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2018年1月25日木曜日

忘れられず残されたものは誰のものか

来週に書評の締切を抱えている。橋爪大三郎先生の「書評のおしごと」(海鳥社、2005年)には「書評とは、著者を想定読者とした規定演技」とある。ここにはフィギュアスケートの比喩が埋め込まれている。要するに書評とは著者が読んだときに、正確な読解ができているか(フィギュアスケートであれば、決められたとおりに滑ることができているか)が問われるという話である。

書評のための読み解きを進めている今日この頃、今日は映画で息抜きをすることにした。Amazonプライムを契約しているため、いくつかの作品を追加料金なしで観ることもできる。ただ、今日は初めてiTunes Store経由でレンタルしてみることにした。Appleはアカウントに紐付けられてコンテンツが管理されるため、VPNなど、特別な設定をする必要なく、そのままの環境で鑑賞することができることを知ったためである。

妻の薦めもあって、デンマークとドイツの合作「ヒトラーの忘れもの」を鑑賞した。ところが、観賞用のコンテンツがダウンロードされた後、「選択したムービーは、お使いのディスプレイでは再生できません。このムービーは、HDCP(High-bandwidth Digital Content Protection)対応ディスプレイでのみ再生できます。」というエラーが出た。内蔵ディスプレイのため、そんなはずはなかろうと対応法を探すと、Appleのサポートの掲示板で過去のPRAMのリセットをすれば解消する可能性があることを知った。結果として、この方法で事なきを得た。

映画は1時間40分ほどだったが、その余韻は長く続いた。主役のラスムスン軍曹の葛藤と、最終的な決断は、その後どうなったのかモヤモヤしたためである。デンマーク語の原題は「Under sandet」であり、英語に直訳すれば「Under the Sand」となるところ、英題は「Land of Mine」とされたようだ。mineは地雷という意味と「私のもの」と、全く別の意味を持つ言葉であり、改めて地雷と少年兵の問題を深く考えるきっかけを得ることができた。


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