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2017年4月19日水曜日

こだわり

モノフェチを自認している。何でも買ってもらえるような裕福さの中で育ったわけではない。それでも、何かを買ってもらえるなら選び抜こう、という思いがあったのだろう。それがどのタイミングで強い関心を抱く(fetish)ようになったのか、いくつかのきっかけがありそうだ。

一つのきっかけは、雑誌との出会いを挙げられるだろう。人口8万人ほどのまちで育ってきたが、いわゆる駅近くで生まれ育ったため、家の近所には4軒ほどの書店があった。今で言えばコンビニがそうなのだが、お店に入ってすぐのところに並ぶ雑誌の中で、馴染みのあるもので見たこともないデザインのものが紹介されているものに目が留まった。それから、「これで」ではなく「これが」というものを探すようになった気がしている。

大学に入り、18年生まれ育ったまちを出て京都に暮らすようになり、雑誌の世界が目の前に広がっている感じがした。そこに歴史という要素が加わる。よって、何かを選び抜くことが、何かを後世に残していくことにつながり、大きな物語をささやかに語り継ぐ担い手になっている気がした。そんなことを想い起こしたのは、今日、この数ヶ月かけてきた眼鏡を、別の眼鏡に変えたためでもあった。(昨日までの眼鏡も、今日からの眼鏡も、またもう一つ持って来た度入りのサングラスもまた京都の会社で、そのお店の名前もまた、モノフェチにはたまらなかったりするが、この話は長くなるので、またにしよう)

今日は朝から、オールボーのまちに出かけた。2週間前に開設以来をした銀行口座の手続きを進めに行ったのと、毎週水曜日にファーマーズマーケットがなされていることを妻が調べていたためだった。掛け替えた眼鏡は、いわゆるブルーライトカットのパソコン作業用のものだが、もう一つのものよりも軽いフレームと、柔らかく包み込むテンプル部分(日本語では「つる」と呼ばれているところ)が、心地よいまち歩きへと誘った気もする。いつしか、モノを語りながら物語を綴ることにも関心が向いていったことが、こうした文を書くことによっても自覚している今日この頃である。


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