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2018年1月16日火曜日

慣れと親しみ

あるものを見立てるとき、それを機械として見るか、有機体あるいは生命体として見るか、大きな分かれ目となる。私は人とまちとの関わりを機械として見立てるのではなく、生命として見ていくとどうなるか、ということを研究テーマの一つに据えてきた。それが大学院時代に扱った「長縄飛びのメタファー」を通したネットワーク型まちづくりへの着目の背景にある。機械とみると「(人間関係が)壊れる」、「(部品のように)入れ替える」といった観点となるところを、「(自然治癒という概念があるように)休憩する」、「(急がずに)信じて待つ」という具合に捉えるという具合である。

メタファーは気づかぬうちに日常生活の中に多く埋め込まれている。そもそもメタファーとは「○○として見立てる」ことである。例えば「戦略(strategy)」という言葉を使うときには、戦争のメタファーが埋め込まれている。ある言葉の背後にある世界に関心を向けると、自分がどのような価値を大切にしているかに気づくことができる、という立場で人とまちに向き合ってきている。

一方で、機械に対して愛着を抱くとき、そこに生命を見出しているかのような感覚を持つこともあるだろう。「このカメラかわいい」「この車かっこいい」というのも、メタファーの一つで、いわゆる擬人化による見立てである。何らかの親しみ(反対に憎しみの場合もあろう)が感じられたとき、機械にもまた生命の存在を見立ててしまうのだろう。また、こうして機械を生命に見立てるだけでなく、別の生命体に見立てるとき(例えば「男はオオカミなのよ」「この泥棒猫!」など)もある。

こうして文章を売っている機械にも愛着がある。その一つがAppleのMac OSで動くコンピュータである。そして今日をもって、MacOS X 10.6でのDropbox利用が終了となったため、やむなく新しいバージョンをインストールして備えることにした。10.6にはSnow Leopard(雪豹:ユキヒョウ)という愛称が重ねられ、OSのインターフェース(見栄え:生命体的側面)と、MacOS9の時代までのアーキテクチャ(設計理念およびその技術:機械的側面)を継承してきた最後のバージョンで、手放すには惜しい機械なため、Mavericksというカリフォルニアのサーフィン場の名前が付けられたOSの新しい見栄えと設計概念に慣れながら、うまく併用していくこととしたい。


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