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2017年4月8日土曜日

ゆとり生活

「ゆとり」と言うと、あまりよい響きとならないのが日本ではなかろうか。いわゆる「ゆとり教育」と位置づけられたことの反動がそうさせているだろう。個人的には、円周率を3とするのは近似ではなく禁じ手と捉えている。こだわるようだが、無理数である円周率を3という整数に置き換えて計算を楽にさせることよりも、むしろπという記号を早々に導入して幾何学への理解と関心を促すことの方が重要だっただろう。無論、円周率を3に置き換える、というのは一側面でしかないのだが、詰め込み型の教育からの転換を図ろうとしたことを評価しつつも、結果としてテストで測ることができる学力への揺り戻しの議論が起こったこと、また結果として塾やお稽古事に勤しませる傾向が出たことに対して、また今後も論争が重ねられていくだろう。

一方で、今年度の私は、これまでの詰め込み型の仕事と暮らしから一変、ゆとりのある生活をさせていただいている。もちろん、1年間のデンマーク暮らしのために、学外研究としての滞在費等を充当いただいている立命館大学と、客員研究員として受け入れいただいたオールボー大学があってのことである。早いもので、今の家に入居して今日で1週間である。先週は家財道具の準備に努めたものの、この週末はおかげさまでゆったりと過ごさせていただいている。

午前中には、日本から持ち帰った宿題を進めつつ、マルチタスキングで、英語での自己紹介文の作成を行った。昨日のリサーチミーティングで、オールボー大学のコミュニケーション心理学部のメーリングリストがあることが紹介され、そこに案内する文章を作成すべし、という運びになったためだ。1つずつ片付けていけばいいのだが、それぞれに相手のある事柄でもあって、なかなか片付かないことが多い。そもそもこうしてブログを書いている時間があれば「あれはどうなった?」と問いが重ねられそうなことがいくつかある。

それでも、仮に日本で仕事と暮らしを重ねていたらできていないであろうことに時間を割くことができているのはありがたい。何より、夕焼けを自宅の窓から望むことができているというのが、全く持って希有なことである。以前、大阪の浄土宗寺院、應典院で働いていたとき、橋本久仁彦さんらによるワークショップの際、ある参加者が「夕焼けをちゃんと見られたら人に丁寧に接することができると思う」と語っていたのが大変印象的だった。手元の資料にさかのぼれば2010年8月31日の出来事のようだが、そんな言葉を想い起こしながら、さらに中学生のころソニーから新発売されたテレビ「ゆとりにとろん」のテレビコマーシャルでの井上陽水さんの歌声をもまた、思い出すくらいのゆとりに浸っている。


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