コモンズフェスタがあけて、久々に朝から應典院に向かった。應典院の朝は、浄土宗の日常勤行から始まる。速く読めば5分ほどで終わってしまう時間だが、7mという高さの本堂ホールの天井から響いて返ってくる、住職、事務局長、そして私の声を聞きながら口唱する、修養の時間である。應典院の寺務所は、應典院の本寺である大蓮寺による特別事業「パドマ幼稚園」で用いられる教材を企画、制作、販売する株式会社創教出版の事務所と共有しているため、朝の時間が終わると、電話や来客で賑やかだ。昼は決まって馬蹄形のテーブルで食事を共にするのが、事務空間を共有するようになった、この8年ほどの習慣である。
そうした日常に加えて、いくつかの非日常があった一日だった。まず、13時からは應典院の全体会議で、先月末の「コモンズフェスタ」の振り返りが行われた。その後、15時からは4月に舞台公演をされる北口裕介さんがお見えになり、劇場寺院である我々と連携した企画を練った。そして17時半からはSVAの名で知られるシャンティ国際ボランティア会のスタッフでもあり、立命館大学の学生でもある里見容さんとお目にかかり、次年度以降の気仙沼と関西との接続の仕方について、打ち合わせをした。
こうした各種の場で、それぞれの方々と語る中で、一瞬、飛躍したかもしれない、という瞬間を迎えるころがある。ヘルシンキ大学のユーリア・エンゲストロームによる活動理論では、それは「スプリングボード」と呼ばれている。とっさの一言、というと、妙に日常の言葉になり、それ以上に、苦し紛れの弁明のように受けとめられるかもしれないが、何か腑に落ちないときに、ジャンプ台を使って、あるいはトランポリンに乗って、自らが立っている地平から、ぽーん、と離れてしまう、そんな瞬間である。今日であれば、コモンズフェスタの報告書は「A4版の書式」から「ハガキ大のカード」という方法もありうること、北口さんとのワークショップ等の企画では翻訳会話劇というキーフレーズを見つけたこと、里見さんとの打ち合わせでは「する・される」の関係を一対一対応で考えることで事業と授業のかたちが整理できたこと、などが挙げられる。
総じて、市民活動、あるいは社会運動の面白さとは、地続きのようで地続きでない、新たな選択肢を見いだし、提案することのように思う。だからこそ、そうした地に足が着いていない感覚、地続きでない環境に身を置かなければならない気持ち悪さに、嫌悪感や拒否感を抱く人もいるのだろう。ただ、今日の夜に應典院の木曜サロン「チルコロ」の企画、インターネットラジオ「ロスト・チャレンジ」の収録でお招きした赤澤清孝さんもまた、話の流れのなかで、「フェーズの変化を感じる」ことが大事だ、と語った。思えばこのフェーズということば、NPOに関する議論が高まるなかで、東京の方から「京都の三羽がらす」と称されたもう一人、深尾昌峰さんもよく用いることばであり、ここにもまた、個人ではなく集団の位相として、多様な変化と共に、無限の飛躍を見いだそうとする人々の共通点を見いだして、うれしくなった一日であった。
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