ブログ内検索

2017年4月14日金曜日

最初は長く1年は早く

映画上映とトークの後、登壇してもらった学生たちと遅めの夕食を「お好み天国」という小粋な名前のお店でいただいた後、平成28熊本地震から1年を迎えるにあたって、熊本の地に赴いた。このところ、1月17日には神戸に、10月23日は新潟に、3月11日は逆に関西で、それぞれ迎えている。それぞれ、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災の発生日である。もちろん、災害はそれだけではないし、今後も新たな特定非常災害が起こることも想定されるが、これまで関わりを持ってきた地域と丁寧に向き合いたいという思いから、「その日」の迎え方にこだわってきた。そして熊本から1年は、西原村にお伺いすることとした。

朝、立命館大学衣笠キャンパスにて書類の整理を行い、銀行に行ってデンマーククローネへの両替などを行って、伊丹空港から熊本へと向かった。熊本地震では、名門大洋フェリーさんの協力をいただいて、立命館災害復興支援室のプロジェクトで西原村に4回お邪魔したのもあって、空路の方が馴染みの薄いという土地である。ただ、振り替えれば、全国コミュニティ財団協会によるヒアリングに随行させていただきつつ地震による臨時休校を解いた立命館アジア太平洋大学(APU)に訪問した4月24日から25日(福岡空港から九州新幹線)、同じく全国コミュニティ財団協会による5月の大型連休でのフォローアップのヒアリング(地震後初めての熊本空港利用)、10月の西原村農業復興ボランティアセンターの「西原村百笑応援団」への改組にあわせて開催された収穫とボランティア感謝祭と、3回はフェリー以外でお邪魔していた。あれから1年、今日は空港もホテルも予約でいっぱいだった。

伊丹からの空路は、たまたまだが天草エアラインの便だった。1機のみの所有だが、天草〜福岡〜天草〜熊本〜大阪〜熊本〜天草〜福岡〜天草〜福岡〜天草と、天草〜福岡3往復、天草〜熊本1往復、熊本〜伊丹1往復の計10便を毎日運航しているという会社である。今回、初めて搭乗させていただいたが、クリアファイルによる手作りの機内誌など、工夫すればこうできる、ということを実感すると共に、一連のあたたかさにファンとなってしまった。そもそも、「また次も」とお願いする、お願いされることよりも、そして「いつか」と思うだけではなく、きちんと次があること、そしてまた「次」が来たときに「またこの次も」と選択することが、大事なものが大切にされ続ける構図なのだ。

熊本空港からはレンタカーを借り、西原村へと向かった。途中、立ち寄ったコンビニエンスストアのレジには「今日は全てが当たりくじ」とあり、復興市場「萌の里」は既に俵山で営業の再開がなされつつもプレハブ店舗を残して営業中だった。その後は2時間あまり、農業ボランティアでお世話になった曽我さんのお宅にお邪魔して、夕方には新潟の山古志村の方々がお越しになっていた古閑地区の公民館で鈴木隆太さんと再会し、改めてこの1年の時間の流れについてお話を伺った。夜のテレビ朝日系列「報道ステーション」には、立命館災害復興支援室の活動で多々お世話になっている塩崎賢明先生が出演されていたが、私が伺った話でも、またテレビの報道で伝えられる中でも、「地震数日の時間の流れの遅さ」と「1年を振り返ったときの時間の流れの速さ」が語られており、しかし、次に伺うのが「1年後」となるのかもしれないと思うと、何とも言えないもどかしさを感じた一日だった。


0 件のコメント:

コメントを投稿