手段の目的化、という言葉がある。たいてい、「○○の××化」という表現は、ある行為が妥当とされることによって通常とは異なった意味が生成していることに対して、そのことに気づいた人が用いる論理であろう。ただ、こうした論理展開を用いることなく、文字をうまく「もじる」ことで、新たな概念を提示する人もいる。例えば、Adaption:適応、Goal-attainment:目標達成、Integrarion:統合、Latency:潜在性の4つの性質から、社会システムを理論化したことで知られるパーソンズという社会学者は、何かの道具やシステムを使って何かをすることよりも、それ自体を使うことで楽しむ傾向を「consumatory:コンサマトリー(自己充足などと訳される)」と呼んだ。
当然のことながら、道具とは目的を達成するために用いられる手段であり、道具が適切に選択され、使用されることによって、目的は達成される。なぜなら、道具とは何らかの行為の主体と対象を媒介する(特に人工の)物であるためだ。そうして、主体と対象の関係が結ばれ、互いの関係を支える人や環境があって、個々の行為は集団の行動として成立し、個々の行為が妥当とされ続けるように、集団内において規範や役割が秩序あるものとして維持、発展していく。そうして維持、発展していく活動が複数、組み合わさっていくなかで、社会は構造化され、個々の状況は適切な方向へと収斂されると考えるのが、社会システム論の見方である。
先週に続いて東北に来ている。先週はアートNPOリンク等による「全国アートNPOフォーラムin東北」であったが、今週は岩手県大槌町において東京都の文化発信プロジェクトの支援によって2011年12月から実施されてきた「ひょっこりひょうたん塾」の2012年度のまとめのフォーラムにお招きをいただいた。与えられた役割は、後半部分にて、「阪神・淡路大震災から始まった震災と文化の現場」と題した話題提供と、フォーラム参加者全体での意見交換の進行役である。数多く、こうした場面での役割をいただいてきたが、今回、大きく異なるのは、復興の只中にある地域において、自らが立ち入ってはならない領域があるということを自覚しているためである。すなわち、少なくとも明日の議論が始まる段階においては、自分は明らかに「外」の人間であり、「内」の人と、明確に区別されざるをえない、という前提があるのだ。
そして、今回のフォーラムでは、東京を拠点に全国で活躍されておられる株式会社ヒマナイヌの皆さんのコーディネートによるUstream中継がなされる。よって、東日本大震災で被災した地域の中でも、特にその被害の大きさと深刻さに高い注目が集まってきた地域において、芸術文化を通じた復興について地元の方々が議論する場が、インターネットという道具によって全世界に伝えられる場となる。ただ、翻ってみれば、芸術文化を通じた復興なんて可能なのか、と懐疑的な印象を抱いている人にとっては、むしろ、こうした「中継」という手段が、「伝える」ことや「遺す」という目的を達成するものだ、という具合に、むしろコンサマトリー化されて受け止められたとすれば、それはむしろ、芸術文化を通じた復興は可能かもしれない、と認識していただけるかもしれない。何らかの活動は、「結果」よりも「行為」するに至ったということ、そして「着手」したということ、それによって自ずから「経過」が生まれるということ、それらを現場で体感しながら「はじめなければはじまらない」し、「はじまらなければつづきはない」し、「つづきがなければおわるしかない」ということを、中継という場と機会から、長きにわたる復興を考える契機になれば、と、程なく取り壊しが始まるという大槌北小学校横の、「仮設」の福幸きらり商店街に「グランドオープン」した「みかドン」(グッドデザイン賞も受賞!)さんで楽しいときを過ごした後、思うのだった。
当然のことながら、道具とは目的を達成するために用いられる手段であり、道具が適切に選択され、使用されることによって、目的は達成される。なぜなら、道具とは何らかの行為の主体と対象を媒介する(特に人工の)物であるためだ。そうして、主体と対象の関係が結ばれ、互いの関係を支える人や環境があって、個々の行為は集団の行動として成立し、個々の行為が妥当とされ続けるように、集団内において規範や役割が秩序あるものとして維持、発展していく。そうして維持、発展していく活動が複数、組み合わさっていくなかで、社会は構造化され、個々の状況は適切な方向へと収斂されると考えるのが、社会システム論の見方である。
先週に続いて東北に来ている。先週はアートNPOリンク等による「全国アートNPOフォーラムin東北」であったが、今週は岩手県大槌町において東京都の文化発信プロジェクトの支援によって2011年12月から実施されてきた「ひょっこりひょうたん塾」の2012年度のまとめのフォーラムにお招きをいただいた。与えられた役割は、後半部分にて、「阪神・淡路大震災から始まった震災と文化の現場」と題した話題提供と、フォーラム参加者全体での意見交換の進行役である。数多く、こうした場面での役割をいただいてきたが、今回、大きく異なるのは、復興の只中にある地域において、自らが立ち入ってはならない領域があるということを自覚しているためである。すなわち、少なくとも明日の議論が始まる段階においては、自分は明らかに「外」の人間であり、「内」の人と、明確に区別されざるをえない、という前提があるのだ。
そして、今回のフォーラムでは、東京を拠点に全国で活躍されておられる株式会社ヒマナイヌの皆さんのコーディネートによるUstream中継がなされる。よって、東日本大震災で被災した地域の中でも、特にその被害の大きさと深刻さに高い注目が集まってきた地域において、芸術文化を通じた復興について地元の方々が議論する場が、インターネットという道具によって全世界に伝えられる場となる。ただ、翻ってみれば、芸術文化を通じた復興なんて可能なのか、と懐疑的な印象を抱いている人にとっては、むしろ、こうした「中継」という手段が、「伝える」ことや「遺す」という目的を達成するものだ、という具合に、むしろコンサマトリー化されて受け止められたとすれば、それはむしろ、芸術文化を通じた復興は可能かもしれない、と認識していただけるかもしれない。何らかの活動は、「結果」よりも「行為」するに至ったということ、そして「着手」したということ、それによって自ずから「経過」が生まれるということ、それらを現場で体感しながら「はじめなければはじまらない」し、「はじまらなければつづきはない」し、「つづきがなければおわるしかない」ということを、中継という場と機会から、長きにわたる復興を考える契機になれば、と、程なく取り壊しが始まるという大槌北小学校横の、「仮設」の福幸きらり商店街に「グランドオープン」した「みかドン」(グッドデザイン賞も受賞!)さんで楽しいときを過ごした後、思うのだった。
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