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2017年4月17日月曜日

最も〜なものの一つ

英語が母語ではない。しかし、わりと幼い頃から触れる機会があった。同じ町内で誕生日が一日違いという親友がいるのだが、その家のお誘いで、確か小学校2年生のときから、フィリピンより転入されてきた方のお宅にお邪魔して、英語に触れる機会があった。塾やお稽古、という感じではなく、土曜日の午後に遊びに行って帰ってくる感じだった。

しかし、中学・高等学校と、授業として、テストのために、そしてその先にある受験のために、と、手段と目的が反転していく過程で、コミュニケーションの道具として磨きをかけていこうという意欲が駆り立てられることはなかった。ラジオ好きという習慣を見抜いたのか、自分も好きなのか、確かめたことはないが、母は私にNHKのラジオ講座を薦めた。ただ、大学生になった後も、そして働き始めてからも、4月の開講時に始めながらも、なかなか続きはしなかった。今になって思えば、できないことを隠さず、ごまかさず、自分の知らない世界に身を委ねていけばよかったと悔いている。

英語に独特な表現として、「one of the most 〜」など、最上級による比較表現がある。ここで「最も」なら、そもそも比較において最上とされるなら、「〜のうちの一つ」っておかしいのではないか、といった具合に思考が枠に囚われてしまった。日本語による論理構成にこだわる、あるいは受験対策でこだわらざるを得なかった経験が、コミュニケーションの道具を使いこなしていこうという意志を低いものへと導いていったのだろう。状況や活動についての理論で知られるジェームス・ワーチの『行為としての心』(2002年、北大路書房)による「mastery(習得)」と「appropriation(専有)」との対比を用いるなら、習得の妨げとなり、道具としての専有を困難にする、という具合だ。

今日、空港のホテルで一泊し、荷物が戻らぬまま、現在の自宅のあるオールボー空港に着くと、そこにはオールボー大学で4月19日から21日まで開催される「第7回ヨーロッパ社会福祉研究会」の開催を記念して、「Europe's happiest city」のバナーがあった。どうやら、2015年に行われたECの「QOL」調査で、住民の満足度が高く(72%が極めて満足、24%がかなり満足)、安全(96%)で、高い信頼関係にある(91%)と捉えていると明らかになったという。改めてそうしたメッセージを受けとめながら帰宅すると、確かに、バス車内の座席に置き忘れたパスポートが見つかるまち、朝にも晩にも鳥たちのさえずりが響くまち、という具合に「我がまちの一つ」として、幸せな感覚を携えて語ることができそうだ。そして、そのバナーの前で「自撮り」する若者たちの姿を見るに、確かに幸せなまちの一つだと感じ、あたたかい気持ちになって、風吹くバス停に向かったのであった。


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