兵庫県三田市にある関西学院の千刈キャンプにお邪魔している。ブレーンヒューマニティーの能島裕介くんが委員長を務める「実行委員会」と千刈キャンプの共同主催による「若者に関わる人たちのための全国フォーラム」にお招きをいただいたためだ。関西学院大学千刈キャンプ、ではなく関西学院千刈キャンプである、という位置づけは、立命館大学災害復興支援室ではなく、立命館災害復興支援室である、という構図と同じである。すなわち、学校という機関としてではなく学校法人という組織として、設置されているのだ。
今回のフォーラムの開催には、少々の「曰わく」と「謂われ」がある。「曰わく」というのは実行委員会形式で開催されることであり、実は10月の時点では、本事業は東京に本部がある「独立行政法人国立青少年教育振興機構」によって取り組まれるはずが、開催準備を本格化する段階において、主催の立場をとることができなくなったことである。一方で「謂われ」というのは、山梨の清里での「清里ミーティング」の地方版の一つとして、1994年から例年1月に「環境教育ネットワーク・千刈ミーティング」が開催されてきた、言わば「聖地」であるためだ。ただし「千刈ミーティング」は、10回の開催を経て、2004年から2007年までは「若者」たちへとバトンを渡されたものの、2008年以降は実施がなされずに事実上終了したという「謂われ」がある上、今回は当初の実行委員や参加者などが半ば同窓会のように参加していたという「曰わく」もあったりする。
同じ部屋に宿泊する講師陣には、赤澤清孝さんなど阪神・淡路大震災で活動を始めた世代や先程の「千刈ミーティング」を担ってきた高田研さんや、京都でのユースワークの基盤を支えてきた水野篤夫さん、転じて私より若手の方々もおられ、講師も参加者も実に多様な世代の「若者に関わる人」たちが集うフォーラムとなった。当初、基調講演は神戸YMCAの今井鎮雄さんの予定だったが、直前の体調不良で、急遽、講師陣らによるリレートークとなった。2日連続のフォーラムのうち、初日しか参加できないこともあったので、そうしたリレートークや、夕食及び夕食後の情報交換会、さらには朝食くらいしか参加者の皆さんと交流を深めることはできないので、まずはそのリレートークで、講師陣の関心を伺うこととした。中でも、博報堂が「本籍地」ながら、「現住所」は尼崎市顧問の立場にあられる船木成記さんの発言が興味深かったので、午後の分科会では、これまた「震災世代」で立命館大学ボランティア情報交流センターが神戸大学に拠点を置いていた頃に隣で活動を始めた稲村和美「市長」のもとで、シティープロモーションなどを担当する船木さんのお話を伺うことにした。
人に何かを「伝える」ことと、それによって「伝わる」ことのあいだには「落差」がある。さすが、博報堂でお仕事をされてきている船木さんということもあって、分科会では、人の「心の中に強く残す」ことが「ブランディング」であり、そのためには「洞察(インサイト)」が欠かせないのだ、ということを、具体的な例から紐解かれていくこととなった。実はその会場を引き継いで私のセッション「若者とサービスラーニング〜 ~社会的な活動を学びにつなげる仕組み~」が行われることもあって、私もまた「サービス」とはテニスの「サーブ」のように…と、言葉を大切にし、時に観点をずらしながらも、参加者の興味を「ズームレンズのように」画角とピントをあわせつつ、テーマに迫っていくこととした。学生時代から久々にお邪魔した千刈キャンプの夜、「若者に関わる」立場ながら「若くなく」なってきた自分を自覚し、夜のディープな時間まではおつきあいできないと察知し、情報交換会で全員と話を終えて眠りに就くことにしたのが、この20年ほどのあいだの、私なりの成長と学びである。
今回のフォーラムの開催には、少々の「曰わく」と「謂われ」がある。「曰わく」というのは実行委員会形式で開催されることであり、実は10月の時点では、本事業は東京に本部がある「独立行政法人国立青少年教育振興機構」によって取り組まれるはずが、開催準備を本格化する段階において、主催の立場をとることができなくなったことである。一方で「謂われ」というのは、山梨の清里での「清里ミーティング」の地方版の一つとして、1994年から例年1月に「環境教育ネットワーク・千刈ミーティング」が開催されてきた、言わば「聖地」であるためだ。ただし「千刈ミーティング」は、10回の開催を経て、2004年から2007年までは「若者」たちへとバトンを渡されたものの、2008年以降は実施がなされずに事実上終了したという「謂われ」がある上、今回は当初の実行委員や参加者などが半ば同窓会のように参加していたという「曰わく」もあったりする。
同じ部屋に宿泊する講師陣には、赤澤清孝さんなど阪神・淡路大震災で活動を始めた世代や先程の「千刈ミーティング」を担ってきた高田研さんや、京都でのユースワークの基盤を支えてきた水野篤夫さん、転じて私より若手の方々もおられ、講師も参加者も実に多様な世代の「若者に関わる人」たちが集うフォーラムとなった。当初、基調講演は神戸YMCAの今井鎮雄さんの予定だったが、直前の体調不良で、急遽、講師陣らによるリレートークとなった。2日連続のフォーラムのうち、初日しか参加できないこともあったので、そうしたリレートークや、夕食及び夕食後の情報交換会、さらには朝食くらいしか参加者の皆さんと交流を深めることはできないので、まずはそのリレートークで、講師陣の関心を伺うこととした。中でも、博報堂が「本籍地」ながら、「現住所」は尼崎市顧問の立場にあられる船木成記さんの発言が興味深かったので、午後の分科会では、これまた「震災世代」で立命館大学ボランティア情報交流センターが神戸大学に拠点を置いていた頃に隣で活動を始めた稲村和美「市長」のもとで、シティープロモーションなどを担当する船木さんのお話を伺うことにした。
人に何かを「伝える」ことと、それによって「伝わる」ことのあいだには「落差」がある。さすが、博報堂でお仕事をされてきている船木さんということもあって、分科会では、人の「心の中に強く残す」ことが「ブランディング」であり、そのためには「洞察(インサイト)」が欠かせないのだ、ということを、具体的な例から紐解かれていくこととなった。実はその会場を引き継いで私のセッション「若者とサービスラーニング〜 ~社会的な活動を学びにつなげる仕組み~」が行われることもあって、私もまた「サービス」とはテニスの「サーブ」のように…と、言葉を大切にし、時に観点をずらしながらも、参加者の興味を「ズームレンズのように」画角とピントをあわせつつ、テーマに迫っていくこととした。学生時代から久々にお邪魔した千刈キャンプの夜、「若者に関わる」立場ながら「若くなく」なってきた自分を自覚し、夜のディープな時間まではおつきあいできないと察知し、情報交換会で全員と話を終えて眠りに就くことにしたのが、この20年ほどのあいだの、私なりの成長と学びである。
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