「若者に関わる人たちのための全国フォーラム」にお招きいただいて、関西学院の千刈キャンプで朝を迎えた。キャンプといっても、和洋折衷な外観の木造2階建てのキャビンでの宿泊で、畳敷きの部屋3つに6人という、余裕のある部屋割りでの一夜であった。同じく講師のお一人である、ただ、3つの部屋のうち、1階にある1部屋は「夜通し語る会」に用いられる「若者のための部屋」となったため、最近はつとに心身の「バッテリーの持ち」が悪くなってきた私は、つつがなく2階へと向かわせていただいた。
朝6時過ぎ、朝日が射し込むなかで起床し、7時半からのパン食をいただいてから、つかの間のキャンプ生活を終えて、立命館大学の衣笠キャンパスへと向かった。11時から、3月8日に台湾で開催される国際フォーラムの打ち合わせがあったためである。今回のフォーラムは、立命館アジア太平洋大学はもとより、キャンパスアジアプログラムなどを展開している立命館として、国交という面などで政治的イッシューが顕在化する台湾とのあいだでも、総合的な国際連携を進めよう、という取り組みの一つである。今回は淡江大学(Tamkang University:日本語版サイトも設置するなど、日本語教育も積極的に展開している)を会場に、3月7日には、2015年に開学予定の大阪茨木キャンパスを「アジアのゲートウェイ」としても位置づけて教育や研究を進めていく上での担い手の一つである経営学部を中心として「研究フォーラム」を、そして3月8日には、「震災復興と東アジアを担う若者の使命」(仮称:英語名称はTaiwan-Japan Friendship: our experience in recovery process after 311 earthquake and further development of collaboration in younger generation)と題した「学生フォーラム」をさせていただく。
会議は1時間程度であったが、朱雀キャンパスをメイン会場に、衣笠・BKC、そして東京キャンパスの4地点を接続したテレビ会議で、国際連携のための組織内連携や部署間連携や部署内連携が欠かせないことを確認し、早急に整理しなければならない具体的な課題が明らかになった。その後、15時から、学生フォーラムに参加する立命館側の代表団へのオリエンテーションとなった。このオリエンテーションを経て、エントリーされた13人のうち12名が参加することとなった。オリエンテーションには、この間、淡江大学とのやりとりを担っていただいた、国際部のお仕事をバリバリされておられる、国際教育推進機構の堀江未来先生にも冒頭部分で参加いただき、共通言語で語り合うことに不安を抱いている学生たちに、今から準備できることと、対話のコツとツボをお示しいただいた。ちなみに堀江先生とはお昼前の会議とお昼もご一緒させていただいたのだが、このオリエンテーションの会場から関西空港に向かい、27日の朝からの淡江大学での現地打ち合わせに向かわれた。
学生フォーラムのオリエンテーションも、衣笠とBKCをテレビ会議システムで接続して行われ、20分程度の「手続き」と20分程度の「レクチャー」と20分程度の「説明」を経て、間近に迫った本番に向け、学生たち主導での企画検討会議となった。Skypeの普及などによって、他地点と結んでのやりとりは慣れていないこともないのだろうが、やはり、2つの会場のあいだで、画面を介して集団と集団が語り合うことには、不慣れなようであった。ただ、残念ながら、議論が白熱してきたところで、18時からのサービスラーニングセンター科目「地域活性化ボランティア/シチズンシップ・スタディーズI」の時代祭プロジェクトの振り返り会に向かわせていただいた。そしてこの振り返り会では、車座となり、濃密な地域コミュニティと学生たちがいかに関わり合うのか、この間、運営のサポーターとなってくれた過年度の受講生と、来年度にサポーターとなることを名乗り出てくれた今年度の受講生と、そして当センターのスタッフ、さらには受け入れのご担当者2名と、徐々に口をなめらかにしながら、ほぼ終電まで語り合うという、移動の多い、多動な一日であった。
朝6時過ぎ、朝日が射し込むなかで起床し、7時半からのパン食をいただいてから、つかの間のキャンプ生活を終えて、立命館大学の衣笠キャンパスへと向かった。11時から、3月8日に台湾で開催される国際フォーラムの打ち合わせがあったためである。今回のフォーラムは、立命館アジア太平洋大学はもとより、キャンパスアジアプログラムなどを展開している立命館として、国交という面などで政治的イッシューが顕在化する台湾とのあいだでも、総合的な国際連携を進めよう、という取り組みの一つである。今回は淡江大学(Tamkang University:日本語版サイトも設置するなど、日本語教育も積極的に展開している)を会場に、3月7日には、2015年に開学予定の大阪茨木キャンパスを「アジアのゲートウェイ」としても位置づけて教育や研究を進めていく上での担い手の一つである経営学部を中心として「研究フォーラム」を、そして3月8日には、「震災復興と東アジアを担う若者の使命」(仮称:英語名称はTaiwan-Japan Friendship: our experience in recovery process after 311 earthquake and further development of collaboration in younger generation)と題した「学生フォーラム」をさせていただく。
学生フォーラムのオリエンテーションも、衣笠とBKCをテレビ会議システムで接続して行われ、20分程度の「手続き」と20分程度の「レクチャー」と20分程度の「説明」を経て、間近に迫った本番に向け、学生たち主導での企画検討会議となった。Skypeの普及などによって、他地点と結んでのやりとりは慣れていないこともないのだろうが、やはり、2つの会場のあいだで、画面を介して集団と集団が語り合うことには、不慣れなようであった。ただ、残念ながら、議論が白熱してきたところで、18時からのサービスラーニングセンター科目「地域活性化ボランティア/シチズンシップ・スタディーズI」の時代祭プロジェクトの振り返り会に向かわせていただいた。そしてこの振り返り会では、車座となり、濃密な地域コミュニティと学生たちがいかに関わり合うのか、この間、運営のサポーターとなってくれた過年度の受講生と、来年度にサポーターとなることを名乗り出てくれた今年度の受講生と、そして当センターのスタッフ、さらには受け入れのご担当者2名と、徐々に口をなめらかにしながら、ほぼ終電まで語り合うという、移動の多い、多動な一日であった。
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