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2017年4月25日火曜日

絶対時刻と相対時間

4月25日は、1年のうちに何日かある、特別な日である。今日はJR西日本による尼崎でのJR福知山線脱線事故が起きた日だ。この日になると、折に触れ、あの日のことを思い出す。そして、それは私だけではなく、特に関西在住の方には強く印象に残った方もおられるようで、例えば、ある大阪大学の先生は、決まってこの日に東西線に乗車し、あの時刻にあの場所を通過する列車に乗って9時18分を迎えておられる。

あの年、私は看護師を目指す方に人間関係論を教えていたため、授業内でも事故に触れたことがあったが、その後、お寺に身を置いたことで、あの事故に別の角度から迫ることとなった。それは演劇であった。お寺と演劇が重なるというのも希有なことかもしれないものの、身を置いていたのが大阪・天王寺の浄土宗應典院なのだから、お寺と演劇の親和性は語るに余りある。そして、劇場仕様の本堂ホールにて、事故から10年を迎える2015年の1月、あの事故にまつわる公演がなされた。

今日、2015年の公演にあたり、企画と演出を担っていただいた劇団「満月動物園」の戒田竜治さんに、次のようなメッセージを送った。簡潔にまとめると、7時間の時差がある中では25日を迎えたが、これまで事故や災害の発生時刻にこだわってきた自分を再確認した、改めて外の国に出てみると「そういえば9.11のときには、アメリカは朝だったのだな」などと思いを巡らした、といったことである。そして「きっと、人々の記憶というのは絶対的な時間ではなく、個々にとって絶対的な、全体としては相対的な時間として捉えられているのだろうな」と綴った。小難しく論じているようだが、そうしたメッセージに対し、戒田さんは戒田さんの体験と言葉により、時間と時刻に対する考えを重ねて、言葉が返ってきた。

今日、やっと日本から持って来た宿題の一つ、ある本の翻訳を終えた。文化の違いをどこまで「翻って訳すか」が大事だ、と、学術の師匠、渥美公秀先生に手解きを受けたこともあって、かなり、他の訳者の方々とトーンが違う自覚のもと、監訳いただける方々にお預けすることにした。言葉で遊んでよいのなら、役者もまた、翻訳者なのかもしれない、などと感じている。演劇では多くの人々の眼前に世界を実体化させるが、そうした才能がない私は、ただただ、語句の選定と文章のリズムに工夫を重ねるのであるが、時折雹が降るような不安定な天気のデンマークにて、言葉と時の流れについても、いくつかの観点から触れた一日だった。


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