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2013年2月2日土曜日

「あせらない」が「決める」

岩手県大槌町での「ひょっこりひょうたん塾」の2012年まとめフォーラムが終わった。名前から想像がつくとおり、これは井上ひさしさんの「ひょっこりひょうたん島」にちなんだ名前であり、大槌町に同作品のモデルとなった「蓬莱島」という島があることからプロジェクト名に掲げられた。そもそも活動は、公益財団法人東京都歴史文化財団による「東京文化発信プロジェクト室」によって取り組まれている「Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)」の一つとして位置づけられている。現地の方々を中心に事務局が構成され、この間5回にわたる「まちづくりゼミナール」と、「フィールドワーク」が実施されてきた。

プログラムは2部構成で、主催者である大槌町から高橋浩進副町長の挨拶と、東京都歴史文化財団の森司さんの言葉に続き、ひょっこりひょうたん塾の事務局長である元持幸子さんから簡単に一連の活動報告がなされた。そこから第1部の事例発表の時間となり、まずは「おらが大槌夢広場」の阿部敬一さん、大槌町商工会青年部「若だんな会」の芳賀光さん、@リアスNPOサポートセンターの鹿野順一さん、この3人のリレートークが行われた。30分間の話に続いて、宝来館の岩崎昭子さん、社会福祉協議会の川端伸哉さん、吉里吉里国の芳賀正彦さん、大槌町郷土芸能保存団体連合会の中村光高さんのリレートークとなった。進行役はアサダワタルくんで、コメンテーターというよりも問いを掘り下げるクエスチョナーを藤浩志さんが担った。

2部で私がお役をいただいた。まずは10分間ほど話題提供をいただき、「ボランティア元年」と呼ばれた阪神・淡路大震災では、支援する/される関係や、現地に駆けつけることの意味がわかっていなかった頃、ボランティアやボランティア活動はどのように語られたのかについて、「ロック」と「ジャズ」の比喩から紐解いた。そして、災害救援のボランティア活動は「即興」である、という点を踏まえつつ、長きにわたる復興においてもまた、あらかじめシナリオが確定しておらず、場と担い手と受け手の状況に応じて、時々刻々と活動は生滅流転するのだ、ということを、立命館災害復興支援室等の活動(大船渡などでのサンタプロジェクト、宮古などでの表札づくり、さらにはサービスラーニングセンターの正課科目から生まれた気仙沼での「大島・写真プロジェクト」など)ただ、一連の話の前に、第1部の事例発表が『ローカリズム原論』(内山節さんら)で言うところの「復興のデザインは文学的に書かれなければいけない」(p.165)という問いかけに応えているものではないか、とコメントして、用意してきたスライドを使って話題提供をさせていただいた。

話題提供の後は、藤浩志さんと共に、会場からの言葉を受ける時間となったのだが、自分にとっては現地で暮らす方々からのことばで、1995年からの18年を見つめ直す時間にもなった。特に、「いつになったら復興は終わるのか」という問いには、何と返すのがいいのか、Ustreamの中継がなされる中でも、少々の沈黙を許してもらうほかなかった。ふと想い起こしたのが、「地震イツモノート」の冒頭部分で「新しい日常」が復興の先にはある、という寄藤文平さんのイラストだったので、何かに区切りをつけ、その後にその判断を後悔する段階となったら、それは復興の段階ではなくなった、ということだろう、と返させていただいた。逆に言えば、復興の過程においては「あせらない」ことは大事だが、どこかで「決める」ということが必要になるのであるから、「まとめフォーラム」という名前が掲げられた今日の場に集った方々が、共に納得のいく決定ができるように、「まとめる」よりも「つながる」「ひろがる」機会になったとしたら、お招きいただいた者として、存外の喜びである。

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