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2018年1月17日水曜日

あの日から23年

この日の朝を神戸で過ごさないのは6年ぶりである。この5年、ずっと神戸の東遊園地で1月17日の朝を迎えてきた。2012年からであるため、東日本大震災の後からということになる。今一度、自分の人生の大きな転換点となったまちのことを見つめていきたいという思いからだった。

きっかけは映画「その街のこども」だった。2010年の1月17日にNHKの地上波で放送され、映画版も作成された。映画はその年末に関西で先行上映され、翌年1月から全国で上映された。そして3月に東日本大震災が発生し、6月には配給元のトランスフォーマーからDVDが発売された。東日本大震災を受けて特別に立命館大学サービスラーニングセンターが開講した授業を受講した学生にそのDVDを貸したところ、2012年1月16日に観て、何人かが実際に夜の神戸を歩き、私と東遊園地で合流した。

映画の内容は私が語るよりも、ぜひ観て、感じていただきたい。 http://sonomachi.com ちなみに昨年度まで、3月11日には立命館災害復興支援室による「いのちのつどい」の場に身を置いてきた。そして、黙祷の前に時報を流してきたのは、この映画のシーンを想い起こして用いたものでもある。悲しみに思いを馳せるためには、誰かが言葉を重ねていくよりも、刻々と刻まれていく時間を捉えていくことが大切ではないかと考えたためである。

教え導いていただいた学問の師(の一人)、渥美公秀先生は新潟県小千谷市の塩谷集落でのフィールドワークを通して「詩的言語」という概念を示している。 「災害復興過程の被災地間伝承」と題してまとめられた論文では「言語の多義性を留保し、通常の言語規範に回収されることを回避する言語」(p.13)と定義されている。私なりの解釈が許されるなら、「いちいち説明しても、正確さを求めようとしても意味はなく、その言葉をそれぞれに受け止めればいい」私的な言葉であって、いちいち「あれは○○のはずだ」「きっと△△だ」「いや□□であるべきだ」といった解釈はナンセンスだという指摘である。あれから23年、「その街のこども」において、森山未來さんとの会話を通して佐藤江梨子さんが「それでも、行かなだめなんです。」と応えるシーンは、まさに詩的言語の象徴のような気がした。


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