ブログ内検索

2017年4月29日土曜日

締切とシンクロする仕事と暮らし

締切という言葉は生活には馴染みにくい言葉だろう。恐らく、締切は仕事の世界で用いられる概念である。生活においては区切り、という言葉の方がしっくりくる。恐らく、生活の中に締切という言葉が持ち込まれるとすれば、例えば「家賃の振込期限」や「書類提出の指定日」など、自らの身が誰かの仕事に預けられているときではなかろうか。

転じて、仕事の締切とは、自らが生み出す作品が世の中で日の目を浴びることができるかどうかの区切りと思われる。特に、教員という立場においては、年度当初を迎えるにあたって示す計画文書や年度末を控えて求められる評価文書など、締切が定められる仕事もあるものの、日々の動きにおいては、担当している授業について日々の努力の中で遺漏のないよう準備し当日の授業時間を適切に運営するという、締切が曖昧な仕事である。一方で、研究者という立場においては、年中、締切に追われている。所属する学術団体(いわゆる学会)によるのだが、年次大会の発表申込や原稿提出や参加登録の締切、機関誌への投稿や改稿などの締切、こうした期日が明確に示され、しかもそれらを逃したからといって罰則はなく、ただ、自らの研究成果が日の目を浴びる機会を失うだけである。

締切を英語でdeadlineと呼ばれるのは、言い得て妙だと感心する。確かに、身を切られる重いがする。2016年4月、應典院を退任したときにも想い起こしたのだが、依頼元から「オクルニオヨバズ」と電報が届いたという藤子不二雄先生(藤本・安孫子両先生)のエピソードは、今の時代においては、メールで「返信不要」という言葉が添えられた文書を受け取るのと似た気がする。ある先生から「原稿を安楽死させた」と冗談交じりに仰ったお話しを伺ったことがあるが、その先生がお持ちの「本当の締切を知ることが大切」という悪い習慣に浸ってしまっていたことを、年々反省するところでもある。

今日は8月にアイルランドのゴールウェイというまちで行われる国際学会の発表要旨を仕上げた。ちなみに締切は4月30日とされていたが、この締切は2回延長されたものである。実際の学術大会が8月に迫っていることから、これ以上の延長はないと思われるが、締切を1日前にして投稿することができ、晴れやかな気持ちになった。今日のデンマークのオールボーは快晴、気持ちとシンクロしているようで、二重でうれしい一日となった。


0 件のコメント:

コメントを投稿