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2017年4月26日水曜日

つぐ

私の話には比喩が多いと言われるが、それを正面から受けとめて研究の切り口に据えている。博士論文では「長縄跳び」というメタファーから、まちづくりのネットワークを取り上げた。米国の心理学者、ケネス・ガーゲンによる『もう一つの社会心理学』によれば、メタファーとは概念間を結びつける「視覚代理物(visual substitution)」であるとする。つまり、ある物事・出来事に対して、別の言葉を用いることによって、新たな解釈をもたらすものとなりうる、とされている。

今日はオールボー大学の心理・コミュニケーション学部の文化心理学研究センターでなされている「キッチンセミナー(Kitchen Seminar)」に初めて参加させていただいた。キッチンセミナーとは、研究の初期段階でのアイデアを発表し、建設的な意見交換を重ねながら、予め示された終了時間にて議論を終えるという取り組みである。ヤーン・ヴァルシナー(Jaan Valsiner)教授により、1997年から取り組まれているもので、最初に行われたのがクラーク大学心理学部のキッチンで行われたことから、この名前がついたという。ヴァルシナー教授がオールボー大学に着任された2013年からは、オールボー大学をメイン会場に、ビデオ会議システムにより、他会場とも接続されることになっている。

今日のテーマは「金継ぎ(Kintsugi)」をメタファーとした、精神疾患の方々へのアプローチに関する研究であった。Dominik Mihalitsさんの博士論文のテーマ、「Action with Time」(時間の経過と共にある活動)の一環で取り扱っていこうとしているものである。現在進行形の研究であるので詳しいことは差し控えるが、過去と未来のあり方をつないでいく観点を、金継ぎから見いだすことができるだろう、という着想だった。司会役のPinaさんから「日本の巧みの技よね?」という投げかけをいただいたので、うまく説明ができなかったが、「壊れたとしても、それで終わりではないということ」「作った人、壊してしまた人、治す人、使い続ける人、それぞれの存在に敬意が払われうること」「実際は漆でつなぎあわせており、金は装飾であること」「そうして、ものにいのちが吹き込まれていくようなもの」と示した。

2時間が設定されたセミナーにおいて、15分ほどのプレゼンテーションの後は、後から後から、コメントや質問が重ねられた。例えば「乳がんで乳房を切除した女性たちが「それでも生きている」とタトゥーを入れることとも通じるのではないか?」「人生に光を当てるということで、金が使われていることとと関連づけられるかもしれない」など、である。ちなみにキッチンセミナーは参加前にアイデアペーパーがメーリングリストで共有されるのだが、簡単に目を通した後、出席する直前に、2006年から10年間、身を置いてきた應典院の20周年を祝う集いの場に、ささやかかなメッセージを送らせていただいた。金で継いでいる「もの」とは違い、人が集まり、アイデアが紡がれてきた場に馳せた想いを、ここにも遺させていただきたい。

應典院20年、おめでとうございます。
月日が経つのは早いもので、應典院10周年のお祝いの場に身を置いてから10年が過ぎたことを、驚きと共に想い起こしています。いつものことながら、という表現は差し控えた方がよいのでしょうが、時間との戦いの中で仕上がった記念誌「呼吸するお寺」は、今なお、現代においてお寺を開くことの意義を問いなおす一冊となっていると確信しています。
一方で、10年前の祝いの場を携わらせていただいて以来、8年あまりにわたって、お寺を開き続けること、また開くゆえに適度な緊張感を保つ担い手を勤めることができたのは、ひとえに、あの日集っていただいた方々、また全国また世界から関心を寄せていただいた方々がいらっしゃってこそ、でした。無論、開き続けるにあたっては、至らない点をスタッフの皆さんの支えがなくてはなりませんでした。
振り返ると、應典院における10年という時間軸は、さらに前半、後半で区切りが付けられるようにも感じています。実際、最初の10年の前半は應典院寺町倶楽部の組織のあり方に模索が続き、後半には大蓮寺との一層の連携も重なって死と生にまつわる事業が立体的に組み立てられていきました。
また、この10年については、まさに「行く道は来た道に聞く」かの如く、應典院初期の10年の取り組みを見つめ直し、寺子屋トーク、舞台芸術祭space×drama、コモンズフェスタ、いのちと出会う会、そしてコミュニティ・シネマと、應典院寺町倶楽部における5つの柱を軸として、そうした柱と柱のあいだに、また柱の土台を固める時期として位置づけられるでしょう。前半は事務局中心による試行錯誤が重ねられましたが、後半には東日本大震災を契機に、場の担い手はお寺の外へと広く求めていくこととなりました。
そうして「社会化」 されてきた應典院が20年を迎えるにあたり、應典院および應典院寺町倶楽部の「民主化」が進んでいると、各種の情報発信から伺っています。常々、光彦住職は、應典院そのものが「お寺の原点回帰」であると仰っておられましたが、そうした挑戦と、ある種の挑発から20年を経て、光軌主幹が扇の留め金となり、一人ひとり、一つひとつの場が、改めて大切にされていくのだと、あたたかい気持ちに浸っています。
先般、ベント・モランデル(Bengt Molander)という、スウェーデンの哲学者の書籍を薦められました。そこでは「知識を得ること」と「知るということ」は違うことが詳しく論じられていました。
應典院は、「お寺である」という存在と「お寺でする」という機能の両側面を、巧妙なバランスで成り立たせしめている希有な実践であると、離れたからこそ強く実感するところです。お寺という名詞が動詞として位置づいている、そしてその主語が、寺族に留まらず、極めて多くの方々となっていること、それこそが開かれたお寺としての真骨頂なのでしょう。
駄文を重ねましたが、20年を迎えた應典院に、デンマーク、オールボーというまちから心よりお祝いの気持ちを寄せさせていただきたく、言葉を綴ってみました。そしてこの場を創りあげられた全ての方々に、感謝の思いを重ねさせていただきます。
2017年4月26日 山口洋典



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