通に美味しい」という表現を日本語の乱れの一つと指摘している)言い回しを用いるなら「普通に必要」なものはOK、と捉えることができる。

今日は10時と14時40分のZoomミーティングの合間に鍼灸院に行ってきた。2018年の秋に左足首を複雑骨折した私にとっては普通に必要なものである。ただ、午前中に参加したミーティングの際、終了後には鍼灸院に行くことに触れたところ、どうも不要・不急のものとして受け止められたようで、心外だった。転じて、誰にとって何が必要とされ、普通の生活において重要とされているのか、他者への想像力は大事にせねば、と思い直すことにした。

お世話になっている鍼灸院は四条烏丸界隈のため、お手洗いを借りにCOCON KARASUMAに立ち寄ると、国際女性デーにちなんで例年行われている少なくとも2019年の時点で「毎年この時期に」とされている)ミモザのプレゼント企画がなされていた。イタリアでは春の訪れを告げる花であるミモザを男性から女性に感謝の思いを寄せてプレゼントする、ということにちなんでいるという。もちろん、ミモザの日だけ感謝すればいい、ということではなく、日頃からの感謝を改めて形にする日ということだろう。何が不要で何が不急か、という区別することよりも、何が重要で何が普通になされるべきか、丁寧な選択と行動を重ねていきたいものである。

ミモザを贈ろうと思ったときに花を飾る場所を家につくっていないことに気づいたミモザの日
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/60, ISO125)

2021年3月7日日曜日

覆面と化粧と素顔と

久々に夫婦そろってオフな1日ということで、ドライブに出かけた。行き先は大阪とした。かつて5年ほど住んでいたまちでもある。静岡と京都に比べれば短い期間だったこともあり、ホームと言うにははばかられるものの、アウェイとも言い切れない不思議な感覚を抱くまちである。

まずは馴染みのカレー屋さんに向かった。かつての住まいの徒歩圏内で、馬蹄形の長テーブルにカウンター席だけのお店で、朴訥なマスターが接客をするお店である。土日や祝日などにはお連れ合いと思われる方がオーダーを取り、コップの水が進んでいるとすかさず入れてくださった。ただ、引っ越し後にも何度かお邪魔しているものの、このところ、お目にかかれてはいない。

その後、これまた行きつけのパン屋さんに向かった。こちらもまた、人気のお店で、コロナ禍ということもあり5人までの入店制限がかけられていた。数分で入店はできたものの、身体にカレーの匂いをまとっていたのかも、という懸念さえ吹き飛んでしまうほど、昔を懐かしみながら、数食分の商品を選んだ。続いて、少し気分転換に博物館などに足を運ぼうか、と思ったものの、中之島の国立国際美術館は展示入替中、海遊館は時間指定券の発券をしている程で、またの機会にしよう、ということで京都に戻ることにした。

帰り道、Zoomのウェビナーを聴きながら、高速道路の追い越し車線を小気味よく走っていると、横に覆面パトカーを見た気がした。無線のアンテナがある運転席と助手席に2名乗車している黒のクラウンであったので、通行車線に戻って品の良い運転を続けることにしたものの、どうやら思い過ごしだったようである。常々思うのは、覆面パトカーというのは言わば素顔パトカーで、例えばタクシーやガス会社といった警察以外の業務車両に模したものへと偽装しているものを言うのではないか、と思うことがある。とはいえ、そうした変装パトカーが走っていたら、それはそれで紛らわしく、しかし別の意味でわかりやすいところであり、果たして、どうすれば犯罪抑止に効果がもたらされるかを想像したところ、結局は今のような素顔に薄化粧(無線や赤色灯などを架装)な状態がよいのだろう、と思い直している。

「大阪っぽい」と感じる風景を多々目にして懐かしみつつ楽しみました
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/4132, ISO32)



2021年3月6日土曜日

住民の互助があっての市政への協力

2020年度、町内会の副会長を担う機会を得た。正確に言うとブロック長として副会長の立場に就いた。というのも、今、住まいを置いている町は、東西南北の4ブロックに分けられており、私は南ブロックの長となったためである。そして、東西南北の4ブロックが持ち回り(2020年度は西、2021年は南、つまり東西南北の順で回っている)で全体の長を定めており、対外的には全体の長が町会長、それ以外のブロック長が副会長として位置づけられている。

当然のことながら、町内会は同じ町内に住む人の自由意思のもと自発的に加入し、相互扶助のもとでよりよい自治を実現するための活動が展開される。ところが、京都市はこうした住民自治の原則に対して、行政の制度として「市政協力委員」という制度を導入している。ブロック長はこの市政協力委員として京都市に届け出られることになる。それゆえ、ブロック長には「市民しんぶん」の配布や掲示板へのポスター掲示などを特別公務員の立場で遂行する責任が課される。

町内会のブロック長のもとに月2回送られてくる市民しんぶんをはじめ、各種配布・回覧物は、ブロック内に置かれた組長さんを通じて、回覧板により町内会の加入者のお宅へと回されていく。今年度はコロナ禍ということもあって、私は南ブロックにおいては、各種配布・回覧物は市民しんぶんの配布のタイミングに集約させていただくこと、つまり月2回を基本とすることをブロック内でお認めをいただくことにした。何より、今年度は各種の事業が中止あるいは実施方法の見直し(例えば、ご長寿を願う「お千度」参りは町会長の代表参拝として、お赤飯とお神酒を75歳以上の方にお配りしてきた御祝いの品はQUOカードに変更、など)は来年度以降も一定、必要と思われるが、ブロックごとの会長・副会長の輪番も、ブロック内さらには組内での役割分担も、1年単位で交替が前提とされている。もちろん、重任による独善的な運営が避けられること、強制的に町内の行事に関心が向けられること、といった点を評価する人もいるだおるが、私はこれでは自治の力量は高まらず、行政からの依頼事項の負担感だけが残ることを改めて痛感する1年となった。

ということで、そんな役割もまもなく終了である。来年度は私が住むブロックから町会長が輩出されるということで、できるだけ合理的な運営ができるように工夫した素材を活用いただければと願っている。そんな思いも重ねつつ、今日は来月に控えている町内会の総会議案書の作成にあたった。合理化を極める中で、改めて住民自治の本質が見出されていくことを願いつつ、立場が変わっても、1会員として継続的に関心を向けていきたい。

町内会長による手書きの下案をタイプしながら改めて鳥取県智頭町の自治システムを想起
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/59, ISO125)



2021年3月5日金曜日

生きた区切り

1週間ぶりにオフィスに向かった。多くはオンラインで完結しているが、時折届く郵便物に大事なものが含まれていることがあり、うっかり見逃すことのないよう気に留めなければならない。また、ペーパーワークの中でも経費精算の一部は原本の提出が必要となる。それゆえ、今日は郵便物の確認と領収書の原本を携え、立命館大学衣笠キャンパスへと足を運んだ。

衣笠キャンパス正門に京都府立堂本印象美術館があることはよく知られているだろうが、その東隣に堂本印象先生がアトリエを置いた邸宅があることはあまり知られていないだろう。そして、その邸宅は現在、学校法人立命館が所有し、管理・運営していることはほとんど知られていないのではなかろうか。大規模改修を経て2018年度から運用が始まることを知った私は、2018年度から授業の一環としてこの旧・堂本邸を活用してきている。その旧・堂本邸に、12月中旬から仮囲いがされていたのが気になっていたのだが、囲いが外されると高塀をやめて生け垣とされており、開かれた印象がもたらされていた。

衣笠キャンパスで書類を提出した後、せっかくキャンパスに来たので、ということで、今年度で退職される方にご挨拶をさせていただいた。私が学部生の頃に事務室におられた方なので、恐らく今の私と同じ年齢の頃にお出会いした方である。わりと気難しい印象を持たれる方と推察をするものの、どちらかという私は苦手意識はなく、一つずつ丁寧に説明すればその背景の事柄を理解して淡々と進めていただけるという印象を抱いており、記念写真も撮らせていただいてオフィスを後にした。その後は行きつけの喫茶店でランチをし、自宅から2つのZoomミーティングに参加した。

来週の今日は東北にいる。東日本大震災から10年、そっと現地に足を運び、あの日からの10年を見つめ直すつもりである。今、立命館災害復興支援室では「災害に見舞われた地域に心を寄せてー「つむぐ思い出」フォト投稿の募集」がなされ、2012年度の「その日」(つまり2013年3月11日)から始めた「いのちのつどい」の2020年度分の告知も始まったが、これまである程度は定点で観察し続けてきたいくつかの場所に身を置くことにしたい。悲しみを慈しむ、そのためには何ができたか、だけではなく、何ができなかったか、ということにもまた誠実でありたい、そんな思いを携えての旅となるだろう。

かつての高塀から頭を覗かせていた部分との境界がわかる現在の生け垣
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/121, ISO 32)

2021年3月4日木曜日

記念の樹

朝から新幹線で浜松へと向かった。「令和2年度浜松市創造都市推進事業補助金報告会」への参加のためである。オンラインでも実施可能であると考えられたものの、関西の緊急事態宣言が解除されたこともあり、三密回避のもとで一堂に会して集中審議を行う方がよいかろう、という判断のもとでの出席だった。議題は3つで、採択団体の実施状況の共有、来年度の見通しの確認、そして再来年度以降の制度のあり方についての意見交換、であった。

私からはアドバイザーを務めた4つの採択提案と、取り下げになった1団体が直面することなった事態を紹介する中で、この補助金の目的である浜松での「創造都市」の推進とは何を意味するのか(既に要綱等には記載されているために)改めて明確に示すこと、あるいは提案する側が定義する創造都市とはどういうもので、その維持・発展のために何をしようとしているのかが明らかとなるフォーマットを整えてはどうか、と示した。その上で、間接経費制度の導入を踏まえた事務局とアドバイザーによるバックオフィス機能を制度に盛り込んではどうか、と提案した。また、そもそもこの1年、採択事業の実施者だけでなく、事務局もアドバイザーもコロナ禍への対応を積極的に図ってきたところであるので、果たして何ができたか、運営面の総括をしてはどうか、とも示した。その上で、過年度の(そして前身として位置づけられる「みんなのはままつ創造プロジェクト」を含む)採択団体交流を通じて構築するサポーター制度も実現可能であり、自ずと市民活動団体・アーティスト・企業という3つの枠で括ることよりも、むしろ協働事業により新たなチャレンジを展開しようとする人も出てくるのではないか、と投げかけた。

令和3年(2021年)分は例年どおりの展開で、4月から相談と応募受付、5月に書類審査、6月に面接審査となり、7月以降は審査員からアドバイザーへとモードチェンジをしてくことだろう。以前なら、面接審査の折にお隣の磐田市に帰省し、父や母と少々のお酒を飲み交わすこともあったが、新型コロナウイルス感染症が収束していき終息まで辿り着くには、相当の月日がかかるだろう。先日、実家の母から言われたことは、緊急事態宣言が発令された地域からの往訪者がいる場合に通院に支障が出る可能性があるので避けて欲しい、ということだった。それもあって、今日は緊急事態宣言が明けたということを1つの根拠として、三密を確保して1時間ほど実家に立ち寄ることにした。

以前は2軒並んだ家の脇にある路地を抜けて玄関に辿り着くという立地だったものの、手前2軒が引っ越しをされたこともあって、通りから我が家を見ることができる。少し雲が出ていたものの、青空の下で玄関脇の白木蓮が満開に近い状態だった。ガーデニング(のようなもの)が趣味の1つである母によると、この樹は私の誕生記念に植樹しようと(恐らく父が)提案したものだという。そして、松食い虫の被害にあったところには、今年に入ってから小さなミカンの樹を植えたそうで、それはこのところ相次いで入退院を繰り返している父に「実がなったら食べよう」というメッセージを込めたものであると知り、そうした会話を共にする時間を可能な限り大事にしようと思う帰省となった。

白木蓮の花言葉は「高潔な心」だそうでスターダストレビューの「木蓮の涙」も想像
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/1000, ISO 400)


2021年3月3日水曜日

役員のポジショントークへの身構え

水曜朝の英会話のクラス、今日のテーマは「米国による終わらない戦争」についてであった。先週は当初から開講日となっていなかったので2週間ぶりの講座だったためか、はたまた社会正義という点から自ずと熱が入ったのか、先生のみならず受講生の皆さんも積極的に発言が重ねられた。お題となったニューヨークタイムズの記事はタイトル「America’s Other Forever War」では直接的には表現されていないものの、米国の制裁法で定められた「二次制裁(secondary sanctions)」が積極的に取り扱われており、国内法ながら米国人・米国企業以外に対しても独裁国家との関わりに罰金を科すこと、その道徳的な問題を指摘するものであった。著者のPeter Beinart先生(ニューヨーク市立大学)は「二次制裁」は「包囲網」(siege、兵糧攻めと翻訳も可能である)とも言えるものであり、市民の自由の悪化、権力者の権力の強化がもたらされる、と具体例を挙げながら警鐘を鳴らす。

英語の後は自宅に戻り、昨年は対面で開催(今年はZoomでのオンライン開催)された日本ライフル射撃協会による「アスリートパスウェイの戦略的支援事業」評価会議に学識経験者として出席した。私が起用されたのは、事業対象者となる若年競技者の育成環境について社会心理学の中でもグループ・ダイナミックスを専門とするゆえに考察をして欲しいという側面よりも、むしろ学生時代にライフル射撃を始めてその後は継続していない競技経験者であることが重視されたため、と捉えている。ライフル射撃というスポーツは銃刀法の制約により競技人口の裾野拡大が難しいものの、しかし日本ライフル射撃協会の協力により「ライフル・イズ・ビューティフル」というアニメ(原作は4コマ漫画)も制作されており、そうした普及活動に加えて、将来の世界的なアスリートを養成するために、各県の競技団体である協会(今回は埼玉県ライフル射撃協会、山形県ライフル射撃協会、愛知県ライフル射撃協会)を拠点とした「タレント発掘・育成(Talent Identification and Development、TID)」がなされている、という具合である。2年間の委託事業の終了にあたり、コロナ禍で当初の想定どおりには展開できなかったものの、2時間の議論の最後、私からは(1)競技人口の裾野拡大とあわせて指導者人口の拡大も重要となり、(2)そのために若年者競技者との出会いと指導により選手の引退後のセカンドキャリアの一つとして指導者への道を開くことにもなるのではないか、(3)最高の目標はオリンピアンかもしれないが最低・平均の目標設定もできるとプログラム開発の上で手がかりが見いだせるのではないか、という総括コメントを示させていただいた。

夕方には町内会の役員会に出席し、事業報告と決算を行う総会に向けた意見交換に参加した。1年交代の輪番制であるため、まもなく任期は終了するのだが、たまたまお役目で副会長の役をいただき、一方で会長がパソコンの類いを一切されない方でいらっしゃるため、総会の議案書の作成のお手伝いをすることにした。途中、前例踏襲により穏便に済ませたいという意思をお持ちの方と、「以前のままでは今後が立ちゆかない」とする改革派とおぼしき方との意見が割れ、いてもたってもいられず折衷案を提示したものの、積極的な変更は来年度以降の役員に過度な負担を強いることになる、と先述の改革派とおぼしき方からまさかの反論が示された。結果としてポジショントークに巻き込まれてしまったのかもしれない、と思い直し、その後は発言を控えることにした。

常々、会議には出席と参加は異なること、そして審議事項と報告事項とで議論への姿勢が異なると共に、積極的に議決をしない懇談事項もあっていいこと、などを大学の授業でも教えてきた。しかし、経験が豊かである、という方にとって、私の会議への姿勢は理屈っぽい輩という身構えを持って距離を取られることがあることを今日はひしひしと感じた。そうした場面に立ち会うと、どうしても私もまた、身構えがある人たちへの身構えを抱いてしまう。とりわけ、対面の会議では、非言語的(ノンバーバル)なコミュニケーションの要素が発話のタイミングや内容を左右するところもあることを再確認する機会を得た。

ひなまつりということで受講生のお一人からチョコレート(ひなあられ風)をおすそわけ
(iPhone 12 mini, 4.2mm< 35mm equivalent: 26mm>, f/1.6, 1/147, ISO 32)






2021年3月2日火曜日

古い良きもの

「数ある工業製品の中で『愛』がつくのはクルマだけ」とは、トヨタ自動車の豊田章男社長の言葉である。2017年10月29日、東京モーターショー2017の開催に合わせて実施されたトークショー「WE LOVE CARS 2017」での発言である。GAZOOのWebでも2017年11月1日付で報告記事が掲載されていると共に、YouTubeのトヨタ自動車のチャンネルに動画がアップロードされている。後半にはイチロー選手がサプライズゲストで登場し、司会進行の小谷真生子さんも交えた「愛とは」の談義が興味深い。

確かに「愛車」と呼べる車に乗っているものの、私にとってはカメラも、また一部の携帯電話なども、「愛機」と呼ぶことができるものを使っている。カメラについてはニコンF3Pの新品を高校時代に偶然にも入手して愛機となり、京都で住み始めてから日沖宗弘さんの『プロ並みに撮る写真術』でリストアップされていたオートニッコール(Ai改)レンズを木屋町三条のムツミ堂や大阪駅地下の八百富写真機店に足繁く通いながら買い足して愛着を深めていった。携帯電話については、1995年から約10年にわたって既PDC方式のデジタル端末「ムーバM」(モトローラ製)を愛機として活用し、既に800MHz帯の電波が停波されて久しいものの、電話番号を抜かずにいたものを今なお手元に残している。また、眼鏡研究社のメガネ、腕時計ではセイコーのパワーデザインプロジェクトの1つなど、使い続けている愛着の深いものを挙げていけば切りがない。

今日、約2年ぶりに携帯電話、というか、スマートフォンの機種を更新した。iPhone mini 12である。マニアの方であれば型番の最後が「VC/A」ゆえに、カナダ向けの端末であることにお気づきかもしれない。2020年11月28日に注文したものが、2月18日にFedexに出荷伝票の登録、ケベック州(SAINT HUBERT)の店からセンター(MIRABEL)に荷物がついたのが2月24日で、インディアナポリス、アンカレッジを経由して関空に3月1日着、そして本日、日本郵便を通じて手元についた。

今日は古巣である大学コンソーシアム京都のお仕事で、約30分、Zoomでプレゼンテーションを行った。今日の到着は偶然ではあったものの、少なくとも愛着を深めやすいストーリーが付与されたように思う。何より、スティーブジョブズが最後に直接発表したiPhone 4、そして亡くなる前日の発表となったiPhone 4Sに通じる角張ったデザインが気に入っている。しかし、いただけないのが、背面のカメラの出っ張りで、これが嫌で未だにiPad miniを愛用し続けていること、さらにはiPhone mini 12にはジョブズが否定したケース(しかも純正のケースが販売されていることを激高するのではないかと想像しつつ)をつけて、背面がフルフラットになるようにして愛で始めている。

カナダ仕様は日本仕様と同じ電波セットを用いるため総務省による「技適マーク」付なのです
(Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/60,  ISO400)



2021年3月1日月曜日

赤い覆いを黒の膜にする

既に示しているように、ヤマハに対して強い思い入れがある。実家暮らしのときも、そして京都で一人暮らしを始めて以降、そして今でもなお、ヤマハやヤマハ発動機の製品が身の回りにいくつかある。京都で暮らし始めるときには実家で使っていたヤマハの単品コンポとヤマハ発動機のヒット作である「パッソル」(赤の初代)を持ってきた。パッソルは阪神・淡路大震災の後に同じくヤマハのDT50に乗り換えるまで磐田市ナンバーのままで乗っていったし、ヤマハのKX-R700というカセットデッキでオリジナルのテープを編集してヘッドホンステレオやカーオーディオで聴いていたのが懐かしい思い出である。

その後、大阪で暮らすことになって車の維持を断念する際、ヤマハのZealの中古に乗り始めた。250ccのネイキッドで、当時(2007年ごろ)でさえ絶版になって久しく、何より4気筒のキャブレター仕様ということで、メンテナンスに悩まされた。結局、石川・七尾へのツーリングが最も色濃い素敵な思い出である。その後、2013年に京都に戻ることにした際には手放す方向に気持ちが揺れ、最終的に左足首を複雑骨折した2018年に処分した。

その間、新たに相棒となったのがヤマ発によるエンジン「3S-GE」が搭載されたトヨタ車である。現代では命名や呼称に躊躇するであろう「カリーナED」の初代の後期モデル(ST162)で、4ドアハードトップというパッケージングもまた、今となっては希有な存在だ。加えて、生産終了から30年あまりが経つため、部品の確保が課題である。最近になって名車と呼ばれる車の部品供給が再開されるという動きが見られる(例えば、マツダではロードスターに加えてFC型・FD型の両RX-7が「CLASSIC MAZDA」プロジェクトに含まれるようになった)のは、少なくとも私にとっては明るいニュースだ。

今日は日付を超えて2/28締切の原稿を何とか仕上げて数時間の睡眠に就いた後、赤錆が目立ち始めてきたカリーナEDのワイパーブレードを、サビ転換剤で補修する時間を作った。その後、研究費の精算期限が迫っていることもあって、立命館大学衣笠キャンパスのリサーチオフィスに伺った。自宅に戻ると、深夜まで集中していたことの反動か、夕方の立命館大学サービスラーニングセンターのオンラインでの科目担当者会議(途中、立命館大学の広報課による「手洗いこそ、一番身近なボランティア。」という標語が用いたTwitterの投稿に愕然としてしまったという感覚が共有できてよかった)の少し前まで、ソファで眠りについてしまった。夕食の後は依頼を受けていた研究倫理審査の書類を仕上げて、改めてベッドで眠りについた。

サンドペーパーで錆落としをしてシリコンオフで脱脂して赤サビ転換防錆剤を塗った効果は…
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/500, ISO400)


2021年2月28日日曜日

公園があるなら民園や共園があっていい?

2016年の2月から、浜松市役所による創造都市推進のプロジェクトのお仕事をいただいている。2017年度までは「みんなのはままつ創造プロジェクト」(略して「みんはま」と)呼ばれる取り組みの審査員というお役目だった。例年2月に審査をし、4月下旬から5月上旬には前年度の成果報告と新年度の採択団体の交流を行う場が設定されていた。クロージングとオープニングの場が同時に設定されていることにより、まるでリレーゾーンのように、芸術文化活動を通じたまちの魅力づくりを行う担い手たちのあいだでそれぞれの思いを確かめ合う機会となっていた。

2018年度からは「浜松市創造都市推進事業補助金」という制度が開始され、その審査員を務めている。事実上「みんはま」の後継事業である。ただし、共に浜松市補助金交付規則のもとで執行される浜松市総合計画に掲げた都市の将来像「市民協働で築く『未来へかがやく創造都市・浜松』」のための補助金であるものの、「みんはま」は補助算定経費(事業の補助対象経費から収入等を控除した額)に対して1年目はスタートアップとして100%、その後に継続事業として採択された場合には2年目は半額、3年目は4割、4年目は25%が補助されると工夫「みんなのはままつ創造プロジェクト補助金交付要綱」に明記)されていた。一方で、「浜松市創造都市推進事業補助金」は期待する取組の内容が明示された上で担い手ごとに提案のカテゴリーと補助率の上限が設定され、市民活動団体等は「既存の活動団体の枠組み、活動範囲、活動内容を超えて、新たな発想で地域課題の解決や生活の質の向上につながる取組」に上限100万円を100%補助、アーティスト等には「市内の企業や地域と連携し新たな文化資源の発掘や発信、市民の創造性を刺激・育成する取組」に上限30万円を100%補助、そして中小企業者には「デザイナー等と協力し新たな製品・商品を開発する取組や、申請企業が有する技術や知識を広く地域に開放する取組」に対象経費の半額を100万円を上限に補助、という具合である。

今日はその採択団体の1つで、佐鳴湖をフィールドに創造都市推進の事業を展開する「Share THE PARK」の活動にお邪魔した。そもそも「みんはま」を終了した理由は、公益財団法人浜松市文化振興財団を基礎自治体におけるアーツカウンシルとして捉え直し、文化庁の「文化芸術創造拠点形成事業」のもとで、財団内に「浜松アーツ&クリエイション」を新たに立ち上げたことによる。2020年度は新たな制度での2年目のとなるが、財源は浜松市から移管されていないものの、行政の直接執行とは異なる特徴を出そうと、交付決定後には審査員がアドバイザーとなって事務局と共に伴走支援に取り組む、ということになった。今回は対面での現地視察となったが、コロナ禍の中ということもあって、Zoomなども活用してアドバイジングを重ねて来た。

本日伺った「Share THE PARK」は市民活動団体枠で「佐鳴湖を中心とするエリアに、豊かで持続可能なローカルライフを提案するマルシェとフリーペーパーの刊行」に取り組むものである。アドバイジングとしての対話では、「誰にでも開かれた公園を市民が互いの思いを共に大切にしながら場づくりを行うので、民園あるいは共園づくりですね」などと投げかけてみた。こうした言葉遊びがお嫌いではないようで、何かピンと来たところがあったようである。事業は2月分で一段落するものの、来年度の補助金応募への準備と共に、3月末を含む当面の活動は自費で展開することを決めたようで、地元の高校生がボランティア役を買って出ていた受付に置かれたガラス瓶には、参加者らの寄付が多く寄せられていた。

12月から3回目となる活動日には三ヶ日みかんジュースや栃窪のレモンでレモネードづくりも
(Leica M9-P, 35mm, f/6.7, 1/750, ISO400)


2021年2月27日土曜日

コピペと呼ぶか原動力と位置づけるか

父がヤマハ発動機に勤めていたこともあって、YAMAHAの文字に目が即座に反応してしまう。静岡県磐田市の実家を離れ、京都で一人暮らしを始めてからは、自ずとヤマハの環境から離れたこともあって、その感覚がより鋭くなった気もしている。そして、たまに実家に帰ったときには、改めて往年の仕事について父親から訊いたこともある。そのエピソードの一つは同志社大学大学院総合政策科学研究科での「山口ゼミ」1期生が修士論文を提出した後、そのうちの1人と共同執筆した紀要論文の冒頭に収めさせてもらった。

今日もまた、ふとしたところでYAMAHAの文字を見かけた。ホテルの流し台である。既にヤマハはリビング事業から撤退しており、1992年に分社化された「ヤマハリビングテック」が取り扱ってきたプロダクトは2013年から「トクラス」社に継承されている。ちなみにリビング事業は旧社名を「日本楽器製造株式会社」とするヤマハ株式会社(日楽やヤマハと呼ばれていた)で、オートバイなどを製造するヤマハ発動機株式会社(こちらはヤマ発と呼ばれていた)によるものではない。

ヤマハとヤマ発の歴史や企業風土のユニークさは、時折雑誌の記事などでも紐解かれている。例えば、バイク専門誌「培倶人」を出版する枻出版社のBikeJIN WEBでは「ヤマハのモノ造り」と題した特集を読むことができ、その1回目「細部へのこだわりは、創業当初から」では、以前「ブラタモリ」でも一部紹介された「オルガン→プロペラ→バイク」といった流れが紹介され、さらにその後の「ボート→アーチェリー→4輪用エンジン」という展開にも触れられている。また、人材派遣などに取り組む「パーソル テクノロジースタッフ」による記事『「YAMAHAのコピペ」ってどこまで本当なの? ヤマハ本社に聞いてきた』(2016年9月30日)では、ヤマ発のコミュニケーションプラザ(静岡県磐田市)にてヤマハとヤマ発の双方からのインタビューにより、「時計の修理→医療器械の修理→輸入オルガンの修理→オルガン製造→ピアノ製造→高級家具の製作→軍用の航空機の木製プロペラ製造→金属製プロペラ製造→バイク製造」という流れを確認した後で、両社の社長を兼務していた川上源一社長による海外視察の後、まるで「コピペ」のように、既存の技術を新たな発想で流用・応用していった流れを整理している。(ヤマハ(日楽)が「電子オルガン(エレクトーン)→IC開発・製造→オーディオ・電子楽器・パソコン(MSX)→電子機器(音源用電子機器やルーター)」、ヤマ発が「船外機製造→FRP製アーチェリー製造→FRP製船体製造→プール製造→インドネシア駐在員からの相談で水質改善のため浄水器開発→排気ガスに含まれる二酸化炭素吸収のための微細藻類の培養(バイオ事業)」といった展開をまとめている。)リビング事業のみならず、既に撤退した分野もあるものの、地元企業への身びいきながら、ぜひ、今後もさらなる発展を期待したい。

今日は先日から断続的に触れてきたとおり、沖縄の名桜大学が開催校となった国際ボランティア学会の年次大会に参加した。同志社時代に指導をさせていただいた元院生も参加していたので、時折、SNSでメッセージをやりとりしながら、知的な対話を楽しんだ。発表では立命館大学の北出慶子先生と遠山千佳先生と共に、立命館大学研究部の「Withコロナ社会 提案公募研究プログラム-Visionaries for the New Normal-」に採択された実践的研究の成果をまとめた。学術研究の世界でコピペと呼ぶと意味合いが変わってしまうのだが、一つの成果を次なる研究の原動力へと活かしていきたいと発意する一日となった。

「日楽」時代から「M」の真ん中がベースラインについていないのがヤマハのロゴタイプ
(iPhone XR, 4.25 mm<26mm>, f/1.8, 1/60, ISO320)

2021年2月26日金曜日

行列ができていない事態

1月7日に東京都などに出された緊急事態宣言は、その後対象を広げ、3月7日まで延長とされた。そして今月末には一部を除いて先行して解除がなされると報じられた。今年の2月は28日までしかないため、3月7日に比べれば6府県には1週間の前倒しとなる。2月26日の段階で、3日後から平常状態に戻ります、ということを意味するのだが、毎度の事ながら夕方に、しかも金曜日の夕方において月曜日からは平常どおりに、という判断を伝えるのは、現場感覚の欠如のように思えてならない。

立川志の輔師匠の新作落語に「質屋暦」というものがある。それまでの太陰太陽暦をやめ、1873年から太陽暦を導入することを決断した太政官の「改暦ノ布告」にまつわる噺である。明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日にすれば、1ヶ月分の給与を支払わなくて済むこと、さらには太陰太陽暦のままだと明治6年には閏月を入れねばならないため1ヶ月分の給与がかかること、したがってこのタイミングで暦を変えれば2ヶ月分の給与を払わなくて済むことになるため政府の財政が圧縮できる、ということを手がかりとして、町人の質出しの場面を滑稽に描き出す作品に仕上げられた。2013年の「志の輔らくご in PARCO」での公演がWOWOWで放送されていることは確認できているものの、あいにくDVD等でソフト化されていないのが残念なのだが、そのマクラの部分でも触れられている先述の布告は11月9日、つまり23日後に暦が変わる、と宣言されたことになる。

緊急事態宣言と改暦とを重ねて考えるのはいささか乱暴かもしれないが、仮にこうした政府決定と東京オリンピック・パラリンピックとを関連づけてみたとき、どんな決定であっても、現場に及ぶ影響は相当なものとなるだろう。何より「1年の延期」の決定から日が経つにつれ、ワクチン・治療法などにまつわる状況はより複雑化している。したがって、先送りを重ねた上で、ある時に「苦渋の決断」という具合に枕詞を付して何らかの発表をしたとしても納得がいかない、という声が噴出するのは想像に難くない。もちろん、決断に至るまでに丁寧な判断が求められるのは、私が関連するところでは大学の対面授業に関するあり方も例外ではなく、まずは緊急事態宣言の解除にどう向き合うか、そして政府決定に依存するだけでなく、大学としての理念や方針をどう定めていくのか、執行部には相当の熟慮が求められるだろう。

そんななか、今日は浜松まで新幹線で出かけた。浜松市による補助金事業のアドバイスのため、浜松アーツ&クリエイションのお仕事としての訪問である。当初の予定では実家に宿泊する予定であったが、家族であっても他県に居住する者との接触によって病院への立ち入りに支障がもたらされることが懸念されたため、「今回は来ない方が助かる」と言われ、結果として声だけのやりとりに止まった。無事に仕事を終え、ふと思い立って普段は行列が絶えない駅近くのお店に足を運ぶと待ち時間なしで入店でき、緊急事態宣言下という非日常ゆえの展開で想定外の時間を過ごす日となった。

静岡県西部で18年間過ごしたものの「浜松餃子」のブランディングの奏功には目を見張ります
(Leica M9-P, 35mm, f/2.4, 1/30, ISO 400)


2021年2月25日木曜日

静かなるご縁の日

毎月25日は北野天満宮の縁日である。「天神さん」と呼ばれてしたしまれており、25日は「天神さんの日」として市が立つ。学問の神さまで知られる菅原道真さんをお祀りしているため、生まれた日(6月25日)と亡くなられた日(2月25日)がともに25日ということに由来しての市日であるという。そのため毎月25日には、多くの人で界隈は賑わっている。

しかし、緊急事態宣言のもとということもあり、今日の市日は中止と発表されていた。それゆえ、終日、界隈は静けさを保っていた。もちろん、その静けさは今日だけではない。コロナ禍以降、上七軒と呼ばれるお茶屋さんが並ぶ町並みには静けさが保たれている。

今日は2件のミーティングがあった。共にZoomであった。私は自宅からつないだが、2つとも、ホストとなられた方は職場から参加しておられた。京都も含めて、緊急事態宣言は2月末で解除の方向に向かう、とされているが、果たして緊急の事態は脱したと宣言していいのか、そもそも緊急事態とは何かを冷静に考えてみる必要がありそうだ。

ミーティングを終えて少し外に出ると、犬を連れて散歩する方お一人の姿が見えた。ほぼ日没の時刻にもかかわらず、極めて閑散とした風景だった。一方でこの前の週末には、受験の願掛けのためか、他府県ナンバーを含めて駐車場の入庫待ちの車が正面の参道の鳥居側の門前に並んでいた。菅原道真公が亡くなられた延喜3年2月25日は、西暦では903年3月26日となるようだが、来月の縁日がどのような風景となるのかの見当がつかない以上に、はてさて1,118年前はどのような町並みだったのかの想像のつかなさに、時間の流れの尊さを思う静かなる縁日であった。

上七軒を含む5つの花街ではクラウドファンディングにも取り組まれていました
(Leica M9-P, 35mm, f/8, 1/30, ISO400)


2021年2月24日水曜日

共通の尺度で値ぶみができないこと

水曜日と言えば英会話のクラス、と決まっているところであるが、今日は当初からお休みだった。講師の先生が同じ場所で火曜日にも別のクラスを担当しているため、それにあわせてのスケジュールではないか、と想像している。私にとってはイレギュラーな水曜日の朝、立命館大学の次年度ゲストスピーカーの招聘手続きを行った。今年もまた、10時ちょうどでフォームが締め切られるという仕様であった。

「お金で解決できることはお金で解決」というフレーズを最初に聴いたのは何だったか、最早正確に思い出すことができないものの、とりわけ大学で教える仕事をするようになってから、意図的に使うようになったことは確かである。特に同志社でのソーシャル・イノベーションの実践的研究、さらには立命館でのサービス・ラーニングを通じた学びと成長を促す上では、このフレーズが思わぬところで効いてくる。なぜなら、このフレーズは「お金で解決できないことはどのようなものか」さらには「お金で解決できないことは何で解決するのか」という問いへと言い換えることができるためである。お金で解決できないことの一つは信頼関係(信用はある程度回復できると捉えており、ここに信用と信頼との区別をしているものの、ここでは立ち入らない)であり、お金で解決できないことは誠実に自らの非を認めた上で最善の策を探究して実施していく必要があろう。

今日は合計で5つのZoomミーティングがあった。午前中は週末の会議に向けた資料の確認、午後は新潟県小千谷市塩谷集落をフィールドとしたリサーチミーティング、その後に立命館大学サービスラーニングセンターの新入生歓迎用動画作成のためのブレーンストーミング、そして夕食後にデンマークのオールボー大学が主催するPBLに関するミニセミナーが2つ、という具合であった。中でも午前中のZoomでは、参加者どうしの学術的な専門やそれに基づく文化的背景の違い、それらによる言葉の解釈の微妙なずれにより、私が提示した図解に対して全員が納得できるものとはならなかった。議論の中盤を過ぎたあたりで私から図解の案は取り下げを申し出たものの、終了後になって改めてそのときのムードを想い起こしてみると、私がむしろ意固地になって逆ギレしていると映ったのではないか、などと考え込んでしまった。

そういうとき、コロナ禍の前には共に現場へ足を運び、メモを取ることも忘れて、ただその場のあたたかい雰囲気に没入していたフィールドワークやアクションリサーチの仲間たちとの対話は、オンラインであっても「いつかのあの場所」の心地よさへと誘ってくれる。しかも今日のミーティングは、ともに4月から大学院博士前期課程に進学する大阪大学の学部生2名が今年の卒業論文で何を記したかを本人から紹介いただき、それらも含めた書籍を作成するとしたらどのようなものが読まれるか、というお題もあったので、やや、とんちを効かせた対話を楽しめた。その結果、残りの3つのミーティングには午前中のモヤモヤがいささか晴れた状態で臨むことができた。お金で解決できないことは何か、それはCMのフレーズでも有名な「priceless」なこと、すなわち値段がないのではなく共通の尺度で値段をつけられないものであることは確かであり、今日はその本質を5つのオンラインミーティングを重ねることで改めて考える一日となった。
一日の終わりを迎えるまで気持ちの浮き沈みが多かった日の朝に撮った京都・上七軒界隈
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/90, ISO400)




2021年2月23日火曜日

キーピッチに見るデザインのバランス

人と比べるものではないかもしれないが、比較的モノフェチな方だと思う。もちろん、量が重要なのではなく質が重要であり、単に値段が高ければいいわけではなく安ければいいわけでもない。いくつかある要素の中でもデザインは良いモノであるかどうかを左右する重要なものの筆頭であると捉えている。

デザインという言葉は有形のものに対してのみ使われるものではない。実際、現在はコミュニティデザインやコンセプトデザインなど、広い分野で、また無自覚のうちに無形のものに対してもデザインという語が用いられている。それは建築を意味するアーキテクチャがコンピュータの世界でも用いられていることにも通じた観点であろう。理想的な世界をどうつくりあげるか、そこにはメッセージやストーリーが不可欠である。

今日は最近導入した新たなモノのコンセプトデザインとプロダクトデザインに向き合うこととなった。iPad AirとMagic Keyboardとの組み合わせである。もともとキーボードも、さらにはスタイラスと呼ばれるペン型の補助デバイスさえも不要とされてきたものが、スマートフォンの普及によって、改めてパソコンとの棲み分けと共存・共生のために、マルチな使い方が提案された結果であろう。この組み合わせはパソコンの代替や併用の可能性を拓くものであるとはいえ、キーボードだけで操作が完結しないこと、さらに日本語版のキーボードではリターンキーに近いキーの幅(キーピッチ)が崩れていることが悩ましい。

そんなことを視覚的かつ触覚的に体感しつつも、今日はパソコンで月末に機会を得ている国際ボランティア学会の発表資料を作成した。以前は慣れ親しんでいたはずのMicrosoft PowerPointを久しぶりに使ったものの、今やAppleのKeynoteばかりを用いているため、些細なことに苦労を重ねることとなった。結果として、Keynoteで作成してからPowerPointに書き出して微修正し、3人の連名による共同発表のスライドに担当部分を追加した。ふと、Macでは出されることがなかったPanasonicのLet's Note M32やR6など、A5サイズの機種を使いつつも、結果としてキーピッチの崩れなどが視覚的・触覚的に気になって、Appleに戻したときのことを思い出した。


Designed in Apple in Californiaゆえ英語版のキーピッチは11インチモデルでも不変なようです
(Nikon D40, Micro 40mm, f/3, 1/10, ISO400)


2021年2月22日月曜日

社会をよりよくする言葉と仲間に出会うこと

今日も朝から3つのZoomミーティングだった。昨日は100人越えのZoomミーティングが2件続いた。そのときに感じたのは、一堂に会する、ということばを前提とするなら、Zoomでは1画面あたりのギャラリービューの最大表示数が49であることを鑑みると、50人以上のZoomミーティングはウェビナーで実施してはどうか、ということである。とはいえ、昨日のZoomミーティングの2つめは途中でブレイクアウトセッションを用いたため、ウェビナーには実装されていない機能であることを鑑みると、Zoomミーティングという選択肢が採られたことにも合点がいく。

今日の午前中は大阪にて対面会場で行われた読書会にZoomで参加させていただいた。対面の場には題材として取り上げられた『分断された都市:再生するアメリカ都市の光と影』(学芸出版社)の翻訳者である山納洋さん含めて5人、そして5カ所から5人が参加する形となった。司会は大阪ガスCELの弘本由香里さん、進行は桃山学院大学の白波瀬達也先生により、インナーシティの再開発や居住者のホワイトカラー化など多彩な表現が用いられる「ジェントリフィケーション」に対して批判的に(言うまでもなく、単に否定的に扱うだけではなく)取り扱っての議論となった。私はp.61にて「複合大学」と訳出された部分に関して、その原語であるmultiversityの概念を示したClark Kerr先生が展開したカリフォルニアの大学システムと日本の大学システムとの違い、その上での日本における大学地域連携の取り組みとの関わりで、今後の地域活性化の政策への影響について見解を述べさせていただいた。

短いランチブレイクの後、午後には代表者を務めている科研費のリサーチミーティングを行った。2週間前に一度、意見交換をしていたので、その際の内容をまとめて、改めて来年度の展開を検討した。京都市内2カ所、横浜、鳥取をつないで、コロナ禍だからできることについて突き詰めた結果、卒業生に焦点を当てて、オンラインでのインタビューを実施していくことを軸とすることになった。そうして丁々発止の議論ができると、自らが身を置く社会をよりよくする言葉と仲間に出会うことが常々大事だということを改めて実感する。

その後、夕方にかけては、立命館大学の大学院キャリアパス推進室のスタッフさんとのブレーンストーミングとなった。私が立命館で修士まで学んだこと、前任校では大学院の担当で任用されたこと、本務校が立命館となった今は学部に所属せずに教養教育を担当していること、これらを踏まえて、大学院生の研究力向上への貢献へのチャンスをいただいた、という具合である。ちなみに担当スタッフの方とは私の最初の職場である大学コンソーシアム京都での在職中に職員と学生の関係で出会っており、改めてのご縁に感謝である。こうして、学びと成長のコミュニティを生成・維持・発展させていくことの意義を大切にしながら、それぞれが自身の軌跡を丁寧に見つめていけるような場づくりに貢献していきたい。

帯にはコミュニティデザイナーで知られる山崎亮さんが言葉を寄せています
(Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/60, ISO400)

2021年2月21日日曜日

ドーンとスタミナ!! がガツンとカラダに

1994年の3月末、第2志望だった国立大学のB日程試験が残念な結果に終わったことを受け、父と共に春からの家を探しに京都を訪れた。結果として、立命館大学のみ、ご縁をいただいたためであった。その年の4月から立命館大学は滋賀県草津市にびわこ・くさつキャンパス(BKC)を開設するすることとなっていたため、情報の多くは衣笠キャンパスに集まっていた。そのため、大学が提携する衣笠キャンパス近くの不動産屋さん(確か、以学館での大学生協の特設コーナーを見た後、平野神社近くの「学生ハウジング」さんにお邪魔したように記憶している)を訪れたのであった。

朝に静岡県磐田市の実家を出たため、自ずとランチは京都市内でいただくタイミングになり、足を踏み入れたのは北野白梅町の天下一品だった。なぜ、そこまで覚えているかというと、初めて入った天下一品で、初回は「こってりを食べなかった」ことを、事あるごとに想い起こしてきたためである。その後、衣笠キャンパスとBKCの中間地点とも言える山科区御陵で初めての一人暮らしを始めた後には、徒歩2分ほどのところにある天下一品によく通ったものである。もちろんオーダーは「こってり」で、ニンニク入りネギ大(現在はトッピング扱いで別料金)を定番としている。

今日は昨日の大学コンソーシアム京都の第26回FDフォーラムの打ち上げ気分で、妻と共に天下一品の総本店でランチをした。総本店の店内北側の壁面には天下一品の歴史が掲げられているのだが、そこに総本店の開店当時の写真があった。そこにあった「ドーンとスタミナ!!」の看板に、かつて通っていた山科店に掲げられていた文言を思い出した。一部の店に共通して掲げられているようで、Googleの画像検索で探り当ててみると、「当店のスープは非常に栄養価が高くスタミナ不足の方に特におすすめします。」という案内で、少し疲れたとき、また風邪気味のときには、スープを飲み干すことさえできれば程なく治り、仮に飲み干すことができなければ相当に体調が悪いと判断する、それくらいの「ドーンとスタミナ!!」であると今なお受け止めている。

天下一品でのランチを挟むかたちで、午前と午後にはFDフォーラムの分科会に参加した。午前の分科会では、前日のシンポジウムでもそうであったように、コロナ禍を経て「元に戻るか戻らないか」ではなく「元に戻すか戻さないか」、大学側に方針策定が委ねられているという議論が展開された、と受け止めている。午後はeラーニングと呼ばれてきた時代から丁寧な実践を重ねて来た方々の事例紹介だったため、なおのことコロナ禍を経た緊急対応の内容が相対化される機会となったと捉えている。ちなみに午後はランチの際の「ドーンとスタミナ!!」が、学生時代とは異なってガツンと胃腸を騒がしくさせており、途中、ブレイクアウトルームや休憩なども含め、休み休み議論を伺うこととなった。

ランチの後はスーパーで買い物をして帰ったのですがその時点で胃が騒がしくなり、でした。
(Leica M9-P, 35mm, f/3.4, 1/12, ISO 400)



2021年2月20日土曜日

線でつながる・ルームでつながる

半年ほどかけて準備を重ねて来た大学コンソーシアム京都第26回FDフォーラムの幕があがった。第25回は開催直前に新型コロナウイルス感染拡大防止のため、事前配布資料の公開のみで、実際の企画は中止となった。それから1年を経た第26回は初のオンラインでの開催となった。ちなみに来年の第27回もオンライン開催の方針で準備を重ねることが、先日、2月9日に開催された2020年度第5回FDフォーラム企画検討委員会にて議決された。

FDはFaculty Developmentの略語で、教授能力の開発を意味する。教授という職種の人の能力を開発する、という意味に止まらず、広く大学関係者の研修会として捉えるのが自然な解釈だろう。実際、その定義は議論の対象となっており、例えば文部科学省の中央教育審議会「我が国の高等教育の将来像」答申(2005年1月)では「教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取組の総称。その意味するところは極めて広範にわたるが、具体的な例としては、教員相互の授業参観の実施、授業方法についての研究会の開催、新任教員のための研修会の開催などを挙げることができる。」とある。そもそもFacultyとは個々の教員ではなく教員団として、つまりは集団を指すのであり、ちょうどサンガ(saṃgha)が「お坊さんたち」を指す構図に似ているように捉えている。

昨年度も立命館大学から企画検討委員として参加させていただき、今年もまたその役を担わせていただくにあたり、シンポジウム「大学の教育・研究・社会貢献に新しいモデルは生まれうるか?〜COVID-19の経験を踏まえてAI化・ロボット化した世界の担い手を構想する〜」を提案、コーディネートする機会を得た。コロナ禍において、2020年3月に立ち上がったFacebookの「新型コロナのインパクトを受け、大学教員は何をすべきか、何をしたいかについて知恵と情報を共有するグループ」の創設管理人の岡本仁宏先生(関西学院大学)と、2020年1月に『ROBOT-PROOF:AI時代の大学教育』(森北出版)を訳したお一人である杉森公一先生(金沢大学)と共に、約2万1千人の参加者の投稿を通じて、どんな未来像を展望することができたかを語り合うことにした。2時間のシンポジウムの前半は事前提供資料をもとに、お二人の話題提供に、後半は469名に申込みをいただいた参加者(最大時に400名)から随時受け付けたQ&Aの内容を紐解いていくことにした。18ほど寄せられた問いの中で、私にとって最も印象的だった問いは「本当に元に戻らず変われるのでしょうか?」であった。

ちなみに私の事前提供資料では、最後に岩見夏希さんによる詩「ない」を紹介した。この詩は現在、仙台市教育委員会による「仙台版防災教育副読本『3.11から未来へ』」の小学校4,5,6年向けにおいて「希望の詩」として紹介されているが、私が最初に目にしたのはNPO法人アートNPOリンクによって展開された「アートNPOエイド」で藤井光さんが現地で撮影した写真(宮城県亘理郡山元町役場にて2011年4月23日撮影)であった。まもなく東日本大震災から10年だが、あの時に「そこにあった/ものをとりもどす/ために/がんばっている/ぼくたちには/まえとはちがうが/必ずいいものが/帰ってくるだろう」と力強く言葉が紡がれたことを思えば、コロナ禍の前に「そこにあった」もの、例えば対面授業の本質は何かを、丁寧に見つめ直さねばならない。それはシンポジウムでの議論のみに止まることなく、通常は懇親会として捉えられる「情報交換会」もまたオンライン開催したことによって、同じ関心を持つ人どうしでつながりあい、Zoomのブレイクアウトルームでのセッションで対話を深めたことにより、今後もさらに深く掘り下げられていくことだろう。

いつもより万全の環境で運営しようと久々に無線ではなく有線でインターネット接続を
(Nikon D40, Micro 40mm, f/3, 1/20, ISO400)

2021年2月19日金曜日

化石燃料の二重利用

徒然草にて兼好法師は「家のつくりようは、夏をむねとすべし」と記しているが、夏に合わせると冬が辛くなる、それが京町家である。もちろん、夏の対策よりも冬の対策の方が容易であったからであろう。服を着込み、風の動きを止めて、例えば火をおこして暖を取ればよい。一方で、夏には簾をはめこんだ建具(文字通り、簾戸)に変えて風通しをよくしようと思えば、あらかじめ家の中に通り庭と呼ばれる風の通り道を作っておかねば、例えば打ち水などをしたところで効果は出ない。

とはいえ、京都の冬は寒い。それは現代のマンション住まいでも如実に感じる。二重窓、ペアガラスのサッシ、外張り断熱、そうした建築工法は年々進化を遂げているはずだが、特に打ちっぱなしマンションでは、鉄筋コンクリートの躯体自体がまちの寒さと一体化して、底冷えの京都で住んでいることを痛感させられることがある。かつて、土木工学を専門としていた時代に耳にした強・用・美(ローマ時代に活躍した建築家のウィトルウィウスによるとされる)のそろった建築は、なかなか容易にはもたらされないということの実感でもある。

今日は夫婦そろって在宅勤務だったので、ランチはテイクアウトで済ませた。予約の時間から少し早くお店に着いたのもあって、少々店頭で待たせていただいたとき、石油ストーブの上に加湿用の平鍋が置かれていた。燃焼することで暖を取り、その熱で水を沸騰させて湿度を保つという、化石燃料の二重利用である。厳密には京町家とは言えないが、わりと古い木造建築ということもあって、こうした工夫で快適さが保たれている。

そんなランチの前には2つのZoomミーティングだった。一つは来週の国際ボランティア学会での発表の打合せで、もう一つが立命館SDGs推進本部によるリーフレットの内容調整だった。ランチ後は立命館大学サービスラーニングセンター関係の調整事をしつつ、いよいよ翌日に迫った大学コンソーシアム京都のFDフォーラムの資料確認と、国際ボランティア学会の役員としての素材確認、さらには来週月曜日の科研費で採択された研究のミーティング資料の準備と、立て込んでいた。結果として、来週月曜日の資料準備は完了しえず、研究分担者の皆さんの顔を思い浮かべながら、段取りの悪さを恥じた。

かつてアラジンのブルーフレーム(16型)を使用していた頃を想起
(Leica M9-P, 35mm, f/3.4, 1/8, ISO400)







2021年2月18日木曜日

久々のネクタイ労働

今日も朝からZoomミーティングだった。ただし、ウェビナーでの開催だった。立命館大学研究部の男女共同参画推進リサーチライフサポート室による「ダイバーシティとワークライフバランスについて」というセミナーであった。対象は、学校法人立命館教職員および立命館大学大学院生・立命館アジア太平洋大学大学院生で、案内文には「男性の参加も歓迎します」と謳われていた。講師はベートーベンのピアノソナタの名前の一つにもなっている「アパショナータ」(意味は「熱情」)のパク・スックチャさんだった。

今週土曜日、2月20日には大学コンソーシアム京都の第26回FDフォーラムで、シンポジウムを担当させていただく。26回の歴史の中で初めてオンライン開催となり、Zoomを用いて実施される。そして、シンポジウムではZoomのウェビナーが用いられる。今年度、ゲストスピーカーを招聘する授業においてウェビナーでの実施をしたことがあるものの、改めて参加者側の感覚などを確認する機会を得ることができた。

午後、というか、夕方には下京いきいき市民活動センターに出かけた。京都地域創造基金による動画配信でのシンポジウムの収録のためである。15時半の集合のため、14時ごろから身支度を始めた。ネクタイを締め、革靴を少しだけ磨いて14時半過ぎに現場へと向かった。久々の感覚であった。

私の感覚であれば、1本の動画の収録をするなら各所からZoomでつないで、ギャラリービューとスピーカービューをうまく操作しさえすれば、スイッチャーなどの特別な機材を必要とせずに、一定のクオリティのものが出来上がるように思う。しかし、今回は対面での収録という形態が選択された。どんな出来上がりとなるのか、楽しみにしたい。帰宅後、こちらはメールのやりとりだけで仕上がった「河合塾 みらいぶプラス・みらいぶっく」のインタビュー記事が公開されたとメールがあり、これはこれで、コロナ禍での不思議な成果物となった。


市内13ある「いきいき市民活動センター」の下京と伏見は「まちとしごと総合研究所」が管理
(Leica M9-P, 35mm, f/2.8, 1/30, ISO400)

2021年2月17日水曜日

動物のいる風景を収めるので精一杯

寒い1日だった。京都は朝から雪模様で、一時はその勢いを増したものの、徐々に落ち着いていった。そんな中、水曜朝の恒例の英会話のクラスへの出席のため、大阪を目指した。いつものとおり、京阪電車での移動である。

最近は乗り換えをした上での最寄り駅ではなく、乗り換えをしない上での最寄り駅から少々歩いて教室へと向かうのだが、今朝はスズメたちの鳴き声がふと耳に入ってきた。ただ、カバンからカメラを取り出しているあいだに、異変を察知したのか、駐輪場の地面一体に何らかの拍子でちらばったのであろう食料をついばんでいた一群は、徐々に堤防の上へと移動してしまった。NHKの「世界ネコ歩き」でよく知られる動物写真家・岩合光昭さんのコミュニケーション能力をうらやむところである。

今日のお題となった記事は中国の地方航空会社(海南航空:Hainan Airlines)を参加に置くHNAグループ(海航集団)の倒産危機について、であった。アリババグループのジャック・マーさんの発言なども絡めながら、フィンテック(Finance+Technology)企業と中央銀行、転じて国家(および党本部)との軋轢について論じられたものだった。興味深かったのは、記事の中で出てきた潜在的なリスクが軽視された状態を意味する「灰色のサイ(gray rhinoceros)」にまつわり、動物をメタファーとした金融界の俗語に付いてであった。有名なところでは事前予測が困難な「black swan(黒い白鳥、つまり黒鳥)」、触れてはいけない問題としての「elephant in the room(部屋の中の象)」、その他にも投資にあたって強気で臨む「bull(牛)」と弱気で臨む「bear(熊)」、さらにはcrocodile(ワニ)がアリババで、shark(サメ)がeBay、そしてディズニーランドがtigerならWandaがwolves、という具合である。

行きの列車で通路をはさんで隣の席の方々のやや荒らげた会話が耳について離れなかったのもあり、ランチは久々にインディアンカレーで刺激をいただいて、家路に向かった。そして、20日に迫ったFDフォーラムの直前打ち合わせをパネリストの先生方と行った。続いて、今年の夏の立命館大学の夏期集中科目の打ち合わせとなった。夜は明日の動画収録にて行われるシンポジウムの素材作成を行うという、めまぐるしい展開の一日だった。



2021年2月16日火曜日

ひらりと落ちたものを肥やしに

2020年度は教育も研究もすっかりオンラインがスタンダードになった。もちろん、秋学期には一部は対面の授業として再開された。しかし、受講生に問いかけたところ、既に下宿先を引き払っていた学生もいたこともあって、対面授業で実施した授業も、いわゆるハイブリッド方式で実施した。厳密に言えばハイフレックス型と呼ばれるもので、対面(教室)・同期オンライン(ライブ配信)を組み合わせ、さらに非同期オンライン(アーカイブ配信)での受講も学生には選択できるようにした。

今日は午前中、そうした授業と平行して取り組んだ実践的研究として、多文化交流企画の運営スタッフを担った学生たちのフォーカスグループインタビューを行った。3名の教員が4名(当初は5名の予定)に対して、スタッフとして参加・活動を継続した背景、運営に携わる上で工夫したことと改めて自分の特徴・特性として気づいたこと、今後の多文化交流のあり方と自らの姿勢について伺った。約2時間にわたるZoomでのインタビューであったが、約3ヶ月にわたるオンラインでのコラボレーションに対し、4人がそれぞれに丁寧なまなざしを向けていたので、実に充実したフォーカス(共通の焦点を当てた)グループインタビューとなり、結果の一部は2月末に開催される国際ボランティア学会の年次大会で発表の予定である。

午後は馴染みの鍼灸院に凝り固まった身体を預けた。長らく通っていると、どこがどう、という説明をしなくても、施術を始めていただける。施術を終えて次の予約を入れて失礼するのだが、果たしてそれまでの予定にどう向き合っていくかを確認する機会ともなっている。次は3月の8日に予約を入れたので、上記の学会の他、いくつかの話題提供と、月末に締切の原稿提出が滞りなく終わっているはずである。

鍼灸院の後、久しぶりに衣笠キャンパスに足を運んだ。それこそ、会議もまたオンラインばかりで、郵便物が貯まってきているためである。アカデメイア立命21の改修工事のため、昨年に個人研究室が引っ越しとなったため、今は郵便物が届くサービスラーニングセンターの事務室の入る建物(有心館)と個人研究室のある建物(尚学館)は隣接しているので、至便な環境にあるものの、授業も一段落したこともあって久々に訪問するオフィスでは、画面越しやメールばかりでコミュニケーションをしていたスタッフの皆さんと少しだけではあったが会話を交わした。帰り道、キャンパスで過ごす人はまばらな中でも、腐葉土は熟成を重ねている様子に目を向けつつ、夜は自宅にて依頼されていたある学会誌の査読を行った。

衣笠キャンパスの地域連携課の皆さんによるSDGs推進への積極的な取組の一つ
(Leica M9-P, 35mm, f/16, 1/30, ISO 400)


2021年2月15日月曜日

路地裏の広報板

2020年度、市内で8,000人を越える方が委嘱されているという京都市の市政協力委員を務めさせていただいている。1953年に設置された制度で、「京都市市政協力委員設置規則」によれば、「市政の円滑なる運営と行政能率の向上をはかる」ことを目的に設置されたものである。ちなみに、市政の円滑なる運営と行政能率の向上について、明確な指標は示されていない。加えて、PDFでアップロードされている前掲の規則は画像データであって、テキスト抽出ができないファイルである。

市政協力委員の主な仕事は、「市民しんぶん」等の配付と、京都市広報板へのポスターの掲示、である。「市民しんぶん」とはタブロイド判の新聞の体裁を取る京都市の広報紙で、毎月1日には全市版、15日には各行政区版が発行される。都合、月2回、町内会に加入していない方も含めて町内に配布するよう、市政協力委員のもとに配送されてくる。ちなみに2020年9月15日、伏見区の藤森学区自治連合会が京都市の議会(京都市会)に市民しんぶんの配布方法及び自治会・町内会の在り方の変更」を陳情し、10月21日には文化環境委員会にて審議された。なお「市民しんぶん」は、京都市のホームページにて電子版(広告無しPDF)や音声読上げサービス版が提供されている他、eメール配信、加えて点字版・文字拡大版・テープ版・CD(デイジー)版も提供されている。

議会に陳情されても、さらにはコロナ禍においてでも、紙媒体の配布という方法に大幅な変更はないように思われるものの、市政協力委員へのもう一つの役割、京都市広報板へのポスターの掲示は議論にさえ挙がっていないもようである。1968年に制定された「京都市広報板設置要綱」によると、「広報効果を増大させるために設置」されているという。市政協力委員の数だけ広報板があると仮定すると市内で8,000箇所が、先に示した要綱のもと、(1)市発行の広報刊行物類と(2)町内が主催する行事等に関するポスター類のための場所として確保されている、ということになる。京都市による「市政協力委員にご就任いただいた皆様へ」というリーフレットにもあるとおり、掲示するポスターには掲出開始と終了の期間が明確に定められており、貼りっぱなしで済ませることはできない。

今日は午前中に立命館大学の秋学期の成績登録を行い、11時から分担研究者で参加している科研費のプロジェクトでのセミオープンな研究会に出席し、「市民しんぶん」とポスターの掲出の準備をした。午後に立命館大学サービスラーニングセンターの定例会議と科目担当者会議の後、町内の6つの組長さんのもとにお届けし、比較的人通りのある路地に設定された京都市広報板にポスターを掲出した。15日までの掲出だったポスターは既に町内のどなたかの手によって処分をいただいており、多くの目が寄せられているのだということを実感した。

今回は2/28まで「下水道探偵」と「2021年度春期京都労働学校受講生募集」のポスターを掲出
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/45, ISO 400)


2021年2月14日日曜日

乾電池型で動作する機材の安心感

COVID-19によるオンラインでの仕事が日常となり、機材のアップデートを進めている。2020年4月、まずはパソコン本体を更新した。動画でのコミュニケーションや、動画による教材作成と提供が頻繁になる中で、音というよりは声がきちんと届くことが大切だと捉えて新たなマイクも導入した。ほぼ同時期に骨伝導のヘッドセットも導入して、長時間にわたるZoomでの会議でもストレスなく参加できる環境を整えた。

Zoomなどで接続した際、参加者から「聞こえますか?」と確認が寄せられることがあるが、なかなかこの問いに対する答えは難しい。音声信号は確かに届いているとしても、快適に聞こえているかという基準では、到底、その水準に及んでいない場合もある。何より、その瞬間は聞こえていても、送信側や受信側の状態が変化することにより、聞こえなくなる場合もあるだろう。とりわけZoomの場合は、ミュート解除ができているかどうか、そして解除されていればマイクのアイコン内が音声入力のレベルメーターとして緑色のバーが動いているかの挙動を確認するか、そもそも「オーディオ設定」において音声入力の設定を目視いただく方が妥当である。

そうした中、今後ハイブリッド授業(とりわけ、参加者の選択によって参加する環境が分散するハイフレックス型)が本格化していくと、オンラインのみ環境ではあまり必要としなかったものが必要になると、と思うようになってきた。その一つがポインターである。教室に一堂に会していればメインのスクリーンにレーザーを照射すればよかったのだが、空間を越えて複数のモニターに投影されている状況においては、配信する画面の素材に直接ポインターが反映されている必要がある。そこで「Logicool Spotlight Wireless Presentation Remote」を導入してみた。

ポインターに限らず、これまでは乾電池型の電池で動く端末を好んで選択してきたが、今回は機能優先で選定した。古くはKensington、その後はコクヨ、近頃はPhilipsのポインターを使ってきており、いずれも乾電池で動作(実際はeneloopなどの充電池を使用)してきたので「電池が切れたらどうしよう」という不安を抱かずに済んできた。ちなみにカメラも単3型の電池で動くもの(例えば、ニコンのCoolpix P50やPentaxのOptio 43WRなど)を使ってきたものの、今はすっかり専用バッテリーを使うものばかり用いている。ちなみにこちらの新機材、1分間の充電で3時間、60分のフル充電で最大3ヶ月使用可能とのことで、締切前日に立命館大学の採点が一段落した今、いざ試用と使用への扉が開かれた状態にある。



 

2021年2月13日土曜日

機能の肥大化との格闘

そもそもMicrosoft ExcelはMacintosh用のソフトだった。このことは、Windowsユーザーにとっては意外と思われても不思議ではないが、古くからのMacユーザーも殊の外驚く場合がある。恐らく、MS-DOSで一太郎とLotus 1-2-3が好んで用いられた時代、MacではマックライトIIとExcelの組み合わせが浸透していたのではなかろうか。少なくとも私は1994年、Macintosh LC475とクラリスワークス2.0とMicrosoft Excel 4.0の時代から、AppleのマシンでMicrosoftのソフトを使ってきている。

2020年のコロナ禍によってテレワークが常となるまで、私のメイン端末のOSはMac OS10.6.8、つまりSnow Leopardだった。これはメールのクライアントにEudoraを、そして文字起こしにPardonを、動画の簡易編集にQuick Time Pro 7.0を使ってきたことが大きい。ただ、いよいよそのこだわりを捨てなければならないと判断して、一気に現代化した。今のメインマシンはMacBook Air (Retina, 13-inch, 2020)である。

ただ、環境が新しくなったことで難儀することも多く、その筆頭が立命館大学の大規模科目の成績評価の際のExcelの挙動である。立命館大学では朝日ネット社のmanabaというCMS(Course Management System:授業管理システム)が導入されているため、提出されたレポートがフォルダへのハイパーリンクが付与されたExcelのシートと共にダウンロードできる。ところが、以前の環境ではファイルへとアクセスできたリンクが、今はアクセスできないのである。自動書き出しでは学生IDが付与されたフォルダへのリンクとなっているものをファイルへと手動で修正すれば開くのであるが、それ以外でエラーのダイアログを回避する術が見いだせないのである。

MacでMicrosoftのソフトを使うのだから仕方ない、と言われそうだが、冒頭に記したとおり、もともとMacintosh用のソフトだったのである。それがExcel97(Mac版はExcel98)から表計算ソフトにもかかわらず「セルの結合」という機能が実装され、いわゆる神エクセルへの道が開かれた。やがてMicrosoft Officeとしてソフトウェア間での統合ソフトとして位置付き、さらにはOffice 365としてウェブアプリケーションへと展開されている今、とりわけmacOS(MacintoshとMac OSとmacOSの表記の違いには意味があるのだが、ここでは立ち入らない)の永続ライセンス版のユーザーがネチネチ言うこと自体がナンセンスなのかもしれないが、機械翻訳のようなMicrosoft社のオンラインヘルプを閲覧するたびに、なぜシンプルな物言いが出来ないのか、と腹立ちが収まることはない。アフォーダンスの概念を実践的に説いた『誰のためのデザイン』の著者であるドナルド・ノーマンの著作『パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう』(2009年に「インビジブルコンピュータ」に改題)には、Microsoft Wordの機能が肥大化していっていることを揶揄する記述があったが、そんなことを思い出したりしていたら、いっこうに採点が進まないのであった。

警告はさておき今日は立命館宇治高等学校によるWWL事業のフォローアップで励まされました


2021年2月12日金曜日

「その時」は(まだ)こない

久々にデンマークからお便りをいただいた。1年間滞在する機会を得たユトランド半島の北のまち、オールボー(Aalborg)で日本との文化交流に取り組んでおられるMayuさんからである。ちょうど私の滞在中にはBoulevardenの通り沿いにカフェを併設した拠点を開設しておられた。東京で言えば銀座、大阪で言えば心斎橋、京都で言えば河原町界隈をイメージしていただくとよいだろう。

Mayuさんからのお便りは近況の報告に加えて、新たに始めたZoomでの交流会へのお誘いだった。折しもコロナ禍が深刻化する前、約2年間運営されてきた拠点は閉じることを決め、日本語を通じた交流の場づくりを行うことで、日本の文化に関心が寄せられるようにするというプロジェクトを新たに展開し始めた、という。そこで、隔週ペースで土曜日の昼下がりに交流会をするので参加しませんか、との投げかけだった。Mayuさんは語学が堪能ということもあり、現地で日本語の教師などもされていたため、その生徒さんたちとの交流を、というお誘いだった。

ふと、オールボーで過ごした時間が懐かしくなり、いくつかインターネット上での記事を検索してみた。すると、私たち夫妻が去った後でオールボー大学に客員研究員として着任された龍谷大学の田原大輔先生の「ヒュッゲ国 : デンマーク・オールボーでの国外研究員を終えて」(龍谷理工ジャーナルNo.78 VOL.32(1), 17-27ページ)という記事が見つかった。恐縮ながら、田原先生とのご縁を丁寧に紹介いただいており、そのあたたかいお人柄に改めて触れることができた。また、口絵には懐かしい風景がカラーで掲載されており、一気に現地に思いを馳せた。

今日は午前中に広島大学の西谷元先生により、BEVIと呼ばれる「学習・成長・変化のプロセスや成果を理解し、それらを促進させる」ための検定ツールについてのレクチャーをいただいた。現在参加・展開中の、立命館大学研究部の支援を受けた「在住外国人支援と市民性教育を目的とした多文化共生E-サービス・ラーニングモデルの開発」のためである。じっくりお話を伺った上で、午後は成績評価の採点にあたった。そして、夜にも集中して採点に臨もうと思ったものの、つい、Clubhouseを立ち上げてしまい、知り合いの方のルームに入っておしゃべりの輪に入ってしまった。

いつか飲もうと棚の中で「その時」を待つオールボーの名産(だった)の蒸留酒アクアビット
(Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/60, ISO400)


2021年2月11日木曜日

松葉だけに1枚、2枚…?

建国記念の日の祝日、思わぬ贈り物をいただいた。鳥取からの松葉ガニであった。2005年ごろから懇意にさせていただている方からのお取りはからいである。出版の準備をされている中で、私の職位が変更になったことに気づかれ、ご手配をいただいた、という流れであった。

カニが届いたのも当然のことながら驚きなものの、送り状に「カニ2枚」と書かれていたことに驚いた。カニは「杯」あるいは「匹」と数えるのではないか、という固定観念が先立つためである。ところが、調べてみるとカニの呼び方は論争となること(例えば、2016年11月12日のJ-CASTニュース:カニは「1匹」か「1杯」か、で大論争 鳥取は全く違う数え方)があること、そして鳥取では「枚」で数えられていることを確認した。ちなみにタラバガニは生物分類学上はカニではなくヤドカリの仲間というネタはよく使ってきていたので、このカニの数え方もまた、どこかで話題にできるタイミングがあるかもしれない。

ともあれ、この2枚の松葉ガニは、氷いっぱいの発泡スチロールでお届けをいただいた。恐らく出荷の時点では生きていたのだろう。というのも、先日、あるクラウドファンディングを応援したところ、そのリターンとして和歌山の伊勢エビが届いたときには、調理の前に氷に浸してボイルすることにしたためである。まるで自分でやったかのように記しているが、氷に浸けることを調べた上での調理は妻が担ったことを記しておかねばならない。

我が家は妻との2人家族のため、1人1枚をいただくことになった。コロナ禍でなければきっと、こうして食材をいただくのではなく、共に宴席をご一緒したのだろうと想像しつつ、美味しくいただいた。今日はお昼に知り合いからLINEで1時間半ほど相談に乗った他は、立命館大学の採点に時間を費やした。休日に届いた思わぬ贈り物に感謝しつつ、15日正午締切の成績提出に向け、段取りよく取り組んでいきたい。





2021年2月10日水曜日

二項対立というより二極化の中で

水曜日の朝、今日も京阪電車で大阪へと向かった。ただ、少しだけ、いつもとは違う風景を目にした。出町の三角州などと呼ばれる賀茂川と高野川との合流地点、今出川通りにかかる賀茂大橋の工事が進み、久しぶりに北側の歩道を通行できるようになっていたのである。京都市建設局橋りょう健全推進課がまとめた資料によると、1931年(昭和6年)に完成した賀茂大橋は武田五一先生の設計とのことで、今回の補修で御影石にも磨きがかけられており、後世にその姿が伝えられていくことを願っている。

今日の英会話のクラスのお題は、陰謀論にはまる人、そして抜け出した人の体験についてであった。誰かが自分の全てを密かにコントロールしているという呪縛のもとで、自らが息苦しくなってしまう、その背景について、The New York Timesの記事「One woman's journey out of conspiracy's addictive grip」を手がかりに語り合った。この記事を執筆したSabrina Tavernise記者は、トランプ大統領の退任後もなお、QAnonなど陰謀論を信じる人々の活動は止まることはないと見立てている。その理由として、権威への不信(widespread distrust of authority)、政治やマスコミへの憤怒(anger at powerful figures in politics and in the news media)、所得格差の拡大(growing income inequality)が根ざしているため、と述べている。

1年延期となったTOKYO 2020にかかわって、森JOC会長の発言に対し、多くの議論が噴出している。コロナ禍ということもあって、そもそもオリンピック・パラリンピックの開催の是非も問われている中で、である。こうした議論のときには二項対立あるいは二分法として、例えば止める/止めないという項が置かれて議論が分かれる傾向があるものの、今回は当初から会長は辞任すべし、の極に見解が寄っていったように受け止めている。ただ、そうした声が高まるにつれ、競技団体と政治(団体)との調整役ができる人は少なく、余人をもって代えがたいという意見や議論も出てくるようになってきた。

今日の午後は昨日の大学コンソーシアム京都第26回FDフォーラム企画検討委員会を経て、来週20日に開催される「情報交換会」の進行打ち合わせがZoomミーティングで行われた。懇親会という方が実態を捉えているものの、懇親会と呼ぶと参加に支障がある方への配慮として、名付けの工夫がなされているのだろう。名前はともあれ、恐らく今回のフォーラムでは「オンライン授業」の是非が二項対立・二分法で論じられると想像しているのだが、果たして賛成派・反対はあるいは推進派・抑制派といった立場の二極化までもたらされるかどうか、関心がある。そもそもオンライン開催のフォーラムであることを鑑みれば、むしろ、反対派や抑制派の方々がどのような観点からそう捉えているのか、個別的な事象によるところなのか、あるいは社会システムを背景にした陰謀論のように捉えている節はないか、といったところも掘り下げる機会があるかもしれない。

磨きの掛けられた石に多少の違和感を覚え、むしろ月日の流れが染みこんだ状態が懐かしい。
(LEICA M9-P, 35mm, f8, 1/1500, ISO400)


2021年2月9日火曜日

時の流れ〜 レール・デュ・タン

朝、布団を出て外に目を向けると、近所の屋根にうっすらと雪がかぶっていた。3月に入ってもこうした風景を見るというのは、この数年のうちにはなかったように思う。それでも日中は暖かく、コートなしでも差し支えのないくらいだった。季節は確実に巡っている。

今日は3件のZoomミーティングがあった。午前中は大阪府江之子島文化芸術創造センターの座談会があった。昨年の2月23日に開催予定だった“おおさかアートコモンズ(仮称)ギャザリングvol.5 「大阪の”社会関与型”アートプロジェクトvol.1」”の代替企画として、登壇予定だった人々で非公開の座談会を行い、その内容を事務局が編集して文字化するという展開となったためである。社会関与型という文字が括弧付きとなっているところに、いわゆるソーシャリー・エンゲージド・アートと呼ばれる概念を相対化し、日常生活と芸術文化との関係を改めて丁寧に見つめ直そう、という企図が見え隠れする。

午後のZoomミーティングは、2020年度の秋学期に担当していた立命館大学の「地域参加学習入門」の受講生から相談に対応するものだった。2020年度の秋学期のこの科目は事前に映像を提供してその内容に対する質疑応答などを時間割に配当された時間にて受け付ける、という形態を取っていたのだが、その1回目と15回目の相談時間にも参加してくれた一人である。千葉県出身の4回生で、サークルの夏の遠征で足を運んだ青森県のある町の役場の方からの声かけにより、2021年度に地域おこし協力隊として勤務する予定、という印象深い学生だった。今日は現地での担当者との面接を前に、自分の思いをどう語ればいいのかについて予行演習のような具合で語るので、気づいたことをコメント、助言して欲しい、という主旨だった。

夜には公益財団法人大学コンソーシアム京都の第26回FDフォーラムの企画検討委員会だった。26回目にして初のオンライン開催として、2月20日から4日間にわたって展開されるにあたり、その直前の整理・確認のための会議だった。ちなみに、午後に行った学生との対話で、雇用と委託では違うことが話題となった(参考:「平成30年度地域おこし協力隊に関する調査 調査研究報告書」一般社団法人移住・交流推進機構[JOIN]のだが、約20年前、大学コンソーシアム京都の職員として採用されて社会保険の手続きにより親の扶養を抜けるときに父から「おめでとう」と言われたこと、1年契約の嘱託職員だったゆえに毎年の契約更改が滞りなくいくかどうかを気に掛けてもらっていたことを思い出した。父はまだ存命であるものの、朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」にて、亡くなられたお母さんが使っていた香水の銘柄を突き止めたところ、日本語では「時の流れ」を意味する「レール・デュ・タン」であったという名作があるように、時を経て昔の職場に関わる記憶を引き出してくれた学生との対話の機会に感謝したい。



2021年2月8日月曜日

規則の解釈と規範の形成

締切のある仕事が続いている。昨日、2月7日は立命館大学のシラバス入稿の締切だった。そして今日は現在、採択いただいている科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)の来年度の支払請求書の学内締切だった。そして10日は、立命館大学の文化の一つ「教学総括」のサービスラーニングセンター内での集約日となっている。

こうした締切のある仕事と平行して、他者に時間を預ける仕事もある。いわゆる会議出席である。コロナ禍で会議の会場への移動時間が0となったので、その点では大幅に自分の時間が増えたはずである。それゆえ、それらが締切のない仕事や自分のために割く時間、例えば読書や書類整理に充てていけば、より充実した仕事や暮らしを送ることができるのだろうが、なかなか難しい。

今日は書類の整理と作成に加えて、16:20から、立命館大学研究部の「With コロナ社会 提案公募研究プログラム- Visionaries for the New Normal -」に採択いただいたプログラムの企画が行われた。「在住外国人支援と市民性教育を目的とした多文化共生E-サービス・ラーニングモデルの開発」というテーマで取り組んでいるもので、多様な文化的背景のある人たちどうしのオンラインでの交流プログラムの実施で、その企画運営に携わった学生たちの学びと成長を明らかにする、という目的を掲げている。対面での企画であれば参与観察として、場には介入せずに全体の動きを見つめることができるものの、オンラインに参加すると、何もしない参加者の存在は対面のときよりも全体のモチベーションに大きく影響する局面がある。そのため、ブレイクアウトセッションでは1参加者としてゲームに加わり、「ワードウルフ」という仲間はずれ(あるいは少数派)を当てるものと、Google Earthで参加者の故郷を紹介しあう「オンライン世界旅行」を一緒に楽しませていただいた。

他者とのあいだでの気持ちよいコミュニケーションではルールが重要である。それは必ずしも罰則も含めた規則として明文化されたものばかりではなく、言語化されていない不文律、いわゆる規範という側面にも注意が払われる必要がある。今日は締切を守り、またオンラインでのコミュニケーションでは単純で明快なルールの解説の上で、各々の解釈の自由度も許容されることによって、心地よい時間を過ごすことができた。その一方で、最近、個人的にささやかな憤りを抱いているのが、ご近所さんの自転車駐輪マナーの悪さで、いよいよ罰則つきのルールを適用せねばならないのだろうか、と悩んでいると、家から少し離れたところで3日前に放置自転車の撤去をしたことを告げるビラが路上に置かれているのに目が向いた。

この放置自転車撤去の告示の紙はただ朽ちるのを待つだけで朽ちたら効力は無くなるのか…
(Leica M9-P, 35mm, f/11, 1/90, ISO400)

2021年2月7日日曜日

加熱した後の飲みもの

立春も過ぎ、あたたかな日曜日だった。コロナ禍でなければ、ご近所の散歩やピクニック気分でちょっと遠出を、などと思い立つところである。しかし、コロナ禍の只中ということもあって、終日、ほぼ自宅で過ごした。外出は電話でオーダーした食べものを取りに出たくらいだった。
 
午前中は立命館大学の来年度のシラバスを仕上げた。金曜日には既存の科目について入稿を終えていたが、残る2科目は新規の科目であり、かつ、別のクラスを担当する先生方との調整を必要とする部分があったためである。来年度に向けての大きなタスクを終えて、気分が軽くなったところでランチをいただいた。しかし、来年度を迎える前に、成績評価と提出というタスクもまた(あるいは、まだ)残っていることを忘れてはならない。

午後はZoomでの講座の受講と、Clubhouseでのおしゃべりと続いた。Zoomの講座は立命館大学人間科学研究所の20周年記念の5回連続の講座の3回目「冤罪を晴らす科学─イノセンス・プロジェクトの可能性」で、立命館大学政策科学部教授の稲葉光行先生がご担当の回だった。研究所のメンバーに入れていただいているということもあって受講の機会を得たものの、かねてより伺っていたプロジェクトの背景と全体像を知ることができた。ただ、司会の若林宏輔先生と対話されていた最後の最後の部分は時間切れで退出させていただかねばならないのが残念だった。

そして15時から「コロナ禍で生じたICT教育格差に切り込もうトーク」と題して、愛知の毛受芳高さん(一般社団法人アスバシ代表理事)と、石川の谷内博史さん(金沢市市民活動サポートセンター長)と3人がモデレーターとなり、Clubhouseでおしゃべりした。きっかけはこれまたClubhouseで、前日夕方にお誘いをいただいたルームでの何気ない会話から「じゃあ」というイベントにつながったという具合である。「ルームの名前で煽ったところがあるかもしれない」とモデレーターどうしで反省しつつも、約2時間のおしゃべりは徐々に白熱していき、リスナーの中から3名がスピーカーとなって各々の関心や経験をお話いただくこととなったのだが、そのうちの1人が私の秋学期に担当したオンライン授業の受講生で、思わぬつながりを楽しむことができた。終了後、冷蔵庫にストックしていたビールに手を伸ばすと、昔ながらの熱処理で製造されたキリンのクラシックラガーで、生の対話に白熱した後にピッタリの飲み物ではないか、と感じ入った。

先日は"LAGAR"とのミスタイプが話題となったサッポロビールでは赤星も熱処理のお仲間
(Nikon D40, Micro 40mm, f/3, 1/10, ISO400)

2021年2月6日土曜日

ユニークで豊かな書体に愛はあるか

長年のMacユーザーである。友人宅でNECのPC-8801markII SRで「信長の野望」を遊んだ中学生の頃、西武百貨店浜松店でMacintosh IIciなどを紹介するカタログを手にして造形美と高価格に衝撃を覚えたのが最初の出会いである。その後、1994年に立命館大学びわこ・くさつキャンパスのユニオンスクエア2階に設置されたオープンパソコンルームでLC475に触れ、その操作のわかりやすさに虜になった。同時に、政策科学部生がPowerBook 180を全員が所有していることに大きな嫉妬を覚えた。

Macユーザーは圧倒的なシェアを有するWindowsユーザーとのあいだで、いくつかの困難に直面してきた。1998年のiMac、そして2008年のiPhone 3G、それらが日本で(も)ヒットしたことにより、徐々にMacユーザーの困り事も減ってきたように思う。ただし、今でもなお、悩ましい問題の一つが、Microsoft Officeアプリケーションでのフォントのズレである。同じアプリケーションで同じフォントが指定されたとしても、具体的には「MS明朝」や「MSゴシック」という名前の書体で作成された文章も、フォントの処理方法が違う(象徴的なのはWindowsのOfficeではあらゆるフォントで「太字」にできるのに対して、Macでは「ウェイト」という概念で書体の太さが管理される)ため、レイアウトが崩れてしまうことがあるのである。

Windowsユーザーにとっては何の気なしに作成してMacユーザーに提供したファイルが、Mac上では見栄えが大きく崩れる場合があることなど、あまり想像がつかないかもしれない。一方で、古くからのMacユーザーであれば、ある種の想定内の出来事として、淡々と対応する。最近では2017年から科研費の応募書類において表作成機能の罫線枠をレイアウトに用いない書式になったことを引き合いに出して、作成側の意図と使用側の状況との差を説明することも幾度となくあった。それまではノスタルジーとして、Windows版も発売されていた「クラリスワークス」の秀逸さを示して、一層のわかりあえなさに浸ることもあったが、スマートフォンの浸透やペーパーレス化も手伝って、そもそもOfficeアプリケーションでの書類作成でのもどかしさは(いわゆる「神エクセル」の指摘や、データクレンジングへの注意喚起もあって)徐々に改善・解消の方向へと向いているだろう。

そんな中、今日は久しぶりにWindows機を起動した。お目当てはHG創英角ポップ体が使われたOfficeアプリケーション(Microsoft PowerPointファイル)のPDF化のためである。今月、2月20日に開催のシンポジウムの書類作成にあたり、話題提供者のお一人からお預かりしたファイルを、作成時の環境に近づけてPDF化を、と考えたのだ。OSに依存しない書類形式(Portableに扱うことができるDocumentのFormat)への保存のために、複数のOSを使うというのも、なかなかシュールである。ただ、そうして作成されたファイルをご覧になる方には、そうして届けられるプロセスにどのようなものがあるのかはあまり関心が向くことはなく、逆にそうしたプロセスに苦心や腐心することがある私は、むしろ届けられるファイルの作成環境にも興味を抱くことも多い。

久々に愛機を活用後にMicrosoft公式でMacでもHG創英角POP体が使用可の情報に触れました
(Nikon D40, Micro 40mm, f/4, 1/6, ISO 400)