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2013年2月10日日曜日

雪の緑地の共有地

アムステルダムの3日目は日曜日に迎えた。昨日のベルマミーア団地「漬け」とはうってかわって、今日はアムステルダムの市内を踏査するという予定となっていた。ホテルにてゆったりと朝食をいただいて、9時半からまちに繰り出すことにした。昨日から使っている、地下鉄とトラムとバスの全線で使うことができる市の交通局(GVB:Gemeentevervoerbedrijf)の、72時間有効の乗車券が役に立つ。

前夜からしんしんと降る雪も重なって、まちは朝から静かであった。まず、向かったのは、2009年6月20日に開館したエルミタージュ美術館の分館で、ちょうど国立ゴッホ美術館が改装中ということもあり、ほぼ全館を用いて「ヴィンセント展」が行われていた。何とも雰囲気のあるこの建物は、裕福な商人・Barent Helleman氏の遺言に基づき、1682年にカトリックの教会によって建設された、400名が入所できる養老院「アムステルホフ:Amstelhof」で、終末期のケアが女性には行き届いていなかったことを背景として、50歳以上で10年以上教会に通っている在アムステルダム15年以上の女性を対象とされ、男性も入所が開かれるようになったのは1817年とのことである。一方で、エルミタージュ・アムステルダムは、第一フェーズとして2004年2月28日から2009年1月19日までは、アムステルホフの隣のNeerlandia(ネーランディア)にて企画展がなされていたそうだが、長きにわたって閉鎖されていたというアムステルホフを改修し、新たに第一フェーズの10倍という広大なスペースを活かすべく、基本はサンクトペテルブルクの本館の展示を半年ごとに入れ替える特別展とし、アムステルホフの歴史と、ロシアとオランダとの友好と、2つの常設展という構成となっている。

エルミタージュ・アムステルダムのカフェレストランでランチをいただいた後に向かったのは、港湾から宅地へと転換された、東部臨海地区である。まずはかつてのKNSM(Koninklijke Nederlandsche Stoomboot Maatschappij:Royal Netherlands Steamship Company/王立オランダ汽船会社)にちなんで名付けられた「KNSM島」にて、1988年にオランダの建築家、Jo Coenen(ヨー・クーネン)によってマスタープランが設計された住宅地群に訪れた。案内いただいた建築家の荒木公樹さんによれば、「新しもの好きの金持ち」が移り住んだとのことであり、設計者自身が「都会の遊牧民や不法占拠者など、地元の人々と語り合った(A lot of talks were held with locals, including squatters and urban nomads)」と述べているとおり、過去の歴史や文化を継承しながら提案されたプランとしては興味深いものの、KNSM島の西側に広がる「JAVA島(ジャワ島)」での水(4つの運河)と緑(公園機能のある共用スペース)と複合パターンの反復の方に心地よさを覚えた。宿に戻った後、KNSM島の開発から7年を重ねた1995年、このジャワ島の再開発のマスタープランを描いたSjoerd Soeters(シュールト・スーテルス)のウェブサイトで設計の理念を調べてみると、上述の「複合パターンの反復」を成立させている要因が「絶妙ななだらかさを持つ丘陵によって生み出される景観が、共有地における開放性と境界設定をもたらすという知恵(the experience of openness and demarcation in the open field, and in particular the way in which hilly landscapes)」は「日本の景観建築の大家である樋口忠彦が示した視覚と空間の構造に関する知見であり、この計画のデザインを推敲を推敲する上で、創作の源泉となった(The Visual and Spatial Structure of Landscapes by Japanese landscape architect Tadahiko Higuchi was an important source of inspiration in the elaboration of the design)」と記されており、合点がいった。

前日からの雪も昼過ぎになると徐々に溶け始め、やがて路面の一部がアイスバーンのようになる中、これまた多数の特徴的な現代建築が並ぶボルネオ島(越後妻有アートトリエンナーレ「大地の芸術祭」の拠点の一つ、「まつだい農舞台」の設計で知られるMVRDVも、ここで住宅の設計を手がけている)に向かったのだが、凍てつく風に集中力も持たず、まちなかのカフェへと足を向けた。いくつかの候補の中で、アメリカンホテルのカフェ・アメリカンにお邪魔したものの、おしゃれな紙に蒸着した黒のトナーが、経年劣化でかなりかすれていたようなメニューを提示されたりで、サービスが建物の雰囲気に飲まれてしまっていると、あまり時間を費やさずに出ることにした。夕食は『地球の歩き方』で見つけた、セルフサービスの「La Place」で気軽にいただき、宿に戻った。アムステルダムの市街を一日歩き、ふと、ゴッホが広重などの浮世絵を模写し、精神病院への入院を経て、パリ郊外のオーヴェール=シュル=オワーズで過ごした折の最期の作品がいずれも自然の風景であったことを思うと、それぞれの時代の「現代」という中で、過去と未来をいかに接続していくか、愚直に追究する人々がいたのだと、小さな感慨に浸ったりもするのであった。

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