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2013年2月11日月曜日

柔軟さをチューンする

アムステルダム4日目は、3つの予定が組まれていた。一つ目はベルマミーア団地の再生にあたって、行政(アムステルダム市および南東区役所)と事業主(ロッジデール社)のコーディネート役であるPVB(Project bureau Vernieuwing Bijlmermeer:the planning office for the renewal of the Bijlmermeer/英語版の案内は2008年に作成されたものが最新)のHoop de Hann(デ・ハーン)事務局長からのヒアリングである。二つ目は、KIKKENSTEIN棟の住民組織の代表であるHenk van de Belt(ヘンク)さんのインタビューである。三つ目は、ベルマミーア団地の建築での最大の特徴とされる「スーパーハニカム」のうち、あえて取り壊し(英語では「demolish」)せずに、保存と活用の道が探られてきた「KLEIBURG」住棟での新規事業のプレゼンテーションと意見交換である。

今日もまた朝10時に通訳や「行間の解説」をいただく奈良ゆういちさんと合流し、アムステルダム中央駅からレッドライン・53号線で「Ganzenhoef」駅に向かい、PVBの事務所のあるGROENEVEEN棟に向かった。デ・ハーンさんの時間がタイトらしく、何度も時間のことに気を向けなくてはならなかったが、まずは今回のヒアリングにあたって堀川団地が置かれた状況と、再生にあたっては福祉・アート・交流といったソフト面が京都府が京都府住宅供給公社と共に進められようとしていること、そのため、行政とロッジデール社とのあいだに立つPVBがどのようにプロジェクトマネジメントを推進しているかを伺いたいということ、これらを伝えたのだが、やはり通訳を介してのことなので、こうした前提の確認で20分弱を要した。それらに対し、デ・ハーンさんは、まずベルマミーア団地再生の経験から、現在の入居者が継続居住できる権利を保障すること、全体の25%の範囲での貧困層の生活向上を目的に据えるということ、そして空家状態が続く住民の不安が高まるために適切に規則を定めて安全性を高める取り組みが必要であると語った。それらに基づき、合計で5つの質問をし、(1)行政からのオーダー(ここでは方針)に基づいてPVBがプロジェクトの計画立案と推進をロッジデールが行うとの役割分担だが、そうしたパートナーシップが適切か、という質問には「バジェット(予算)の調整よりも、行政の意思決定と居住者の合意形成と新たな居住者の選定といったテンポがうまくいかないこともあるが、時にはお金を握っている立場の以降が強くなるものの、地域の安全が一番の目的とされた再生事業ゆえに、コーディネートを担うPVBが時には強く発言し、必要なことにお金が払われるようにしてきた」と、(2)なぜ行政(アムステルダム市・南東区役所)から再生事業者(ロッジデール)に直接オーダーをせず、PVBがコーディネートをしているのかの質問については「(施策を進める側も事業を進める側も)自分のやりたいことをやりたくなるので、調整役が必要となるから」と、(3)行政と再生事業者との調整役との組織間の連携はよくわかったが、住民および住民組織はプロジェクトマネジメントに関与しないのか、という質問には「2000年から2003年には正規な住民組織が設立され、ロッジデール側が住民組織とのあいだで関係構築を図っているようだ」と、(4)敷地の北東部分に学生向けのコンテナハウスが15年限定で設置されていたが、そうした新規事業もPVBが進めているのかという質問には「あれはロッジデールもやりたくない事業なので、学生の居住環境を整える第三の組織が担っており、必要に応じてPVBも意見交換をしている」と、そして最後にクイック・クエスチョンとして(5)PVBは行政からのオファーに応えるだけでオファー(提案)やネゴシエーション(交渉)をしないのかという質問には「するときもある」と、回答を得た後、別のスタッフの方と急ぎ足で事務所を後にされた。

続いて昼食も取らずに向かったヘンクさんのインタビューは、当初は南東区役所の可能性があったものの、KIKKENSTEIN棟にある、BuurtSalon(Neighboring Salon:さしずめ、ご近所の集会所)にて、1992から住民組織の代表を務めているご経験をもとに、一方的に話を伺うのではなく、英語での会話(talk)を求められることになった。ヘンクさんは1971年から入居するガーデンデザイナーで、1983年には独立、1990年に住棟内での多発する犯罪に対して「闘う(fight)」か「怯える(fright)」かの選択が迫られる中、1992年に住民組織(1973年設置)をあげて「闘う」道を選び、入居者から署名を集めて、1995年にビデオ監視システムの導入を実現した、というエピソードが象徴するように、ベルマミーアへの愛着と情熱にあふれた方である。同時に、言葉も豊かであり、こうしたコミュニティハウス(集会所)をマルチユースのルームとして場を開き、住民がつながるには、「Perfection can kills you(完璧を求めれば、自らの命が絶たれる)」ために「Deleteキー」が重要で、「flexibility」の「tuning」(柔軟さの度合いの調整)が鍵だ、など、まるで家にお邪魔したかのような茶飲み話(ちなみに向かいのショッピングセンターでサンドウィッチを調達し、本当にお茶もいただいた)となった。ビジネスの才覚も豊かとお見受けし「全ての問題は経済的な問題の解決につながっているんだ(every problem is connected to an economic solution)」と、「今後は人の移動が激しくなる中でペンションシステムとでも言うような2地点居住を国境を越えて提供できないか」や「中国の大気汚染が激しいからコンデンスミルクの貿易でも始めようか」など、どこまで本気かわからないことを仰りつつも、団地住民のコミュニティづくりで特に重要なのは、住民どうしの関係を築く(bulit the trust)ことであって、「ベルマミーアの失敗というのは物理的な問題、社会的な経営の問題、仕事や学校など社会的な環境の問題など多々挙げられるが、結局は建築ではなく住宅管理(housing management)だ」と断じた上で、この間、ソーシャル・エンターテイメントとして趣味的(ホビー)として3ヶ所でのサウンドプロジェクト(例えば、アンデルセンの童話にある機械仕掛けの鳥にモチーフを得た「ベルマミーア・ナイチンゲール」など)、40年続いている花を共有スペースに置く活動、分相応の取り組みが大事(例えば、高級車のブガッティで農作業をしても1年も保たない、といった比喩が用いられた)と、楽しいお話を終えた。

一日の終わりは、2月9日に語り部のジェニーさんによってベルマミーア団地を案内された折にも、「最後のプロジェクトが始まる」と仰っていたKLEIBURGで始まっている「DE FLAT(The Flat:これぞ住処だ!とでも言ったらいいでしょうかね…)」プロジェクトの現場を拝見させていただいた。案内いただいたのは、Kondor wessels vastgoedという不動産企画会社(1996年設立で、起業家精神と創造性にあふれた集団、とのこと)のProjectontwikkelaar(Project Developer:プロジェクトマネージャー)のKootさんと、Stagiair(trainee:日本で言うインターンのような位置づけ)のWennekesさんで、プロジェクト全体の解説と、ほぼリノベーションした住戸(Maaike ThijssenさんとMaatje van MeerさんによるM+M Designが担当)、リノベーションのための下地を整え始めた住戸、そして原状のままの住戸、それら3つを比較することができた。このプロジェクトが 興味深いのは、60平米を65,000ユーロという統一単価で売却し、既存の部屋の間取りにあわせて3つのプランが提示され、それらをDIYでリノベーションすることもKondor wessels vastgoedがコーディネートすることも、居住者が建築家を起用することもできるという柔軟さ、さらには安価な値段ゆえに親が購入して在学中の子どもの住まいにする、といった展開も可能になっていることで、3月の販売を前に、100戸(そのうち地上階の店舗兼住宅のメゾネットタイプが8)のうち41戸が予約済み(メゾネットは0)であった。遅めのお昼と夜を兼用ということで、Ganzenhoef駅の横にあるスリナム料理店「Smeltkroes」でいただいた後、さらにアムステルダム駅から渡船でフィルムミュージアム「Eye」バー・レストランに、通訳などをいただいている奈良さんとご一緒しながら、改めて、堀川団地の再生プロジェクトに「東京R不動産」による「団地R不動産」の取り組みが参照される意味を再確認した一日であった。

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