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2013年2月5日火曜日

集めて編む

今日は朝から、立命館大学サービスラーニングセンターの研究会だった。サービスラーニングセンターの研究会だから、サービスラーニング研究会と思いきや、VSL(ボランティア・サービスラーニング)研究会と名付けられており、これも、サービスラーニングセンターがボランティアセンターを改組して設置されたことの証左である。今回は、東京大学の小玉重夫先生をお招きし「現代社会に求められるシティズンシップの全体像」と題して話題提供をいただいたのだが、初めて積極的に公開しての開催となった。内容についてはまた立命館大学サービスラーニングセンターのホームページなどで改めて紹介する機会があるだろうが、研究会と並行して取り組んでいるリレーコラムについても、多方面からの関心を寄せていただければ、と願う。

午後は京都新聞ホールで開催された京都SKYシニア大学で講演をさせていただいた。各種のコースが展開されている中で、担当させていただいたのは全コース合同の「共通教養講座」で、「今日的問題・高齢者問題」の括りで「超高齢社会における支え合いの地域ネットワーク」と題してお話をさせていただいた。400人ほどの受講生が熱心に耳を傾けていたことも印象に残ったが、最後の質問で「最終学歴を京都SKYシニア大学と書いてよいでしょうか?」と問われ、とっさに「学歴というヒストリーがなくても、仲間に出会い、学んだという実感があるのであれば、そのストーリーを大事にして、ぜひ、誇りを持って書いてはどうか、それもまた、ストーリーである」と返させていただいた。2月22日には舞鶴にて同じお話をさせていただくのだが、こちらは40人ほどとのことなので、さて、どのような工夫をしようかと、ストーリーづくりを楽しむことにしよう。

思えば、先々週の仙台〜南三陸でも、先週の大槌町への訪問でも、また戻ってから大阪や京都でも、改めて情報の編集が大事だと感じる機会が多い。それはとりたてて今日のような講演、あるいは口演の内容に対して思うのではない。むしろ日常的な他者との関係で、その場を楽しむための「何か」を組み立てること全般を指している。例えば、少し前まではデートコースを考えたり、車でドライブする際のカセットをつくるなど、他者と場を楽しむ際には、編集がつきものだったはずが、これらはITあるいはICTの環境が整うことで「事前」ではなく「その場」での編集によるところとなってきているだろう。

その象徴的な例が楽曲の編集であり、それこそiPodの台頭以降は「シャッフル」機能などにより、機械に埋め込まれたプログラムから提示されるものを、そのまま受け入れることが増えてきた。転じて、中学校の頃はFM雑誌(ちなみに、レコパル派であった…)を「エアチェック」したり、レンタルレコード店に通い、ダブルカセットを駆使して流れをつくり、一本ずつ、ストーリーを考え、編集したものだ。若干、感覚的だが、iTunesの「プレイリスト」の編集も含め、簡単に組み替えができてしまうのものでは、編集の詰めが甘りがちになるのだろう。むしろ、A4用紙、カセットテープの記録時間、映画の「尺」のようにフォーマットの制約を受ける方が、編集の質が高まるな、と、A3両面の資料を事前に送付し、2時間の講演で、途中、15分の休憩を入れるべし、という<制約>を受けた講演を終え、思うのであった。

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