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2013年2月22日金曜日

無理に合わせている?

毎週金曜日の朝は立命館災害復興支援室の定例会議のため、朱雀キャンパスで過ごすことが多い。ただ、2月20日に晴れて一般に公開された「3.11追悼企画 いのちのつどい」の準備が立て込んでいるため、今週は昨日と今日と、2日連続で、立命館の朱雀キャンパスでの朝礼を横目に見ることになった。ちなみに「いのちのつどい」は、立命館大学で毎年12月に開催している「不戦のつどい」(2012年度で59回を数える)という事業へのオマージュの意味も込めつつ、立命館という3文字の「真ん中」に<いのち>がある、ということにちなんでいる。

定例の会議は概ね1時間だが、その前後にも活動の「仕込み」や「見せ方」の工夫のために、他愛もないが重要な放談がなされることがある。そして、そうした放談こそが、新たなアイデアや、チームの人間関係を豊かにする源になったりもする。ゆえに、今日もまた、そんな場面が幾度となくあったように思う。災害復興支援室の会議のメンバーは、それぞれに「それだけ」をやっているわけではないゆえ、そうしたやりとりを通じて「それ以外(通常業務)」の話と「それ(災害復興支援)」がうまく重なり、非日常への取り組みが日常になれば、などと、願うところでもある。

今日は午前中の会議のあと、二条駅から西舞鶴に向かった。先般、2月5日に「超高齢社会における支え合いの地域ネットワーク〜無縁社会の縁結びを〜」という演題で講座を担当させていただいた、京都SKYシニア大学の北部会場での「総合学習コース」の話題提供のために、である。京都新聞ホールで行われた京都会場の400人規模と違って、40人程度という、顔の見える範囲でのお話ゆえ、同じタイトル、同じレジュメ、同じスライドを使いながらも、微妙に力点を変えながらお話をさせていただいた。以前なら、「せっかくだから毎回違う話を」と思うことが多かったのだが、落語のように「同じ演目を、聴衆にあわせて微妙な調整を重ねて」演じさせていただいた。

そして、西舞鶴からの戻る中で向かったのが、またも立命館の朱雀キャンパスであった。昨年12月に、JR南草津駅西口界隈で開催された「第2回みなくさまつり」の折に、大学コンソーシアム京都で働いていた当時のボスと約束した「飲み会」の待ち合わせで、であった。名前と大将は変わったものの、両者にとって馴染みが深く、大将の弟子が継承したお店に向かい、美味しい料理と共に、概ね問わず語りが進む中で、ボスから「俺の話に、無理矢理合わせてへんか?」と訊ねられた。「いやいや、人は本心なんてないんですから」と返すと、妙に合点がいったようで、それだけ腑に落ちるポイントが同じなら、逆に「無理に合わせている」と感じられるのかしれないな、と感じた、やや懐かしく、しかし楽しい宴席だった。

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