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2013年2月6日水曜日

打鍵の音


移動が多い私にとって、電車で座ることができるかどうかは、その後の動きを大きく左右する。今日もまた、JRの新快速電車で大阪と滋賀県の草津との往復をしたのだが、幸いにして、行きも帰りも座ることができた。そして、行きは、行った先で必要となる用務を列車の中ですることにした。ちなみに、帰りは途中までは、直前の用務でご一緒した方とお話をし、その方が先に京都で列車を降りてからは、しばしの休息として眠りにつくことにした。

ただ、今日の行きの列車では、あまり仕事がはかどらなかった。ちなみに電車では比較的仕事がはかどることが多い。それはまず、衆人環視の状況にあるため、適度な緊張感が生じていることが大きいように思う。それに加えて、降りなければならない駅までしか何かをすることができないという、時間的な制約があることも重要であろう。もちろん、時には車窓の風景を楽しむこともあるが、それでも、圧倒的に仕事をする傾向にある。

今日、仕事がはかどらなかった理由は、ただ一つ、隣に座った方もまた、仕事をし始めたためだ。ちなみに、ここまで何気なく書いている「仕事」とは、席に座ってパソコンを開いて、何か書類をつくる作業のことを指している。そして、その作業が疎外されたのは、隣の方がキーボードを打鍵する音が、非常に耳についてしまったのだ。具体的には、一つの文を打ち終えるごとに、「これでもかI」とでも言わんばかりに、リターンキーを「ターン!」あるいは「パチーン!」と叩かれていたのだ。

無論、日常世界はノイズにあふれている。時折、年は一つ上ながら「心友」である方からいただいた「ノイズキャンセリングヘッドホン」を使ったりするのだが、ノイズのない世界になると、それはそれで静かすぎて気持ちが悪い、というような印象を覚える人もいるようだ。ちょうどそれは、雪山など、音を吸収するような環境で、物音がしないときの「静けさに耳を疑う」感覚に似たものがあるかもしれない。ただ、今日のパソコンのキーボードの打鍵音は、決して定期的ではないが頻繁に響くリズムに、自分のペースが乱されていく感覚を覚えると同時に、もしや自分も同じように不快な思いをさせていないだろうかと、胸の内の声に耳を傾ける契機をいただいたように思う。

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