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2018年1月31日水曜日

長い冬休みが明けて

今日からオールボー大学文化心理学研究センターの「キッチンセミナー」が再開された。前回は11月29日だったから、およそ2ヶ月のお休みだった。その間、クリスマスがあり、年明けには試験期間に入った。オールボー大学の試験は、講義科目はレポート、PBL科目はプロジェクトレポートの提出の後に口答試問のために、学生も教員も、一定の手間がかかる。

キッチンセミナーは水曜日の15時から2時間と決まっている。開始にあわせて大学に足を運ぶと、いつもよりもキャンパスは静かだったような気がした。試験も落ち着いたためだろう。少し前には、口答試問の準備のためか、いわゆるラーニングコモンズと呼ばれる小さなブースがあちこちにあるキャンパスで、多くの学生たちがパソコンを持ち込んで対話を重ねている姿を目にしていた。

今日のキッチンセミナーのテーマは「謝意の表現の不釣り合い(asymmetric feature of gratitude)」だった。キッチンセミナーは参加にあたって土曜日までに届くディスカッションペーパーに目を通しておくことが責務となっている。今回はディスカッションペーパーに加えて、5つの問いが重ねられていた。それらは「あなたが日々感じている不釣り合いな関係」「義務感で従うこと、黙って従うこと、都合良くついて行くこと、これら3つの区別」「そもそもあえて恩義を感じずに振る舞うこと」「どんなときに恩着せがましいとは感じないか」「一連の感謝、恩義、恩知らず、恩着せがましくない振る舞いなどについて、どうやってデータを収集するのが適切か」であった。

2時間のセミナーのあいだ、参加者どうしで寸劇なども盛り込みながら、私とあなたの関係が深められていった。特にヴィゴツキーの理論に大切にする参加者からは、二者関係を媒介する要素に着目すれば、互恵的な関係の見方も変わることが示された。その流れに乗って、私もまた、相手からの期待と自らの表現のあいだで価値の調整がなされること、また謝意は人間関係を維持・発展するための手段として用いられること、相手の役割や機能を評価するときと相手の存在を承認するときとでは性格が異なること、などを実際の場面を織り交ぜながら示してみた。17時過ぎ、セミナールームを出ると、既にあたりは暗くなる中、まだ教室の外からお子さんと講義を受講する姿を拝見して、私ももっと励んで学ぼうと、その姿勢に身をただすことができたことに静かな謝意を重ねた。


2018年1月30日火曜日

言葉も、言葉以外も。

デンマークのオールボー大学には客員研究員として滞在している。理由は、所属先の人文学部コミュニケーション・心理学科の授業がデンマーク語のみで行われているためである。もし、デンマーク語ができれば、授業も担当し、客員准教授などで受け入れていただける可能性もあった。結果として、授業を担当しないことによって、多くのインプットと、適度なアウトプットを重ねることができている。

授業を担当しないために、積極的にデンマーク語を習得する必要はなく、日常的なコミュニケーションは英語によって事足りている。今回、幸運なことに、2人の先生が私の客員研究員としての受け入れ担当を担っていただけた。その2人とも、英語にてやりとりを重ねている。また、オールボーはデンマーク第4の都市ということもあって、まちでも英語ができれば、大きく困ることはない。

ただ、ちょっとした場面で少しでもデンマーク語を使えば、相手の表情が変わることがわかる。もちろん、それは日本語でのコミュニケーションにも通じることである。たとえ、対面でのコミュニケーションだけでなく、メールでも、ささやかに言葉を添えるだけで、相手の受け止め方が変わってくるだろう。実際、今日は月末締切の書評を推敲し、締切前に編集担当の方に送信させていただいたが、そのやりとりにおいても、互いに心地よくやりとりを重ねられた気がしている。

また、対面でのコミュニケーションでは、言葉以上に態度や振る舞いのささやかなことが、相手の気持ちを大きく左右することがある。例えば、今朝は妻からの「今日は朝焼けがキレイ」の声に、カメラを携え、東の空に目を向けた。英語で責任を意味するresponsibilityとは、2つの語に分けるなら応答能力という訳出できる。言葉でも、言葉以外でも、丁寧に相手に思いを重ねられるよう努めたい。


2018年1月29日月曜日

アップルの恩恵で

大学1回生の頃、Macintosh LC475に触れて以来、Apple社の製品のとりこになっている。そのオシャレさは、PC-8801シリーズを使っていたときから関心を向けていた。中学か高校の頃にもらってきたであろう、今はなき西武百貨店浜松店のスタンプが押されたMacintoshのカタログは、今でも捨てずにとってある。初めてのMacは、大学2回生のときに短期集中の警備員のアルバイトで購入したPowerBook 180cで、こちらもまた、捨てずにとってある。

デンマークには2台のノートパソコンと、1台のタブレット、そして複数のスマートフォンを持ってきた。それらのうち、ガラホと呼ばれる電話機と、その設定のために用いたスマートフォンを除いて、Apple社の製品である。いずれの製品も、その造形だけでなく、一連の操作性が、よくよく考え抜かれた道具だと感じてやまない。ただ、いずれの製品も最新モデルではなく、逆に最新モデルには食指が動かない。

今日はiPad mini 2で読書をした。最新モデルはiPad mini 4だし、Apple Pencilを使うことができるProシリーズも複数ラインナップされている。ただ、Touch IDという指紋認証が導入されて以降、どうも身体と道具との関係が以前とは違ってきているような気がして、新たなモデルへの関心が沸かない。そもそも、今のモデルで困っていない、ということも、新たなモデルへの興味が高まらない理由の一つである。

身体感覚として慣れているiPad mini 2で読んだのは、月末締切という約束で引き受けさせていただいた書評のための一冊だった。アプリでの読書も、そのコツをつかんできた気がしている。大まかな構成をまとめあげたので、同じくTouch IDがついていない世代のスマートフォンのメンテナンスをした。先般、いわゆる「文鎮化」してしまったものの、日本への帰国を前に、今一度、一線で活躍してもらうために、である。


2018年1月28日日曜日

葉の落ちた木がしなる

デンマークで最も高い山は171メートルだという。それだけ、平地が広がっている。よって、強い風が吹き抜ける日が多いように思う。風力発電が盛んなことにも合点がいく。

今日のデンマークは風の強い一日だった。今、自宅の窓から見える木々の葉っぱは落ち、春の訪れを待っている。葉っぱが落ちた枝には、いくつかつぼみを見ることもできる。確実に、春は近づいてきている。

ガラス越しに風の音を耳にしつつ、今日もまた、自宅でパソコン仕事を重ねた。特に集中したのは、ある講演資料に目を通すことだった。以前からお世話になった方からの依頼だった。期待に応えようと目を皿にし、些細なことも掘り下げようと試みたところ、僭越ながら16のコメントと6つのアドバイスに至った。

以前、大阪の劇場寺院「應典院」に身を置いていたとき、秋田光彦住職から、作家が作品を生みだすときには、自らのいのちを削って吹き込んでいる、といった観点をお示しいただいた。そして、その作品を批評する側もまた、安易な肯定や否定ではなく、その作品の世界を理解した上でなされる必要があることも、いくつかの作品と作家と触れる中で実感してきた。果たして、16のコメントと6つのアドバイスが、講演資料という作品の改訂に影響するか、真剣に向き合ったつもりだった。返信して程なく、「外の世界からの観点は最善のコメントです」と、メッセージが返ってきて、安堵感に浸った。


2018年1月27日土曜日

代替不可能性という視点

日々、パソコンに向き合う時間が多い。時代が時代なら、原稿用紙にペンを滑らしていたのだろうか。そして異国の地で暮らす上では、辞書を引き、抜き書きをしながら言葉を覚えていたことだろう。パソコンとインターネットがあってよかった、と、つくづく思う。

あまり机に座ってばかりでもいけないので、今日はまちに出かけた。今の住まいは大学までが徒歩圏内で、市内中心部まではバスで20分ほどかかる。日曜日にも営業したお店は、月曜日には休みとなるお店がいくつかある。それでも、いくつかの店に足を運び、用を済ませた。

せっかく街に出たので、1月8日にオールボーで開店した日本文化を扱うカフェとテイクアウトのお店「おかえり」 にも立ち寄った。開店の日に立ち寄って以来の往訪である。ほぼ1ヶ月が経つ中で、その後はどうなっているのか、率直に伺ってみた。すると、来月から、徐々にお店をイベント中心のスタイルに変えていくとのことだった。

東日本大震災の後、remoやrecipなど大阪を拠点に活動してきた甲斐賢治さんを訪ねて、せんだいメディアテークにお邪魔した際、「自衛隊の行動指針を知ってる?」と尋ねられた。緊急性と公共性は予想がついたものの、3つめの代替不可能性は、そのときに初めて知った。もちろん、全ての物事の価値判断を自衛隊のようにすべきということではないものの、あえて何かをするのであれば、あるいは何かをしないのであれば、「自分(たち)の代わりがいるかどうか」というのは、重要な判断材料になると、合点がいった。「おかえり」もまた、代替不可能な機能があるだろうし、その機能を果たしつつ、オールボーのまちでの存在感を高めていって欲しいと強く願っている。


2018年1月26日金曜日

駆け込み応募

デンマークで暮らす経験を通して、大きく変わった価値観がある。それは時間への向き合い方である。少なくとも日本と比べてみれば、開始時間と終了時間にはかなり厳格である。何より、定められた締切は、特に厳格に扱われる。

大学で仕事をしていると、突然、締切が延びることがある。例えば、学術会議の応募の締切は、間際になって延びることが慣例となっている気もする。そして、いつしかそれに慣れてしまった節もある。加えて、「締切が過ぎてもなんとかなるだろう」といった打算を重ねてしまうこともあった。

今日は2つの学術会議の応募締切日だった。一つは今日が当初の締切で、締切の日になって延長が伝えられたものだった。ただ、せっかく締切に向けて準備したからということもあり、締切を前に応募した。もう一つは締切が延長されて今日になったもので、公式に示された締切に間に合うよう、無事に応募の手続きを終えた。

週明けまで締切が延長されたものは、7月にニューオリンズで開催される国際学会で、立命館大学サービスラーニングセンターの取り組みを発表すべく、申し込んだ。申し込みは当然英語なため、まずはこちらから手をつけた。そして今日まで延長されたものは、2月に筑波大学で開催される国内学会で、同志社大学に在職中に指導を担当させていただいた方との発表である。それぞれ、無事に終えると、いつしか日没の時間となり、空が赤くなったかどうかにも気づかぬうち、夜を迎えていた。



2018年1月25日木曜日

忘れられず残されたものは誰のものか

来週に書評の締切を抱えている。橋爪大三郎先生の「書評のおしごと」(海鳥社、2005年)には「書評とは、著者を想定読者とした規定演技」とある。ここにはフィギュアスケートの比喩が埋め込まれている。要するに書評とは著者が読んだときに、正確な読解ができているか(フィギュアスケートであれば、決められたとおりに滑ることができているか)が問われるという話である。

書評のための読み解きを進めている今日この頃、今日は映画で息抜きをすることにした。Amazonプライムを契約しているため、いくつかの作品を追加料金なしで観ることもできる。ただ、今日は初めてiTunes Store経由でレンタルしてみることにした。Appleはアカウントに紐付けられてコンテンツが管理されるため、VPNなど、特別な設定をする必要なく、そのままの環境で鑑賞することができることを知ったためである。

妻の薦めもあって、デンマークとドイツの合作「ヒトラーの忘れもの」を鑑賞した。ところが、観賞用のコンテンツがダウンロードされた後、「選択したムービーは、お使いのディスプレイでは再生できません。このムービーは、HDCP(High-bandwidth Digital Content Protection)対応ディスプレイでのみ再生できます。」というエラーが出た。内蔵ディスプレイのため、そんなはずはなかろうと対応法を探すと、Appleのサポートの掲示板で過去のPRAMのリセットをすれば解消する可能性があることを知った。結果として、この方法で事なきを得た。

映画は1時間40分ほどだったが、その余韻は長く続いた。主役のラスムスン軍曹の葛藤と、最終的な決断は、その後どうなったのかモヤモヤしたためである。デンマーク語の原題は「Under sandet」であり、英語に直訳すれば「Under the Sand」となるところ、英題は「Land of Mine」とされたようだ。mineは地雷という意味と「私のもの」と、全く別の意味を持つ言葉であり、改めて地雷と少年兵の問題を深く考えるきっかけを得ることができた。


2018年1月24日水曜日

あーらよ

デンマークに滞在しつつも、英語と日本語の文章ばかりに向き合っている。デンマークの公用語はデンマーク語である。もちろん、デンマーク語ができれば、もっと多くの研究、文化、出来事に触れることができる。しかし、1年間という限られた滞在期間の中で、最大限の学びを得るためには、デンマーク語の習得は横に置いて、デンマーク語で書かれたものをインターネット等を通じて翻訳するなど、道具の力を借りることにして過ごしている。

今日の午前中は、この3年にわたり、毎年8月にお邪魔していた「北海道高校生自然環境ミーティング」の報告書に掲載されたコメントの校正を行った。私が最初に学会発表したのも、1997年5月に横浜国立大学で開催された日本環境教育学会だった。その後、学会の方は自然退会となってしまったものの、環境教育への関心は今も変わらない。

父が輸送機械メーカーに勤める中、高校受験を前に中学校の理科の先生がレイチェル・カーソンを取り上げた「知ってるつもり」という番組を授業で見せてもらったことが、地球環境問題への関心が据わった直接的な体験である。ちょうど、リオデジャネイロでの地球サミットの頃の出来事だった。その後、高校は普通科だったものの、大学は「環境システム工学科」に進学した。そして、今は環境は環境でも、地球環境に対する工学的な問題解決ではなく、地球環境問題も含めて現代的な社会問題に対応する素養の高い人々が輩出できるように、特に学習環境のよりよい形を追求している。

あれから20年あまり、今日はお昼に蝦味の出前一丁をいただいた。製造・流通・消費などを通して、環境負荷が低いものとは言えないかもしれない。それでも、日本で開発された(であろう)商品が、こうして異国で流通している時代である。しかも、これは先日、近くの生協でワゴンセールにて特売となっていたものである。袋にはイギリス英語でPrawn、フランス語でCrevettes、アメリカ英語でShrinp、フィンランド語でKatkarapu、スウェーデン語でRäka、イタリア語でGamberetti、スペイン語でGambasと欧州仕様となっており、なぜかデンマーク語では記されていないのだった。


2018年1月23日火曜日

はなせばわかる

今日は久しぶりに打合せのためにオールボー大学に向かった。今は試験の時期である。全学でPBL(Problem-Based Learning)を導入しているオールボー大学の試験は、講義科目はレポート、プロジェクト科目はプロジェクトレポートの提出の後でメンバー合同での口頭試問となっている。今日もまた、キャンパス内のラーニングコモンズでは、試験のためか試験を終えてなのかは不明ながら、多くの学生たちが打合せを行っていた。

打合せでは、2月にアメリカ・カリフォルニアのサンタクララ大学で開催されるPANPBL2018でのポスター発表の素材を検討した。昨晩のうちにメールで送ったものである。今年度、オールボー大学に客員研究員として受け入れていただくにあたり、ホストとなっていただいた先生方との協働発表のためのものだ。ただし、あまりに文字が多かったのが気になっていたので、午前中には文字を減らし、図や表や写真を増やしたバージョンを送っておいた。

今日はA4およびA3版での出力で検討した。実際は横が1mほどのものとなるため、4分の1程度の大きさで検討したことになる。それでも、主な内容と、全体の流れについては十分に議論ができた。そして、修正に向けてのポイントも確認できた。

うれしかったことは、研究の方法について示す部分で、「2017年4月から始まった」として、今も継続中だとわかるようにした方がいいと言ってもらえた点である。加えて「今後も、ペーパーにまとめることや、比較研究を進めたらいい」とも語ってもらった。3月にデンマークを離れて終わりではない、ということだ。にしても、小さい素材での検討にあたり、時に目を離し、目をチカチカさせながらの議論となったものの、最終的には話せばわかる、そんなことを痛感する1時間あまりの濃い打合せとなった。


2018年1月22日月曜日

せっぱつまると

私はながら族である。たいていの作業の際、音楽があった方がはかどることが多い。パスや列車や飛行機の移動中の方が集中力が上がることもある。きっと、限られた時間の中、区切りの時間に向けて目標を定めて臨むことができるからだろう。

今日は明日の打合せのために、資料づくりにあたった。2月にアメリカで開催される学会発表の素材である。オールボー大学で1年間の客員研究員をさせていただいたことの成果を発表するため、国際PBL学会に申し込んだところ、晴れて採択された。口頭発表かポスター発表か迷う中で、ポスターを選択した。ホストプロフェッサーの2人が共に参加できるかどうかが確実ではなかったことと、ポスターセッションの方が多くの方々との出会いや議論を深める可能性が高いことから判断したのだ。

その素材作成にあたっても、ながら族モードとなった。先月のミーティングの際には「案をつくっておく」とだけ約束していたので、事前にメールで送信までする必要はない。それでも、事前に送っておけば、直前でも目を通してもらえるだろうと考え、今日中には作成を終えておきたかった。そして、ことのほか早くつくることができそうな手応えがあった。

少し余裕が出てくると、とたんに集中力が切れてしまう。そんな悪い癖が出て、音楽、語学、落語などを楽しむ用に、既に旧モデルになっているiPod touchの設定を始めてしまった。まだ、スティーブ・ジョブズが存命だった時代につくられたOSで駆動するモデルということもあって、懐かしく、楽しい。ささやかな現実逃避の後、ファイルの送付を終え、現実として手の中にある設定を終えたモデルでもって、耳学問の時間を過ごした。



2018年1月21日日曜日

後から参加したからこそ

朝から日本とインターネット経由でミーティングに参加した。日本では朝10時から始まっていた。私はデンマーク時間で7時30分から参加した。日本では15時半だった。

内容はある本の翻訳であった。10人で翻訳をしているため、一同に介して密な議論を行うにはそれだけの時間をかける必要があるのかもしれない。1度だけ、ネット経由で参加したこともある。そのときは2時間ほどの時間で設定をいただいた。

正直、長時間のミーティングを行うよりも、事前に意見を整理し、可能な限り調整をしておくことの方が、物事を決めて勧めるためには効果的である。ミーティングに参加すると、その場の瞬発力で、もっともらしい声が重ねられることがある。もちろん、それが新たな可能性を創発するものになればよいが、悪い意味での同調圧力によって到達水準が下げられることや、確実な方法を求めるために煩雑な手順をとることが妥当とされることがある。

翻訳作業を一つのプロジェクトとして捉えるなら、確実に時間的な区切りがあり、メンバーがいて、かつメンバー以外に調整を重ねる相手がいる。そこで必要となるのはバックキャスティングの発想である。これは終わりの時期と水準の双方から、辿るべき道を探ることを意味する。どうも、今、参加しているチームは現時点から到達すべき水準を考えて作業を進めることがフォアキャスティングのもとで進められているように思われ、一定の水準の翻訳原稿があがってきた今こそ、メンバー間でのチームワークのもとでマネジメントのあり方を見つめ直す好機だろう。



2018年1月20日土曜日

時の流れ

どちらかというと締切を破ることが多かった私が、デンマークに来てからは、ほぼ全てのものを締切の中で事を終えられている。絶対的な仕事量が減っていることも大きい。しかし、それ以上にデンマークで出会い、関わった皆さんの仕事の仕方に影響を受けている。自分を中心に置くのではなく、それぞれが携わっている事柄をうまく進めることに丁寧な方々に触れることが多く、その姿勢に学ばせていただている。

もちろん、締切は守って当然である。それでも破ることが多かったのは、自らも他者に対して締切を設定するとき、多少、余裕をもって設定する立場を経験したためだ。そこで「本当の締切はいつですか?」などと尋ねて、当初の締切から猶予をいただいてきた。ただ、それらは全て私の甘えであって、私が甘えたしわ寄せは、私の作業の後で動く方々に及ぶ。

人生も、仕事も、それぞれ折り返し地点を迎えている。特に大きな問題が起きなければ、あと20年は仕事をする。そして健康に留意して、事故に遭わなければ40年は生きていられるだろう。だからこそ、一層丁寧に、誠実に働き、生きていく上で、この1年は自分を見つめ直すよい時期となった。

私のオールボーでの滞在も残り2ヶ月ほどとなる中、今日は一足先にオールボーに赴任され、今月末には一足先に日本に戻られる先生を囲む場にお邪魔した。この先生がいらっしゃらなければ、その後、オールボーでの関係が広がるきっかけとなった4月のお花見に足を運ぶこともなかっただろう。オールボーをご縁につながった皆さんと懐かしの日本の味をいただき、いつかの再会を誓った。最後、テーブルには年始の番組で一気に脚光を浴びたお菓子も並び、私にも帰国のときへの思いが突き上げてきた。


2018年1月19日金曜日

もろもろの段取り

かつて立命館大学サービスラーニングセンターでは、衣笠キャンパスで学生たちのボランティア活動をコーディネートをする学生たちのあいだで「段取りスト」という立場が置かれていた。2013年までは使われていたように思う。数十名に及ぶコーディネーターの中でも統括的な立つ学生たちがそう位置づけられていた。であれば、なぜ代表といった役職名で呼ばないのか、ということに疑問を呈し、程なく使われなくなった。

役割と役職は時に混同される。もちろん、いずれも大切である。ただ、役職が重視される際、権限が細分化された階層的な組織構造のもとで、個々が責任を回避する口実に用いられることがある。また、役割が重視される場合、その人の経験や技能や性格といった属人的な要素が重視され、全体の中で求められる機能や他のメンバーとのあいだの区別のもとで組織的に動く前提を失ってしまうことがある。

今日は7月にアメリカのニューオリンズで開催される国際サービスラーニング・地域貢献学会(IARSLCE)に申し込むための概要を整理した。事例として取り上げるのは、立命館大学サービスラーニングセンターの取り組みである。いかに現場の経験を言語化できるか、そのための工夫を重ねた内容を発表する。最終的には、そうして学びのシステムやスタイルを変えていくにあたって、立命館の取り組みに何が欠けているかを整理することを試みる。

こうして一つひとつの仕事を進めていくと、改めて段取りが大切なことを痛感する。「段取りスト」という名前そのものへの問題提起が、その名前を使わなければいいという話に収まってしまっていたとしたら、私の力不足に他ならない。来年4月からは、改めて学生たちとどう向き合うか、自らの振る舞いをもう一度見つめ直していく時期としたい。そんなことを思いながら、今日は家の退去にあたっての書類を提出し、帰国への段取りもまた進めた。



2018年1月18日木曜日

いかにして古いシステムで使いこなすか

ついにMac OS X 10.6等ではDropboxを使うことができなくなった。既に2017年8月31日に、「ご利用のOSのサポートは2018年1月16日に終了します」とメールが届いていた。それを思えば、2日間は生きながらえたことになる。既に16日のうちに、このときを想定して準備はしていたものの、自動でログアウトされるのではなく、アプリ側から必死に同期を取ろうとする挙動が確認できた。

ふと、テレビのアナログ放送の最終日のことを思い出した。2011年7月24日のことである。ちょうど、フジテレビ系のFNS27時間テレビの中での生放送「笑っていいとも!増刊号」にて、カウントダウンがなされたことをよく覚えている。その後、いわゆる「ガチャガチャ」と呼ばれるロータリースイッチ式のテレビなどでテレビを観るためには、RF出力のある地デジチューナーか、古いビデオデッキや単体のRFモジュレーターを通してアナログ出力したデジタル放送を入力しなければならなくなった。ただ、東日本大震災のために岩手・宮城・福島の3県では地デジへの移行が2012年3月31日まで延期され、ケーブルテレビ等ではアナログ方式に変換した放送が2015年4月30日まで続けられた。

もちろん、DropboxのMac OS X 10.6のサポートが延長されるとは思っていなかった。むしろ、今までサポートが続いたことの方が驚きでもある。既にAppleのサポートが切れて久しく、最後のセキュリティアップデートが公開されたのは2013年9月12日である。それから4年と3ヶ月あまり、インターネットを通してファイルの同期を図る必要があるサービスが続けられてきたことが有り難い。

これからはメインのパソコンではOS 10.9、サブのパソコンでは10.11を使いつつ、それぞれ10.6も使っていくことにした。パーティションを切り、アクセス権をうまく設定して、10.6側から新しい方のパーティション側のDropboxフォルダを観ていくという具合である。もちろん、10.6の環境では同期が取れないため、作業の後には再起動して新しい方のOS側でサーバー側の情報を更新しなければならない。それでも、使い慣れたいくつかのソフトをもう少しだけ長く使っていくことができそうで、少し安心している。



2018年1月17日水曜日

あの日から23年

この日の朝を神戸で過ごさないのは6年ぶりである。この5年、ずっと神戸の東遊園地で1月17日の朝を迎えてきた。2012年からであるため、東日本大震災の後からということになる。今一度、自分の人生の大きな転換点となったまちのことを見つめていきたいという思いからだった。

きっかけは映画「その街のこども」だった。2010年の1月17日にNHKの地上波で放送され、映画版も作成された。映画はその年末に関西で先行上映され、翌年1月から全国で上映された。そして3月に東日本大震災が発生し、6月には配給元のトランスフォーマーからDVDが発売された。東日本大震災を受けて特別に立命館大学サービスラーニングセンターが開講した授業を受講した学生にそのDVDを貸したところ、2012年1月16日に観て、何人かが実際に夜の神戸を歩き、私と東遊園地で合流した。

映画の内容は私が語るよりも、ぜひ観て、感じていただきたい。 http://sonomachi.com ちなみに昨年度まで、3月11日には立命館災害復興支援室による「いのちのつどい」の場に身を置いてきた。そして、黙祷の前に時報を流してきたのは、この映画のシーンを想い起こして用いたものでもある。悲しみに思いを馳せるためには、誰かが言葉を重ねていくよりも、刻々と刻まれていく時間を捉えていくことが大切ではないかと考えたためである。

教え導いていただいた学問の師(の一人)、渥美公秀先生は新潟県小千谷市の塩谷集落でのフィールドワークを通して「詩的言語」という概念を示している。 「災害復興過程の被災地間伝承」と題してまとめられた論文では「言語の多義性を留保し、通常の言語規範に回収されることを回避する言語」(p.13)と定義されている。私なりの解釈が許されるなら、「いちいち説明しても、正確さを求めようとしても意味はなく、その言葉をそれぞれに受け止めればいい」私的な言葉であって、いちいち「あれは○○のはずだ」「きっと△△だ」「いや□□であるべきだ」といった解釈はナンセンスだという指摘である。あれから23年、「その街のこども」において、森山未來さんとの会話を通して佐藤江梨子さんが「それでも、行かなだめなんです。」と応えるシーンは、まさに詩的言語の象徴のような気がした。


2018年1月16日火曜日

慣れと親しみ

あるものを見立てるとき、それを機械として見るか、有機体あるいは生命体として見るか、大きな分かれ目となる。私は人とまちとの関わりを機械として見立てるのではなく、生命として見ていくとどうなるか、ということを研究テーマの一つに据えてきた。それが大学院時代に扱った「長縄飛びのメタファー」を通したネットワーク型まちづくりへの着目の背景にある。機械とみると「(人間関係が)壊れる」、「(部品のように)入れ替える」といった観点となるところを、「(自然治癒という概念があるように)休憩する」、「(急がずに)信じて待つ」という具合に捉えるという具合である。

メタファーは気づかぬうちに日常生活の中に多く埋め込まれている。そもそもメタファーとは「○○として見立てる」ことである。例えば「戦略(strategy)」という言葉を使うときには、戦争のメタファーが埋め込まれている。ある言葉の背後にある世界に関心を向けると、自分がどのような価値を大切にしているかに気づくことができる、という立場で人とまちに向き合ってきている。

一方で、機械に対して愛着を抱くとき、そこに生命を見出しているかのような感覚を持つこともあるだろう。「このカメラかわいい」「この車かっこいい」というのも、メタファーの一つで、いわゆる擬人化による見立てである。何らかの親しみ(反対に憎しみの場合もあろう)が感じられたとき、機械にもまた生命の存在を見立ててしまうのだろう。また、こうして機械を生命に見立てるだけでなく、別の生命体に見立てるとき(例えば「男はオオカミなのよ」「この泥棒猫!」など)もある。

こうして文章を売っている機械にも愛着がある。その一つがAppleのMac OSで動くコンピュータである。そして今日をもって、MacOS X 10.6でのDropbox利用が終了となったため、やむなく新しいバージョンをインストールして備えることにした。10.6にはSnow Leopard(雪豹:ユキヒョウ)という愛称が重ねられ、OSのインターフェース(見栄え:生命体的側面)と、MacOS9の時代までのアーキテクチャ(設計理念およびその技術:機械的側面)を継承してきた最後のバージョンで、手放すには惜しい機械なため、Mavericksというカリフォルニアのサーフィン場の名前が付けられたOSの新しい見栄えと設計概念に慣れながら、うまく併用していくこととしたい。


2018年1月15日月曜日

北の住まい

住居と居住、2文字を入れ替えただけで、意味合いが似て非なるものになる。住居は名詞である。居住は名詞にも動詞にもなる。また住居は家の中だけを指し、居住は家の周囲をも含む概念だと捉えている。

昨日、イギリスから戻り、久々の我が家での暮らしである。もちろん、持ち家ではない。それでも、我が家という感覚がある。異国の地で10ヶ月あまり過ごしてきた拠点として、愛着ある居住空間である。

デンマークにはエアコンがない家が多い。夏が短いことがもっとも大きい理由だろう。だからこそ、その時期にはバカンスに出る。一方で長く続く寒い冬を基準に居住環境が設計されている。

徒然草の第55段に「夏をむねとすべし」とある。確かに、昔の日本なら、暑い夏をどう過ごすかを考えなければ堪えられなかったのだろう。実際、寒ければ重ね着などをして、また暖をとれば、ある程度はしのぐこともできる。しかし、冬のことも考えて家は作った方がいいということを、デンマークに暮らして改めて痛感している。

この数日、家を空けていたことも重なって、家は冷え切っている。というのも今の家は、北欧の住まいの典型か、セントラルヒーティングのパネルヒーターのみなのである。夕方からは雪も舞った。それでも夜になると徐々に暖まってきており、家のつくりかたは「必ずしも夏のみをむねとせざるべし」である。


2018年1月14日日曜日

海を渡って

火曜日からの英国の旅も、今日で最後である。午後のフライトということもあって、午前中には最後の観光の時間を取ることができた。ただ、日曜日ということもあり、全体的に人々の動きが遅い。2泊お世話になったホテルの朝食も8時に開始だった。


そこで朝は少しホテルでゆっくりして、やや遅めの午前中に駅へと向かうことにした。エジンバラ市内からエジンバラ空港へは、バスかトラムが便利である。バスよりも少々(1ポンド)高いものの、概ね半分ほどの時間(30分)で着くトラムで行くことにした。そこで、トラムの始発駅に近い、スコットランド国立肖像画美術館を最後の観光地とした。


スコットランド国立肖像画美術館は、ロンドンの肖像画美術館に並ぶ程の歴史があり、200年以上にわたって集められてきた絵、彫刻、写真が収蔵されている、その名のとおり肖像専門の美術館である。私はとりわけ写真ギャラリーがあることに関心を向けていた。ただ、3月までの企画展「BP Portlait Award」をはじめ、現代の肖像を取り上げたもの(2019年10月27日まで)など、なかなか味わい深かった。


そして午後、エジンバラ空港からコペンハーゲン空港を経由してオールボーまで戻った。今回は荷物を預けずに搭乗したため、オールボー空港に着くなり、スムーズにバス停まで向かうことができた。もし、預けていたら1本遅いバスで帰らざるをえず、日曜の夜ゆえに1時間近く、家に着く時間が変わっていただろう。そして22時半ごろ、オールボーから直行便で行くことができるロンドンからの英国の旅、無事の帰宅となった。


2018年1月13日土曜日

エジンバラ・上がる下がる

2日目のエジンバラである。ロンドンに比べると、エジンバラのまちはそれ程大きくはない。観光にあたっては、広さよりもむしろ高低差の激しさを考慮しなければならない。そこで、ロンドンで味を占めたHop on Hop off、つまり自由乗り降りのバスにて著名な場所を回ることにした。


エジンバラでのバスによる市内観光は、大きく3社が運行している。1つは港も含めた郊外型のツアー、あとの2つが有名どころを回るもので、ライブで語って案内するものと、自動音声による多言語のものと、選択肢がある。ここでも日本語の解説の方が理解が容易であると、自動音声による会社のものを選択肢した。ちなみに、この3社のツアー全てに乗ることができるチケット(24時間限定ながら20ポンドと、3社分買ったときの半額以下のお値打ち価格)も用意されていた。


朝からエジンバラはマラソン大会が行われていた。そのため、午前中にはバスのルートが一部変更になっていた。そこで午前中はルートの変更を受けない場所に向かった。スコットランド議会、セイント・ジョンズ教会、エジンバラ城などである。


午後は、セント・ジャイルズ大聖堂、キャノンゲート教会界隈等々を散策し、カールトンヒルに登った。なんとか晴れ間も見え、新旧エジンバラのまちを一望した。夜はエジンバラ版の「ボビー像」を愛でて、地元のレストランでスコットランド料理とジンの飲み比べを楽しんだ。いよいよ明日はデンマークへの帰国となる。


2018年1月12日金曜日

エジンバラの高低差に慣れる

昨日から今日にかけての宿は、個人経営のB&Bだった。昨日はこの旅で初めてのパブをできる限り堪能したため、チェックイン時間ギリギリの到着になった。デンマークではあまり入ることのできない浴槽が部屋にはついていたものの、胃が絶賛消化中だったこともあり、シャワーのみでと床についた。朝になっても、ささやかな満腹感が続いていたものの、何品かを選んで注文して後に調理して出される「イングリッシュ・ブレックファスト」(ベーコン、ソーセージ、トマト、ハッシュドポテト、煮豆、マッシュルーム、お好みの卵料理)ということもあり、ついついフルセットに近く頼んでしまった。


朝食の後は程なくヨーク駅に向かい、エジンバラへと移動した。昨年6月のスコッチウイスキーを味わう旅に続き、2度目のスコットランドである。2時間ほどの列車の旅だった。途中、後輩が留学しているニューキャッスルを通過し、もし、自分が20代に海外生活を行うことができていたら、別の人生を過ごしていただろうと想いにふけった。


エジンバラ駅に着くなり、見るからに起伏の激しい街並みに驚いた。デンマークも、また直前に滞在したヨークも、基本的には平坦なまちである。さっそく、駅から建物5階分の階段をのぼり、North Bridgeの上まで出た。そしてホテルに荷物を置き、まちの散策に向かった。


まずは宿から程近い都市公園「The Meadows」で、人々が憩いのときを過ごしている様子を観察した。続いてエジンバラ大学の建物をいくつか横目に、駅付近まで足を運んだ。坂の多いまちを歩いていると、2016年度の立命館大学「ソーシャル・コラボレーション演習」にて、学生が紹介していた「吸い殻入れを投票箱にすることによって、ポイ捨てをなくす工夫」の実物を、ローリストン・プレイス沿いの広場「Grass Marcket」にて偶然にも遭遇できた。明日は西へ東へと、まちの高低差を存分に楽しむ予定である。



2018年1月11日木曜日

ヨークの時間

ロンドンから列車で2時間弱、ヨークにやってきた。12世紀ごろまでに築かれた城壁がまちのあちこちに遺り、中世の風情が包み込むまちである。このまちに、2009年から應典院で取り組まれている「グリーフタイム」の発案者の一人、尾角光美さんが留学している。昨年10月にオールボーに尋ねてきてくれたこともあって、今度はこちらがお邪魔した。


尾角さんにはホームでのお迎えから、夜のご飯までおつきあいをいただいた。まずは最近リノベーションをしてB&Bも始めたという、駅近くの「ザ・バー・コンベント・リビング・ヘリテイジ・センター」に立ち寄り、庭、チャペルなどを見学した。続いて、映画「ハリーポッター・賢者の石」に登場するというダイアゴン横丁のモデルとなったとされるシャンブルズ(Shambles)通りを散策した。そして、BettysのStonegate店にて早めのランチをいただいた。


ランチの後は、いくつかの教会を巡った。All Saints Pavement教会では、アフガニスタンにて生命を落とした方々を追悼するステンドグラスを拝見した。Spurriergate教会では、礼拝堂の大部分をカフェにして地域に開放している様子を垣間見た。そして夕方には来たヨーロッパ最大級のヨーク大聖堂を拝観した。


ヨーク大聖堂に向かうあいだ、城壁の上を歩き、「edible york」と名付けられた街頭の野菜庭園を観て、尾角さんが行きつけのコーヒー屋さんでの休憩した。また、ヨーク大聖堂の拝観前にはOuse川沿いを散策し、拝観後には最近開店した日本茶カフェ「Ippuku」に一服した。そして、朝にヨーク駅横の「Left Luggage」にて預けた荷物を持って、尾角さん行きつけのパブにて夕食となった。クラフトビールやフィッシュアンドチップスなどを堪能した。


2018年1月10日水曜日

久々にキラキラした光を観る

はじめてのロンドン、2日目である。今日は終日、市内をバスで観光した。昨日、空港で購入した、24時間有効の自由乗り降りの観光バスのチケットを利用したのだ。こちらでは「Hop on Hop off」という言い方で、数社が同じサービスを展開している。


まずはRussel Squareから乗車して、Haymarketで降り、ピカデリーサーカスまで向かってエロス像を目にした。そこに飛び込んできたのは、建物の側壁前面を覆う電照広告だった。デンマークや京都ではほぼ見ることのない風景に触れ、久しぶりに資本主義の渦に触れた気がした。それでも気を取り直してという程の思いは抱かぬまま、少し周囲を散策し、バッキンガム宮殿へと向かった。


バッキンガム宮殿で衛兵さんたちの仕事を見て、再びバスに乗車した。ウェストミンスター寺院など、有名どころを車窓から観光した。そして、世界遺産にも指定されているロンドン塔で降り、少し遅めのランチを取った。サンドウィッチとココナッツカレーのスープで身体を温めた後、観光バスのチケットにクルーズのオプションがついていたので、タワーブリッジの横から船でウェストミンスター寺院のあたりまで戻った。


テムズ川を下り、ウェストミンスター寺院のあたりで降りると、先ほどは車窓からしか見ていなかったビッグベンなどを近くで見た。あいにくの改修中で、とはいえ、それはそれでレアなシーンなのだと思い、カメラを向けた。そして再び、ハイドパークやヴィクトリア駅方面を周り、ピカデリーサーカスまで戻ってきた。宿に戻る途中、地下鉄駅にはビッグイシューの販売員の姿も見て、もろもろロンドンを早周りしたように思える1日だった。


2018年1月9日火曜日

直行便で足を伸ばす

オールボー空港から直行便で行くことができるまちは限られている。国内であればコペンハーゲンとオーフス、国外であればオランダのアムステルダムとノルウェーのオスロ、そして英国のロンドンである。日本を出る際「ヨーロッパで住むからには、いろんな国に足を運ばないと!」と何人かから勧められた。とはいえ、先に述べたような具合であるため、仮にコペンハーゲンに住んでいれば状況が違ったものの、なかなか足を伸ばせずにきた。

今日は英国・イギリスへ飛んだ。1時間45分の旅である。確かに地図で見れば、両国は近い。同じくらいの時間で到着するアムステルダムよりも近いようにも思われるが、移動の際のトランジットの関係で何度か立ち寄っているため、感覚的にはアムステルダムの方が近い気がして仕方ない。


いくつかあるロンドンの空港の中で、到着したのはGatwickである。9月にアイルランドのゴールウェーに行った際、初めてHeathrowに降り立った。それが私にとって、初の英国入国だった。そして今日が初めて、空港の外に出て英国を体験する初めての機会となった。

Gatwick空港を出ると早速、交通カード「オイスターカード」とプリペイドSIMを調達した。目的が明確であれば対面販売よりも自動販売機やセルフレジの方が気軽である。ただ、オイスターカードを売るワゴンに目が留まり、そちらを利用することにした。対応してくれたのは親切そうな淑女で、滞在日数や旅行の計画などを尋ねると、全てをオイスターカードで回るか、自由乗り降りの観光バスを使うか、選択肢を示してくれた。そこで今日は大英博物館など、あまり移動を頻繁にせず、明日に観光バスで観光することに決め、短い滞在で効果的にロンドンを堪能することができそうな気がした。


2018年1月8日月曜日

読みにくくても伝わるものがあれば

オールボーに、新しい日本文化を紹介する拠点が生まれた。4月のお花見でお会いした方がお店を始めたのである。これまで、語学学校や観光ガイドなどの仕事をされたと伺っていた。そして一念発起、固有の場を持つことにされたのである。

お店の名前には「Okaeri」と名付けられた。なかなか欧米の方々には発音しにくいと思われる。それでも、同じようになかなか読みづらい「Karaoke」という言葉は見事に定着してきている。ぜひ、「Okaeri」も、その言葉に込められた意味が、お店を通じて提供されるホスピタリティーと共に、オールボーの人々に受け入れられていくことを願う。

オープン初日となる今日、開店早々に妻とお邪魔した。既にいくつかのネットメディアにより、お店のことは紹介されていたため、お昼の時間までに2組のお客さんが来られた。ちなみにデンマークでは「プレオープン」の文化がないことを、雑貨店のタイガーコペンハーゲンが大阪にて日本初出店する際のドキュメンタリーで知っていた。ただ、「Okaeri」は日本風に、メディアなどを対象としてレセプションを行ってオープンすることにしたようだ。

「Okaeri」から戻ると、自宅にて論文の修正作業にあたった。10月末の投稿時には至らなかった点が徐々に明らかになってきた。依頼原稿ではなく投稿論文であることを踏まえ、全力で思考を深めていった。それなりに、ではなく、きちんと納得がいくものへと整ったため、深夜のラブレターのように書き手の思いがあふれることで逆に相手との距離が開いてしまわぬよう、明日の朝に再度通読した上で共著者にチェックをお願いすることにした。


2018年1月7日日曜日

翻訳コンニャクという妙名

妙薬や妙技といった表現には馴染みがあるものの、妙名という表記はあまり目にしたことがない。ただ、ドラえもんに出てくる道具は、総じて巧妙な命名がなされていると、年をとるごとに思う。中には年をとってこそ「なるほど!」と唸るものもある。私にとっては「ウソ・エイトオーオー」はその最たるものであるので別稿に譲るとして、Yの字の型になったロウソク「Yロウ」などは、藤子・F・不二雄先生が、まるで劇中でのび太が得意顔になるときのように、舌をペロンと出して執筆されたのではないかと思いを巡らせてしまう。

中でも翻訳コンニャクは、ドラえもんを少しでも知っている人なら誰もが理解できる道具だろう。2016年12月には、パナソニックが法人向けに「メガホンヤク」という商品を販売している。きっと、その命名の過程でも、翻訳コンニャクが話題になったのではなかろうか。駄洒落と言えばそれまでだが、それを親父ギャグといったカテゴリーで片付けられて欲しくない、というのがドラえもんファンの密かな思いである。

今日は4月に提出した翻訳原稿を修正した。自分の目だけでは気づかない点もあるので、妻の目も借りることにした。7月のミーティングを経て1度目のマイナーチェンジを行い、10月の段階で2度目のマイナーチェンジを行った。そのため、これで3度目のマイナーチェンジとなる。今回は忠実に訳す段階から日本語としての通りを良くすることが目的の改訂となった。

7月の段階では「山口さんの論文を読んでいるようだ」という評価が重ねられた。今思えば、これは皮肉として受け止めて、その時点から大幅に改稿しておけばよかったように思う。改めて、以前観た、長井鞠子さんのプロフェッショナルとしての通訳のあり方を想い起こし、書き下していくことにした。通りを良くしていくこと、翻って伝えていくこと、通訳と翻訳の語に埋め込まれたそれぞれの意味を味わいつつ、通すところは通す、翻るところは翻って、言葉を重ねた。


2018年1月6日土曜日

伝わって欲しいことが伝わるように

高校生の頃、大学受験を前にして、進路の選択をしなければならなかった。いわゆる進学校に通っていたため、進路は大学進学が前提とされていた。したがって、どの大学に行きたいを決める必要があった。18年のあいだ、生まれ育ってきたまちから出て暮らすことのなかった私は、どの大学にすればいいのか、自宅から通うことができる大学にしようか、悩んだ。

いつしか、進路は選択肢が広がる方を選ぶのが得策だと思うようになっていた。文系と理系の選択の際には理系から文系に変えることはできるから理系に、国公立か私立かのときにはセンター試験を受けておけば私学の入試にも使うことができるということで5教科7科目を受験した。そして、第一志望の大学は、日本で唯一、社会と理科の教員免許が取得できる学科を選んだ。最終的に入学したのは、たまたま友人が「理系の願書は使わないから」と、分けてくれたことで受験校の候補とした大学で、受験した学科は開設初年度の「環境システム工学科」だった。

受験に際して友人が多く通っているからという理由で通った塾では「おまえは小論文がない受験をした方がいい」と言われた。それが悔しくてZ会の「小論文教室」という参考書を購入した。あれから25年、今になって、あのときに受けたアドバイスが効いている。伝えたいことを伝えるのではなく、伝わって欲しいことが伝わるように書くにはどうしたらいいかを考え、内容だけでなく文脈が重要となる、といった点である。

今日は終日、10月末に投稿した論文の修正作業にあたった。改めて自分の書き癖との戦いとなった。朝焼けから夕焼け、そして日没まで、コンピュータの画面と窓の外の風景とのあいだで目を往復する中、高校時代からの思い出にも、少しだけ浸った。少し煮詰まってしまったので、明日は別の作業に取り組み、箸休めとしよう。


2018年1月5日金曜日

日本食のカフェとテイクアウトのお店がオールボーに

今、住んでいるオールボーはデンマークの中でもかなり北のまちである。デンマークの地理がピンと来ない方には、デンマークを東京だとすると、青森の位置、などと伝えている。また、飛行機でデンマークに来る方には鳥取か島根のようなところ、などと伝えたりもする。ともかく、オールボーはユトランド半島の北端にあって、首都のコペンハーゲンからは飛行機で40分程度、電車では5時間ほどかかるまちである。

そんなオールボーに、1月8日、日本食を扱うカフェとテイクアウトのお店がオープンする。オーナーは日本人である。オールボーに来て程なく、お花見会でお会いした方で、その会の主催者でもあった。これまで、デンマークでは語学学校の講師や、ツアーガイドなどを勤めてきた方が、一念発起してお店を開くことにしたのである。

オープンを間近に控え、今日はオールボーの情報サイトで紹介されている記事を拝見した。昨日、メディアなどを対象にレセプションを開催したらしい。ちなみに、以前、日本テレビ系列のドキュメンタリー「NNNドキュメント」にて、デンマークに本社がある雑貨店「Tiger」が、大阪にて日本初出店の際にプレオープンをするかしないかで、統括責任者(デンマーク人)とマネージャー(日本人)とのあいだで一悶着があった様子が紹介されていた。今回は日本風にプレオープンをしたもようである。

異国で新たな挑戦をする記事に触れた今日、私はただひたすら、論文の修正作業にあたっていた。昨日に引き続きの作業である。なんとか中盤まで進めたものの、既に18,000字に達してしまった。刈り込みをしたはずが、どんどん分量が増えており、これではまた数日後に悩ましい状況に陥ることが目に見えてしまい、何とも鬱々としたした気分に浸ってしまった。



2018年1月4日木曜日

アメリカからのご招待を

日本では三箇日も終わり、仕事始めを迎えた方も多いようである。SNSにて、それぞれの決意が記された投稿を散見した。一方のデンマークではそんな雰囲気はまったく感じられない。いよいよ、夕方以降の花火の音も聞かれなくなってきた。

三箇日という考え方はアメリカにもないようで、現地時間で3日、アメリカから招待状が届いた。コネティカット州のウェズリアン大学からである。2月15日、災害復興についてのゲストレクチャーに関するものだった。11月にひょんなことからご縁を結ばせていただいた、Keiji Shinohara先生を通じてのお招きである。

ウェズリアン大学には東アジア学部がある。Keiji先生はそこで版画を教えておいでである。10月15日、たまたまお邪魔した陶芸家の方がオーナーのカフェで、たまたま展覧会のためにデンマークに来られていたKeiji先生とお目にかかり、こうしたことになった。というのも、2月の17日からサンノゼのサンタクララ大学で開催される国際PBL学会で発表のためにアメリカに行くことをお伝えすると「じゃあ、うちの大学にも寄ってくださいよ」という話になったのだ。

ということで、午前中は招待状と共にお送りいただいた講演タイトルや機材関係の照会、税金関係の書類、渡航にあたっての基礎情報、簡単な履歴書、自己紹介、フライトスケジュールなどをまとめて、担当の方にお送りすることに充てた。こんな風に記すとさも簡単に済ませたように思われるかもしれない。しかし実際には、特に税金関係の書類について、インターネットで検索を重ね、語義ではなく文脈を理解した上で回答をまとめた。午後から夜にかけては、10月末に投稿した論文の改稿作業を重ね、英語と日本語の両方と格闘する一日となった。


2018年1月3日水曜日

三箇日のないお正月

デンマークには三箇日という観点がない。むしろ、そんな風習がある日本の方が世界的には珍しいだろう。今日は日本のネットバンキングを使う際、4日が今年最初の営業日であることに触れた。改めて「そうだった!」と母国に思いを馳せた。

今日から10月末に投稿した論文の改稿作業を再開した。この論文は3名で記している。年末、12月22日に回答が届き、早速共著者と結果を共有し、「できれば28日までに何らかのコメントをいただきたい」とお願いした。仕事納めまでに一区切りを付けていただいて、その後はデンマークで引き受けようという配慮であった。

一人の共著者からは24日付で改稿に向けてのアドバイスをいただいている。もうお一人にはまだいただけていない。これ以上待っても、ただ時間が過ぎるだけかもしれないと、督促もせずに改稿を始めることにした。「dead line」は文字通り「死線」であって、それを越えたらどうにもならない、という作法で進めることにしたのだ。

今の住まいには机がなく、ダイニングテーブルしかない。そこにパソコンを置いて作業を進めると、数時間でお尻から腰、そして肩へと、あまりよい力がかかっていないことを自覚してしまう。無心になって書き進めていけばよいのかもしれないが、なかなかそうもいかない。そんなとき、ふと外に目を向けると、排水溝の洗浄に来た「はたらく車」に注意が向いてしまい、その作業が終わるまで数十分、リフレッシュの時間だと合理化して見入ってしまった。


2018年1月2日火曜日

今年初の日の出

元日のデンマーク・オールボーは終日、太陽にお目にかかることはできなかった。もっとも、こうした天気はデンマークでは珍しいことではない。今日もまた、不安定な天気だと、慣れてしまっている。不意の天気の変化に対応するためか、傘よりもレインコートが好まれているように思う。

今日は終日晴れだった。朝一番、寝室に射し込む陽を確認し、思わずカメラを持って外に出てしまった。東の空から太陽が昇り、ちょうど今の住まいの中庭に、陽が射し込むところだった。自分でも納得のいく一枚を収めることができた。

こどもの頃、年始に放送されるCMなどに、初日の出を思わせる日の出のシーンが盛り込まれているのを見て「天気が悪かったら撮影が大変だな」と無邪気に思ったことがある。幼い私は、初日の出を思わせるシーンの日の出は、いつかの元旦の日の出を収めたものだと想像していたためである。後になって、多少、季節の影響を反映するとはいえ、別に元旦に撮影した日の出のシーンでなくてもいいのだ、と理解し、合点がいった。

昨年の元日、法然院にお参りをした。應典院に勤めていた頃は、除夜の鐘の作務の後、修正会(しゅしょうえ、と読む)に出てから帰宅をしていたものの、2016年3月でお寺を離れたために、何らかの身の振る舞いを考えようと熟慮した結果である。そして、梶田真章貫主の法話を伺い、改めて自分が大切にすべきことを見つめ直すことができた。あれから1年、「元旦」とは「元日の朝」を意味するといったことも気づかせていただいたことを思い出し、早くも、来年の元旦や元日の過ごし方に思いを巡らせた。


2018年1月1日月曜日

憂さ晴らし?

デンマークでは新年を花火で迎えることを、いくつかの情報源で知っていた。12月27日には、在デンマーク日本大使館から、注意喚起のメールが届いていた。そのメールには「大晦日の街頭花火にご注意ください」と掲げられ、「大晦日から元日にかけて街頭において盛大に花火を上げて新年を祝う習慣があります」と前置きの上で、「これにより火傷を負ったり、目に花火が入って失明するなどの被害が例年発生しています」とあった。そのため「大晦日から元旦にかけて外出なさる際には、眼鏡や事故防止用のプラスチック眼鏡を着用するなど、怪我予防を心がけてください」と呼びかけられていた。

こうした注意喚起は、たいてい首都であるコペンハーゲンを想定して促されるものだと捉えていた。約58万人のコペンハーゲンに対して、オールボーは約21万人である。デンマーク第4の都市とはいえ、人口密度も首都ほどではなく、落ち着いた北のまちゆえに、それほどの注意は必要ないだろう、などと高をくくっていた。ところが、今回ばかりは注意喚起をそのまま受け止めてよいものと痛感した。


12月31日をあと2分ほど残すタイミングで、オールボーのハーバーフロントに着くと、そこは既に人でごった返していた。ちなみにハーバーフロントとはユトランド半島と北ユトランド島が橋でつながった界隈であり、大阪であれば十三あたり、京都であれば四条河原町くらいの賑わいを想像してもらえればよいだろう。そこで、個々人が思い思いに花火を打ち上げるのである。ショーのような演出ではなく、良い言い方をすればジャズの即興演奏のような感じ、悪く言えば意のままに間髪入れずに空へと、そして時には人がいようといなかろうと勝手に打ち放たれていった。

デンマークでは大晦日の6日前から花火が解禁される。そして大晦日に絶頂を迎える。そして元日の今日もまた、夜になっても遠くで花火が上げられていた。鬱々とした何かをまだまだ吹き飛ばしきれないのか、それとも明日からの通常モードへの区切りのためのか、元日の夜は長い。